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春風亭昇吾さん インタビュー

1983年12月7日生まれ、福岡県田川郡出身━友達の薦めで落語を知るきっかけは友達ですね。東京に来る前に大阪にも住んでいたんですけど、福岡と大阪の友達が薦めてくれたのがきっかけで落語を観ました。その友達はインターネットカフェのバイト仲間。入門したのが27歳のときで、もう田舎の福岡に帰ろうかなと思ってたとこでした。そこで友達に「観てみたら」と勧められて、その月に大阪に来ていたのがたまたまうちの師匠だったんです。友達は「どうせ田舎に帰るくらいならやったらいいんじゃない」と。僕もノリで「じゃあ観てみる」って。そしたら面白かったですね。20代ってテレビで放送していても見ないじゃないですか、よっぽど好きじゃないと。だからそこが初めてでした。最初が生でよかったと思います。━師匠を選ぶやっぱり大阪で観て面白かったからですかね。だから、大阪に違う人が来ていたら落語の道に進んでいなかったかもしれないです。師匠が笑点に出ていたのも知っていたので。そのあとは、師匠が出ている寄席にも大阪から通いました。すごくわかりやすくて、同じ話を違う師匠がやっていたときにやっぱり師匠が一番面白かった。だから師匠を選びました。━「昇吾」という名前前座から昇吾です。たい平師匠が考えてくれました。うちの一門は自分で考えるんです。だから兄弟子たちも自分で考えてましたね。僕は自分で考えた分は全部却下されたので(笑)弟と同じ「昇市」もありましたけど全部却下(笑)でもたい平師匠が30個か40個考えてくれたんです。見習いの頃、たまたま師匠の荷物持ちをしていた時に仕事の合間に考えてくれて、「じゃあその中から2つくらいお前が気に入ったやつ選べ」って。普通の名前っぽいのがいいなと思って昇吾にしました。うちの師匠・春風亭昇太も普通の名前っぽいでしょ?古いのもあんまり好きじゃないし。で、二ツ目になるときにたい平師匠が「名前変えなくていいよ、変えちゃだめだよ」と。たぶん林家のたい平師匠の一門はみんな名前変えてないと思うんですよね、前座から。だから「名前は大きくするもんだよ」って言われました。それに皆さんすぐ覚えてくれるんですよ、昇吾って。だからもう変える必要ないなと思いますね。━懐中時計事件僕は大体怒られてました。本当は破門になる一歩手前までいってるはずなんですよね。うちの一門は体育会系ですから。まだ楽屋入りしていないとき、懐中時計ってあるでしょ?あれの電池を替えてこいって言われたんです。それを「わかりました」って言って1ヶ月くらい放置していたら師匠がブチ切れちゃって(笑)「バカヤロー!!!お前何にもやってないのになんで電池も替えられないんだよ!!」って(笑)で、「店が分かりませんでした」とか訳わかんないこと言って・・・やっぱり俺がおかしかったんでしょうね(笑)その1カ月、時計は大事に家に保管してました(笑)「明日持ってこい!!」って言われたんで、商店街の時計屋を無理やり起こして電池替えてもらって、師匠の家にすぐ持っていきました。今でも師匠の前ではこの話はできないですね。あれ以降頼まれごとはないです。僕はそこで信用が1回無くなってるんで(笑)でも一応楽屋入りはさせていただきました。━趣味は読書好きな作家は道尾秀介さん。『向日葵の咲かない夏』とか道尾さんの作品は読んでいます。最近は読む冊数も減りましたね。うちの師匠自体がそんなに稽古をつけてくれるタイプではなくて、「○○師匠のところに行ってきなさい」だったので覚えたらあとは時間が空いてたので。落語の本は買ったけど読まなかったです。普通の小説読んだほうが面白い。ただ本を楽しむだけですね。━きょうの二席ボロボロでしたけどまだよくやれたほうかなと思います。朝からだったので全然舌が回らなかったですね。普段からやってたら舌も回るんでしょうけど、僕は怠け者なので。その中でも、とりあえず早口になりがちなので走らないようにはしました。『松山鏡』は聴かせる話なので特に気を付けましたね。田舎言葉で早口になるとぐちゃぐちゃになっちゃうので。田舎言葉は適当。たぶん松山でもあんな喋り方してないと思いますし、師匠方はもっと丁寧です。やっていくに連れてオリジナルになっていくらしいですね。━目標目標はとりあえず師匠を安心させること。やっぱり頑張らないと食っていけないじゃないですか。だから師匠が「あいつ仕事あるな」って思うぐらいに、二ツ目の間になりたいなと。真打になったら違う目標がまたできると思うんで。売れたい!とかはあんまりないんです。お金もあったほうがいいとは思いますけど、後輩と飲みに行けるくらいのお金があればいいです。だからそこそこ稼がなきゃいけないんですけど、そんなたっぷり稼がなくてもいいかなって。━皆さんのおかげあんまり上手くなかったんで高座も2年間ぐらい上がってなかったと思いますね。そのかわり、他の師匠たちがかわいがってくれたんです。有難かったですね。たい平師匠もそうだし、立川生志師匠もそう、遊喜師匠とか文治師匠とかが仕事くれたから食っていけました。本当に皆さんのおかげですね。この世界に入ったのも皆さんのおかげですから。今度3月に地元で落語をやるので、その時は薦めてくれた友達も来てもらいます。嬉しいですね。ましてや売れっ子のたい平師匠と行くので親も安心するでしょうね。やっぱり知っている師匠なので親もよかったって喜んでくれています。春風亭昇吾動画一覧はこちらから

三遊亭めぐろさん インタビュー

1972年5月17日生まれ。師匠は三遊亭圓丈。━目黒区芸人ということで師匠が70歳過ぎて弟子の名前付けるのが面倒くさくなっちゃったんですよね。僕は8番弟子なんですけど、「どこ住んでる」って聞かれて「目黒のほうです」って答えたらこうなりました。前座のころは二子玉川に住んでいたので、二子玉丈(にこたまじょう)か玉々丈(たまたまじょう)のどちらかで、玉々丈になりました。━昇進に関係なく二ツ目の途中で改名されたとか?そうなんです。これも師匠と揉めたんですよ。玉々丈で二ツ目になったんですね。うちの一門は真打で1回名前が変わるだけなので、「そうすると俺あと10年玉々丈か・・・」って思って。これはちょっと良くないんじゃないかな?と師匠のところ行って「名前変えてください」と。そしたら師匠も「まじか」と。「本当に変えるの?」と聞かれたので「変えてくれなかったら辞めます!」って言ったら師匠もギクッとしてて(笑)泣いたふりとかして「辞めたくないよ~!」とかやってたら「じゃあ変えてやるよ」って中途半端なタイミングで変えてくれました(笑)他の弟子も師匠の気まぐれです。いまの白鳥兄さんも新潟出身だから三遊亭新潟だった。天丼食べてたから天どんって兄弟子もいますし、犬がちょろちょろって来たから「何かのお告げだ!」ってわん丈。うちは名前は適当です(笑)━玉々丈よりめぐろのほうがしっくりきてますか?玉々丈は、“汚れの人はちょっと”とか“下ネタでしょ”って思われるんだって気づいたんですよ。若手のころは変わった名前だから覚えてもらいやすいしメリットあるなって思ってたんですけど、いざ中堅に差し掛かってきたときにデメリットのほうが大きくなってきて・・・。大きい落語会とか由緒あるものには1回も呼ばれたことがないです。名前のせいです。※近くにいた三遊亭歌太郎(2017年NHK新人落語大賞受賞)「名前のせいじゃねーだろ!(笑)」先月までだったら言い返してましたけど、今はチャンピオンなんで何も言えないです(笑)━趣味はありますか?ジュースを飲むことかな・・・。喫茶店とか行ってジュースを頼むんですよ。そうすると、今どきこんなのある?みたいなのが出てくるんです。すっごい苦いオレンジジュースとか。ジュースを絞ったおじいさんのエキスが入っているような・・・何かを煎じているようなやつが出てくるんですよ・・・━ジュースに興味を持たれたきっかけは?もともと体質的にお酒が弱くて、居酒屋とかではウーロン茶とか頼んでたんですけど、それじゃつまんないな、ってミックスジュースを頼んでみたんです。居酒屋のミックスジュースってだけで怪しいでしょ?それがジュースとの出会いですね。古い喫茶店とかあったらジュースを探しに入りたくなっちゃう。━ベストオブジュースを教えてくださいお店の名前がわかんないですけど、学芸大学の喫茶店に梨をしぼったフレッシュジュースがあるんですよ。梨がひと切れレモンみたいに刺さってて。斬新でしょ?かじっても甘くもなんともないんですよ。でもジュースは甘い(笑)それがおいしくて。梨のジュースってあんまりないじゃないですか。だから一番インパクトありましたね。自分では作らないです。料理も簡単なものだけ。自分が食べるくらいのものをササっとやるだけです。あとは、野球を見に行ったり。たまたまヤクルト好きの落語家が多くてみんなで神宮球場に行って外野席で飲みながら野球を見たりとか。今年は毎週のように行ってましたね。━芸歴、師匠について教えてください落語家になる1日前まで見たことも聞いたこともなかったんです。TVでたまにやってるじゃないですか。それをたまたま見て面白そうだなと思って図書館行って、『落語入門』みたいなの読んだんですよ。そしたら最初のほうに“落語家になるには”って書いてあったので、この通りやってみようかなと思ってやってみたんです。たまたま仕事を辞めてニートだったので、浅草演芸ホールに行ってスタッフの人に「すいません落語家になりたいんですけど」って言ったら「あそこのおじさんが落語家ですよ」って教えてくれて。そのおじさんに「すいません、落語家になりたいんですけど」と声をかけたら「じゃあ話きこうか」って。それが師匠。なんであのときに歌丸師匠とか小朝師匠が歩いていなかったのか。運がなかったですね~━前職は?トラックとかバンでデパートに食料品とか雑貨とかを配送する仕事をしていました。思い切って違うことをやりたいなと。━喋ることがもともと得意だったんですか?喋るのは本当に苦手。落語家になって初高座まで結構もじもじするタイプでした。だからさっきの『コトブキ』の鈴木も自分を投影してるんですよ。もじもじしてる人とかのキャラが多いですね。自分にないキャラだと無理があるし、途中で超恥ずかしくなってくるんですよ。どっかで自分にある部分を大きくしていかないとやっててしっくりこないし照れくさくなっちゃうんですよね。━他の芸人さんはよく見ますか?結構見ます。漫才とかコントとかも小屋へ行って生で見たり。去年R-1グランプリに誘われて出たんですよ。それで顔見知りになったのもあったりして見に行ってますね。最近は若手の人たちが好きです。かまいたちとか千鳥とか。絶対に真似しちゃうので影響されないように一視聴者として、吸収はあまりしないようにしています。━座右の銘は?enjoyですかね。師匠が圓丈だから漢字?くさいですね!アルファベットでお願いします。ちょっとこれは師匠に気に入られそうだな(笑)━所作がお綺麗でしたが、踊りのご経験などは?やってないですけど、それは湧き出るオーラだと思います。漏れちゃってました?気をつけなきゃな~!━最後に一言お願いしますやっぱり新作落語を作っているので、オンリーワンの芸、世界で僕しかやらない芸を見に来てほしいですね。古典?やりますけど、上手すぎるので辞めました(笑)三遊亭めぐろ動画一覧はこちらから

