古今亭今いちさん インタビュー


昭和63年8月26日生まれ、東京都大田区出身
 

小学校は全寮制

私太っていたんです。大田区内の小学校に通ってたんですが、保健の先生から「あなたこれ以上太ったら死ぬよ」って言われまして、千葉の館山にある大田区立の健康回復の学校に編入したんです。肥満、喘息、虚弱、偏食・・・などを治すための全寮制の学校で、そこに4年の2学期から編入をして卒業して大田区に戻って来ました。その時に一緒に暮らした、同じ釜の飯を食べた仲間っていうのは今でもよく遊んだりなんかしますね。小学生で70kgとかあったのかな。


どっちつかずの体型

「お前は太り方が半端だ」と言われることがあります。デブネタをやるのであれば大きくないと面白くないし、でも3桁は才能なので(笑)身長があって骨も太くて体が大きい方は太ろうと思えば頑張って太れるんでしょうが、私はそこまでの才能はない。頑張って痩せようと思ってもこの世界にいると自然と太ります。前座の頃は食べるのが仕事のようでした。「若いから食べなさい」って、世の中一般からしたらそんなに若かないですよね。


牛丼は飲み物?!

我々の世界は年齢ではなく、年季の差みたいなもの。40いくつでも若手は若手。だから師匠方も「若いんだから食べなさい」っておっしゃりますけど、年齢を重ねて入ってきた兄さんなんかは大変そうでしたね。自分たちが動いて手配して、余ったものは全部食べるみたいな。誰よりも遅く箸をつけて誰よりも早く食べ終わらないといけない。そうすると喉の方が発達してきて、カツサンドなんか2回噛めば喉通るようになっちゃう(笑)牛丼も飲み物ですから(笑)完全に癖になってますね。
 

古今亭今いちさん

 


教員免許、取ったはいいけど・・・

農業高校出身です。造園の勉強をしていて、学校の先生たちが結構面白かったんですね。そこから自分も農業高校の先生になりたいと思い、大学で教員免許を取って教員採用試験を受けました。先方と意見が合わなくて落ちちゃいましたが。先生も1人で人前で話すし、落語も同じだなって高校の恩師に話したら「お前全然違うよ。我々教員は生徒に教えて進級させて上に持ち上げるけどお前たちは全部落とすだろ」って先生の方がうまかったです(笑)


眞空拳拳法?

眞空拳拳法は、簡単に言うと護身術。今ある体をどうにかして使おうと。小学校3年くらいから続けてて今もやってますね。走りこんだりはせずに、いかに理にかなった動きをするか。無駄がないってことはカロリーを消費しないので痩せないです(笑)これでも高校の時はバドミントン部だったんですよ。全然見えないでしょ?体を動かすのは嫌いじゃないですが、根性がないですね。
 

太っていたから落語に出会えた?

自分はそそっかしく、飽きっぽいタイプ。農業高校時代も木を剪定したりするのはすごく好きだったんですが、成長を予想して形を整えた結果が出るのが1年後。その場で結果がすぐ返ってくるっていう方が自分にはすごく合ってるので、落語の方がコール&レスポンスで変えながら出来るというのが面白いですよね。考えると全部落語につながってます。落語との出会いも、館山に行っていた小学5年の学芸会で「寿限無」の劇をみんなでやったのがきっかけ。だから館山に行ってなければ、肥満じゃなければ落語にも出会ってなかったかもしれないですね。
 


敢えて、下手に

今はなるべく落語を下手にやろうと思ってます。上手い人っていっぱいいるじゃないですか。その中で師匠に教わったままやっているとそれより先には行けないというか、越えられないので。マイナスの力があると逆にプラスにも力が出るみたいな。いい方向にずっと行くよりかは、一回逆のことをやってみるといいんじゃないかなと思っていて(笑)だから今回の収録もすごく下手です。下手にやろうとするのも難しいんですよね。自分の中で教わった間とかリズムを崩す訳ですし、崩そうとして本当に詰まっちゃうと駄目ですしね。
 

自分だけのベクトルで

自分だけのベクトルで うちの一門が新作の一門なので、みんな言うのが「新しい笑いの形を創造しなくちゃいけない」。教科書みたいに“これが落語”っていうのは諸先輩方がやっているので、別のベクトルの落語もありじゃないかと。同じ噺でもやる人によってこれだけ違って面白いみたいな、多様性の面白さがある感じがしています。誰も行っていないところに行ければいいですね。そのために今は下手に、下手にやりたいなと。
 

