三遊亭じゅうべえさん インタビュー


日本のイメージ

日本人はずっと他人のことを気にして生きていますよね。リラックスできないんじゃないかな?と思います。
言語は好きで、敬語は一つのチャレンジでもあります。仕事でずっと敬語っていうのはいいですが、その後の食事でも敬語使わないといけないのは面倒だなと(笑)
敬語の方が長いし言いにくいですね。 英語とかスウェーデン語ではあまり使わない言い回しがあったり・・・例えば「美味しくないことはないですが」とか。
それは美味しいとは言えないのでは?と思ったりします。 日本語は直接言わないし、最後まで聞かないとわからない。最後の最後にどんでん返しで「私はずっとあなたのことが…嫌いでした」みたいな(笑) 英語とかスウェーデン語では最初に言うので、これはやっぱり日本語でしか起こらない展開ですね。
他にも、「私が日本の寿司が大嫌いだと思ってる人もいるみたいですけれども実はそうではないという説もあります」というふうに、ややこしくてずっと意地悪な文が永遠に続く(笑) とはいえ落語は日本語の上に古臭い表現もたくさんありますし、新しい噺を勉強するたびに新しい日本語も覚えています。


日本語の文法は興味深い

高校のときに簡単な日本語のクラスがあって、そこでちょっと学んでみたのが始まりでした。
元々言語が好きだったので、大学で何を勉強しようかな?というときに「とりあえず日本語やってみようか」と。 それからスウェーデンのストックホルム大学、さらに交換留学先の南山大学と中央大学でも勉強しました。 イントネーションとかはまだまだ。
日本語を勉強してる人の中には「発音がきれい」「漢字が面白い」って意見の方もよくいらっしゃいますが、私は文法が興味深いと思います。 構成を分析するのが面白い。日本語の文法は難しいですけどその分やりがいがありますね。


書くのは苦手

書く機会はあまりないのでパッと出ないことが多いです。
ある程度は頭の中に入っているので読みは問題ないです。
スマートフォンは基本的に英語になっていまして、キーボードを英語、スウェーデン語、日本語とワンタッチで変換できるようにしています。人によって全部使いますので。


 

三遊亭じゅうべえさん

 

小説にもチャレンジ

日本の漫画も読みますし、小説とかもチャレンジしています。普段見ない漢字があったりするので、苦手ではないですが時間がかかりますね。
わからない言葉は気になりますから、辞書を引きながら読んでます。

 

噺の覚え方

基本的に噺は師匠方に話していただいたものを録音して、家に帰って何回も聴いて、散歩しながら聴いて、それをパソコンで文字に起こす。
新しい言葉は調べたり人に聞いたりします。台本が出来たらそれを読んで思い出して、また忘れたら読んでの繰り返しですね。
一番最初に覚えた噺は『子ほめ』。2週間ぐらいで覚えました。

 

カラオケでは演歌を

歌舞伎とか能とか、色々行ってみたいとは思いますね。伝統文化は色々面白い。
日本舞踊や演歌が好きで、下手なりにカラオケで北島三郎さんの曲とか歌っています。 それも本格的にやってみたいなと思いますね。
演歌は日本語に合っていてすごくいいなぁと思いますね。 演歌は日本語の為に作られていますから。
普段感情を出さない日本人がすごく感情を出している・・・演歌で感じるものは多いですね。

 

母「ちょっと遠いな」

コメディアンとか俳優とかその間みたいなことって説明をしています。 両親も好きなことをやればいいと言ってくれていますので。
高校の頃に演劇をやっていたので、落語についてもそんなに驚いてはいないと思います。まあこんなに長くいるつもりはなかったですね。
「ちょっと遠いな」とお母さんに言われてますが(笑)別にいいんじゃないかと。

 

証明したい

とりあえずは日本でこのままやっていきたいと思います。外国人でも完璧に落語が出来るというのは証明したいですよね。
それまでには色々イントネーションとかも気にしながら。できれば海外で、英語やスウェーデン語でも落語をやっていきたいです。

 