瀧川鯉八さん インタビュー

鹿児島出身。1981年3月27日生まれ。いまの高座の手ごたえは?12年噺家やってますけど・・・いちばん良かったです(笑)嚙んだり間違ったりもしましたけど、いつになく「そんなもの、かまわない」って、細かいミスも気にせずできました。うまくできたからいいってことではないのでね。大きな心で心地よくできました(笑)━きょうの演目「俺ほめ」に登場するマーちゃんは実在するんですか?マーちゃんは別に誰でもいいんです。みんなに投影できるように。承認欲求の時代ですから(笑)ほめてもらいたいって気持ちはみんな誰でもあると思うので、時代を反映してます。大人はみんな「ほめて」って人に言えないから、僕が解放してあげているんです。━プロフィールは?18歳まで鹿児島にいて、大学入学を機に上京しました。卒業したあとは決まった仕事には就いてなかったんですけど、アルバイトとかしながら25歳で入門しました。━入門のきっかけは?昇太師匠の名前は存じ上げていたので、昇太師匠の落語会を見に行ったらたまたま僕の師匠が一緒に出ていて。あまりの面白さに雷に打たれました。僕も別に仕事もしてなかったので「もうこの人に弟子入りしよう!」と。一目ぼれしてすぐにお願いしに行きましたね。法政大学の落語研究会では落語を特別好きになるってことはなかったんですけど、卒業してプラプラしてるときにCDで落語を聞きながら好きになっていったかんじですね。ちょうどそのタイミングで師匠を見て、ビビっときました。CDで聞いていたのは上方の米朝師匠とか、そのお弟子さんの枝雀師匠。僕も鹿児島なのでもしかしたら西の感じのほうが入りやすかったのかもしれないですね。米朝師匠と枝雀師匠っていうのは言葉もすごくわかりやすくて、初心者の方には必ず薦めます。そこから志の輔師匠とか聞いて、「あ、落語って面白いな」って思って。なので、はじめから古典落語が好きだった類ではないですね。最初はちょっと難しいなって思っていたので。━2015年には渋谷らくご大賞を受賞ということで。2015年は俺の年だと思ってました(笑)それからは緩やかに右肩下がりだったんですけど、きょうベストが出たんでよかったです(笑)━趣味、特技は?三線を習い始めました。最近、海外進出も含めて南のほうに行く機会があって。━海外で落語ですか?そうです。A太郎兄さんとは2016年にイタリアで落語やりましたね。イタリア語でネタを暗記して。人間の口って、その人種に合った言語っていうのがあるらしいんですよ。で、僕の口のつくりとか、舌の長さとか、歯並びとかは、日本語よりもイタリアの言語のほうが合うっていうのを、日本で勉強したときに先生に言われてたんですよ。「“もちゃもちゃ”してるかんじがイタリア語の方の発音に近いね」って。それで実際に覚えて行ったら現地のイタリア人から「めちゃくちゃ発音良いね!でも落語は超つまんないね!」って言われました。だから、そのくらい僕の言語が届いたってことなんですよ。面白いか面白くないかがわかるくらい。だから“あぁよかった僕の言語届いたんだ”って(笑)━お客さんはどういう反応をするんですか?これがですね!僕は自分で作った新作落語をやっていて、ターゲットは自分同世代から前後10歳くらい。だからざっと言って20~50歳手前くらいの方なんですけど、イタリアでもおじいちゃんおばあちゃんには全くウケなかったですね(笑)ただ、イタリアの若い人は日本と同じところでウケてくれました。イタリア人は褒めるの好きだから「俺ほめ」やればよかったですね。━で、話を三線のほうに戻したいんですが・・・(笑)あ、そうですね(笑)やっぱり二ツ目も人多いし、競争の中にいるんで、常に押し出しの強い芸をしなきゃいけないってとらわれがちなんですよ。自分では競ってなくてもそうなってくるんで。それで南国に行ったときに、ゆったりした感じっていいなと思って。僕の好きな師匠もゆったりした芸風なんで、その南国で原点回帰みたいなことを感じて。で、やっぱり沖縄の文化って豊かだからそれも学びたくて。だから三線をできるようになってから沖縄のおばあとかに会いに行こうかなと思ってますね。教室には毎週1回行くんですけど、それもまだ始めて3ヶ月くらいです。━他には趣味はありますか?純喫茶巡りですかね。各地の純喫茶に行くっていう。僕は気づいてしまったんですよね。これぜひ参考にしていただきたいんですけど、国内旅行に行くときってどこ行くか迷うじゃないですか。普通ってガイドブックとか買って見ますけど。僕、純喫茶と路面電車が好きなんですよ。別に鉄道オタクとかじゃないんですけど、路面電車だけが好きなんです。で、路面電車って昔は全国にあったんだけれども、車の発達によって無くなっていって、いま全国で13箇所しかないんです。それを見に行ってたら気づいたんですけど、路面電車が今なお残っているっていうことは、昔の文化を大切にしている街ってことなんですよ。昔の街を大切にしているってことは東京とかと景色が全く違うんです。ってことは、昔ながらの純喫茶ももれなくあるんです。で、そういうところは食べるものも地のものを大切にしているって気づいたんです。━なるほど。その13都市はすべて回られたんですか?それをいま回っているところで、これまでに7都市行きました。制覇を目指しているんですけど、この間は函館行って、広島行って、長崎も行きましたね。長崎はいちばん感動して、長崎の新作落語を作りました。漢字で『長崎』。その『長崎』を長崎でやったら、生涯でいちばんウケましたね。僕は長崎の人じゃないのに長崎に恋して全編長崎の落語を作ったんですよ。その土地の固有名詞とかもそのまま使って。だから長崎の人が聞いたら、「長崎の出身じゃない人がこれをやってるっていうことは、我々へのラブレターなんだ!」ってなっているわけですね。そしたら向こうも、人から好きになられたら100%の愛で返してくれるんですよ。だからその高座中が両想いなんです。愛の溢れる、ハッピーな、全編笑いに包まれるという!まぁ、それはきょうやってないんですけど・・・(笑)━ぜひ次は『長崎』をお願いします!純喫茶では何か召し上がるんですか?ホットケーキは必ず食べます。最近のパンケーキじゃなくて、昔の安い感じのホットケーキを頼みますね。あとはやっぱり純喫茶のいいとこっていうのは、学生の団体とかがいないんで、ゆったりした時間が流れているんですよね。おじいちゃんとかおばあちゃんがいて。だからゆったりした空気が好きってところで共通していますね。ここでやっと三線とつながりましたね。━他のお笑いの方を見る機会は多いですか?あんまり見ないですね。今は情報が多いんであんまり見ないようにしていて、それでも入ってくる情報は確かなんだろうなと思って見るようにしています。自分から拾いに行くと情報が多すぎてキリがないので。テレビ自体は好きです。映画が昔から大好きで、落語にも映画的な手法を取り入れたり。きょうの2本は短めなのでそういうのはないんですけど、それこそ『長崎』とかはロードムービーみたいにしてます。━いちばん影響を受けた映画は?それを絞るのは非常に難しいんですけど、フィンランドのカウリスマキっていう監督がずっと好きで。カウリスマキが日本に来たら必ず行くっていうバーによく行きます。あとは最近でいうと、「あ、これは素晴らしい脚本だな」と思ったのは、黒澤明の『椿三十郎』ですね。もちろん映画史に残る脚本だけど、思った以上に世間的に焦点が当たってなくて。落語的だったし、面白いし、品のいい笑いだったし、脚本のつくり方がパズルのようにハマっていく。短さも程よいですし。だから僕も落語は常に短くしようと思っています。落語家の悪い癖って、長くやっちゃうってのがあるんですよね。人間の集中力ってそんなに持たないんで。━視聴者に一言お願いします。僕を聞かずに死ぬと損しますよ、と言いたいですね。僕を知らないってことは人生損してますよ、と。━・・・わかりました(笑)あれ?ちょっと変えようかな?えーっと・・・次は僕だ。って書いてください。2018年のNextBreakerは俺だ。だから乗り遅れないでね~って(笑)瀧川鯉八動画一覧はこちらから

昔昔亭A太郎さん インタビュー

1978年6月8日生まれ━芸名にアルファベットが入っているというのはどうですか?恥ずかしいですね。師匠に付けて頂きました。初めて聞いたときは、“人生終わったな”って思いました(笑)でも、感謝です。━よかったことは?多少は目立ちますよね。人と比べたら。だけど大体どこ行ってもふざけてる、って思われます。覚えやすいので、よろしくお願い致します。━ご出身は京都とのことで。生まれは岐阜なんですけど、嫌で。生まれてすぐ一人で横浜に引っ越しました(笑)それから東京行って。で、小学校5年生から高校卒業まで京都で育ちました。ですから前は京都出身と言ってたんですが、今は岐阜ってことにしてます。京都だと上方落語の方がいらっしゃるんで遠慮してます(笑)━落語家になろうと思ったきっかけは?記憶がないですね。いつの間にかなってました。━趣味とか特技ってありますか?いまタップを習ってます。きょうも朝やってきたんですよ。やっと買ったシューズも持ってますよ。やっぱり芸人たるものたけしさん(ビートたけし)に憧れがあるので。でも本当は、漫才のおぼんこぼん先生のタップを見て感銘を受けてやり始めたんですが、それは内緒にしています。━練習はどのくらいやってるんですか?週1回やっています。始めてまだ半年くらいですね。芸人たるもの、やはりチャップリンを目指しています。12月に発表する会があるんですよ。歌ってタップやるっていう。━落語とは別ですか?全ては落語に繋がるのでしょう。━落語に限らず他の芸人さんに芸を見ることは多いですか?もうそれは、お笑いがもともと好きなので。青春はダウンタウンさんですね。落語家だと憧れになっちゃいますけど志ん朝師匠とかかっこいいですよね。でもそれは気軽に言ったら殺されるというか、お前が言うな、ってなるんで(笑)ただ、やっぱり憧れます。━近場で意識している人は?喬太郎師匠とか、古典と新作の両方やるっていうのはやっぱり理想だと思います。両方やりたいですね。━2015年に受賞されている「渋谷らくご・奇妙な二ツ目賞」というのは?特別賞で、二度とない賞でしょうね。誰も欲しがらないでしょう(笑)━受賞がきっかけで何か変わりましたか?やっぱり変わってるなって思われますよね。名前と併せて変わってるなって。まあこれは運命なんじゃないですかね?僕は普通にしたいんですけど。本当はまっすぐ生きたいです(笑)でもそれは名前が“A”になっちゃった時点で決められちゃったんですね。悲しい現実です・・・僕は志ん朝師匠を目指してるのに(笑)━改名の予定は?真打で“A”はカッコ悪いかなってのはありますけどね。かといって他の名前もなかなか。なんか良いのないですかね。募集しましょうかね。━いまの高座の印象、手ごたえはいかがでしたか?スタッフの方々の反応が笑っていいのかダメなのか、もしくは本当につまらないのか・・・不安でした(笑)でもこれはもう、切り替えて堂々とやろうと思いました。━『皿屋敷』と『罪と罰』を選んだ理由は?最初だから慣れてるのやろうかな、と。一つ目は古典で、二つ目は新作。新作は前座のころに作ったやつです。いろいろ反応見ながら変えてますけど、きょうはいちばんオーソドックスなやつをやりました。原点に返るいい機会だなと。今度はたっぷり怪談話とか人情話とかやりたいですけどね。━寄席場以外で寄席をやるとしたらどこでやってみたいですか?山の中で。俺が上で待っててみんなが登ってくる。それで聞いて帰ってもらうっていう。僕は先に車で行って待ってます。皆さんは必死で“あれが聞けるんだ!”って来てほしいですね。何人来るかな。それかドームとかでやりたいですね。コンサートみたいに。ど真ん中でやりたいです。ドームでコンサート、目標です。歌ったりタップやったり。日本舞踊も習ってるんで踊ったり、例えば落語やったり・・・たまに落語やったり・・・━日本舞踊以外にも何かやられているのですか?もともとスポーツは好きなんですけど。続けてやってるのはないですね。水泳やったりたまに運動したりはありますけど、続けてるのはないです。笑いが趣味です。趣味を仕事にしたら行き詰りますよね。━座右の銘とかありますか?死あるところに生あり。これはやっぱり何事も無駄じゃないってことですね。何か失敗したところでそれは何かにつながるよ、という。っていうのを僕がいま作ったんですけど(笑)オリジナルの座右の銘です。いままさに生まれた、この瞬間に生まれた座右の銘です。って言ってて既にあったら嫌ですね、ありそうですよね。まぁ、すぐ忘れると思います(笑)昔昔亭A太郎動画一覧はこちらから