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林家たこ平さん インタビュー

1979年7月4日生まれ、大阪出身━入門を決めたのは一瞬23歳の時、今から15年前くらいに上京しました。千葉の友達の家で居候みたいなことをしながらフラフラしていたんですが、たまたま休みの日に鈴本演芸場に寄席を観に行って、そこで師匠の落語を観て一瞬で入門を決めたんです。当時は就職していなくて、アルバイトをしながら、ただフラフラしてましたね。━カルチャーショック師匠を選んだのはフィーリング、第一印象かな。一目惚れですね。裏表のない師匠です。私が入門したころは結構テレビのバラエティなんかにも出ていたので知っていましたが、寄席とテレビでは印象が全く違いました。着物を着て座布団に座って・・・その時に初めて落語を観たのでカルチャーショックを受けました。━前座なのに独演会?!師匠の独演会が地方であったときのこと。師匠はテレビの収録かなんかで後から会場に入るから「お前は先に会場に行って準備しろ」と言われまして新幹線に乗ったんですが、その新幹線が止まってしまったんです。1時間も2時間も動かない。主催者の人と一緒だったので「どうしましょう」ってことで会場に連絡とると「師匠は今から来ても間に合わないから、師匠の独演会だけどたこ平さんとりあえず来てください」と言うんです。たしか1年目か2年目くらい。会場には師匠の独演会の看板が出ていて、でも出演は僕だけ(笑)「なんでもいいからやってくれ」と言われ、当時そんなにレパートリーがなかったので、それこそ前座噺ですよね。会場も結構大きかったですよ。5、600くらい席はあったんじゃないかな。開演時間も過ぎていてお客さんが半分怒っているような中お辞儀をして顔上げると・・・「シーーーーン」としていて拍手も何にもなかったです。『寿限無』とか『味噌豆』なんかを20分ぐらい話して降りちゃいましたね。その後はすぐに幕を下げてもらいました。今でさえウケることは難しいのに、その時はテンパっているし、前座がそんなところで落語をやるなんて間もなにもあったもんじゃなかったですよ。今考えてもゾッとしますね。━前座ロス?師匠は基本的に強く怒鳴るってタイプではないです。あんまり記憶にないですね。前座の時は、朝から師匠の家に行き、寄席が終わったら何があっても戻らなくちゃいけない。内弟子ではなかったですが、近所に住んで毎日行って寄席が終わったら必ず戻って、師匠のところで晩御飯を食べて、風呂なしのアパートに戻る。それを大体3年ぐらいやっていたので、そういう意味では厳しかったですね。でも今になってみるとありがたいような気もします。自分の時間は本当になかったので、二ツ目になった時はうれしかったです。意味もなく家の中を掃除したり。“何もしない”っていうのが悪いような気がして、ゆっくりしてちゃいけないみたいな感覚にはなりましたね。そういう意味では前座ロスでしたね(笑)━東京は自転車が便利散歩が結構好きで、上野公園とかをよく散歩してます。谷中から上野の鈴本へ行く道は、上野の山を越えていくと結構緑が多いのでリフレッシュできるんです。お芝居観たり、映画見たりするのも好きですね。今は乗っていませんが自転車も好きですね。東京って自転車があると便利ですから。電車と自転車があれば車はいらないでしょ。━師匠みたいになりたい目標は師匠。師匠みたいになんでも出来るような芸人になりたいです。仕事を選ばずに何でも機会があれば、きっかけがあればどんなことでもやらせて頂きたいなとは思います。林家たこ平動画一覧はこちらから