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柳亭市楽さん インタビュー

1981年4月10日生まれ、千葉県出身━俺、見つけちゃった。おじさんがたった一人で、口先一つで噺の世界を作り上げて、それを聞いてお客さんが泣いたり笑ったりしてる、落語ってスゴいなって。何でみんなやらないんだろう?って思いました。落語ブームが起きたのは僕が入門した後。「タイガー&ドラゴン」というドラマでTOKIOの長瀬さんやV6の岡田さんが落語家を演じて、それでお客さんがバーっと来るんです。僕はそのブームの前。学生の頃に友達に「落語見に行かない?」と言っても「落語なんてダサい」って誰も来てくれないっていう時代だったんです。なので、どちらかというと「俺、見つけちゃった。誰も気づいてないよ」と。ちょっとしたお笑いブームが起きたころだったので、「これより絶対落語の方が面白いぞ。」と。━自分で対策を立てられる漫才やコントは一人では無理ですが、落語は一人。友達がいなくても出来る。漫才は両方が優れてても相性が合わなかったら売れない。落語はひとりだからもし売れなかったとしても悪いのは自分。何かやるにしても自分で対策を立てられるんですよね。実際は100%自分の手柄っていうことはないですが、でも当時の自分は思っていましたね。だからなんでみんな落語やらないの?と思いますね。━夢を見ていた学生時代大学を出てすぐなので、ちょっと夢を見ているところがあったんです。桂米朝師匠の本を読んだら「芸人は野垂れ死ぬぐらいの覚悟でやるもんだ」とあって、ちょっとかっこいいなと夢見ちゃってましたね。実際いま野垂れ死ぬとなったら「嫌だよ、嫌だよ、嫌だよ」と言いますが、学生ぐらいの時はちょっとかっこいいなとか思うんですよね。太宰治のような若くして死んだ人とかに憧れることあるじゃないですか。そんな感じでしょう。なので、売れたら売れたでかっこいいし、どう転んでもかっこいいって思ったんでしょうね。所詮学生の浅知恵ですが。━自分のやりよう次第お客さんが聞いてくださって「落語って面白い」ってなるってことは「お前は間違っていなかったな」って言ってあげたいですね。落語家になったことに関してはわからないけれど、落語を見つけてきたことに関しては褒めてあげたいと思います。落語家になったことを褒められるかどうかは、これから先のことなので、死ぬときに「バカ!なんでお前は客席にいないんだ」ってなるかもしれない。これからの僕のやりよう次第ですね。━『寿限無』で金を稼げるとは子供の頃に『寿限無』なんかを読んだことはありましたが、当時は昔話の一つだと思っていましたね。面白昔話みたいな。そういうものを人前で喋ってお金をもらう人がいると思ってなかったんです。想像もつかなかった。クラスに一人くらいは『寿限無』を覚えたという人がいて、それを横目で見ながら「そんなモノ覚えたって金は稼げない」と思ってました。だから今となっては「稼げるの~!?覚えておけばよかった!!」って。━物語の宝箱大学2年の秋に歌舞伎のチケットをもらって観に行ったときでした。元々物語が好きなので他にも面白いものあるんじゃないかなと思っていた頃に、大学の授業で講談のテープを聴いて「面白いな」と感じたんです。それから、落語をテーマにした推理小説を読んで「面白そうだな」と行ってみたら小遊三師匠が出てきて、「笑点の人だ」と思いましたね。「この人たちってチームでうまいこと言って座布団もらって生活してるんじゃないんだ」と知ったんです。「喋って金もらう!スゲー!」って。でもその時は仕事にしようというより物語の宝箱だと思っていましたね。━騙された!しばらく寄席に通って色々聞いているうちに大学3年の秋になって、就職どうしようかと。「週5、土日つぶれてそんなに働けるかな、朝起きられるかな、満員電車大丈夫かな」って色々心配になっていたんです。でも落語を聴いていると、「今日は昼まで寝てて」とか言うんですよ。その時初めて「仕事として考えたらどうなんだろう。15分くらい喋ってそれが一日の仕事・・・おっ、スゲーわー!!」って気づいたんです。生きているってことは食ってる訳だし、下手したら「女房が」「子どもが」って言うわけですよ。「15分で子供養える!夢のような仕事だ!」と思いましたね。落語家になってから「無理じゃん!騙された―!」ってなっていますけれども(笑)━尻に火が付いた一緒に前座修行をしていた人たちの中で今度真打ちになるって人たちがどんどん出てきたので、自分もまずそこを目指したいですね。いつ言われてもいいように何年かそれを考えて支度をしていこうと。レパートリーもそうですし武器も。一つのネタを更にもっとよくっていう両方の作業ですね。そう思うようになったのはこの1、2年。刺激というよりも「まずいぞ!まずいぞ!」って尻に火が付いたんです。何十年の世界だからって「徐々に徐々に自分のポジションを作っていく」とか言ってる場合じゃないぞと。いま駆け出した感じです。━向こう側の景色を見るためによく師匠方に「今ある程度出来てると思うだろ?落語ってこういうもので、こういう風にやっていれば出来てると思うだろ?これからもっと腕さえ上げればいいと思っているだろ?違うよ。そういうものじゃないよ。今、自分の高さで見てる景色は俺の見てる景色と全然違うよ。レベルの問題とかじゃないよ」と言われるんです。逆に言うと、これからその景色をどうやって見に行こうかと。もしかしたら僕は今のままの景色で終わっちゃうかもしれない。けど、向こうに行ったらすごいいい景色があるらしいと。そうなったときに、どうやってそこまで行くかですよね。その高さも僕はよくわからないし、行ってみないとわからないことはきっとたくさんありますよね。その師匠が今の僕を見てそう思ってるということは、これからまだ上に行く余地があるということですから。そう思うと楽しいし怖いですよね。行けないかもしれないわけですからそこに。今は「行きたーい」という感じ。「あっちに行ったらすごい景色があるらしいよー」って。その景色を見る為の試行錯誤の日々ですね。柳亭市楽動画一覧はこちらから