柳家小かじさん インタビュー

1988年8月18日生まれ。横浜市出身。━簡単にプロフィールを教えていただけますか?生まれも育ちも横浜で、今は浅草に住んでいます。師匠は柳家三三で、2013年2月に前座楽屋入り。それから4年半が経ちました。ずっと前座だったんですが、でもこうやって二ツ目に上がって。2016年11月に二ツ目に昇進して、いまちょうど2年目に突入ということでやっています。━趣味、特技は?趣味は海外ドラマを見ることですね。作品だと『ウエストワールド』『ゲームオブスローンズ』とか。SFでもコメディーでも何でも見ますね。━海外ドラマはご自身の芸に生かされている?話の展開、引っ張り方が面白いですから。「あぁ、こういうの生かせるんじゃないかな」とか「あの場面に似てるな」とか思ったりするときもありますね。━きょうの演目に『三方一両損』を選ばれた理由は?きょうの演目は本来二つに分けるものでもないんですよ。というのも、正直後半は訊きごたえもない。最初の啖呵の部分でワーワーやって、後半につながっていく。そこでブツっと切るものでもないが、配信というということで時間的に12~13分のほうが聞きやすいだろうし、興味があったら続きも聞いてくれるだろうな、と。逆に、後半を聞いてから前半を聞く楽しみ方もしてほしいですね。本来の落語ではできない楽しみ方もしていただければと思います。━気になる芸人さんはいますか?僕自身が法政大学の落語研究会に入ってまして。世代は違うんですけど、(瀧川)鯉八兄さんと同じ代で脳みそ夫さんというピン芸人がいるんです。学生時代にも関わりがあったんですが、いまちゃんと活躍してテレビ出たりしていてすごく刺激になっています。全体的にお笑い芸人になっている人が多いんですよね。後輩にはタイタンのまんじゅう大帝国って人がいて、もともとTBSラジオの『JUNK』とか出ていたのでうらやましく思っていました。あ、ラジオも趣味です━ラジオのお気に入りは?お気に入りはやっぱり『JUNK』ですね。自分の好きなものに関しては、「いつか自分も」という気持ちで聞いています。━お笑いにもたくさんジャンルがある中で落語を選んだきっかけは?落語が単純に面白いと感じたんですよね。それぞれのジャンルで特性はあるけど、落語の空気感に触れたときに、他のものでは味わえない何とも言えない感覚、空気感がすごい好きで興味を持ちましたね。━モットーの「明るく・楽しく・激しい高座」というのは?全日本プロレスのモットーからです。プロレスも好きなんです。━それでは最後に一言いただけますか?愚直にいきたい。愚かでもいいのでまっすぐに小細工なしでやっていきたいですね。━そのこころは?前座修行のときに三三師匠に言われた、というか誰かから又聞きしたんですけど、「仕事ができなくて出来も悪いけど、素直でまじめだからクビにしないんだ」と。それを聞いて、できるできないではなく物事に対する姿勢みたいなものはずっと見ててもらったんだなという部分を含めて、その姿勢はずっと大事にしなきゃいけないと思いましたね。━素晴らしいですね。余談ですが・・・落語付き同窓会を計画されているとか?そうなんですよ!LINEグループでやっているんですけどね・・・。僕はもともとクラスの中心ではなくて、細々とした感じだったので、いざ思いついてやろうと思ったはいいけど、僕幹事でやり始めても集まりがすごく悪い。そうしたら中心的なやつが「梶川(本名)がやってくれるのにどういうことだ!」と怒ってしまった。さらに、それを見て「すみません。私たちは仕事で忙しいので出席できません、つきましてはグループ抜けます」という人まで出てきてクラスの輪を乱してしまいました。私のせいでグループの人数が減って、久々に集まろうとしたら変な感じになっちゃって。どうなるかわからない、そんな会を企画しています。━この記事が掲載される頃には同窓会も終わっていると思いますが・・・そうですね。できれば来ていただきたいところです(笑)柳家小かじ動画一覧はこちらから

三遊亭歌太郎さん インタビュー

1982年7月7日生まれ、大田区出身。2017年NHK新人落語大賞受賞。━調べたところ水泳、文房具屋巡り・・・などなど趣味がたくさんあるようですが。水泳はたまに泳ぎますね。子供のころ、6年間ぐらいやってました。文房具屋は好きなんですよ。筆ペンが好きで、とりあえず試してみようと文房具屋を回ってみるんですけど、ぺんてるが一番です。ネタ帳を書かなきゃいけないので始めました。━宇宙も趣味?きょうのマクラでも話したんですけどね・・・宇宙はすごいですよ。地球に月がぶつかったわけですよ。わかりますか?それの角度が違えば今みたいになってない。それがちょっとでも違えば人間は生まれてないかもしれないじゃないですか。━深いですね。子どものころから宇宙に興味があったんですか?いいえ、暇つぶしにYouTubeを見ていて。━(笑)。木刀もやられる?夜な夜な近所で振り回していたんですけど、おまわりさんに見つかると怖いから今は防犯用に仕舞っています。運動用にバットと迷ったんですけど、バットにしとけばよかったと後悔しています。選択を誤りましたね。━包丁研ぎは?料理ってほどの料理はしないですけど、包丁を研ぐんです。出刃包丁と刺身包丁があって、それを研いでると落ち着くんです。━話は変わりますが、NHK新人落語大賞受賞、おめでとうございます。その後いかがですか?あんまり変わらないですよね。点数がついたんですけどね、4人10点出してくれて、桂文珍師匠だけ8点。そこが気になりますよね。そこを何とかしなきゃいけないと思います。そうするとあんまり喜んでもいられないっていうのがありますね。━課題は見つかりましたか?課題は前々からあるんですけど、やっぱり映像で見るといろいろ気になる部分って出てきますよね。普段映像では見ないので。音はよく聞くんですけど。そういう意味では課題だらけです。見えるものが変わるんですよ。同じ噺をやっていても、1年前とは違うものが見えているし、1年後はまた違うものが見えてくる。そうするとお客さんの好みにはハマらなくなるかもしれない。でもそれはしょうがないですね。━なるほど。今回、大賞をもらえたのもほとんど偶然だと思うんですよ。宇宙にしてもまた変なこと言いますけど(笑)、人間じゃない誰かがいたんです。その人が、私をいろいろいい方向にもっていってくれた。台風が来たのもそうだし、順番の抽選もそうだし、やってる最中に高座が動いたのもそう。キャスター式になっててロックがかかってなかったんです。そういういろんな要素が自分にプラスに働いたな、と思いますね。━高座が動いた時の会場の雰囲気は?お客さんはほとんど気づいてないと思います。でも「あ、動いた」と思って冷静になれたんです。入りすぎるとやりすぎるタイプなので、入りすぎずに済んだんですよね。話をしてる途中って小さい地震が来てもあんまり気づかないんですよ。━受賞後、どんな言葉がうれしかったですか?審査員に柳家権太楼師匠がいて10点つけてくださったんですけど、楽屋で会ったときに「おもしろかったよ」と言ってくれたのが、うれしかったですね。結構厳しい方なんで。その点、文珍師匠は8点ですからね(笑)━自分以外で気になる芸人さんはいますか?やっぱり新作やる人は面白いなと思いますね。お笑いのジャンルもいろいろですけど、落語ってすごく特殊だと思うんですよ。一人で動かず喋る。漫才とか二人で掛け合いだからそりゃテレビでも使いやすいだろうし、どうしたってそういうところで落語って難しい部分が大きいと思う。そう考えると落語家がどうやって落語をやっていくのか、のほうが気になる。そうなるとやっぱり新作やる人が気になりますね。A太郎さんとか。━テレビがご自宅にないとのことですが。ないですね。そんなに稽古しないですけど、見ちゃうとそればっかりになって脳みそを使わなくなっちゃうと思うんですよ。テレビって情報が出すぎちゃうから。脳みそ使わないと喋れないので、あえて見ないようにしています。━最後に、自分をアピールするような一言いただけますか?色紙に書くようにいろいろメモしてあるんですけど、そういうの一番難しいな~。「親のすね、かじりたいとき、親はなし」「怖くとも、毎日乗るぞ、体重計」無視してください(笑)皆さんなんて言ってるんですか?やっぱり面白くないとね・・・コレ、すごい名言だと思うんですけど、下ネタなんですよね・・・━ちなみに?「落語はセックス」やっぱりお客さんと作っていくものなんでね。これはすごいなあと思うんですけど・・・でも使えないでしょ?予備にしておいてください。三遊亭歌太郎動画一覧はこちらから

春風亭一蔵さん インタビュー

1981年7月13日生まれ。東京都出身。━噺家になろうと思ったきっかけは?大学は行ってないので、7年間社会人をやって噺家になりました。きっかけはやっぱり今の師匠への一目惚れですかね。僕は高校卒業してすぐ結婚したんですよ。それで、25で別れるんです。それまで手っ取り早く稼げるトラック運転手をやってたんですけど、いよいよ一人で好きなことやろうと思ったときに、その当時落語が好きだったんで寄席とかホール落語とか観に行ってたら、やっぱりうちの師匠いいなあと思って。それで弟子入りしちゃったっていう。2回断られたんですけど、3回目でラブコールが届きました。━前座名は朝呂久さんあさろくじゃないです。ちょうろくです。気軽にチョロキューって言ってください(笑)うちの師匠は鳴り物がすごい得意。歌舞伎座で笛吹いてたような人なんです。その時の先輩とか師匠とかが、望月長左久、朝呂久っていって。要するに鳴り物の名前からとったって言ってました。鳴り物名でいるんですよ。━一蔵ってちょっと渋いというか僕、一蔵になりたくて。ていうのがまたこれもあれなんですけど。うちの師匠の奥さんが先代の片岡市蔵って歌舞伎役者の娘なんですよ。で、その片岡市蔵の市は市場の市なんですけど、それを漢数字の一に変えて、どうしてもその名前が欲しいな、いいなと思って。━そこもスムーズに?そりゃ女将さんからね、やっぱ口説いて。やっぱ呼びづらいじゃないですか。うちの師匠にとっては義理のお父さんだし、うちの女将さんにとってはお父さんの名前だから。だからその「女将さんいいですか?」って言ったら、まあそれこそね(柳亭)市弥がいるから、市馬師匠のとこで一蔵って取られるよりいいねって(笑)音が被っちゃうんで。イチバ、イッチョウって。それでそんな話になりました。━それが2012年(柳亭)市弥さんと全くの同期です。“三人衆”ってもう1人同期がいて、もう1人は小辰っていう・・・まだミッドナイト寄席には出てないかもしれないですけど。これがまた名人で。3人でユニット組んで、年間で10公演以上はやってる同期会があるんです。もし良かったら遊びに来てください。切磋琢磨して、いい刺激になってます。━趣味は競艇もう僕は命賭けてます。本当に。父がね、博打好きだったんでその名残でよく行って。もう本当に好きでね。まだそっちは稼げてないんで、一応こっちが本業ですけれども。1年間で我々寄席の出番があるんですけれど、寄席の給金を全部そこで使うっていうのを毎年やってまして。━坂上忍さんみたい坂上さんは多分ちゃんとしたギャラも全部なんですけど、僕はギャラはね、一応食ってかなきゃなんないんでね。寄席の割っていうのがまたあるんですよ。都内4軒ある寄席にかおつけてもらったその封筒を一芝居一芝居大事に置いておいて、それを開けて大阪に行くっていうのを毎年やってます。━自分のネタに競艇を取り入れることは?ありますあります。マクラとかでも喋りますし。こないだなんか三題噺やったときに競艇の話にしたり。でも僕は借金あったりしないから、全然付き合っても大丈夫だと思いますよ!この人は借金とかいっぱいあるんじゃないのって思われるかもしれないですけれど、それは大丈夫ですから!━サウナも趣味僕は水風呂は大の好きで。水風呂って恐怖心あるでしょう?怖いですよね。あれはね、サウナ入るでしょ、それで水風呂入りますよね。「それが気持ちいい」って言ってるやつ素人なの。水風呂ちょっとでも入った後、どこでもいいから腰かけてください。その座った瞬間に今日のあなたの疲れがとれますから。どーんと下に疲れが落ちていきます。それを是非味わってください。是非これはね本当に。本当にすごいです。本当ドーンと落ちますから。━ゴルフも趣味まあ100前後ですよ、遊びゴルフですから。でも好きでちょこちょこ行ってますね。運動はこのガタイですからやっぱゴルフぐらいですかね。僕は始めてから2年半くらい。二ツ目になってちょっと経ってから先輩でゴルフ好きな人がいて。「じゃあ一度俺のクラブ貸してやるから」ってのが始まりです。━すごく飛びそうですねこの間、河川敷ですっげー風だったのね。もう10mぐらいの北風。で、河川敷だから行きはアゲンストで帰りフォローなわけよ。そしたらフォローでティ―ショット、パーンっていったら本当にいい当たりしたの。そしたら300ヤード飛んでたよ。風に乗って。これ松山級ですよ。だから残りも50ヤードぐらい。240ヤードのポールがあるんですよ。ここだいたい狙いなさいよって。それより明らかに5、60は前にいた。だから測ってないけどだいたい300。でも、そのあと3つ叩いてパーだった(笑)━二席やった感想は?一席目は短いのだったんですけど、二席目はちょっとたっぷりやらしてもらったんで本当にありがたいですね。お相撲の話が好きで、お相撲も趣味ですよ。よく観に行きます。自分で相撲?取らないですよ!!(笑)がたいインスピレーションやめてくださいよ!(笑)━配信というあたりの意識は?全然してないです。ただ、正面切りました。マクラのときに。普通はお客さんいるから左右に振るんだけど、一応正面向いてやりました。━これからの目標は?やっぱりそりゃあなんとか賞金王決定戦で勝ってね、来年何とか前座にちゃんとお年玉を。年末の大一番。それで勝って前座にちゃんとお年玉を渡すってのは当面の夢っていうかね。稼がないと払えないから。そこなんですよやっぱり。前座以下にみんなあげるんですけど、それを何とか払えるように、頑張ろうって。去年は大損こいて、本当に謝りながら金払ったり、いろんなところから借りたりして払いましたけど。一昨年はバカ儲かって、いつもだったら1000円しかあげないところ2000円あげたり。1人2人じゃなくて40人ぐらい渡すから、それのためにもやっぱ賞金王。それが当面の目標です。━最後に一言もしかしたら来年痩せるから、太ってる一蔵は最後になるかもしれませんので、これ観といてくださいって言っといてください。「あー太ってたなーあいつ昔」っていう最後の映像かもしれないんで。春風亭一蔵動画一覧はこちらから

