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宝井琴柑さん インタビュー

10月21日生まれ、神奈川県横浜市出身━伝えたいこと講談って難しいといわれるので「難しくないんだよ!」っていうことと、今のお客さんに楽しさを伝えたいなっていうのは日ごろ考えてます。━話芸で勝負子供のころから親の影響で講談は聴いていました。中学生のときにアマチュアで習い始めて講談が身近ではあったんです。でも職業にしようと思ったのは、大学卒業後に出版社の営業職を経験してあちこち回っているうちに、営業トークも話芸だなと感じたとき。話芸だったら講談ってのがあったなと思い出して、じゃあ人の作った製品を売り歩くより自分の身一つでやっていけないかなと足を踏み入れたのが一番のきっかけです。━修行で変化突然講談の世界に身を置くことになり、私の周りの人たちはびっくりしていたと思います。講談師になってから話し方がだいぶ変わったので、以前の私を知ってる人からは「どうしてそんな喋り方なの?」と言われたりもします。元々はすごくトロくさくて舌っ足らずって言われたこともあったくらいだったのが、修行によってハキハキした喋り方に変わっていきました。自覚もありますね。━ここが自分の居場所やっぱり芸って難しいです。客として客席から見てるときは「前座さんか、二ツ目か。ふふん」って感じで気楽に見ていたんですが、いざ自分でやるとなると結構難しいもんだなと。挫折というほどの挫折をまだしていないのかもしれないです。でも、辞めたら後がないってことは思います。普通の社会人としてはあまりうまく生きていけそうになかったので、ここでダメだったら本当に後がない、ここが自分の居場所だってつもりでいます。━営業職のおかげで強くなれた営業職はノルマに追われ、営業トークも全部ひっくるめて仕事が辛い。でも元々そんなに喋ることが得意ではなかった私が、ガンガン人に喋れるようになったのは営業職のおかげだと思っています。物怖じしなくなって人見知りもしなくなりました。電話もかけまくって、初めての人でもガンガン行くっていう感じは営業職で鍛えられたのかなと。ただ、精神的にも体力的にもすごくハードだったので「もうやっていけない・・・」という感じでした。━大変なのはみんな同じ就職をせずに講談師になる選択肢はなかったですね。就職先でうまくいってたらそのままずっと安泰に暮らしていたと思います。講談の世界に入るよりも前に社会人として挫折を味わってますので、逆に講談の道に入っても頑張れるっていうところはありますね。どんな仕事もみんな大変なんだってことが身をもって分かった気がします。よく「芸人の世界って大変なんでしょ?」と言われますが、世の中の方々みんな働いてそれぞれ大変だなというのが実感ですね。━史跡めぐり最近は史跡めぐりにハマってます。昔はそこまで歴史好きというわけではなかったんですが、講談をやっていると各地の話が出てくるので気になります。旅行のついでに歴史に関係する場所を観たり、普通の人が素通りしてしまうような地味な史跡を観たり。手掛けている講談がその土地の話だったりすると、話にリアリティーを持たせるために現地へ行くことがよくあります。プライベートと仕事の線は引きづらいですが、そんなことも楽しいです。━見た目も含めた全てで喜ばせたい見た目も含めた全てがお客さんを喜ばせる為のツールだと思っているので、着物はきちんと着ていたいです。一応、侍が出てくるときは袴、町人のときは庶民みたいな着物・・・というように話に合わせて選びますね。敬老会みたいなところだとハッキリした色のほうが喜ばれたり。会場の大きさによって柄の大小も意識したりします。嫌味のない感じできちんと着ていたいですね。━祝!真打昇進内定来年(2019年)の秋、真打に昇進することが内定しました。次のステージに行かなければならないので、今までやってきたことを一生懸命固めようとしてます。昇進のタイミングが近づいてくると周りからも「そろそろなんじゃないの?」とか「いつなの?」とか言っていただけるので、二ツ目の後半ぐらいにそうやって言ってもらえるようになったのは嬉しかったですね。「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきつつあったので、嬉しいなと思ってるときに内定頂けてよかったです。でも真打ちというポジションに見合うだけのものにならなきゃなりませんので、あと1年ちょっとの二ツ目の期間で思い切り勉強したいなと思っています。宝井琴柑動画一覧はこちらから