林家はな平さん インタビュー

1984年5月6日生まれ。福岡県出身。━落語を知らずに落研に入る学習院大学の落研にたまたま入ってしまい、落語知ったのはそこからでした。それまで落語を聴いたことすらなくて、落研に入って落語に出会ったというかんじ。勧誘されて何となく行ったら居心地がよかったんです。落語が面白いというよりも先輩が面白かったので、落語を聴く前に入ってしまいました。細かい話をすると、兄貴が学習院ということもあり、兄貴の友達が落研にいたことも理由。それで行ってみたらみんないい人だったので入っちゃったんです。ただ、落語は二の次。なんの疑問もなく、行ったその日にすぐ入ってました。━「普通の社会は無理っぽいな」学習院の落研は落語しかしないです。コントとか漫才とかはやっちゃいけない。そこは真面目でしたね。落語を聴いて「面白いな」と思ったのがきっかけで、観に行くよりも自分でやるほうが好きでした。職業として意識したのは大学4年生のはじめぐらい。就職活動の時期に、「普通の社会は無理っぽいな」と思ったんです。向いてないし、やりたいこともない。そんな時、「落語をもっと追求したいな」と何となく思ったんです。━イレギュラーな入門その当時の顧問に相談したんです。顧問が落語家だったので、相談してうちの師匠を紹介してもらいました。ですから出待ちとかの経験がなくて、普通の入り方ではないんです。みんなは「断られて何度も行った」とか言うじゃないですか。そういうのがなくて、行ってその日に入門できたので。ただ、スムーズだったからこそ落語家になってからが辛かったですね。正蔵一門はすごく厳しいんです。うちの師匠は落語協会の中でも1、2を争う厳しさなので。━無表情だけど実は辛かった辞めようと思ったことはないですが、「朝起きたくない」とは1年ぐらい毎日思っていました。だんだん慣れてくるものの、1年ぐらいは師匠の家に行きたくなかったです。辞めたいとは思わなかったですし、行ったらちゃんとやります。けどとにかく辛かった。でも僕って無表情なので顔に出ないんです。だから辛いって思われなくて、無茶苦茶辛いのにそれが伝わっていないんですよね。かといって師匠にそれが伝わったからって優しくするわけないですし、修業してるわけですから辞めるも辞めまいもそいつ次第ですし。━辛さ、解放!寄席に行き始めて他の人と会うようになったり、弟弟子が入ってきたりすると辛さはだいぶ緩和されますね。ちょうど一年後に一つ下が入って来て、その辺から変わってきました。1年間一人だったのでその時は辛かったです。やらなきゃいけないことが全部回ってくるので。でもそれが一人入ってくることによって分担できたのは大きかったです。━二ツ目になる不安みんながよく言うように、肉体と精神って連動してるんですよね。だから、体が辛いと心も辛くなってくるんです。結局は一緒。どっちかだけが辛いとかってことは無いんです。4年半修業しましたが、最後の1年くらいは二ツ目になる不安がありました。「あとは一人でやりなさい」「落語だけで食ってください」ってなるのに、その時は修業してるネタもなかったし、ネタが増えていなかったんです。うちの師匠も「たくさん覚えたほうがいい」ってタイプではなかったので持ちネタが少なかったし、そういう意味で不安でしたね。「ちゃんとお客さん集められるかな」という不安が1年ぐらいありました。そこから1年間で必死にネタを増やしたりしましたね。人によっては3年くらいで二ツ目になる人もいます。僕らの時は人数が少なかったのでなかなか二ツ目になれなかったですね。━暇すぎて今はコンスタントに高座がありますが、最初の1~2年は本当に高座がなくて暇で暇でしょうがないんです。前座の時はなんかしらやってたのが、二ツ目になっていきなり暇になると遊び方も忘れてるんですよ。何をしたらいいかわからなくて、暇を持て余してましたね。学生時代の友達とバンドを組んでライブをやったり。今は落語だけでできていて、そういう時間も無くなったので良かったと思いますが、当時は暇すぎてそんなこともありました。━覚えているだけじゃ無意味ネタの数に不安を感じていた頃は30くらいだったのが、今は3倍の90ですね。落語というのは覚えたからといって全部できるわけではないんです。でも覚えないと色んなパターンが見つからないので、たくさん噺を覚えておかないとならない。30でふるいにかけるのと90でふるいにかけるのとでは、見えるものが全然違いますよね。90全部をできるわけではなくても、覚えてるってだけで意味が違いますから。目標というわけではないですが、二ツ目のうちに100は覚えたいですね。ただ、数というよりは得意な話を増やしたいです。━目指すはやっぱり師匠独演会で生活出来る噺家になりたいです。一人できちっとやってお客さんを帰せること。そして、寄席に入ればそれだけでお客さんが少し増える。そんな噺家になりたいです。目標とする人はたくさんいます。でもやっぱりうちの師匠ですかね。うちの師匠は地方に行ったら地方の人に合わせたネタも出来るし、東京だったら東京で3席やって落語好きな人にも満足してもらえる。初心者にも通にもどっちにもできるような芸人がいいですね。それが一番目指すところです。林家はな平動画一覧はこちらから