春風亭正太郎さん インタビュー

1981年8月23日生まれ。━入門は2006年24歳の時です。大学卒業してから2年間、塾の先生で文系全般教えていて、そのあと結局こっちの世界に来ちゃいました。落語家になりたいって思ってたのかな?落語が好きだったとしか言いようがないですけど。初めて聴いたのは中学3年生の時。小学校の頃から何となく笑点みたいのは見てましたけど。中学3年生のときちゃんと落語を聴くようになりました。文化祭でちょっと落語をやらなきゃいけなくなっちゃって。それきっかけで聴いてみようって。やらなきゃいけないから聴いてみようと思って図書館行ってテープを借りて、聴いてみたら、わーこんな世界があるのかと感動しちゃいまして。それからちょこちょこ聴きに行くようになりました。━文化祭の時は誰かのコピーを?コピーというか自分なりに真似して、できないところは自分なりにアレンジしてみたいな感じ。三遊亭圓生師匠の『死神』って話でした。子どもがやったものですから、観てるのも同級生だったり保護者だったりしますんで、笑ってくれるんですよね。笑ってくれるし、最後まで聴いてくれるんですよ。そこで何となくウケちゃったから、いい気になってしまったっていうのもあるんでしょうね。それから落語を聴きに行くようになりまして。ホールとか寄席だとかそういうところにちょこちょこ自分で聴きに行くっていうような生活になりましたね。━芸術学部に進まれたのもその関係?元々、落語のパフォーミングもそうなんですけど、そういうのが好きなんですよね。僕は映画が好きだったので、主に映画系の学科なんですけど。映画とか、落語もそうですけど、舞台だとかそういうもの色々好きだったのでね。何となくぼんやりとどうせならそういう仕事したいなと思ってたんです。でも落語家になろうとは思ってなかったですね。━好きな映画のジャンルは?なんでも好きですよ。でもどっちかって言うと最近の映画よりは昔の映画の方が好きですかね。邦画も好きですけど基本的には洋画の方が好きですね。チャップリンはなんか好きですね。チャップリンは落語に通じるなといつも思います。散々見て内容も全部覚えてますから今さら見ないですけど、家にはDVDを置いてありますよ。やっぱりこういう商売やっているからなのか、笑いがあって、ただ笑うじゃなくてドラマがあるみたいな。そういうのが落語っぽいなと思って好きですね。「ビリーワイルダー」とかね。━映画が自分の芸に影響することは?あるかもしれないです。何となく喋りながら自分の中で画を描いて、カメラワークもある訳じゃないんですけど、なんかぼんやりと自然と頭の中で場面構成を作ってたかもしれないですね。━前座から名前は正太郎で。意味は特にないと思います。「正朝」の弟子だから正太郎。ただそれだけのことだと思うんですけど。もらったときは、シンプルで親しみやすい名前だから嬉しいなと思いました。今でもその名前ですけど、本当にお客さんもよく覚えて下さいますしね。そういう意味では、若々しい感じもするし、シンプルだし、落語家っぽい名前だからいいかなと思って。この名前には愛着がありますね。━ぴったり3年で二つ目昇進さっき(柳亭)市弥くんも「毎日毎日眠かった」って言ってましたけど、全く同じ。眠いし暇はないし忙しいしお金ないし。人生で戻りたくない期間はどこですかっていったら前座の期間でしょうね。それぐらい修業はつらかったですね。今思えば、それが全部身になってますので、逆に、今でこそのんびり楽しい前座生活を送ってたほうがいいかっていうとそういうことではないと思いますね。厳しい修行が送れたからこそ今に生きていることは多いと思いますね。━印象的な師匠の言葉は?僕がやっていくうえで最も支えになった言葉は、「お前が向いてないと思ったら、俺はいつでも辞めさせます。早いうちに。君に才能がないと思った瞬間に僕は辞めさせます」と。それは、「落語ってのはある種、才覚みたいなところがあるからある程度まで鍛え上げていくけど、向いてない子は向いてないと思うから駄目だと思ったら僕は早いうちに印籠渡します」という風に最初に言われました。それは僕にとってみればすごく優しい言葉だなと思って。早いうちにこの子の人生駄目だと思うなら次の道を歩んだほうがいいっていう優しさですよね。一見すると厳しいように聞こえますけど、それは僕からするとすごく頼りになる言葉というか、心の支えになる言葉。うちの師匠が「お前は向いてないから辞めなさい」ってまだ言ってないってことは、僕はまだ続けられるかもしれないと思って頑張れましたね。━二ツ目になって8年目。生活に変化は?変わりましたね。自由な時間というか自分で仕事取れるようになりましたので、そうなると自分でこうしなきゃ、ああしなきゃと。逆に言うと自分で決めていかなきゃいけないっていう厳しさが出てきますよね。自分の時間がないというよりは自分の時間をどう埋めていくかというか。どうやって仕事で埋めていくかっていう厳しさになっていくので。誰も助けてくれませんしね。自分一人でやっていくしかないですから。この商売ばっかりは。もちろん仲間同士で支えあっていく世界ではあるんですけども、結局最後は一人の世界ですから落語は。━趣味は似顔絵を描くこと、読書、古典ミステリー研究、映画鑑賞など・・・最近時間がないからあんまり行けてないですけどね。映画なんかも観たいんですけどなかなか時間もなくて。事務仕事も溜まってたり、やらなきゃいけないこともちょこちょこあるし。仕事もあるし。逆に言うと、やることなくて映画観に行こうかな?やることないから本でも読んでようかな?ゴロゴロ寝てようかな?っていう時間がないっていうのは、芸人としては幸せなことだと思うんですけどね。でもアウトプットばかりではなくてインプットの時間も必要ですよね。━噺家さんで気になる方は?いっぱいいますよ。ほとんど全員。僕はみんな気になる。今どこでどんな仕事してるんだろう、とか。この子はこれぐらい頑張ってるんだとか、逆に先輩はこんなに仕事してんだとか。思ったより落語界って競争社会なので。もっとのんびりした世界だと思ってたんですけど。入ってきたら思ったより競争社会で。なにせ人気商売なので。あの先輩こんなに頑張ってるんだったら俺もっと頑張んなきゃとか。あの子にも抜かれそうだから俺も頑張んなきゃとか。ちょっと自分を俯瞰してみてるというかね。そういうところがこの商売に入った以上必要な気はしましたね。みんな友だちですけどみんなライバルって本当そうですね。━噺家としての目標いろいろ思うことあるんですよ。だけどとりあえず最終的には、後輩から稽古を頼まれるような落語をやりたいなと思います。僕たちの世界は、先輩が後輩に教えていく世界ですから。後輩が選ぶわけです。この話だったらこの師匠に教わろう、この先輩に教わろうっていうふうになるわけじゃないですか。みんなの見本になれるような、噺家の見本になれるような、そういう噺家になれたらいいなとは思いますよね。もちろんお客さんに楽しんでもらうことが前提ですよ。そんなのは当たり前なんですけれども、その上でさらにそう思いますね。━視聴者へアピール私は醬油ラーメンのような落語なんですよ。癖がなく誰でも食べられて、また食べたいなって思わせるような、そういうシンプルで楽しい落語を目指しております。そういう落語が出来たらいいなと思って頑張っております。その辺を聴いていただければと。春風亭正太郎動画一覧はこちらから

柳家さん光さん インタビュー

1976年7月27日生まれ。━汗だくですね(笑)もうこの自分のメンタルの弱さはもう(笑)途中やりながら駄目だなあと思いながら。そう考えちゃダメなんですけどね。集中してないんですよね。話に途中から。多少ウケてたら安心して出来るんですけど(笑)━出身は福岡生まれは福岡ですね。父の仕事の関係で転々としてたんですけど、小学5年くらいからずっと福岡に住んでたので、そのまま出身地は福岡ってことにしてます。その前に長崎にちょっといて沖縄、大阪、福岡って帰ってきました。━入門された2009年というと何歳?1月なので32ですね。入門は遅めです。決して早くはないです。今はもう年齢制限が出来ちゃったんで入れないですけど。本当はもう1人、自分の下に30オーバーがいたんですけど、辞めちゃったんで。最後の30オーバーの入門者になりましたね。音助さんたちの芸協とかはまたちょっと違ってくるんですけど。うちの協会に関しては30までと決まりが出来ちゃったんで。━30代ということで難しさを感じたことは?楽屋働きはつらかったですね。寄席で師匠ん家行ってもずっと立ちっぱなしで、下っ端だったから。だからもう師匠ん家を早く出れたらこっそりマッサージに行って。足がパンパンで足の裏も痛くて痛くて、マッサージ屋さんには「どうやったらこんなに硬くなるんですか?」って言われたほどです。━そんな師匠の下に入門されたきっかけは?寄席で観て、こんな面白い人いないなと思ったんです。門を叩いてから入門までは多分3カ月くらい。うちの兄弟子の我太楼兄さんと素人時代からちょっと縁があって。2回目行った後に我太楼兄さんから「うちの師匠が暮れにやってる会があるから手伝いに来い」って言われて。入門したらどれだけ大変かっていうのを見てみなさいと。それで諦めろと言われて行ったんです。女将さんとかみんな反対したらしいんですよ、来させたら期待持たせるんじゃないかと。うちの師匠は弟子取らない宣言してたんでその時。一つ上のほたる兄さんで打ち止めって決まってたんで。それを公言しててこういうことをするから女将さんが怒ったと思うんですけど。━それを知りながらもアタック?知らなかった。なんにも知らなくて。入ってみないと実際の苦労なんかわかんないし。その時の前座が正太郎兄さんだったんです。正太郎兄さんが師匠の会を手伝ってて、大変だなぁとは思ってたけど。本当の大変さなんか見ててわかんないんで。そしてそのあとうちの師匠に「それでもやる気があるんだったら、正月は忙しいから年が明けたらおいで」って言われて。行ったらOKでした。そのあとに「親を連れてこい」って言われたんです。うちの親、変わり者なんでそこで駄目って言われるんじゃないかなっていうのがずっとあって(笑)お受験じゃないですけど(笑)そこで引っ掛かるんじゃないのかなと思ってました。1月の終わりころ親を連れていったんですけど、それまで安心はしてなかったですね。結局駄目って言われるんじゃないかなと思いながら。━前座名が・・・おじさん?柳家おじさんっていう名前でした。師匠が付けましたけど、最初は違ったんです。6番弟子なんで、ごん六って名前だったんです。ひらがなのごんで漢数字の六。めくりも作ってそのつもりだったんですけど、さっき高座でも言ったように本当に師匠に毎日怒られて、口利かなくなって、そしたら「こいつはつまんない人間だから名前を変える」って一門揃ってる時に会議始めたんですよ。「こいつの名前を変えようと思ってる」と。「こいつはごん六じゃ楽屋で師匠方に名前を覚えてもらえない。だから名前にインパクトを付けようと思う」って言って、年も年だから「おじさん」にするって。おじさんっていう言葉自体に人は悪い感じを持たないって言ったんですよ。“おっさん”とか“おやじ”とかだと悪意を感じるけど、“おじさん”という言葉になったら柔らかくもなる。で、「おじさんの“さん”は、先代の小さんの“さん”だ!」って。後付けなんですけどね。ネタでよく言ってるのが、小さいに治めるに漢数字の三でおじさんにしようと思った、と。そしたら小三治と一字違いで、これは怒られるって(笑)ひらがなにしようって。━ご自身も納得?楽屋でも話題になるしみんなにかわいがってもらえるとか、すごい話が盛り上がって。そしたら1人の兄弟子が「当人の意見聞きましょうよ。こいつがどう思ってるかわかんない」って。でもそんな盛り上がってる時に「おじさんは嫌です」って言えないじゃないですか。だから「ありがとうございます」って言って(笑)その場で女将さんが落語協会とかに「ごん六からおじさんに変えました」って連絡(笑)ただ、必ず電話口で「は?」って言われてるんですよね(笑)━親しみやすい感じもしますけどだから本当は名前に助けられましたね。名前にインパクトがあったせいでいろんな方におじさんって名前は覚えてもらえましたし。ネタ帳とかもおじさんって書いてると、違う団体の師匠たちからも「君がおじさんか!」と言われたりします。よかったですね。今でも半分の人がおじさんって言います。雲助師匠とかは、最初会ったとき「おじさんです」って挨拶したら一番がっかりされたんですよ。「なんだお前か。お前全然おじさんじゃねえじゃねえか」って(笑)「期待したのになあ」って言われたんですけど、二ツ目になってマジマジと顔見られて、「お前名前何になったんだっけ?」「さん光です」って言ったら、「お前さん光じゃねえよ、お前おじさんだよ」ってすげぇ言われて。本当にありがたかったですね。二ツ目昇進が決まったら周りが勝手におばさんとかね、おじいさんとか、勝手に話し合い始めるんです。楽屋で。本当にありがたい名前でした。━そして2013年に11月、さん光にもう4年経つんですね。二ツ目から真打になるより、前座から二ツ目になるほうが一番嬉しいって言いますからね。やっと師匠ん家に行かなくていいじゃないですか(笑)名前は、師匠の二ツ目時代の名前なんですよ。うちの弟子も名乗ったんですけど、それを私がまたもらって。ちょっと困っていることもあります。欲しかった名前の一つなんですけど、ただ欲しかっただけ。なってからやたらと周りの人に「師匠から期待されてるんでしょ」みたいな感じで言われます。━趣味がおしゃれということですが、今日の着物のポイントは?これは一番最近作った着物なんです。最近感覚がおかしくなってきて、高座で使う着物は、どんなに派手でもどうにかなるっていう。思い立っちゃって。着物屋さんが「これどう?」って半分しゃれっぽく出してきたのを「いいっすねー」って。だから兄弟子も半分笑いながら、「うーん、わかんない俺には」って言われました。着物屋さんも「笑えるぐらい派手よ」って(笑)自分的にはすごい気にいってるんですけどね。顔が地味なんで。ちょっと着物ぐらい派手でいいかなって。━眼鏡もこだわりのもの?顔が地味なんで(笑)クラシカルな眼鏡をチョイスするようにしてます。前座の子とかマル眼鏡とかしてますし、若者風なのはできないんで。でも高座はやっぱり取りますね。古典やるにあたっては眼鏡はちょっとNGなんで。なんかやっぱり出来るだけ顔とか着物もそうですけど、ニュートラルな状態にしてないとお客様の想像に邪魔になるから眼鏡は外すようにしてます。扇子はこだわってないですけど、水玉模様が好きなんですよ。今日は草間彌生の手ぬぐい。汚れてますけど、かなり使ってるんで。こういうのを使うようにしてます。自分の手ぬぐいも水玉なんです。水玉の手ぬぐいを染物屋さんにお願いして。━他の趣味は音楽聴く。ジャンルで言うとロックとかパンクとかが好きだったんですけど、最近もうちょっと大人っぽいものも聴いてみたいなという思いはありつつ・・・全然動いてないんですが。今年の夏初めてロックフェスにも行きました。上方の噺家の桂優々さんって方に連れてってもらって。━二席やっていただいた感想は?まだまだだな、と自分でやりながら思いました。緊張しちゃうと間違えるし。一か所間違ったし。取りあえず自分のメンタルの弱さを来年はどうにかしたいなと思いますね。改めて反省しました今日。本当にありがたいなと思ってね、こんな機会もらえるのは。━配信という意識はありましたか?やりなれてる噺をやろうとは思って。さっき一蔵兄さんがカメラ目線で枕を喋ったって言ったでしょ?だから俺もやってみようと思ってやってみました。こないだ1回『ミッドナイト寄席』に出させていただいた時、最後のトークで怖くてカメラ目線ができなかったんですよ。なので今日は思い切ってカメラの赤く光ってる点を見てみようと。それだけ成長しました(笑)━目標は?寄席に出ている権太楼に憧れて入門をお願いしたので、寄席に行けば観られると思われる噺家になりたいです。柳家さん光動画一覧はこちらから