宝井琴柑「山内一豊の妻」

てんがあさのごとくに乱れたる戦国の世。中でも織田上総介信長公、美濃岐阜の辺りを平定いたしますと、次第次第に勢力を拡大してまいります。天正年間と申しますと、まさに信長が勢いに乗っていた、そういった時代のお話でございます。時は天正の二年。花の盛りのやゆいの半ば、織田上総介信長公のご家来で、わずかに百五十冠をいただいております山内伊右衛門一豊。ご城下美濃の加納の宿にてにぎやかに催されましたる馬市へぶらりと出かけ、そこで一頭の栗毛の駿馬に目が留まります。値はわずかに金三枚。安いと思いましたが、貧乏侍の一豊には一枚の工面もつきませず、悄然として戻ってまいりましたる我が家。おかえりなさいませ。手をつかえて出迎えましたのが、奥様の千代でございます。この千代、大変な美人だったそうですね。背は高からず低からず、顔は長からず丸からず。全身からずで出来上がっていようという。おまけに肌の白いことといったら、雪にかんなをかけたように真っ白け。髪はからすの濡れ羽色。額が自慢で見せる三国一の富士額。眉毛は遠山の霞のごとく、白目は水晶、黒目は漆を垂らしたよう。おまけにまつ毛が長くて、鼻筋がつんと通ってずっと背中まであれば、これはかえるということになっとります。何しろこの美人の口の小さきこと。ご飯粒が十粒とは入らない、五粒くらいが精いっぱいだったそうでございますが。実はこのお千代。三年ほど前に、千代の母親と申しますのが娘可愛さゆえに、伊右衛門どのは貧乏でありまするからと引き止めますのお千代。いいえ。伊右衛門様は品行正しく、文武両道に秀でておられます。今にきっと、家を興される方でございまする。と、両の頬を紅に染めて必死に訴えるそんな娘の姿に、父親の喜助友興。うん。さすがは我が娘の言うことじゃ。喜んで身と狭い一豊の元に遣わした。この家中でも評判の小町娘でございました奥様の千代が。一日の務め、誠にご苦労様にてございまする。にっこりと笑いましたる妻の笑顔。一日の苦労も忘れ、すぐに己の今。腰に差しておりましたる大小の形ばかりの刀掛け。と、ふと見る庭先。今を盛りと咲き誇るひともとの山桜。じっと眺めまする一豊の胸のうちは感慨無量だ。つづきは動画で。宝井琴柑動画一覧はこちらから

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宝井琴柑「ボクサー白井義男伝 生い立ち編」

さて、お話は大正の十二年。九月の一日、正午近く。ぐらぐら…。関東一円が大揺れに揺れました。ご存知、関東大震災でございます。この時、錦糸町に住まいしておりました大工の家族。お父さんの白井とくいち、妻をきくえと申します。三人の子供の手を引きまして、命からがら隅田川を渡りまして、浅草観音様の裏手、三河島村…現在は荒川区三河島となった所でございますが、そこまで落ち延びたわけでございます。何とかここに住まいを見つけまして、実はこの時、四人目の子供がきくえのお腹の中には宿っておりました。十一月の二十三日、予定よりもひと月早く、この世におぎゃーと誕生いたしました玉のような男の子。あなた、男の子ですよ。おー、そうか。きくえ、でかしたな。よくこの大変な時に、立派に産んでくれたもんだ。はい。何とか、あの地震の時にこの子を世に出してあげたいと、その一心で、ここまで逃げてまいりました。あー、そうだな。それにしても、この度の地震では、ずいぶんとこの村の方たちにも世話になったもんだ。こんな大変な時に生まれたんだから、きっとこの子も運の強い子に違いない。そうだな。義理人情に厚い、そんな立派な人間になってもらいたい。義理の義を取って義男と名付けようじゃないか。こうして、義男と名付けられましたる男の子。這えば立て、立てば歩めの親心。すくすくと成長してまいります。やがて、はけた小学校の六年生となったわけでございますが。まあ幾分か体が小さかった義男少年。クラスの中でも一番体の大きな堀口君というのに、いつもいじめられておりました。おい、白井。こっちへ来いよ。お前、鍛えてやるぞ。パカパカパカ。痛いよ、やめてよ。殴られちゃー堪りませんので。あのさ、堀口君。母ちゃんが新しい鉛筆買ってくれたんだ。これ、あげるよ。おー、そうか。じゃあ今日は勘弁してやろう。あのさ、堀口君。今日は消しゴム、新しいの持って来たんだ。これ、あげるよ。おー、そうか。じゃあ今日は勘弁してやろう。まあ、しかしそうも小遣いが続きません。とうとう担任の先生に訴え出ました。先生。いつもいつも、いじめられて困ってるんです。おー、そうか。白井、そりゃ悔しいな。だがな、お前だって男なんだ。たまにはやり返してみろ。こうけしかけられました、義男少年。校門の前で待ち構えております堀口君の前へ。おー、どうした白井。今日という今日はやり返してやるんだ。つづきは動画で。宝井琴柑動画一覧はこちらから

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