柳家やなぎさん インタビュー

1990年2月18日生まれ、北海道野付郡別海町━減量、叶わず協会のプロフィール写真は二ツ目になる直前ですね。二ツ目になったらどんどん痩せてやろうと思って意気込んでいた時です。あの頃は、二ツ目になれば痩せるだろうと思っていました。いわゆるデブキャラで売る自信が無かったので、僕は開き直れなかったんです。体も心配になりますし。でも・・・駄目でした(笑)━きっかけは現実逃避僕は全く勉強が出来なかったんです。高校3年生の時に授業に追い付けなくて、現実逃避で落語をきいたのが初めてでした。それから東京に出てきてアルバイトなんかをしていて、その頃に落語が世の中で一番好きだったので、じゃあ折角なら好きなことでご飯食べたいなと思ったんです。それに普通の企業で勤めている自分の想像が全くできなかったんです。普通に働いて、ちゃんと朝起きて、ご飯食べて、仕事行って・・・みたいなのが本当に1ミリも想像できなくて、生意気ですけどそういうこともあって噺家になりました。━夢のような見習い期間普通に働くよりも前座はハードだったかもしれないですね。でも好きなことですから。好きなことやっている時は平気です。最初の半年は盲目。毎朝自宅に行くと自分が惚れた師匠がいるわけですよ。だから最初の半年は「あー!さん喬師匠いるー!」「俺、さん喬師匠のお皿洗ってるー!」「俺、さん喬師匠入った後のトイレ入ってるー!」とかそういうのが続いて、見習いの半年は寄席を知らずに師匠のお宅にしか行ってなかったです。前座は寄席でそれどころではないので、あっという間に1日が終わっていきますから。期間としては長かったですけど1日1日を見れば随分あっという間に終わりましたね。━腐っていたあの頃今だから言えますけど、あの頃は随分腐ってました。前座って大体みんな腐るんですよ。目新しいものは楽屋にはないし、伸びしろもない。今だったらその時の自分に言います。「なんだって新しいし、何にもやることないなら高座を勉強しなさい」って。でも当時は「なんか早く終わんないかなー」って腐ってましたね。━ガンダムと酒普段はずっとゴロゴロしています。何もなければ家でゴロゴロして1日終わります。お酒飲んで終わり。二ツ目になってから、仕事をした日以外は飲まないと決めてますね。常備はしていますが、飲み始めるといつまででも飲んでしまうので。だから仕事した日はご褒美に飲んでいいことにしています。ガンダムを見て家でゴロゴロ。夢のようです。そうやって生きていきたいですね。お酒はなんでも好きですよ。━師匠、ごめんなさい!師匠はお酒を飲まない人なんですが「お前飲んでいいぞ」と言われ、最初はもちろん断わりますよね。でも進められて飲んで、気が付いたら僕が助手席で師匠が車を運転しながら「この辺でいいか?」って(笑)ごめんなさいっていつも思っています。同じことが何回かありますね。次の日は何事もなく「昨日はごちそうさまでした」って。だって師匠が飲めって言うんですもん(笑)僕だって「一人で帰ります」って言うんですよ。でも「いやいや送っていくよ」ってお言葉に甘えています。「テメぇ、この野郎」って思われているかもしれないな。━コツコツとやるのみ不器用なので本当にコツコツと目の前にある課題とか自分に出来ることをやって、噺家は死ぬまで噺家だと思うので、その頃には1ミリでも自分の師匠に近づいていたいですね。根本的に稽古をもっとしなきゃいけないと思います。とにかく噺をいっぱいやらないと駄目だなと思っています。━師匠のおかげ声が大きいのもこの世界に入ってからで、本当に師匠のおかげです。いわゆる腹式呼吸どうのっていう指導はないんですよ。だけど「さん喬」という師匠は、朝お宅に行って新聞を読んでいるところに「おはようございます」と言っても返事をしないんですよ。声を張って「おはようございます!」って言うと「おはよう」って返してくれる。無言で「お前の声は聞こえませんよ」って伝えてくれていたんだと思いますね。稽古の時も「腹から声出せ」って言われていました。一番最初に「こんちわ!隠居さんこんちわ!」って言うと「もう一回、腹から声出せ」って。初めて教わった噺も最初の「こんちわ!」だけで30分くらい。なので、この世界のことはこの世界に入ってから全部出来るようになりました。といっても、まだまだですね。もっと面白くなりたいです。柳家やなぎ動画一覧はこちらから