柳亭市弥さん インタビュー

1984年2月10日生まれ。東京都出身。━入門されたのは?23歳ですね。もう10年やってるんですね・・・。昔からお笑いが好きでした。お笑い番組って、僕らが子供のころは今よりもっとあって。そういうのを見て育っているので、そういう道に進めたらなと、ぼんやり考えてました。それで、1人で何かできないかなと思った時にうちの師匠の高座観て、「あ、この人すごいわ…」って思って入ろうと思いました。━直接師匠のところへ?そうです。私の場合は1回就職していたんですよ。地元は東京なんですけど、会社から「君は1年目から大阪で働いてもらうから」って言われて大阪行ったんですよね。でも、知り合いもいないし、知人もいない、友達もいない…。そしたらたまたま大阪で師匠の公演があって、もうここしかないなと弟子入り志願しに行きました。「まだ仕事してるんですよ」って言ったら、「大阪で言われても困るし、まあまあ」みたいな。で、本格的に仕事辞めて、改めて新宿の末広亭で出待ちしてたら「大阪で会ったおめえか」って。覚えてたというか「ああ、そういやぁ、そんな奴いたな」って感じ。で、飯食いに行って、話聞いてもらえて、そこからですね。初めに会ったときから「お前、いつから来られるんだ」って話をされて、たまたまタイミングも良かったんですよね。なので、「親ちょっと連れてこい」ってとんとん拍子になりました。━入ってからもとんとん拍子?入ってからは苦労ですよね。まあ、一歩一歩ってことです。そんなとんとん拍子に落語が上手くなったとか、とんとん拍子に前座生活を送ったとかないですね。苦労の連続ですから。前座修行も入った師匠それぞれ。うちの師匠のリズムが僕の中ではすごい合ってたんで、たまたま。だから苦労はしたけど辞めたいなって思ったことは1回もない。むしろ社会人の仕事のほうがめっちゃ辛かったんで、なんて楽なところなんだろうって感じがしました(笑)うちの師匠のとこは前座って住み込みじゃないんですよ。だいたい毎朝通って、掃除、洗濯、ご飯作って・・・。で、師匠起きてきたからご飯の準備、支度して師匠が寄席とか出掛ける前は、身の回りのことやってっていう。で、うちの師匠は、「ちゃんと言われたことやったり自分でこれやっておしまいってなったら寝ててもいい」って言うんですよ。「電話とか人が来たら応対しなきゃいけないけども、それ以外ちゃんとしっかりできるんだったら寝ててもいいぞ」って。こんな世界あります?みんなが一生懸命働いて、そのさなか寝てられるんです。だから、すごいいいなって。楽じゃないですけど。━前座時代のお名前は「弥」の字が今とは違う「也」なんですね?うちの師匠は昭和歌謡が好きなんですよ。岡晴夫とか。藤山一郎とか。戦前戦後の歌が好きなんです。それで、昭和歌謡を代表する三橋美智也の“也”を前座の時につけてもらいました。本当は前座の時から弥生の“弥”をつけたかったんですって。でも「前座で弥生の“弥”は偉そうだから」ってのを聞いていたので、「じゃあ二ツ目になったら弥生の“弥”にしましょう」って師匠に言ったら、「じゃあそうしよう」と。出世魚じゃないですけど、前座から二ツ目に上がるときに名前変えるのは出世するためにいいんだよって言うんですけど、僕の場合、読み方は一緒で漢字だけ変えちゃったって感じですね。本当にいい名前をつけてくれたなと思います。━それから早5年。今思うとあっという間ですけど・・・本当に二度と前座には戻りたくないなって思います。二ツ目で5年やりましたけど、面白いっすね。何がつらいって、休みがないんですよ。それこそ、毎朝師匠のうちに行く。それと前座さんは必ず寄席っていうところで働かなきゃいけない。都内に寄席4軒あるんですけど、そこで昼と夜ってシフトが違うんです。で、10日ごとにシフトが編成されてて、「この10日間はアンタあっちの寄席で昼席入りなさいよ」「次の10日間はこっちですよ」って必ず前座が寄席に行かなきゃいけない。だから365日寄席があるんで休みがない。寝られないし、とにかく眠い。寝てるんですけどね(笑)うちの支度が終わったら寄席とかに行かなきゃいけないし、寄席だとずーっと9時くらいまでやって、打ち上げついてって、帰ってくるのが深夜1時とか。で、また朝8時くらいに師匠のうちに行かなきゃいけない。そういうので寝られない、眠いっていうのがありますね。━今回の『金明竹』の早口言葉に点数をつけるとしたら?100点満点で2点(笑)前座話なんですよね。寿限無の長い名前とかも言い立てって呼ばれるんですけど。ああいうのって年取ってからだと覚えにくいんですって。なので、そういうのは前座のうちに覚えといてっていう。早口言葉なんでレッスンにもなるじゃないですか。そういうので前座のころからやってますけど、上手くならないですね。同じ噺でも同じにできない。日によって違うし、お客さんによっても違う。━趣味は散歩・麺類紀行とありますが麵に限らず食べ歩きですね。タイ料理が好きなんですよ。ガオマンガイとか、あとはカレーとかかな。スパイシーなものが好きです。あとは、むしゃくしゃしたときはステーキをバカ食いしたりとか、ありません?甘いもの食べたくなるとか。そういうのが僕は食なんです。お酒飲むのも好きですね。ついこの間も正太郎兄さんに連れていってもらったんですけど、おいしいお酒をしこたま浴びるように飲みました。━すごく綺麗な色味のお着物ですねこういう明るいやつだと色っぽいなっていう。今日の二席目の紙入れみたいな、おかみさんとアハハ、オホホみたいな感じの噺だと合うのかなと。やっぱり着物は噺によって変えたほうがいいかもしれないですね。10着くらいは持ってます。自分で仕立てる場合と、「是非これで仕立ててみて」みたいなお客さんもいらっしゃったりとかして。今着ているのはお客さんからいただきました。やっぱり表に配信されるから、その方に向けても着ています。あざとくゴマすって・・・またじゃあ買ってあげるわ、みたいな(笑)━最後にメッセージを若手なのでまだまだ勉強不足なところがありますし、今日の『金明竹』とかはちょっと申し訳ないなという感じなんですよね。もうちょっと言い立てをもっとね、ハキハキ喋れたらなと思うんですけど、やっぱり寝不足でしたね。けどやっぱり、ああいう噺好きなんですよね。『金明竹』ってなんか馬鹿馬鹿しいじゃないですか。上方の人も与太郎さんの女将さんも全員罪がない。ああいう罪がない噺って好きなんです。滑稽話みたいなの好きですね。なので、今日はちょっとワーッと明るく演じられたらよかったなと思ったんですけど・・・2点かな(笑)でもまあ、明るく勉強させていただいたのでよかったです。━これからの目標は?やっぱり得意なネタを増やしていきたいですね。今、80くらい覚えているんですけど、真打になるまでには100以上覚えなきゃいけないんで。覚えなきゃいけないわけじゃないんですけど。それでふるいにかけてどれくらい残っているかですよね、自分の得意ネタというか好きなネタが。そういうネタをどんどん増やしていって、難しいネタにも挑戦していきたいと思います。明るく元気よく演じられたらいいなと思ってます。柳亭市弥動画一覧はこちらから

