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春風亭昇吾さん インタビュー

1983年12月7日生まれ、福岡県田川郡出身━友達の薦めで落語を知るきっかけは友達ですね。東京に来る前に大阪にも住んでいたんですけど、福岡と大阪の友達が薦めてくれたのがきっかけで落語を観ました。その友達はインターネットカフェのバイト仲間。入門したのが27歳のときで、もう田舎の福岡に帰ろうかなと思ってたとこでした。そこで友達に「観てみたら」と勧められて、その月に大阪に来ていたのがたまたまうちの師匠だったんです。友達は「どうせ田舎に帰るくらいならやったらいいんじゃない」と。僕もノリで「じゃあ観てみる」って。そしたら面白かったですね。20代ってテレビで放送していても見ないじゃないですか、よっぽど好きじゃないと。だからそこが初めてでした。最初が生でよかったと思います。━師匠を選ぶやっぱり大阪で観て面白かったからですかね。だから、大阪に違う人が来ていたら落語の道に進んでいなかったかもしれないです。師匠が笑点に出ていたのも知っていたので。そのあとは、師匠が出ている寄席にも大阪から通いました。すごくわかりやすくて、同じ話を違う師匠がやっていたときにやっぱり師匠が一番面白かった。だから師匠を選びました。━「昇吾」という名前前座から昇吾です。たい平師匠が考えてくれました。うちの一門は自分で考えるんです。だから兄弟子たちも自分で考えてましたね。僕は自分で考えた分は全部却下されたので(笑)弟と同じ「昇市」もありましたけど全部却下(笑)でもたい平師匠が30個か40個考えてくれたんです。見習いの頃、たまたま師匠の荷物持ちをしていた時に仕事の合間に考えてくれて、「じゃあその中から2つくらいお前が気に入ったやつ選べ」って。普通の名前っぽいのがいいなと思って昇吾にしました。うちの師匠・春風亭昇太も普通の名前っぽいでしょ?古いのもあんまり好きじゃないし。で、二ツ目になるときにたい平師匠が「名前変えなくていいよ、変えちゃだめだよ」と。たぶん林家のたい平師匠の一門はみんな名前変えてないと思うんですよね、前座から。だから「名前は大きくするもんだよ」って言われました。それに皆さんすぐ覚えてくれるんですよ、昇吾って。だからもう変える必要ないなと思いますね。━懐中時計事件僕は大体怒られてました。本当は破門になる一歩手前までいってるはずなんですよね。うちの一門は体育会系ですから。まだ楽屋入りしていないとき、懐中時計ってあるでしょ?あれの電池を替えてこいって言われたんです。それを「わかりました」って言って1ヶ月くらい放置していたら師匠がブチ切れちゃって(笑)「バカヤロー!!!お前何にもやってないのになんで電池も替えられないんだよ!!」って(笑)で、「店が分かりませんでした」とか訳わかんないこと言って・・・やっぱり俺がおかしかったんでしょうね(笑)その1カ月、時計は大事に家に保管してました(笑)「明日持ってこい!!」って言われたんで、商店街の時計屋を無理やり起こして電池替えてもらって、師匠の家にすぐ持っていきました。今でも師匠の前ではこの話はできないですね。あれ以降頼まれごとはないです。僕はそこで信用が1回無くなってるんで(笑)でも一応楽屋入りはさせていただきました。━趣味は読書好きな作家は道尾秀介さん。『向日葵の咲かない夏』とか道尾さんの作品は読んでいます。最近は読む冊数も減りましたね。うちの師匠自体がそんなに稽古をつけてくれるタイプではなくて、「○○師匠のところに行ってきなさい」だったので覚えたらあとは時間が空いてたので。落語の本は買ったけど読まなかったです。普通の小説読んだほうが面白い。ただ本を楽しむだけですね。━きょうの二席ボロボロでしたけどまだよくやれたほうかなと思います。朝からだったので全然舌が回らなかったですね。普段からやってたら舌も回るんでしょうけど、僕は怠け者なので。その中でも、とりあえず早口になりがちなので走らないようにはしました。『松山鏡』は聴かせる話なので特に気を付けましたね。田舎言葉で早口になるとぐちゃぐちゃになっちゃうので。田舎言葉は適当。たぶん松山でもあんな喋り方してないと思いますし、師匠方はもっと丁寧です。やっていくに連れてオリジナルになっていくらしいですね。━目標目標はとりあえず師匠を安心させること。やっぱり頑張らないと食っていけないじゃないですか。だから師匠が「あいつ仕事あるな」って思うぐらいに、二ツ目の間になりたいなと。真打になったら違う目標がまたできると思うんで。売れたい!とかはあんまりないんです。お金もあったほうがいいとは思いますけど、後輩と飲みに行けるくらいのお金があればいいです。だからそこそこ稼がなきゃいけないんですけど、そんなたっぷり稼がなくてもいいかなって。━皆さんのおかげあんまり上手くなかったんで高座も2年間ぐらい上がってなかったと思いますね。そのかわり、他の師匠たちがかわいがってくれたんです。有難かったですね。たい平師匠もそうだし、立川生志師匠もそう、遊喜師匠とか文治師匠とかが仕事くれたから食っていけました。本当に皆さんのおかげですね。この世界に入ったのも皆さんのおかげですから。今度3月に地元で落語をやるので、その時は薦めてくれた友達も来てもらいます。嬉しいですね。ましてや売れっ子のたい平師匠と行くので親も安心するでしょうね。やっぱり知っている師匠なので親もよかったって喜んでくれています。春風亭昇吾動画一覧はこちらから