宝井琴柑さん インタビュー

10月21日生まれ、神奈川県横浜市出身━伝えたいこと講談って難しいといわれるので「難しくないんだよ!」っていうことと、今のお客さんに楽しさを伝えたいなっていうのは日ごろ考えてます。━話芸で勝負子供のころから親の影響で講談は聴いていました。中学生のときにアマチュアで習い始めて講談が身近ではあったんです。でも職業にしようと思ったのは、大学卒業後に出版社の営業職を経験してあちこち回っているうちに、営業トークも話芸だなと感じたとき。話芸だったら講談ってのがあったなと思い出して、じゃあ人の作った製品を売り歩くより自分の身一つでやっていけないかなと足を踏み入れたのが一番のきっかけです。━修行で変化突然講談の世界に身を置くことになり、私の周りの人たちはびっくりしていたと思います。講談師になってから話し方がだいぶ変わったので、以前の私を知ってる人からは「どうしてそんな喋り方なの?」と言われたりもします。元々はすごくトロくさくて舌っ足らずって言われたこともあったくらいだったのが、修行によってハキハキした喋り方に変わっていきました。自覚もありますね。━ここが自分の居場所やっぱり芸って難しいです。客として客席から見てるときは「前座さんか、二ツ目か。ふふん」って感じで気楽に見ていたんですが、いざ自分でやるとなると結構難しいもんだなと。挫折というほどの挫折をまだしていないのかもしれないです。でも、辞めたら後がないってことは思います。普通の社会人としてはあまりうまく生きていけそうになかったので、ここでダメだったら本当に後がない、ここが自分の居場所だってつもりでいます。━営業職のおかげで強くなれた営業職はノルマに追われ、営業トークも全部ひっくるめて仕事が辛い。でも元々そんなに喋ることが得意ではなかった私が、ガンガン人に喋れるようになったのは営業職のおかげだと思っています。物怖じしなくなって人見知りもしなくなりました。電話もかけまくって、初めての人でもガンガン行くっていう感じは営業職で鍛えられたのかなと。ただ、精神的にも体力的にもすごくハードだったので「もうやっていけない・・・」という感じでした。━大変なのはみんな同じ就職をせずに講談師になる選択肢はなかったですね。就職先でうまくいってたらそのままずっと安泰に暮らしていたと思います。講談の世界に入るよりも前に社会人として挫折を味わってますので、逆に講談の道に入っても頑張れるっていうところはありますね。どんな仕事もみんな大変なんだってことが身をもって分かった気がします。よく「芸人の世界って大変なんでしょ?」と言われますが、世の中の方々みんな働いてそれぞれ大変だなというのが実感ですね。━史跡めぐり最近は史跡めぐりにハマってます。昔はそこまで歴史好きというわけではなかったんですが、講談をやっていると各地の話が出てくるので気になります。旅行のついでに歴史に関係する場所を観たり、普通の人が素通りしてしまうような地味な史跡を観たり。手掛けている講談がその土地の話だったりすると、話にリアリティーを持たせるために現地へ行くことがよくあります。プライベートと仕事の線は引きづらいですが、そんなことも楽しいです。━見た目も含めた全てで喜ばせたい見た目も含めた全てがお客さんを喜ばせる為のツールだと思っているので、着物はきちんと着ていたいです。一応、侍が出てくるときは袴、町人のときは庶民みたいな着物・・・というように話に合わせて選びますね。敬老会みたいなところだとハッキリした色のほうが喜ばれたり。会場の大きさによって柄の大小も意識したりします。嫌味のない感じできちんと着ていたいですね。━祝!真打昇進内定来年(2019年)の秋、真打に昇進することが内定しました。次のステージに行かなければならないので、今までやってきたことを一生懸命固めようとしてます。昇進のタイミングが近づいてくると周りからも「そろそろなんじゃないの?」とか「いつなの?」とか言っていただけるので、二ツ目の後半ぐらいにそうやって言ってもらえるようになったのは嬉しかったですね。「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきつつあったので、嬉しいなと思ってるときに内定頂けてよかったです。でも真打ちというポジションに見合うだけのものにならなきゃなりませんので、あと1年ちょっとの二ツ目の期間で思い切り勉強したいなと思っています。宝井琴柑動画一覧はこちらから