雷門音助さん インタビュー

1984年2月10日生まれ。東京都出身。━おつかれさまでした。今日の高座はいかがでしたか?いい雰囲気で、普段と違って面白かったです。引き締まる思いがしました。━静岡県藤枝市のご出身ということで。高校卒業の18まで静岡にいました。大学は京都だったので4年間京都にいて、ちょっと地元で働いて、それから23で東京に出てきて、24で楽屋入りですね。入門したのは23の終わりでした。━落語に興味を持たれたきっかけは?普通に漫才とかコントとか全般が好きで、でも田舎なので別に生で見に行くわけでもなくて、普通にテレビで録画して見るとかそのレベルでしたね。新喜劇とか。で、高校くらいになってNHKの落語とか見て。「日本の話芸」とか「笑いが一番」とかですね。10分くらい落語の時間があったんですよ。興味を持ったのはその時ですけど、もちろんやろうとは思ってませんでした。━やろうと思ったのはいつ、なぜ?強制的にですね(笑)勧誘されたんですよ。落研に勧誘されてしまって。落語研究会って言ってるけど「落語やりませんか」って言ったら入ってこないんで「お笑い興味ありますか?」ってビラ配られたんですよ。で、「あ~!好きです!」って言って。でもそれはやるのが好きじゃなくて見るのが好きだったんですけど。でもなんだかんだ、ご飯食べさせてもらって・・・あのパターンです。抜け出せなくなったパターン(笑)みんないい人たちで面白かったんで、同級生とか学部の人とは話が合わなかったけど、部活の先輩たちや後輩とは話が合うからそっちばっかり夢中になってましたね。結果的に楽しかったです。━落研の時の高座名は?全然面白くないですけど、江戸川志ん茶っていう。恥ずかしいですけど、古今亭の「志ん」を使っている人もいたりいなかったり。変に古いルールで、前の人の字から1文字取らなきゃいけない、みたいなのがあったんですけど、僕は新しい名前でした。響きが良かったので。たぶん静岡だからお茶なんだと思います。それしかないですよね。あと芸名は水物がいいっていうんで。加藤茶さんとか。仲本工事さんは違う漢字だったのを、いかりやさんが「なんか水使う字に出来ないかな」って工事にしたって聞きましたよ。━で、入門のきっかけは?社会の中で生きていこうという気持ちがありました。当時は。ある意味、落研を辞めてから落語を聴かないようにしていたんですよね。もういいやと思って。そしたら半年くらい経ってからなんか聴いちゃって。やっぱり仕事疲れて帰ってくると自分の好きなものを見たい欲があって。それでコントのDVDとか見てて、そういえば最近落語聴いてないなと思ったら止まんなくなって(笑)で、やりたくなっちゃったんですよね。やるなら入門しないとだめだと思ったんで。━で、師匠を選んだ理由は?浅草の寄席に行ったときに出てて・・・ちょうどその時、入門したいな~みたいな。好きで通ってたんですけど、ちょうど狭間くらいの時で。師匠が寄席の人なんですよね。寄席っぽい感じ。寄席のにおいがするんですよね。他にも踊りもあったりいろいろ芸があるんですよ。師匠の若い時って、一門で三人羽織っていう、人形噺って僕らは言うんですけど、右手と左手が後ろで隠れて違う人がやるんですけど。うちの大師匠と、現在のうちの師匠が右手やってて、おじさん師匠の雷蔵師匠が左手をやっていたんですよ。で、そういう映像が、NHKの”懐かしの映像”みたいな番組があったのは高校生か大学生かわかんないですけど、そういうのをずっと録っていたんで記憶にはありましたね。だからそっちが先ですね。師匠の右手しか見てなかったですけど。出会いは「右手綺麗な人だな~」です(笑)それは痛烈に覚えていますね。━入門まではスムーズでしたか?他の人に聞く限り、僕はスムーズなほうだと思いますね。新宿の夜のトリで、次の日が昼間の独演会だったんですよ。で、ここしかないと思って。まだ静岡にいて土日しか東京に行けなかったんですけど、職場にはもう10月の末に辞めるって言ってあって。でも間を空けるのは怖かったんで、ホームページ見てたらちょうど10月の中席に師匠がトリ取ってて。もう会社辞めるし、辞めるって言ったし、引き継ぎ期間に入ってたんですね。前職は信用金庫だったんですけど。ずっとおばあちゃんの話聞いて、年金うちで受け取ったら落語会ありますよ~って落語会の案内してました。年金受給者向けの落語会ですね。━それから24歳で前座楽屋入りですねそうですね。1月下席の新宿から楽屋入りして、ただ、芸協は楽屋に入った後の見習い期間ていうのがあるので正式な前座ってカウントされたのは2月下席の浅草ですね。━その後4年を経て二ツ目にちょうど4年ですね。ほぼ楽しいんですけど、戻りたくはないです。まぁ、協会の違いはあると思うんですけど、僕は寄席の楽屋で師匠たちの表と裏を見るのが面白くて好きなんで。前座でも師匠たちと喋れるようになって、あの楽屋の空気が好きでしたね。だから、そういう意味では行きたくないってことはなかったです。甘かったんでしょうね(笑)━しくじった経験とかなかったですか?あるんでしょうけど・・・最初、師匠の仕事に時間が・・・。営業とかって12時にお客さんと約束してたら12時に行けばいいじゃないですか。でも、12時に来いって言われたら11時半にはいなきゃいけない。今考えれば普通なんですけど、それをちょっと言われたっていうくらいですね。いや、他にも絶対あるんですけど、感じない(笑)寝たら忘れるんで、引きずらないんです(笑)━お名前はずっと音助さんで?前座の時からずっとですね。変わる予定もないんじゃないですかね?まぁ、昇進のタイミングで、あればっていうかんじですね。━芸名の由来は?一応二代目だと思うんです。数えられるのは二代。初代は四代目の三遊亭圓遊師匠が六代目助六の弟子だったんですよ。で、雷門音助ていう前座名だったみたいですね。まぁ代数いっても前座の名前なのでね。━師匠がつけてくださった?一回本当は助三郎になりそうだったんですけど。実際に六代目のお弟子さんでいらっしゃたみたいなんですよね。だから、いる中でつけようってなって、助三郎って言われたんですけど、助三郎か・・・おじいさんっていうか完成形だな・・・って思って、「いや~そうっすね~」ってやんわり濁して(笑)一番最初は考えて来いって言われたんですけど思いつかないんで、そしたら「じゃあ助三郎でどうだ」って。まあ見習い期間中で時間もあったんで、兄弟子が家来たときに3人で「名前つけなきゃ」ってなって、兄弟子がいろいろ雷門の一門にいた名前をバーッて出してくれて、その中で音助。自分で選んだというより、「音助いいじゃないか」って感じになって。僕はでも圓遊師匠がつけてたの知っていたんですけど。圓遊師匠大好きです。働いて初めて落語聴いたのが圓遊師匠だったってのもあります。たまたま縁があったんですかね。あったと思いたいですね。━好きな食べ物が蕎麦と・・・すあま?すあまってご存知ですか?和菓子の。すあまはですね、それこそ知らない人も多くて、ういろうとの違いがわからないとか。ういろうも大好きなんですよ。なんか、果てしなく同じ味っていうのが好きで。潔い感じが(笑)大きいのから小ぶりのまでいろいろあるんですけど。甘いもの好きなんで本当はもなかも好きですね。蕎麦はうまい蕎麦屋が好きなわけじゃなくて、蕎麦が食えればいいっていう。立ち食いでもちろんいいです。なんだったらコンビニの温めるやつでいい。カップ麺でもいいし。乙じゃなくて、ただ蕎麦を欲すっていう。あのつゆが好きで、だから蕎麦が好きって書いたんですよね。でもプロフィールを二ツ目になって書いたら、みんな差し入れすあま。すあまのほうが引っかかったんでしょうね。あんまりないから。━すあまが好物って人に初めて会いました(笑)レジ横に置いてあったりすると、欲しているときは買っちゃいますね。でもこうやって貰うようになったんであんまり自分で買わなくなりましたね。製造方法が違うんですよ。粉が違うみたいですね、ういろうとは。━勉強します(笑)それでは最後にこれからの目標を聞かせていただけますかわからないな・・・なんですかね・・・落語を上手くなれたらいいですよね。億ション買いたいとかないし。みんななんて言うんですかね?テレビ出たいとかですかね?自分には無理です。ん~。ちゃんと落語を聞いてもらえるようになりたいです。正太郎兄さんとさん光兄さんの言ってた目標のちょうどあいだくらいでいきたいですね。(笑)うまく編集をお願いします(笑)雷門音助動画一覧はこちらから

柳家ほたるさん インタビュー

1976年10月5日。東京都出身。━師匠・柳家権太楼を選んだ理由一番いつ見ても面白かったから。寄席とか観に行くと、正直、今日はいまいちだなって思う人いるわけじゃないですか。その中でうちの師匠はいつも面白かった。ムラが無いっていうか、必ず笑ってました。だからこんな面白い人の弟子になったらなんて素晴らしい人生が送れるのかな、そばにいたいなと。━師匠とのエピソード入門して初めて師匠と地方に行くときに、兄弟子に「師匠とご飯一緒に食べるとき、なんでも好きなもん頼んでいいぞって言われるかもしれないけど、そのときのメニューで一番安いのを頼め」って言われたんですね。「とにかく前座でも見習いだから安いの頼め」って。で空港行って蕎麦食べようってことなって、「なんでも好きなもん食べていいぞって」言われたんで、メニューを見たらとろろ蕎麦が一番安かったんです。普通の蕎麦がなかったんです。だから「とろろ蕎麦」って言ったら、師匠がいきなり「コノヤロー!」って言って。「前座にもなってない野郎がとろろなんて、なに生意気言ってんだバカヤロー!」ってすっげー怒られて。あーこれから2泊3日きついなって思ったんです。で、北海道行ったらラーメン食おうって。そこでも「なんでも好きなもん頼んでいいぞ」って言われたんで「ラーメン」って言ったら「バカヤロー!こういう時は本当に好きなもん頼め!」って怒られて。どっちなんだよって。ただ今考えると、師匠はいいですけど、例えばお客さんにご飯連れてってもらったときに「なんでも好きなもん食っていいぞ」って言われたら本当に好きなものを頼んでいいのか。「高いものを頼め」って言われたときに一番高いのを頼んでバカ野郎って思われるか。それとも遠慮するのか。向こうがどう言っているのかを読めってことだと思うんですよ。多分そのことを教えたかったんだと思いますけど。━一押しの趣味絵描くのと、ギターとかカメラは昔から好きで。最近は絵を描くのすごい好きです。いろんな絵描くんですけど、これもそう。グッズになってたので元々その色紙を求められることが多くて、字下手だから、じゃあ色紙に絵描こうと思って。猫好きだから、猫の絵描き出したら、業者さんから「グッズ出しませんか?」って。だから最近すっごい絵描いてます。━今回の演目について配信の方は『垂乳根』というお噺。一人で妄想で暴走するとこがあるんです。あれが最近やってて楽しいなって、やりました。もう1つ『疝気の虫』ってのは、ちょっと下ネタなんですけど。放送で下ネタやったら面白いかなと(笑)そんな理由で。だってさっきプロデューサーに好きなことやっていいよって言われてそれを選びました。だから、下ネタで嫌だなと思ったらすいません。━視聴者へメッセージとりあえず生で聴いてほしいです。私じゃなくてもいいんですけど。寄席でも落語会でもなんでもいいから、配信とかテレビも大事ですけど生で聴いてもらいたい。地方でも落語会やってるし、東京は寄席があるし、取りあえず怖がらないで寄席に来てください。柳家ほたる動画一覧はこちらから

春風亭昇々さん インタビュー

1984年11月26日生まれ。千葉県出身。━会社勤めと同じ感覚で入門高校ぐらいまでは落語は聴いたことがなくて。ラジオで流れてるのを「なんか落語流れてるなー」とかって。最後まで聞けないっていうか、眠くなるようなお話ってイメージはありましたね。大学が関西なんですけど、なんかサークルに入ろうってことで、声掛けられたのが落研だったんですよ。大学4年の時にみんな就職活動する中で自分はどうしよっかなぁって時に、やっぱり落語好きだし噺家になろうかみたいな。就職先の一つとして考えてました。だからみんなが会社勤めするのと同じような感覚で、みんなはどこどこの会社、この人は家を継ぐ、僕は噺家、みたいな感じ。━師匠・春風亭昇太のこと師匠がテレビでやってた『壺算』のビデオが面白いからって貸してもらって、それを観てたらすごいマクラも噺も面白くて、それから師匠の落語をちょくちょく聴くようになって。創作落語も面白いし、自分のやりたい形に近いっていうか。前座の頃は結構師匠も厳しく教えてくれてあんまり喋ってもらえなかったんですけど、二ツ目になったら結構優しくて。二ツ目になって怒られたこと1回もないですし、まあ前座の時もないんですけど。僕、一門で唯一師匠に怒られたことないんですよ。何だろう、普通にしてるだけなんですけど。師匠は山城が好きなんで、よく落語会の前に連れて行かれましたけどね。「俺は城見てから会場入りするけど、お前どうする?」って言われたときに、「僕は城行かないで一人で会場入りします」って。で、高座で「師匠に城誘われたけど、それが嫌だ」みたいなことを喋ってたら「二度とあいつ連れてくもんか!」って。冗談ですけど(笑)それ以来師匠と城に行くことはなくなりました。━将棋ウォーズとひふみんのことすごい好きで将棋ウォーズ。居飛車、振り飛車でいうと僕は居飛車ですね。僕はもう守りに入らず、攻め攻め。ずっと飛車を進めて棒銀です。棒銀とか言えるほどじゃないんですけど。加藤一二三九段を見てからかな?それがきっかけで結構やってますよ。「FRaUのうなぎ部」っていうウナギを紹介する企画があって、部長がひふみんで、僕は部員でうなぎ紹介するっていう。ツイッター上で実は友だちなんですよ。お会いしたことないんですけど、僕のツイッターをリツイートしてくれたりして。あと女流棋士の香川愛生さんは、ある番組で隣に座ってたから話しかけたんですよ。「将棋ウォーズやってますよ!」って。「プレミアム会員で」って。それで友達になって、ツイッター上でメールしたりします。━お年寄りに愛を込めて「待ちわびて」『待ちわびて』は僕が作った噺で、配信なのでぶっ飛んでたほうが面白いかなってことで選びました。マクラでも喋ってますけど、かわいいお年寄りが好きっていうか。どんどん子供に戻っていくと思うんですよね、年が経つと。僕はやっぱり一番子どもってすごいっていうか、そこにいるだけでみんなかわいいって思うし、みんな笑うじゃないですか。師匠たちもそうで、そこにいるだけでほんわかするし、なんか一言言うだけで笑いが起きたりとかする。そういう風になりたいなっていうことで。お年寄りをバカにしてるんじゃなく、すごく愛を持って僕は演じてます。突然「バイオハザードやりたい」とか言い出すってお年寄りあるあるっていうか、子どもあるあるっていうか、結構考えて作ってるんで。落語っぽくはないと思うけど、自分なりに大事にしてるものを詰め込んで作った噺です。━古典落語と落語現代に着物を着て一人で世界観を表すって、すごいクールで素敵じゃないですか。日本的ですよね。将棋もそうだし、日本刀も生け花もiPhoneも、ミニマムなものが美しい。みんながもっと創作をやればもっと聴くようになるんじゃないかなと思いますけどね。落語はぬるま湯に漬かってる。古典落語があって、それをみんなで使って、お客さんもそれ求めてるし、いいじゃんこれでって。ただそれだと、全員が聴くものではない。好きな人だけのものになっちゃう。だから僕は『古典落語』と『落語』って言ってるんです。古典落語と新作って言われるけどそうじゃなくて、こっちが落語でそっちが古典だって。みんながそういう風に思えばいいんですけど、落語を作れる人って本当に少ないんですよね。作れなくて前座修行に耐えられる人だけが入ってくるだけで、よくないと思いますけどね。ってこんなこと俺が言っても(笑)━視聴者に一言落語観に来た人、観に来るっていう人は本当に少ないと思うんで、是非まずテレビとかYouTubeとかなんでもいいんで、観たり聴いたりしてほしいなって思いますけどね。“伝統芸能だから勉強しよう”って人が多いんですけど、そういうこと別に考えなくていいと思う。面白いから聴いて、つまんなかったら聴かなきゃいいだけの話。取っ突きにくいものじゃなくて、“どんなもんなのかな?”みたいな。夜寝るときに聴くと眠れたりするんで、そういう身近なものになればいいと思います。春風亭昇々動画一覧はこちらから