三遊亭楽天さん インタビュー

1975年11月5日生まれ、東京都江東区出身━前職はプロダンサー与太郎みたいだと言われることがよくあります。あまり高座の上と性格は変わらないと思いますね。子どもの頃はどちらかというと引っ込み思案でした。元々落語は好きで幼少の頃から聴いていましたが、高校生でダンスに目覚めてヒップホップとかストリートダンスをやっていたんですよ。テレビCMでミッキーマウスと共演したり、フリーのダンサーとしてTRFさんとかDJOZMAさんの後ろで踊ったこともあります。36歳までプロで活動し、それから落語家になったので入門は遅め。今は膝を故障してしまったのであまり踊ってないです。自分の会で色物の代わりに踊ったときには物凄い汗をかいて、息切れも大変だったので以来やっていないですね(笑)━表現することが好き中学生ぐらいの時は漫画家になりたいと思ってました。小学校から中学校くらいのころは漫画をずっと描いていて、ケント紙とかGペンとか使ってましたね。自分は一つのことにのめり込んでいくタイプ。落語家になって苦労したことは、噺を覚えることですね。やっぱり記憶力は若い頃の方がいいです。━食器を割りがち入門してからは失敗だらけです。たとえば、うちの師匠が毎朝納豆をかき混ぜるお気に入りの器を割ってしまったり。あとは、師匠の高座用の湯飲みを割ってしまったことがあります。いろいろ割りましたね(笑)納豆の器に関しては言い訳をさせてもらいますと、洗剤と納豆のヌルヌルが混ざると物凄い滑りやすくなるんですよ。相性抜群なので誰でも割ると思いますね。でもうちの師匠はそういう時は怒らないです。正直に「申し訳ございません」と伝えると、「物は壊れるものだからしょうがねぇ」と。ただ、女将さんの漬物の蓋を割ってしまったときは「俺は知らねーぞ」と言われました(笑)とはいえ女将さんも許してくださって、心の広い方々でありがたい限りです。━落ち込むのはその日限り高座での失敗も多いですね。よく噛みます。無かったことにしてますが、今日も収録で何度も噛みましたし、言い間違えも多かったです(笑)噛むたびに撮り直しとなるとテンションが変わってしまうので、無かったことにするか誤魔化すか。あとは登場人物のせいにすることも。「お前今噛んだろ!」みたいな。あとは家に帰って一人でポツンと酒を飲んで、ズーンと沈むというかんじですね(笑)だけど引きずらないタイプです。良くも悪くも、すぐ物事忘れます。━奥さんには頭が上がらないうちの奥さんは毎日朝ご飯だけは必ず作ってくれるのでそれはありがたいですね。前座の頃はどうしても師匠から誘っていただく仕事が主な収入源なんですが、二ツ目というのはそういったこともそれほど多いわけではないんです。基本的にはどこかで場所を借りて自分の会をやるということが多いので。ですから終わったらまっすぐ家に帰って、ご飯を作ったり、犬の世話をしたり。お酒は好きなんですが、前座の頃の暴飲暴食でメタボの検診に引っ掛かってしまいまして。以来かみさんに「家では飲むなよ」と言われてます。完全に尻に敷かれてます。頭上らないです。ただ、すごく心配もしてくれるので、ありがたいですね。━趣味と実益を兼ねる雑草のように生きていけたらな、と思ってます。カードゲームとかボードゲームが好きで、自分で「落語とゲームの会」みたいなことをやっています。古典落語を1時間やってからお客さんと一緒にゲームで遊ぶ会。5人ぐらいのグループに分かれてもらって、そこを僕が回っていくという感じです。ゲームメインで来る方もいらっしゃいますね。ついでに落語もきこうかな、みたいな方も。趣味と実益を兼ねると言いますか、人が集まりそうなもので何かないかなと考えていたときに、アナログゲームだったら直接人と遊ぶものなので人が集まりやすいかなと思いついたのがきっかけです。なにか趣味のことをしながら生きていけたらなという夢はあります。三遊亭楽天動画一覧はこちらから