三遊亭兼太郎さん インタビュー

1989年1月2日生まれ、東京都東村山市出身━猿顔?以前、兄弟子が「兼太郎」でネット検索をしたことがあったんです。「すごくいいことが書いてあるぞ」と言われ期待して覗いてみると「顔が人間離れしている」と書いてありました(笑)それ以来、傷つくのでエゴサーチはしてません。学校寄席で「猿だ」と言われることも。耳が大きいのでよく言われますね。うちの師匠も稽古の時に「お前はまだ火を扱えないから」と言いだして、何かの比喩かと思ったら、世界史の教科書で人類の進化の過程を見ながら「これは火を持っている人で、お前はまだ扱えないからアウストラなんちゃら。四足歩行の感じだから気を付けて」って(笑)あと「お前のかっこいいと思ってる顔は一番笑えるから気を付けて」とも言われました(笑)━初めての寄席で涙祖父が落語好きでした。小学生ぐらいのとき、当時アニメで盛り上がっていたので秋葉原に行きたいと言ったんです。そしたら何故か上野に連れて行かれ鈴本演芸場へ。その時、寄席に対してすごく感動しました。10歳ぐらいながら感動して泣いていたんです。祖父が亡くなってから談志師匠の現代落語論が出てきて、そこから落語にちょっと興味を持ったりしました。単純に落語すごいなと面白いなと思いましたね。━職業経験豊富この仕事で4つ目です。大学を卒業してまずは駐車場の会社に入りました。だた、駐車ができなかった。僕の運転で外回りに行くと、助手席の上司が命の危険を感じて「イヤー!!」と叫ぶんです。それで辞めて、次は介護士。お爺ちゃんお婆ちゃんと喧嘩して辞めました(笑)そのあとは空調清掃をやって、うちの師匠に入門という感じです。━嫉妬するくらいならうちの師匠をすごく好きで、愛していたので入門しました。あとは、サラリーマンを辞めたときに「俺、生きていけないんじゃないか」と思ったんです。でも介護とかいろんな仕事に就いたときに「仕事っていっぱいあるんだ」と気づきました。それに大好きな師匠に弟子ができてしまったら、自分はその弟子に嫉妬するんじゃないか?だったら自分が弟子になったほうが早いなと。そう思ったんです。この発想、猿とは思えないでしょ?(笑)━頭を丸めすぎて自分はしくじりっぱなしですね。何回しくじったかわからない。そのたびに坊主にして・・・。ある師匠が「あいつは頭丸めすぎだ。坊主にするのは最終手段だから、破門とか言われたらどうするんだ。下の毛を剃るのか」って(笑)かれこれ20回くらい頭丸めてますので。━お客さんと一緒に普段のまんま落語になればいいなと思います。噺を通してお客さんと場を共有しているので、お客さんと一緒にその世界に行きたいなっていうような感じですね。もちろん売れたいですけど、でもそれは自分が主観的に見るものではないので。「あの人売れてるね」って言っても、その人は売れてないと思ってるかもわからないですから。━一人の人に届けばいい小さい会場のほうがやりにくいとは思います。大きい会場だと、半分の人が笑えばウケた感じがするので。例えばすごく好きなお姉さんが来てくれたとして、そのお姉さんがものすごく笑っててくれればいいかなっていうのがずっとありますね。一人の人に届けばいい。━4年の前座修行を経て二ツ目歴は半年くらい。ホヤホヤです。大体前座は3年くらいなんですが、うちの師匠が4年くらいだったこともあって僕も4年でした。二ツ目になって暇ですね。本当に仕事しないと・・・と言っても面白い兄さん方も腐るほどいらっしゃいますので。僕なんか毎日朝早く起きてずっと稽古して・・・っていう夢を見ながら寝てます(笑)三遊亭兼太郎動画一覧はこちらから

立川志獅丸さん インタビュー

1976年4月19日生まれ、東京都豊島区出身━農業?経済?出身は農業経済学科です。作るほうではなく貿易とか、農業に特化した経済をやる学部でしたね。今でいうとTPPとか。僕のころは狂牛病が出たらどうするのかってことで盛り上がっていた時代でした。ただ、簡単に言うと経済学科なので文系と一緒なんです。だから就職も普通。専門職というよりは一般的な文系の人と同じように就活をして、呉服屋で2年ぐらい販売の仕事をしてました。━話芸を身につけようとして落語を聴き始めたのは中学2年。だからといって落語家を職業にしようだなんて全然思っていませんでした。中高男子校で、大学も農業経済。キャンパスは理系と同じで女性が少なく、おまけに柔道部だったので女の子に無縁でした。そのまま呉服屋に就職したもんだから、周りには女性が増えたものの免疫がなくて全然喋れなかったんです。しかも一番初めの配属が大阪の京橋で、強烈なおばちゃんとかがお客さん。そこで話芸を身につけようとしたら、落語にハマっちゃったっていうことですね。━落語家になるために辞職仕事は落語家になるために辞めました。上司に「落語家になるから辞めます」って言ったら「ふざけるな。何を言ってるんだ」って驚かれましたね。だけど止めることすら難しかったんだと思います。向かないから辞めるとかではなく、急に落語家になりたいと言い出した奴がいるぞっていうので。━真打トライアル振り返ってみるとあっという間ですね。逆に16年経っちゃったんだ・・・って感じもします。16年でこれだけかっていうのもあるし、まだまだだなって思いもあったり。あと4年で20年ですからね。焦るのは毎日焦ってます。余裕がないですね。ただ、今年から真打トライアルを考えているんです。いかに師匠にアピールするか。国立演芸場で3回やることが決まっていますので、そこで師匠を納得させられるかどうか。もう16年ですから、いよいよ来たかって感じですね。キャパが300ある会場なので埋まるか埋まらないか。というよりも埋めてみせなきゃいけないのでそのドキドキがありますね。ただ、それがあるから今はすごく充実してる感覚もあります。━バスケットボールと仕事趣味はバスケットボール観戦です。アルバルク東京のラジオもやらせていただいています。きっかけは3年前。栃木でラジオの帯番組を持たせてもらっていたときに「リンク栃木ブレックス」というチームに渡邉裕規っていう落語好きな選手がいると。それで共演していたアナウンサーが引き合わせてくれたんです。そこから渡邉選手と仲良くなってバスケを観るようになりました。今はちょうど住んでいる地域がアルバルクの本拠地であり、僕がバスケに詳しいというのでお声をかけていただいてやっています。━煎餅他には・・・煎餅かな。YouTubeで茨城県の美味しいところとか紹介することがあって、お醤油屋さんの素焼きの煎餅っていうのに出会ったんです。醤油も何もついてない煎餅を焼いただけのものを夜な夜なトースターで温めて自分好みの味を見つけるという。急に地味ですね(笑)━面白く語れる落語一番は、自分の独演会でお客さんが入るような落語家になりたいですね。メディアとかで顔を売るのもそうですが、元は落語ですからやっぱり面白く語れる落語を目指していきたいですね。お金を稼ぐなら自分の落語で稼ぎたい。真打トライアルで300席いっぱいになれば月に1回でも相当になると思うんですよ。でも、どちらかというと気楽にやりたいかな。だけど自分のペースでやっちゃうと怠けそうな気もするし・・・難しいですね。━全ては高座につながる師匠のように表に出ることを目指しています。でも、テレビに出る人は特殊能力だと思うんですよ。うちの師匠だったら昔は映画の評論とかが出来たり。師匠がよく言うのは「人間的に面白くないと面白くならない」と。だから、いろいろやってみて面白くしていくって言うのはそういう部分にあるかなと思いますね。ほかの活動がすべて高座の上につながっていくっていう感じです。立川志獅丸動画一覧はこちらから