三遊亭とむさん インタビュー

1984年11月26日生まれ。千葉県出身。━落語家になろうと思った理由掘り下げて言うと、お笑い芸人やってて当時事務所に今の二代目林家三平師匠がいて、三平師匠の落語会を訪ねて行ったんです。そしたら小朝師匠がいらっしゃって、「落語をやりたかったら言いなさいね」なんて声をかけてくださって。そこからちょこちょこ落語を意識していました。やっぱりお笑いやってたんで落語を観に行ったりすることがあって、やっぱり落語すごいなっていうことが分かって・・・っていうところから、小朝師匠に落語教えてもらったりとか。そりゃあもう素人として教えてもらって。そしたら小朝師匠に「これからどうしたい?落語どうする?」って言われて「続けていきたいです」と。「じゃあ落語家になっちゃえば?」「えっ?」みたいな。「スカウトですか?」みたいな。「いや、私の弟子は無理」って言われて「どういうことですか?どういうことですか?」「いやー君みたいのは無理だけど」「うーんちょっと考えます」なんてちょっと不思議なきっかけだったんですけど、うちの師匠の好楽を紹介してくださって、っていうとこが最初になります。━師匠とのエピソード師匠は本当に落語界きっての、一番優しくて、あとからわかったんですが一番いい加減な師匠なんで(笑)入門志願も紹介ってこともあってか、喫茶店で待ち合わせっていう大分ラフな入門志願でした。それこそ名前聞かれて、生年月日聞かれて、次の質問が「お酒飲める?」みたいな。で「何飲むの?」なんて言われて「生ですかね~」みたいな。「焼酎は?」「飲みます」「ワインは?」「飲みます」「ウイスキーは?」「飲みます」「日本酒は?」「飲みます」「じゃあ入門!」「えー!?もうそれでいいんですか?」みたいな。最初は本当に入れていただけたのがすごく嬉しかったし、そういう形でトントントンと進んで、やっぱりうちの師匠はとにかく優しいのでさっきの話じゃないですけど「とにかく落語界はちょっといい意味でこりかたまったなところがあるから、そういうのを壊せるような人になりなさい」みたいなことを言ってくださって。とはいえこっちは転身させてもらったんで、ちゃんとやんなきゃと、そういうのはすごくありました。そういう意味では優しくて、あんまり怒られたこともない。まあその分師匠の女将さんがめちゃめちゃ怖い(笑)師匠の女将さんの方が師匠みたいな。━趣味はマラソン週2回ぐらい皇居走ってます。1、2周ですけど、一応自分の中で決まってて1キロ4分なんですよ。で、20分超えるともう1周走んなきゃいけないっていう地獄のアレを課してるんで結構つらいんです。フルマラソン前とかは25キロとか5周ぐらいは走ったりとか。体系維持もありますし、もともとオールスター感謝祭の赤坂五丁目マラソンに出たくて、あそこで1位を獲りたくて。で、出れなくてただ無駄にちょっとマラソン早いやつみたいになってて今。でも一応今もそこに出たら一般男子のハンデ無しだったら優勝できるペースでは落とさないように走ってます。━今回の演目についてまずジャスティンビーバーの方は、なんかやっぱり落語のフォーマットで勘ちがいの落語なんかないかな~ってとこから始まって、なんとか短くR-1とかでもできるような落語ないかな~と思って作ったのがあれです。そっから段々とやりつつ、段々変わっていったみたいなもの。結構若い人、それこそ学校寄席なんかでもやったりしてて、一発目って結構「落語ってどんなもんなんだろう」って観るから、構えてるところでそういうのをやると「意外と面白いんだ!」みたいに思ってもらえるので、入り口には結構使いやすいなと思ってて。まぁ、パッと観たときに「こんな落語もあるんだ」って思ってもらえるような形にはなってます。で、もう一つの「ヨイショ太郎」の方は、自分が結構ヨイショばっかりしてるんで、なんかそういう自分の地の部分というかそういうのも出せたらいいなぁなんていう。太鼓持ちの話。やっぱり落語のフォーマットって凄いなと思うんですよ。先人たちが作ってきた設定力とか、あと起承転結力とか。今のそれこそM-1とか漫才のレベルもすごく上がってて、正直アスリートの大会みたいな。それぐらい本当にみんな、すごい削って削って労力で作られてるんですけど。でもやっぱり紐解くと、落語のフォーマットがベースになってたりもするのもあるし。だからそれがやっぱり、日本人の心にあるというか、日本人が笑いやすいフォーマットになってると思うので。やっぱりそういうベースを作りたいな、っていう風に思ってて。だから今日の「ヨイショ」なんかも太鼓持ちの落語で師匠方がよくマクラで使う「一八いい天気だな」「いい天気ですね」「雲が出てきたよ」「雲が出てきましたね」みたいなアレを観てて、これをなんか現代版できないかなっていうのが最初のきっかけ。そういうところを観てもらえばいいなと。あとは、太鼓持ちっぽい今のサラリーマンが出てきててボルダリングやるところとか、ちょっと昔の古典落語っぽい要素も入れてるのでそういうところを観てもらいたいなあとは思います。三遊亭とむ動画一覧はこちらから

田辺銀冶さん インタビュー

1983年1月24日生まれ、東京都杉並区出身━身だしなみ赤い袴って巫女さんとか神社のイメージがあるのでいいかなと思って、古事記や神話をやるときはつけるようにしています。今日の着物は単純に青が好きだから。私服も青で気合いを入れてきました。かんざしはあんまり種類を持っていなくて、これも頂き物。髪型はセットをしてもらいます。━海外へ遊学母親が講談師なので講談は子どものころから。うちの一鶴師匠が子ども好きということもあって、子どもの頃にアマチュアとして一鶴の弟子で活動していました。だけど、そうこうしているうちに段々と講談から気持ちが離れていき、一度講談の世界を離れて海外へ遊学に。ワーキングホリデイビザで3、4年行ってましたね。全く英語が出来なかったので語学学校にも通って、アルバイトをしたり、旅行したり。講談師ってことも隠してました。だって講談師って言っても通じないでしょ。英語では一応ストーリーテラーなんですけど、外国旅行の時に「私はストーリーテラーです」って書いたら税関ですごい長く止められて(笑)「どんな内容の話をするんだい?」とかって訊かれて、お商売の占い師みたいな人と勘違いされたんです(笑)5、6年でも戻るっていうのも全く決めていなかったですね。━転機最初はニュージーランドに行って、ちょっとオーストラリアに遊びに行ったりとか。そのニュージーランド時代は最高に楽しくて、「私はもう日本には帰らない!ニュージーランドのほうが合うからこっちで暮らそう」と思っていたんですよ。それからニュージーランドでいろんな国の友人ができて、その中でも韓国に興味を持って、ちょっと韓国も行ってみようかなと。で、ワーキングホリデイビザで韓国に行ったら、ニュージーランドであんなに楽しかったのに全っ然楽しくなくて。そこで初めて目が覚めたんですよね。こんなにいつまでも海外ふらふらしててもしょうがないなって。それでまた講談の世界に戻ってきました。結果としては韓国に行ってよかったですね。何にもしないでただの引きこもりみたいになってましたけど(笑)韓国に行っていなかったらたぶん今は講談師をやっていなかったでしょうね。どっかフラフラしていたんじゃないかな。━韓国語で講談海外での経験が芸に生かされているかどうかは全然わかりません。でも一度、韓国語講談のオファーはありましたね。場所は日本なんですけど、韓国と静岡市が姉妹都市を結んでいて、その周年記念の式典で昔の韓国と日本のつながりの歴史を講談にしてしかも韓国語でやってほしいって。すごく難しかったですね。台本は自分で書いて、それをいろんな韓国の知り合いの人にお願いして何人かに訳してもらって、テープに吹き込んでもらって、カタカナで書いて、本番はそれを見てやりました。なんせ引きこもり生活でしたので韓国語は喋れなかったです。挨拶程度はもちろんできますけどね。言ってることはなんとなくわかるんですけど、やっぱり全然喋れないし細かい発音とかも全然わからない。込み入った話はできないです(笑)お客さんは韓国の方と日本の方の半々くらいだったんですけど、結果は好評でした。━講談への気持ち高校1~3年まで講談協会で前座修行をしていたんですが、私はもう辞めたくなってしまって母に相談をしたんですね。「辞めてどうするの」と聞かれて、「働くか、大学に行くかしようかな」と答えたけど特にはっきりとした意思があったわけではなくて。そしたら「特に目的が決まっていないなら、せっかくだからどっか行ってきたら」と言われて、じゃあ行ってみようかな、って。母からの勧めで外国に行きました。日本に戻ってきてからは、海外に行ったときに日本のことを何も知らなくて恥ずかしい思いをたくさんしたので、海外が好きだからこれからもたくさん海外には行くだろうけど、それまでにもう一度ちゃんと日本の文化を一つでも身に着けておきたいなと思ったんです。それで一番身近な文化が講談だったので、もう一回ちょっと講談をやってみようかな、と。その時はまだ割と軽い考えで師匠の一鶴のところへ行ったらさすがにすぐには許してくれなくて。1年半くらい鞄持ちをしながら、自分の経験をもとに初めて作った新作講談を師匠に聞いていただいたとき「よし、お前のやる気を初めて見た」って言ってもらえて、それがきっかけで2006年11月に復帰をしました。━師匠の死去後、母・鶴瑛の門下へ2011年に二ツ目になってからもう6年が経ちますね。あっという間でした。二ツ目になったら好きなことができるからすぐに売れるつもりだったんですよ。今でも模索しています。どうすれば~日々頑張っています。でも実際は難しいんだなっていうのがよくわかりましたね。今でも模索しています。どの棚からぼたもちが落ちて来るかな~って。━世界で一番派手な講談師になりたいツイッターかなんかにそう書きましたね(笑)あんまり深い意味はないんですけど、基本的に華やかなものが好きなんです。そう書いた当時はいろいろやっていました。エレクトリカルパレードみたいな講談を作ってみたり、自分でしょぼい電飾を着物につけて踊ったりとか(笑)そうやっていろいろやっていたころにそのアカウントを作ったんでしょうね(笑)華やかなものは相変わらず好きですよ。━目標師匠がオリンピックで世の中へ出たので、2020年東京大会は師匠が与えてくれた大きなチャンスだと思っています。今回『爆裂お玉』の中でもさわりをやっていますが、一鶴作のオリンピックの国名は94か国なので、早く2020年バージョンに更新したいです!国も増えていますし、国名もだいぶ変わってますから!それが目下の目標でございます!田辺銀冶動画一覧はこちらから