林家なな子さん インタビュー

1981年12月21日生まれ。東京都足立区出身。━落語=飛行機のお供祖父が浪曲や落語、講談を聴くような人だったので落語という存在は自然ではあったものの、私自身は二十代後半まで生で落語を聴いたことはありませんでした。落語家になる前は会社員だったので、出張の時に飛行機で聴いていました。音楽は日常生活の中でテレビや有線などから自然と入ってきますが、当時の私の日常生活の中で落語はなかなか遭遇できるものではありませんでした。“飛行機に乗ったら聴けるもの”という感覚が大きかったです。飛行機に乗ると落語が聴けるなっていうウキウキ感の様なものがありました。しかし、わざわざYouTubeで検索してまで聴いたことはありませんでした。テレビでやっていたら何となく眺める程度でした。━建物の中がお花畑みたい!例えば歌舞伎って敷居が高いイメージがありましたし実際入場料も高いじゃないですか。しかし落語は庶民的なイメージがあったので、会社員の時に新宿末広亭に行ってみたんです。「なんだこのタイムスリップした場所は」というのが第一印象でした。建物自体も風情がすごくあって感激しました。何の知識もなく寄席に行ったので、三味線や太鼓が生演奏だということもその場で知り、圧倒されていました。うちの師匠を初めてその寄席で見たのですが、プログラムで名前を見つけた時は、小さいころ見ていた料理番組にうちの師匠が出てたのを覚えていたので「あ~、元こぶ平だ」くらいのイメージでしたが、高座に出てきた時の華やかさというか、明るさというか、オーラというか、まだ何も喋ってないし、ただ座布団に向かって歩いているだけなのに、「なんだろう?この古めかしい建物の中がお花畑みたい」って、本当にそういう印象で引き込まれたんです。━粋な師匠私が弟子の志願に行った1回目が7月7日でした。7は縁起のいい数字。7・7でぞろ目というのもさらに縁起がいいということで「なな子」という名前を頂戴しました。実は私が入門してその日すでに名前が決まっていました。入門日に芸名を頂けるということはとても稀なことですし、私が弟子の志願に行った日を師匠が覚えていてくれたこともとても嬉しかったです。━名前を大きくしていく師匠や三平師匠はお爺様やお父様の大きな名前があるので襲名されていますが、うちの一門自体はほとんど名前は変えないんです。うちの師匠もこぶ平で前座になってこぶ平のまま真打ちになってるので。師匠の願いとしては、自分の名前をどんどん大きくしてほしいということもあるんです。もう私は歳も歳なので適応能力がなくて、名前変えても自分でわかんなくなっちゃいますから(笑)ずっとなな子のままでいます。━自分の名前、言ってしまった。私のすぐ下に1ヶ月違いのつる子という妹弟子がいるんです。今まで女がいなかったところに突然なな子、つる子と増えたもんだから、兄弟子や師匠、女将さんたちは「なな子」「つる子」ってよく間違えるんですよね。「つる子」って呼んでるからと思ったら「なんで返事しないんだ」と言われたり。。。(笑)そのうち、「つる子」って呼んでるけど自分のことだなって察してくるようになりました。しかしですね、つい3年位前ですよ。2人で作業をしててつる子を呼ぼうと思ったんですよ。そしたら「ねえねえ、ななちゃん」って言っちゃって(笑)本当に超恥ずかしかったです5年近く経つのに「間違えた。自分の名前言ってしまった」と。みんな大爆笑してましたね。━女性噺家として女子だから特別っていう意識は入門してからも全く思わなかったんですよ。もちろん楽屋が一緒で男性の前で着替えることも気にしないですし。普段から言葉遣いが荒っぽく足立区出身のままに生きてるので(笑)誰よりも男前でありたいと思っていました。しかし、この噺好きだなと思ってお稽古に行ったけれども、自分がいくら男っぽいと思っていてもやはりお客さんは女として観ている訳だし、この噺を女がやったらちょっと厳しいというか、笑いづらいなとか・・・そういったことを徐々に感じるようになりましたね。━椅子はまだ空いている落語はやはり男性が語るものなのだと思います。何百年もかけて男性が作り、磨きあげてきたものですから。女子にしかできない表現、女子がやるとすごくハマるみたいなものがまだ開拓されてないので、ある意味すごくチャンスだと思います。芸人それぞれのポジションってあると思うんです。女子ってまだその椅子が埋まり切ってないと思うので、すごくそれは可能性というか、誰にでもチャンスがあるんだなって思います。━何歳になっても歳を取るとやっぱり声も出なくなってくるだろうし、演じ方も変わってくると思うんでうよね。でも私はいくら年を取っても「あのおばあちゃん元気で口悪くて勢いのあるおばあちゃんだよね」って言われたいです。━階段がしんどい一之輔兄さんは私より年上なんですけど、「おしゃべりクソババア」というあだ名をつけられました。光栄ですね。私は今年で37歳。前座の時は大変でした・・・。同期の先輩は10歳年下で、高座に上がることよりも楽屋働きがメインなので体力が追い付かないんですよ。だから今までの経験値でどうにかカバーしていくしかない。例えば楽屋で出演料を手渡しするときに、楽屋入りされて落ち着かれたらすぐお渡しに行かなければならないのですが、階段上って出演料を持っていくのがしんどくてしんどくて大変でした(笑)林家なな子動画一覧はこちらから