林家あずみさん インタビュー

━お洒落大好きお洒落好きです。洋服すぐ買いに行きます。着物も100着くらい持っているかもしれません。もらったものもありますし、着物の古着屋さんで安いのをうまく見つけたり。自分の身丈と合って高座で着られそうなものに出会ったら買う。1枚大体3万円以内で買えるんですよ。なので、自分で古着を買うときは3万円以上のものは買わないというルールがあるんです。そうは言っても半分ぐらいが頂き物です。くださる方がもう着れないような柄だったり色合いだったりするものを頂けます。助かりますね。━自主規制私服のルールもありますよ。一緒に行動する方がすごいご年配の師匠もいらっしゃるので、細かいボーダーとかストライプとか見てるだけでクラっと来るような柄は選ばないルールがあります。私なんかのせいで倒れられたら申し訳ないですからね。自主規制です(笑)自分でもたまに細かいストライプとか見てチカチカするな?ってことあるじゃないですか。私でも思うんだから、80代の師匠方とかは倒れちゃいますよ(笑)━デリケートな相棒稽古用の稽古三味線が二丁と、高座に上がる用の紅木(こうき)の木でできた三味線が二丁で計四丁持っています。稽古三味線だけ最初に一丁を自分で買って、その他は三味線の師匠の花季彌生師匠がくださいました。本当にありがたいです。革を張り替えたりする間にもう一丁持っていないと3週間くらいかかってしまうんです。1年半に1回のペースで張り替えてますが、本当は破れるまで使って大丈夫なんです。ただ私は破れるのが怖いので、破れる前に張り替えます。張り替えてまだ3カ月ぐらいしか経っていないのに、高座に上がろうとケースを開けたら裂けて割れていたことも。気温の変化とか気圧の変化とかで勝手に破れちゃうので、いつ破れてもいいように白いテープを持ち歩いています。それをキレイに貼ると、音は悪いですけど1回の高座だけは凌げます。━まさかのティッシュ老人ホームでやらせていただいたときに、高座中に1人のおばあちゃんが私の前に歩いて来たんです。それからマイクの横にそっと何かを置いたんですよ。「あ、ご祝儀だ。チップ下さった」と思って見たら鼻かんだティッシュでした(笑)さすがにそれは笑っちゃって「なんでやねん!」って(笑)すごいゆっくり近づいて来るからちょっとドキドキしたのに、まさかの鼻かんだティッシュ。びっくりしました。その後も思い出し笑いが止まらなくて駄目でしたね(笑)━ビジュアルだけで仕事してます!着物を着たときは、眉毛とか化粧が薄いと負けちゃうので凄く濃いめにお化粧します。ライトで飛んじゃうので眉毛も濃い目に描いてますね。現場に入ってから足します。帰りは多少は落としていきますけど濃いですね。シンクロナイズドスイミングみたいな(笑)髪の毛も楽屋に入ってからウィッグを付けるので、地毛は鎖骨まであるかないかぐらいですね。うまいことやってるんですよ。なんせビジュアルだけで仕事してますんで(笑)━不器用ながらも三味線は1曲終わったらチューニングした音が変わってしまいますね。それをお喋りしながらもとの音に戻していかなくてはなりません。でも絶対音感は持ってないんです。特に三味線の音に触れて生きてきたわけじゃないので、本当に猛烈な練習と、8年の中でちょっとずつ培われてきた感じですね。4年くらい経ってから段々と合わせられるようになりました。その間ももちろん高座には上がっていて、音が違うのはわかるけど、どの糸がどう違うのかがわからないんですよ。ちょっとずつ全部の音を直すっていうのが出来なくて「違うけど、何が違うのかもわからない」っていう状態で高座に上ってました。弟子入りから始めたので、三味線も唄も8年。私はすごく不器用なので、お三味線のお師匠さんにお弟子さんがいっぱいいる中、素人のおじさんおばさん達もいっぱいいる中で未だにかなり下の方のレベルなんです。みんなもっと早く覚えるし早く習得するし。私はお三味線の師匠からも「本当に不器用ね。人の倍努力しなくちゃ駄目よ」と言われるくらいですから。だから本当に三味線が好きじゃなかったら無理です。━三味線漫談林家あずみ三味線漫談家自体が日本に5人もいない職業なんです。三味線を使う芸人さんはいっぱいいますけど、「三味線漫談です!」って言ってるのは多分5人も居なくて。なので、あと10年しないうちに、三味線漫談という言葉を聞いたときに、世の中の落語とか演芸に興味がない人のところまで「三味線漫談林家あずみ」っていうのが浸透するのが目標です。林家あずみ動画一覧はこちらから