三遊亭歌太郎さん インタビュー

1982年7月7日生まれ、大田区出身。2017年NHK新人落語大賞受賞。━調べたところ水泳、文房具屋巡り・・・などなど趣味がたくさんあるようですが。水泳はたまに泳ぎますね。子供のころ、6年間ぐらいやってました。文房具屋は好きなんですよ。筆ペンが好きで、とりあえず試してみようと文房具屋を回ってみるんですけど、ぺんてるが一番です。ネタ帳を書かなきゃいけないので始めました。━宇宙も趣味?きょうのマクラでも話したんですけどね・・・宇宙はすごいですよ。地球に月がぶつかったわけですよ。わかりますか?それの角度が違えば今みたいになってない。それがちょっとでも違えば人間は生まれてないかもしれないじゃないですか。━深いですね。子どものころから宇宙に興味があったんですか?いいえ、暇つぶしにYouTubeを見ていて。━(笑)。木刀もやられる?夜な夜な近所で振り回していたんですけど、おまわりさんに見つかると怖いから今は防犯用に仕舞っています。運動用にバットと迷ったんですけど、バットにしとけばよかったと後悔しています。選択を誤りましたね。━包丁研ぎは?料理ってほどの料理はしないですけど、包丁を研ぐんです。出刃包丁と刺身包丁があって、それを研いでると落ち着くんです。━話は変わりますが、NHK新人落語大賞受賞、おめでとうございます。その後いかがですか?あんまり変わらないですよね。点数がついたんですけどね、4人10点出してくれて、桂文珍師匠だけ8点。そこが気になりますよね。そこを何とかしなきゃいけないと思います。そうするとあんまり喜んでもいられないっていうのがありますね。━課題は見つかりましたか?課題は前々からあるんですけど、やっぱり映像で見るといろいろ気になる部分って出てきますよね。普段映像では見ないので。音はよく聞くんですけど。そういう意味では課題だらけです。見えるものが変わるんですよ。同じ噺をやっていても、1年前とは違うものが見えているし、1年後はまた違うものが見えてくる。そうするとお客さんの好みにはハマらなくなるかもしれない。でもそれはしょうがないですね。━なるほど。今回、大賞をもらえたのもほとんど偶然だと思うんですよ。宇宙にしてもまた変なこと言いますけど(笑)、人間じゃない誰かがいたんです。その人が、私をいろいろいい方向にもっていってくれた。台風が来たのもそうだし、順番の抽選もそうだし、やってる最中に高座が動いたのもそう。キャスター式になっててロックがかかってなかったんです。そういういろんな要素が自分にプラスに働いたな、と思いますね。━高座が動いた時の会場の雰囲気は?お客さんはほとんど気づいてないと思います。でも「あ、動いた」と思って冷静になれたんです。入りすぎるとやりすぎるタイプなので、入りすぎずに済んだんですよね。話をしてる途中って小さい地震が来てもあんまり気づかないんですよ。━受賞後、どんな言葉がうれしかったですか?審査員に柳家権太楼師匠がいて10点つけてくださったんですけど、楽屋で会ったときに「おもしろかったよ」と言ってくれたのが、うれしかったですね。結構厳しい方なんで。その点、文珍師匠は8点ですからね(笑)━自分以外で気になる芸人さんはいますか?やっぱり新作やる人は面白いなと思いますね。お笑いのジャンルもいろいろですけど、落語ってすごく特殊だと思うんですよ。一人で動かず喋る。漫才とか二人で掛け合いだからそりゃテレビでも使いやすいだろうし、どうしたってそういうところで落語って難しい部分が大きいと思う。そう考えると落語家がどうやって落語をやっていくのか、のほうが気になる。そうなるとやっぱり新作やる人が気になりますね。A太郎さんとか。━テレビがご自宅にないとのことですが。ないですね。そんなに稽古しないですけど、見ちゃうとそればっかりになって脳みそを使わなくなっちゃうと思うんですよ。テレビって情報が出すぎちゃうから。脳みそ使わないと喋れないので、あえて見ないようにしています。━最後に、自分をアピールするような一言いただけますか?色紙に書くようにいろいろメモしてあるんですけど、そういうの一番難しいな~。「親のすね、かじりたいとき、親はなし」「怖くとも、毎日乗るぞ、体重計」無視してください(笑)皆さんなんて言ってるんですか?やっぱり面白くないとね・・・コレ、すごい名言だと思うんですけど、下ネタなんですよね・・・━ちなみに?「落語はセックス」やっぱりお客さんと作っていくものなんでね。これはすごいなあと思うんですけど・・・でも使えないでしょ?予備にしておいてください。三遊亭歌太郎動画一覧はこちらから