立川がじらさん インタビュー

1986年5月21日。群馬県出身。━『テレヴィジオン』とは最初からテレビを題材にするっていうことではなかったんですよ。なんかいろいろ勉強していく中で精神分析の勉強を趣味でやってまして。ジャック・ラカン派。もともと人文科学とか哲学とかそっちの出身なので、今でもそういう本しか読んでないです。クライアントと精神分析家が話をするカウンセリングみたいなものっていうのは、予期せぬところでスパッと終わるっていうのがあるんです。で、それが落語のオチみたいにスパッと終わる。わかりやすい。なんか、あざといのが嫌なんですよね。オチでうまいこと言ってドヤ顔で頭下げる、みたいなのがなんかちょっと恥ずかしくて。精神分析って患者さん側からしたら突然「えっ?」ていうところで終わるんですって。そこで終わったことによって患者は何故そこで切れたのかをよく考えて、本当の自分の心の中のものが引き出されるっていうのがあるみたいです。その、”ひとつセッションの中断”っていうのを何かに例えられないかなっていうんで、”テレビを消す”っていうのがまず浮かんで。そこから、テレビを消して何かを考えるっていうアイディアにいき、でもやっぱり何かオチがひとつないとなっていうんで最後は苦肉の策みたいなことに(笑)でもそういうのがまず元にあってそこから膨らませていきました。━落語だったら何でもできるやっぱり元々立川談志師匠が好きで、元々爆笑問題さんとかも好きで。たけしさんとかみんなが「談志師匠すごい」って言うじゃないですか。それでやっぱり気になってですね。で、古今亭志ん生の噺を聞いて決定的に。それから大学で落研に入りました。うちの師匠の『全身落語家読本』を読んで衝撃を受けて、立川流寄席に通うようになりました。師匠志らくはもちろんですけど、左談次師匠とかベテランも皆凄くて、どんどんハマっていきました。大学では哲学科っていうのはなかったので、ドイツ文学専攻。大したことは一切やってないです。ドイツ語は喋れないけど、海外公演はちょっと興味あるんですよ。やっぱりどっかでやれたらなというのは。でも日本語ならではで成立している芸かなというのは思いますね。まあ、言葉が全てですんで。落語で表現できることの幅広さにすごくおののいたというか。落語だったら何でもできちゃいますからね。━演劇と落語師匠が劇団を主宰して、それのお手伝いをさせて頂いていたので自然に演劇に入っていけました。いま小劇場に出させてもらっています。地蔵中毒っていう変な劇団で、落語とは勝手が違うので楽しいですね。やっぱり人とのやり取りが楽しい。落語は自分で処理するじゃないですか。なのでそれが新鮮というか難しさでもあり、掛け合いになるっていうことの感じが違いますね。あと、動いてるっていうのも大きい。で、それをまた落語に繋げていく。刺激をものすごくもらうんですよね。やっぱり仲間たちからも刺激を受けるし、劇団を観に行くようになっていろいろな表現をしようとしてる人たちを見ると「自分はなんも知らないんだな」「もっと広がっていけるんだな」って感じます。━挙動不審の自覚あり友達はいないです。落語界に友達がいないんですよ。よく他の人の話聞くと、みんなで休みの日ちょっとどっか行ったり、旅に行ったり、飲みに行ったりとかしてるらしいんですけど、僕は一切誘われないので。何かの打ち上げっていうのはありますけど、わざわざ休みの何もない時に僕は誘われないですね。他の人は誘われてるらしいんですけど、やっぱり芸風ですかね。なんか嫌だなって思われてるのかな。生理的なものなのかな、挙動も怪しいってよく言われるし。でもそれは最近客観的に自覚していて。やっぱり演劇やるようになったので、そういう影響は大きいですね。動いてる自分を見ると「アレ?」って思うんですよね。こいつ怪しいなって。座ってても僕落ち着きのないほうで、「動くな」って師匠から言われるんですよ。本当は体でリズム取っちゃいけないんですよね。ピタッと止まって喋って、手なんかあんまり動かしちゃいけない。━目を合わせない者同士そうですね〜彼女が欲しいですね…。あともちろん落語うまくなりたいなっていうのもちょっとだけ思ってるんですけどね。まずやっぱり師匠があって、師匠とやっぱり立川の師匠方。本当にすごい人たちばかりなので目標にしたいですね。うちの師匠はちょっと挙動が不審な感じ。うちの師匠、人の目を見ないんですよ。僕も人の目見られないんですけどね。なので基本目が合わないんですよ。僕と師匠の目が合ったのって入門してから2回くらいしかないんですよ。1回は一番初めに「お願いします」って言ったときで、もう1回は楽屋の鏡越しに目が合っちゃって、2人でお互いに「アッ」て言っちゃって、気まずい・・・みたいな(笑)お互い合わせに行かない人なので、本当ははもうちょっと、4回くらいは合ってると思うんですけど。二つ目昇進の時とか多分合ってたんじゃないかな(笑)視力は問題なし。僕はちゃんと見えてます。中学の頃に眼鏡作ったんですよ。検査で「眼鏡作りなさい」って言われて。でも大学生の時、先輩に眼鏡を食べられちゃって…。落研の先輩に、たしか朝の赤羽で眼鏡バリバリ食べられちゃって(笑)それ以来眼鏡ないんですけど、支障ないんですよね。やっぱり人と目を合わせられないっていうのは、視力とはまた別の問題ですね。やっぱり、あの・・・挙動がやっぱりちょっとね。━やっと手に入れたテレビ!でも・・・去年(2017年)の大晦日にテレビ買ったんですよ。一人暮らしで長らくテレビ持ってなかったんですけど『紅白歌合戦』見たくて。紅白でエレファントカシマシ見たくてテレビ買ったんです。大晦日の夕方6時半くらいに電気屋に走りました。どうしても見たかったから。追い詰められてアドレナリンが一番ピークになったときに電気屋に走って行って、一番小型の手頃なやつを。なけなしのお金をはたいて買ったんですよ。でもBSとかって見られないんです。立川がじら動画一覧はこちらから