桂伸べえさん インタビュー

1990年1月23日生まれ、島根県松江市出身━ミカンの皮研究静岡県の大学の農学部でミカンの勉強をしていました。ミカンを食べるときは皮が薄いほうがむき易いと思っていて、どうやったらミカンの皮が薄く作れるのかなってことを勉強していたんです。品種によって様々で簡単ではなかったですね。━落語との再会初めて落語を聞いたのは高校の芸術鑑賞会。その時は最初から最後まで寝ていましたね。その後、大学に入ってから一人で出来る遊びを追求してる中で突然再会したというか。落研とかには入っていなかったので、ある日突然でしたね。━スクランブル交差点に感動趣味は散歩ですかね。有名どころの建物を見ます。元々田舎者なので、「こんなのが本当にあるんだなぁ」っていうのをやってますね。中でも渋谷のスクランブル交差点は本当にすごいと思います。本当にすごい。みんな避けてくれるので初めて通った時でもぶつからなかったですもん。地方にいるとスクランブル交差点っていうと「何だあれは」「テレビで見るやつだ」って思いますからね。他には、一時期AKB48にハマってたり。大学の終わりからこの世界に入ったくらいの話なので最近はご無沙汰です。太鼓の稽古のためのCDをipodに入れたけど結局AKBしか聴かなかった。そういう感じ(笑)推しメンとかはいなくて、みんな揃ってAKB48ですね。━お酒の失敗失敗といえば、お酒の飲みすぎで家まで帰れなかったことくらいですね。打ち上げって本当はお酒は飲んじゃいけないらしいんですけど、場所によっては飲んでいいこともあったりして。もともと弱いのに久しぶりに飲んだら見事に酔っぱらって、家まで帰れなくなりましたね。ちょっとご機嫌になっちゃって、記憶はないです。最終的に家に居た場合もあるし、いない場合も。そんなことが何回かありましたね。━師匠とは正反対「その日高座に上がった中で一番ウケてこい」って言われたことでしょうか。ほとんど怒られたことは無くて、特にああしろこうしろとも言われないです。僕の師匠はめちゃくちゃ陽気にしゃべる方ですが、僕はというと感情の上下はほとんどない。あまり外に出さないタイプの人間かもしれないですね。怒ってても怒ってるように見せない・・・そういう人間なんです。怒るのが面倒くさいってのもあるかな。争いごとは避けたい、平和主義です。━直感を信じてなぜ師匠を選んだのか・・・直感としか言いようがないです。あんまり落語のことが詳しいわけじゃないですし。今となっては直感を信じてよかったです。本当に放し飼い状態で、自由で、僕はゴチャゴチャ言われると嫌になっちゃうタイプの人間かもしれないので、その点は師匠がよく我慢してくださっているんだと思います。相当我慢されてると思いますよ、僕には。でもあんまり言わない。我慢させてると思いますね(笑)━ただただ笑ってもらいたい芸名はだいたい師匠から一文字もらって付けますよね。なんとか太郎、なんとか之介、なんとか弥・・・そんなのをいくつか候補に出した内の一つで、他にいないし「これどうですか?」と師匠に聞いたら「じゃあ、まぁそれでいいかな」みたいな感じでした。意味は特にないけど、誰も選ばなそうだし、読みやすいですよね。噺家としては、とにかく笑ってもらえるようになりたいです。ただただ笑ってもらえることを追求する。あとは、いろんな噺を教わりたい。とにかくネタを増やしたい。それぐらいかなぁ・・・あんまりわかんないですね(笑)桂伸べえ動画一覧はこちらから