立川三四楼さん インタビュー

1976年2月3日生まれ、愛知県名古屋市出身━面白い人生を送りたい落語家になった理由ですよね。SFが好きで、SF作家になりたかったんですね。小説家ってなるのが難しそうじゃないですか。基本的には新人賞取ってデビューみたいな。デビューするまで何年かかるかもわからない。でも落語家だったら入門すればとりあえず落語家になることはできるっていう。スタートラインに立てる。落語って新作もあるんで、落語でSFやればいいんじゃないかなと。実際に新作でいくつかSFのものを作ったんですけど、一部では好評で、一般にはウケない(笑)もともとお笑いが好きだったんですよね。でも落語はあんまりよくわからなかったんです。落語は伝統芸能だから安定してるみたいな、普通のお笑いよりは安定しているみたいなデマを信じて・・・そんな甘くなかったですね。━師匠を選んだ理由基本をしっかり学びたいというか落語の基礎を。落語がちゃんとしてるので(笑)弟子入りは割とスムーズでした。本とかで読むと何回も断わられてみたいなイメージだったんですけど、割とすんなりだったんで意外と簡単なんだなと。入るだけなら簡単。ただ続けるのが難しい。快楽亭ブラックが立川流除名という形になって立川談四楼門下に移るときは、談志師匠が「引き取ってやれ」みたいな話になったんで割とスムーズにいきましたね。5年で二ツ目になりましたけど、立川流は寄席がないんで前座と二ツ目はそんなには変わらなかったです。━自分で見つけた面白いこと小学生のときに学校の図書室で、岩崎書店の大人の話を子供向けに訳したSFシリーズってのがあって。小学2年か3年くらいのときなんですけど『27世紀の発明王』ていうやつがぶっ飛んでて。子どもからしたら27世紀とかもう未来過ぎて、なんかSFはすごいなというか、宇宙とか未来とか四次元とかタイムマシーンとかなんかもう。ぶっ飛んでて、世の中にこんな面白いのがあるんだっていうか。ただただ面白かった。先生とか大人が子どもに読ませたがる本って説教臭いなって。“よい子に育つ“みたいな。そういう本を先生とかが薦める中、SFってただ単に面白いだけじゃんって思って。自分で見つけた面白いやつっていう感じでした。で、手あたり次第に学校の図書室でタイトルに”SF“と付くやつを読み漁り。シリーズでまとまってなくて、あいうえお順に並んでて、「あ、ここにあった」みたいな、なんか宝探しみたいな感じでした。「こんなに面白いものがあるんだ」って。それで夢中になりましたね。それは中学生、高校生になってからもずっとでした。趣味っていう表現がどうかわからないですが、趣味もSFです。━独特の世界僕がおかしいんじゃなく、世の中がおかしい。僕の方が正しいんで。ただ多数派じゃないってことですよね。普通が正しいわけじゃないですか。“普通”ということは“多数派”ということですよね。多数派が正しいとは限らない。天動説が信じられていた時代は世の中の大半の人が間違ってた訳ですから。だから、普通が正しいとは思いません。━コロコロコミック目標は「おもしろ原点!とことん主義!」。これはコロコロコミックのキャッチコピーです。コロコロコミックが好きで。僕が子どもの頃コロコロコミックの全盛期だったんでコロコロ中心の生活を送っていました。子どもの遊びのブームのスタートは、ファミコンとかミニ四駆とかビックリマンシールとか、全部コロコロ発信だったんでコロコロを読んでないと付いていけなかったんです。当時の小学生9割、ほぼ全員読んでたんじゃないですかね。具体的な目標としては、新作で感動させたいです。今は滑稽話中心ですけど。もっと感動させる話をやりたいですね。立川三四楼動画一覧はこちらから

春風亭昇也さん インタビュー

1982年6月18日生まれ、千葉県野田市出身━落語家になってよかったもともと落語は趣味で聴いていました。漫才師をやっていたんですが解散して、将来漫才師を辞めるか、ピン芸人になるか、落語家になるか、それとも違う相方を見つけてコンビを組むか・・・っていう感じだったんです。でも趣味を仕事にするっていうのはちょっとどうしようかと。大変なのを知ってるんで。それで1年悩んでましたね。その1年は、先輩のライブの作家みたいなこととか、あとはバイト。それも落語会のバイトをやってました。夢空間っていうホール落語のイベント。でもその時が25歳。もし漫才やって、最終的に30歳になったときに売れてませんでした。じゃあやっぱり落語家になります。ってなると相当体力がいると。そっからまた4年の前座修行が始まるので、だったら20代後半を捨てて落語家になって、30歳になってから好きなことやろうと。そういう考え方に切り替えました。でもあのときの私の判断は間違ってなかったですね。落語家になってよかった。二ツ目になって5年。あのとき落語家になる決断をした私を褒めてあげたい(笑)1年悩んだ甲斐がありました。━前座修行結果としては落語家にならない理由を探してましたね。多分。ならない理由を見つけるために1年悩んだんでしょうね。だけど、なかったんですよ。落語家になりたい気持ちはあるんだけど、その修業の4年間っていうのが想像できない。休みが4年間ないっていうのが耐えられるか。みんなそこで挫折するんですよ。「本当は落語家になりたかったんだけど」って言う人はだいたい前座修行に怖気づいてって言う人が多い。あとは家庭の事情があるんでしょうけど。だから最初はその体に慣れるまでが大変でしたね。4年間長かったですね。特に最初の2年が長かったかな。前座も上の方になってくるとだいぶ楽なので。やっぱり最初の2年がもう永遠のような2年でしたね。━教育係・桂宮治基本的にうちの師匠とはあんまりエピソードが無いんですよ。ボケる人でもないし、弟子には結構ドライな人なので。どっちかというと僕もツッコミのタイプだから、そんなにドジやるみたいなのもあんまりないですね。そうそう、僕の教育係は桂宮治さんって人で。前座のころにめくりを揃えてて、うっかり僕がそのめくりをまたいだんです。そしたら物凄い怒られて「てめぇこの野郎!めくりっていうのは噺家の顔なんだよ!またぐんじゃねぇ!」って物凄い怒られて。で、そこから3年ぐらい。後輩がめくり揃えてるところを宮治さんがヒョーイって飛んでったんですよね。だから「おい、宮治。ちょっと待て」と(笑)それで「お前、3年前俺に言ったよな?めくりは噺家の顔だって。お前今何またいでんだよ!」って言ったら「ただの紙だよ」って(笑)━師匠とペアルック前座の頃からですけど、僕と師匠は着る服が似てるんです。地方で泊りの落語会があったときにワインレッドみたいな色のパーカーにジーパン履いてたんですよね、うちの師匠が。そしたら全く同じ格好で僕も地方行ってて(笑)しかも眼鏡かけてるから似てるんですよ。靴も同じメーカーの同じ色の、全く同じ靴を履いてたりしますし(笑)人によっては着物が似てたりすると怒る人もいるんですけど、うちの師匠はそれに対しては何も言わない。ちょっと前の独演会で舞台袖が薄暗くて、師匠が前方の僕とすれ違う時に「その羽織、黄色?」って聞くんですよ。だから「そうです」って答えたらそのままバーッて高座に上がっていって「残念なお知らせです。弟子と着物がかぶりました」って(笑)センスが割と近いんですかね。そういえばこの間着物くれるって言ってたのにまだくれないんですよね。本当どうなってるんだろうな~?!同じの2つ作っちゃったから1個あげるって(笑)━フレームは細く一応、高座用の眼鏡はフレームが細いものにしてるんですよね。ただでさえ本来邪魔なものなんでね。眼鏡をかけると目線が遮られるんですよ。お客さんから見ると私がどこ見てるのかわからなくなっちゃうんで。だから出来るだけ細いものにとは思ってます。あと反射するんでね。最近は反射を防ぐレンズにしようかなと。眼鏡は10個くらいありますかね。高座の眼鏡はこれともう一個。眼鏡の形も変えようかなと思ってますね。ちょっと今のだと真面目そうに見えちゃう。もうちょっと柔らかい印象の眼鏡ないかなと思ってます。━プロフィールをにぎやかに目標は笑点メンバーになることですかね!今は若手大喜利のレギュラーで出てますんで。どうにかこの先10年以内にあるであろうメンバーチェンジの時に食いこまないと(笑)今年の目標は「大きいところで会をやる」っていつも思ってるんですけど・・・結局やらないで終わっちゃうんで今年はやりたい。あとは大ネタをちゃんとやること。割と軽いネタばかりやってるんで、大きいネタを増やしていかなきゃなと思ってます。あとは、賞をもらいたい。なんか賞くれないかな~。獲った人が全員売れてるかっていうとそういうわけじゃないですけど、プロフィールが賑やかになる。今年はプロフィールを賑やかにしたいですね。春風亭昇也動画一覧はこちらから

三遊亭ふう丈さん インタビュー

1984年8月23日生まれ、熊本県出身━落語にハマる大学時代に落研に所属していました。お笑いが好きでそういう部活を探していたのですが、駒澤大学には落研しかなかったんです。最初は嫌々。かっちり落語をやるような部活だったので「やんなきゃいけない」と言われ嫌々落語をやっていたんです。そしたら「意外と面白いなあ」と思い始めてハマりました。今まではお笑いの中でも漫才とかコントとかに興味があったので、それまでは全く落語を聞いたことがなかったです。一番最初に聴いたのは落研の先輩の噺で、第一印象は難しい。『子褒め』だったかな。理解力が乏しかったんで、「ちゃんと聴いてないと笑えないなあ」っていう印象はありました。(笑)でも実際やってみると楽しいっていうのはありますね。━落語家になる就職活動に失敗したというよりも、気が入ってなかったっていうのはあると思います。ただ、落語家になろうとまでは思ってなかったものの、なんとなくこういうことをやりたいとは考えてて。最後の学園祭でウケたのを見た友だちが「落語家になっちゃえばいいんじゃない?」みたいな感じで背中を押してくれたことも大きかったかもしれないですね。それですぐ調子に乗って「じゃあ(落語家に)なっちゃう?」っていう感じでした。━師匠宅を発見弟子入りっていえば連絡を取らずに出待ちすることが多いと思うんですけど、その発想がなかった(笑)師匠がマクラで「足立区六町出身」と何度も言っていたので、その六町まで行ったんです。僕は師匠がすごい有名人だと思っていて、誰かに聞けばわかるだろうぐらいに考えていたんです。それが大きな間違い。タクシーの運転手さんとかに聞き込みをしても「え、誰ですか?」とか「このへんで落語家といえば先代の圓楽師匠くらいしかわかんないなあ」みたいなのばかり。飲食店とかも転々と聞いたんですけどやっぱりわかんない。そうこうしてるうちにようやくラーメン屋さんで「もしかして大角さん(師匠の本名)のこと?たまに出前してるよ。教えてあげるよ」って。結局夕方くらいまでかかりましたね。━いざ、突撃志願自宅には後日改めて行きました。師匠のお宅だけ確認して「よし、明日の朝行こう」と。次の日に行って師匠がいるかどうかもわからないのに、それでも勢いで行っちゃったんですね(笑)ピンポーンって押したら女将さんが出て、当時飼ってた犬がキャンキャンと出てきたのに続き、網戸越しに憧れの人が!「はいはいはい、うるさいんだバカ野郎!・・・で、なんですか?」って・・・それでまた師匠の声が小さい(笑)ただ、そのときお弟子さんが一人いらっしゃったので「うちはもう弟子は取らないことに決めてて・・・キャンキャンうるさいんだバカ野郎!」みたいな(笑)それだけは鮮明に覚えてます。「新作はやりたいのかい?君が新作をやりたいという気持ちがあるんだったら、ネタとか持ってきてもらえれば見ることはできますよ。やる気があるんだったらネタでも持ってきなさい。ただ弟子を取るかどうかは別です」と言われ、後日ネタを持って今度は出待ち。そしたら覚えててくれてネタも受け取ってくれました。さらに次の日電話がかかってきて「君の書いたネタ、なかなかいいと思うよ」って言ってくれて有頂天でしたね。━縁あって弟子入り師匠が「どんどんネタ持ってこいよ」みたいな感じだったのに対して、僕は間隔を空けて持って行ってたんですね。だから師匠も何となく「こいつはやる気があるのかどうかわかんない」って思ってたんじゃないかな。そんなこんなで半年ぐらい経ったころ、一番下のお弟子さんが辞めちゃって前座さんが必要になり、ちょうどその時にあいさつに行っていたのが僕。ご縁ですね。同じタイミングでもう一人弟子入り志願の人がいて、それがわん丈さん。他にもそういう奴がいたなってかんじで家に呼ばれたのが僕。それから3カ月ぐらいふるいにかけられて、二人とも頑張ってるからってめでたく二人とも入門。ただ同期ながらもやっぱり差を付けないといけないということで、一応半年くらい先に志願をしていた僕が上になりました。━コント風落語表現することが好きですね。お笑いが好き。職業じゃないけど友だちと漫才とかもやってて、何となくこういうことが好きなんだというのはありました。ものを書くのも好きです。コントを遊びで書いてたり、師匠に持って行ったネタもその延長だったような気がします。作るのも話すのもまだ得意とは言えないですけど、好きなのは話すほう。師匠は圧倒的に作るほうが好きだって言うんですよ。作家気質なとこがあるんでしょうね。「話すのは好きじゃない」って。でもやっぱり話すのもすごいので、師匠は絶対そんなことはないと思います。僕の場合はどちらかといえばやってるときの方が楽しいです。━荒川の土手を歩く地味だし趣味とも言えないですけど(笑)葛飾区堀切に住んでいて、歩いて5分くらいのところに金八先生の荒川の土手があるんです。そこでたまにランニングをします。運動は全然ですけど気分転換だったり、人間観察にもなりますしね。学生さんたちがサッカーとかしてて活気があっていいなあと思って。強いて言えば趣味は土手歩きですね。━目標今は二ツ目で寄席にもなかなか出れてないんです。当然ですけど枠が決まっているので。だから真打ちになったときに自分のやりたい新作落語で寄席の出番をいただけて、なおかつウケる。寄席でウケるのは落語家として間違いないと思います。よくわかんない会でウケるより、寄席でウケるということが落語家にとって大切だと思うんです。古典に負けないぐらい新作でウケるっていうのが新作落語家として認められてるというか、すごいことだと思いますね。だからそういう噺家を目指しています。今はそれが目標。新作は去年(2017年)トータルで13本だったかな。それでも少ないです。その中でいくつ残るかって言ったら1、2本くらい。本当はもっと書きたいんですけど、まだまだですね。三遊亭ふう丈動画一覧はこちらから

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