入船亭遊京さん インタビュー

1988年3月18日生まれ。愛媛県松山市出身。━すごい日本語に出会う高校まで愛媛で、大学で京都。そこから東京で入門ですね。最初はテレビだと思います。落語の映像っておじさんが座布団に座ってるだけじゃないですか。これがすごく新鮮でした。『タイガー&ドラゴン』とか、本とかCDも。今みたいにYouTubeとかも無かったので地元のCD屋で何枚か買いましたね。あとは図書館に志ん朝師匠のCDがあったのでそれを聴いてハマってました。「こんなにすごい、きれいな日本語があるんだ」って。なかなか生で落語を聴く機会はなかったのですが、正蔵師匠の襲名披露興行が西条であって親に頼んで観にいきました。その時のトリの演目が『ねずみ』だったんです。師匠から伝わったネタだそうで、今思うと運命的ですね。━寮暮らしすでに高校生の頃から噺家になりたいという気持ちはありました。それから大学は都会に出たかったので頑張って京都に行って、そこでバイトしてお金貯めて上方の色んな会も観に行ったり。熊野寮は光熱費込みで月4100円なので助かりましたね。風呂なしトイレ共同(便器内で泳ぐネズミの赤ちゃん付)四人部屋のうち二人が中国人の方でした。ただ住んでいるだけで楽しかったですね。その中でも時間があれば友達のところに泊まりながら東京の寄席に遊びに行ったり。それで大阪で師匠の落語観たときに「すごい好きだな」と思ったので、入門するならこの人にしようと決めました。━京大出身入門してしばらくしたときに、師匠が大師匠の「扇橋」のところに連れて行ってくれて、そのときに大師匠が付けてくださった名前です。出身が京都大学だということを師匠は「最初は自分から出さないほうがいい」と言っていたんですが、大師匠は「せっかくだから出したほうがいい」とのことでした。まず「遊京」で色紙を書いてくださったのですが、前座らしく平仮名で、と「ゆう京」になりました。ただ、このときは私自身は頭が真っ白で、当時大師匠のカバンをとりに現場にいた小辰兄さんの話から補っています。師匠扇遊の「ゆう」と大師匠扇橋の「きょう」の音が入っていてとてもいい名前だねと色んな方に言って頂き、そのたびに嬉しい名前です。京大の農学部出身です。機械の勉強とかしてました。農業の中の工学科みたいなところで、波とか流体力学とか、理系なんですよ。勉強していたのはもうはるか昔のことであまり期待には答えられませんけどね。━目標目標は寄席芸人。寄席に生きることですね。どの師匠にも憧れています。━好きなもの好きな食べ物はスイートポテト。甘いものは好きですね。喫茶店行くとケーキとか結構頼みますし。スイートポテト好きだな~。あと、食べ物じゃないですけど半分だまされて行った中国も好きは好きです。入船亭遊京動画一覧はこちらから

瀧川鯉津さん インタビュー

1974年5月15日生まれ。新潟県長岡市出身。━縁起良し鯉津(こいつ)の津が津軽、草津、会津、大津の津で、わたくしの出身が新潟県の長岡市…全然関係ない(笑)ダジャレ先行で付けられた名前ですけれども、自分の中では意外と気に入ってます。二ツ目昇進の時には名前を変えるチャンスがあったんですけど、鯉津で覚えてもらったというのと、芸事は水にまつわる文字が縁起がいいというんで「瀧」も「川」も「鯉」も「津」も、全部水にまつわるからこの黄金比率を崩したくなくて…そう言われてるだけで実際にいい事があったかどうかはわからないです。まだ実感はないです。これからに期待します(笑)━手段として演劇をかじる高校卒業して上京して、桐朋学園というお芝居の学校に行きました。蜷川幸雄さんとかが講師で来て下さって、実際に蜷川先生から授業で稽古をつけてもらった事もあります。元々お笑いをやりたかったんですが、親を納得させるための手段として、学校に入ればそういう道でも許してもらえるかなと思って…姑息なグラデーション掛けました。━産地直送システム一番最初に職業を意識したのは中1の時。その時は社会の先生の授業が面白かったので社会の先生になりたいなと思ってたらいつの間にかこんな事に…でも人前で喋るっていうベクトルは間違ってなかったんだなと思いますね。1人VS大勢みたいな。芝居の学校出ましたが、それで食っていくつもりはサラサラなく、お笑いの方がやりたくて放送作家になり、それで10年弱。そのとき携わっていた演芸番組にうちの師匠がゲストで来て、それでまた表に出てみようと思ったんです。作家をやってると、自分が面白いと思ってもディレクターとプロデューサーの検閲が入るじゃないですか。だけどこの商売だとお客様に見せてスベったらやめればいいし、ウケたら続ければいい。問屋を通さない産地直送というシステムが気に入りましてね。遅いけど36歳で一念発起しました。━上下関係36歳で入門したとき、同じ協会の別の師匠の所には18歳の先輩がいました。自分の子どもくらいの先輩。でもみんな年上ということで敬ってくれるし、先に入ったからといって先輩風吹かすような人はウチの協会にはいませんでした。まぁヨソは…(笑)芸術協会というのは大学みたいなもんで、前座の年季はほぼ4年で二ツ目になれるんです。自分の下が入ってきて寄席の楽屋仕事が回る人数さえいれば、そのまま押し出される形ですね。━こだわりの羽織寄合とかで着るために協会員で浴衣を揃えるんです。馬喰横山の結構芸人御用達の呉服屋さんなんですが。そこで最初に着物を作った時に「なんか面白い生地ありませんか」ということで生まれたのがこの迷彩柄の羽織。学校寄席に行く事があるんですが、小、中学校の生徒さんとかには落語って年寄りがやる芸だと思われがちなので、出オチでもいいから飛び道具として一つ作ってもらったというか。まさかのコシノジュンコデザインの生地をすすめられました(笑)着物で作ったら絶対に噺の邪魔になるので、羽織にすればすぐ脱げるって事でそっちにしました。ただ寄席には絶対着て行かないです。他所行き用。飛び道具ですから。別に怒られないとは思いますけど、なんかいじられるのも面倒だなと(笑)生地が元々羽織作る用の生地じゃなく浴衣用なので寄席では絶対に着ないです。━地元でも頑張りたい地元新潟でお馴染みの顔みたいな…そういう感じになりたいです。といっても難しいですよね。今はNegiccoさんとかNGT48とかが頑張ってますし。僕は断然Negicco派ですね(笑)中央でも頑張って地方でも頑張るっていうスタイルは素晴らしいと思うので見習いたいです。長岡でも隔月で高座に上がっています。銘酒・久保田でお馴染み朝日酒造さんという蔵元があるんですけど、そちらが完全な僕の小学校の学区内なので、そこでやらせて頂いてます。ディナーショーの逆ではじめに落語をきいてから食事。もちろんお酒付きですよ。瀧川鯉津動画一覧はこちらから