三遊亭じゅうべえさん インタビュー

━日本のイメージ日本人はずっと他人のことを気にして生きていますよね。リラックスできないんじゃないかな?と思います。言語は好きで、敬語は一つのチャレンジでもあります。仕事でずっと敬語っていうのはいいですが、その後の食事でも敬語使わないといけないのは面倒だなと(笑)敬語の方が長いし言いにくいですね。英語とかスウェーデン語ではあまり使わない言い回しがあったり・・・例えば「美味しくないことはないですが」とか。それは美味しいとは言えないのでは?と思ったりします。日本語は直接言わないし、最後まで聞かないとわからない。最後の最後にどんでん返しで「私はずっとあなたのことが…嫌いでした」みたいな(笑)英語とかスウェーデン語では最初に言うので、これはやっぱり日本語でしか起こらない展開ですね。他にも、「私が日本の寿司が大嫌いだと思ってる人もいるみたいですけれども実はそうではないという説もあります」というふうに、ややこしくてずっと意地悪な文が永遠に続く(笑)とはいえ落語は日本語の上に古臭い表現もたくさんありますし、新しい噺を勉強するたびに新しい日本語も覚えています。━日本語の文法は興味深い高校のときに簡単な日本語のクラスがあって、そこでちょっと学んでみたのが始まりでした。元々言語が好きだったので、大学で何を勉強しようかな?というときに「とりあえず日本語やってみようか」と。それからスウェーデンのストックホルム大学、さらに交換留学先の南山大学と中央大学でも勉強しました。イントネーションとかはまだまだ。日本語を勉強してる人の中には「発音がきれい」「漢字が面白い」って意見の方もよくいらっしゃいますが、私は文法が興味深いと思います。構成を分析するのが面白い。日本語の文法は難しいですけどその分やりがいがありますね。━書くのは苦手書く機会はあまりないのでパッと出ないことが多いです。ある程度は頭の中に入っているので読みは問題ないです。スマートフォンは基本的に英語になっていまして、キーボードを英語、スウェーデン語、日本語とワンタッチで変換できるようにしています。人によって全部使いますので。━小説にもチャレンジ日本の漫画も読みますし、小説とかもチャレンジしています。普段見ない漢字があったりするので、苦手ではないですが時間がかかりますね。わからない言葉は気になりますから、辞書を引きながら読んでます。━噺の覚え方基本的に噺は師匠方に話していただいたものを録音して、家に帰って何回も聴いて、散歩しながら聴いて、それをパソコンで文字に起こす。新しい言葉は調べたり人に聞いたりします。台本が出来たらそれを読んで思い出して、また忘れたら読んでの繰り返しですね。一番最初に覚えた噺は『子ほめ』。2週間ぐらいで覚えました。━カラオケでは演歌を歌舞伎とか能とか、色々行ってみたいとは思いますね。伝統文化は色々面白い。日本舞踊や演歌が好きで、下手なりにカラオケで北島三郎さんの曲とか歌っています。それも本格的にやってみたいなと思いますね。演歌は日本語に合っていてすごくいいなぁと思いますね。演歌は日本語の為に作られていますから。普段感情を出さない日本人がすごく感情を出している・・・演歌で感じるものは多いですね。━母「ちょっと遠いな」コメディアンとか俳優とかその間みたいなことって説明をしています。両親も好きなことをやればいいと言ってくれていますので。高校の頃に演劇をやっていたので、落語についてもそんなに驚いてはいないと思います。まあこんなに長くいるつもりはなかったですね。「ちょっと遠いな」とお母さんに言われてますが(笑)別にいいんじゃないかと。━証明したいとりあえずは日本でこのままやっていきたいと思います。外国人でも完璧に落語が出来るというのは証明したいですよね。それまでには色々イントネーションとかも気にしながら。できれば海外で、英語やスウェーデン語でも落語をやっていきたいです。三遊亭じゅうべえ動画一覧はこちらから