桂伸三さん インタビュー

1983年2月10日生まれ、千葉県習志野市出身。━争わずに生きていきたい中学生の時から芸人になりたいと思っていましたが、その時はほとんど落語を聴いたことはなかったです。テレビでビートたけしさんのお弟子さんたちが修業時代のことを話されていました。ストリップ劇場の幕間に演る漫才とかコントの話。女性の裸を観に来ている人達がお客さんだから、なかなか食いつかない。腐りそうになりながらも努力して少しずつウケるようになってくる。風呂なしのアパートで銭湯に行くお金すらないから、屋上の水道にホースを突っ込んで…ってそんな内容だったと思います。印象的だったのが「その時はつらかったけど、今思い出すとあの時が一番楽しかった」という言葉。それを聞いたときにそういう生き方がしたいなぁ…と思いました。競争社会で人を蹴落としたり、人に蹴落とされながら生きるんじゃなくて、喜んでくれるお客さんのこと、芸のことだけを考えて生きていく。きれいごとのようですが、私にとって夢のような話だから、その分貧乏だって覚悟するし、家庭を持つとか当たり前の幸せもなくて構わない。そんなことを考えながら高校3年生まできました。━落研のための大学進学芸人になりたいという思いは、親にも友達にも先生にも言わずに高校3年生になりました。親は「大学には行ったほうがいい」というけど、自分は芸人になるつもりでいるから大学に行く気なんかない。そんな時にテレビで爆笑問題さんの番組だったと思いますが、渡辺正行さんとか三宅裕司さんとか、お笑いや役者の方などに大学の落語研究会出身の方が沢山いらっしゃることを知ったんです。「そうか大学の落語研究会に入れば憧れの世界に近づけるのか」と。これは完全な勘違いなんですけど、高3の私はそう思って大学受験を決意しました。落研がある大学だけを受けて、國學院大学に入学しました。で、落研に入るからには一応落語を聴いておこうと、寄席へ。初めての寄席で誰が出ていて何を聴いたのかはほとんど覚えていませんが、とにかく居心地が良かった。いろんな芸人が入れ替わり立ち替わり、ウケたりウケなかったり。常連風のお客さんが作り出す客席のちょっとした緊張感。世間とは明らかに違うリズムで流れるゆったりとした時間。いっぺんに寄席の、そして落語の虜になりました。そのときの気持ちは入門してからも変わらず、前座の頃、太鼓を叩いたり高座返しをしたり根多帳をつけたり…と、寄席の一員になっていることにこの上ない悦びを感じていました。それはこれからも変わらないと思います。━自分にとっての落語とは落語は哲学や心理学、宗教だったりのごく崇高なものを含みながら、笑いによってそれらをある意味越えたり、吹き飛ばしたり…と本当にすごいものだと思っています。が、同時になんとも言い表しにくい人間の微妙な心理や現象をやさしく描いてくれる。そういうところにとくに魅力を感じます。わかりにくい例えかもしれませんが、目の前に3メートル位の短い横断歩道があって信号は赤。車も全然通らないからついつい渡りたくなるんだけど、向こう側には親子連れがちゃんと待っている。当然止まって待つんだけどなかなか青にならないし、どんどん人が増えてくる。なかには構わず渡っていく人もいるが、せっかくここまで待ったんだし、なにより向こうで小さな子どもが見ている。待ちながら「なんだろう、このすごく無駄に感じる行為と時間…。なんか気まずいなあ。外国の人が見たら日本人って変だって思うんだろうなあ」なんて思っているうちに、「青になってほしい」と同時に「車通らないかなあ。車が通ってくれれば明確な待つ理由が生まれるのになあ」なんて考え出す。これって不思議だと思うんです。車が通ったって本来何も良い事なんてないはずなのに、そのときには通ってくれればちょっと救われた感じがする。そういう不思議で微妙なものを、呼吸や間で描いた噺がとくに好きです。『笠碁』や『長短』、『意地くらべ』など。━時間の使い方映画を観たり、お芝居を観に行ったり、いわゆる遊びの時間もすべて高座につながると思っているので仕事と休みの境はほとんど無いですね。でも息抜きも必要なので、青春18きっぷを買って、宿も目的地も決めずにぶらぶら旅をするなんていいなと思います。近いうちにやりたいです。でも結局旅先でも落語のことは考えていると思いますが…。━いまを大事に生きる同世代でどんどん売れていく仲間がいて、ついつい焦ったり、真似をして柄にもないことをしてみたりしがちですが、結局自分が本当に良いと思ったものじゃないとお客様も喜ばないというのがだんだんわかってきました。当たり前のようですが、一高座一高座を大事にして自分なりに精一杯芸に向かい合うしかないんですね。寄席の世界にいられる悦びを感じつつ、私が寄席に出ることを喜んでくださるお客様が一人でも増えるように精進を続けます。桂伸三動画一覧はこちらから