瀧川鯉八さん インタビュー

鹿児島出身。1981年3月27日生まれ。いまの高座の手ごたえは?12年噺家やってますけど・・・いちばん良かったです(笑)嚙んだり間違ったりもしましたけど、いつになく「そんなもの、かまわない」って、細かいミスも気にせずできました。うまくできたからいいってことではないのでね。大きな心で心地よくできました(笑)━きょうの演目「俺ほめ」に登場するマーちゃんは実在するんですか?マーちゃんは別に誰でもいいんです。みんなに投影できるように。承認欲求の時代ですから(笑)ほめてもらいたいって気持ちはみんな誰でもあると思うので、時代を反映してます。大人はみんな「ほめて」って人に言えないから、僕が解放してあげているんです。━プロフィールは?18歳まで鹿児島にいて、大学入学を機に上京しました。卒業したあとは決まった仕事には就いてなかったんですけど、アルバイトとかしながら25歳で入門しました。━入門のきっかけは?昇太師匠の名前は存じ上げていたので、昇太師匠の落語会を見に行ったらたまたま僕の師匠が一緒に出ていて。あまりの面白さに雷に打たれました。僕も別に仕事もしてなかったので「もうこの人に弟子入りしよう!」と。一目ぼれしてすぐにお願いしに行きましたね。法政大学の落語研究会では落語を特別好きになるってことはなかったんですけど、卒業してプラプラしてるときにCDで落語を聞きながら好きになっていったかんじですね。ちょうどそのタイミングで師匠を見て、ビビっときました。CDで聞いていたのは上方の米朝師匠とか、そのお弟子さんの枝雀師匠。僕も鹿児島なのでもしかしたら西の感じのほうが入りやすかったのかもしれないですね。米朝師匠と枝雀師匠っていうのは言葉もすごくわかりやすくて、初心者の方には必ず薦めます。そこから志の輔師匠とか聞いて、「あ、落語って面白いな」って思って。なので、はじめから古典落語が好きだった類ではないですね。最初はちょっと難しいなって思っていたので。━2015年には渋谷らくご大賞を受賞ということで。2015年は俺の年だと思ってました(笑)それからは緩やかに右肩下がりだったんですけど、きょうベストが出たんでよかったです(笑)━趣味、特技は?三線を習い始めました。最近、海外進出も含めて南のほうに行く機会があって。━海外で落語ですか?そうです。A太郎兄さんとは2016年にイタリアで落語やりましたね。イタリア語でネタを暗記して。人間の口って、その人種に合った言語っていうのがあるらしいんですよ。で、僕の口のつくりとか、舌の長さとか、歯並びとかは、日本語よりもイタリアの言語のほうが合うっていうのを、日本で勉強したときに先生に言われてたんですよ。「“もちゃもちゃ”してるかんじがイタリア語の方の発音に近いね」って。それで実際に覚えて行ったら現地のイタリア人から「めちゃくちゃ発音良いね!でも落語は超つまんないね!」って言われました。だから、そのくらい僕の言語が届いたってことなんですよ。面白いか面白くないかがわかるくらい。だから“あぁよかった僕の言語届いたんだ”って(笑)━お客さんはどういう反応をするんですか?これがですね!僕は自分で作った新作落語をやっていて、ターゲットは自分同世代から前後10歳くらい。だからざっと言って20~50歳手前くらいの方なんですけど、イタリアでもおじいちゃんおばあちゃんには全くウケなかったですね(笑)ただ、イタリアの若い人は日本と同じところでウケてくれました。イタリア人は褒めるの好きだから「俺ほめ」やればよかったですね。━で、話を三線のほうに戻したいんですが・・・(笑)あ、そうですね(笑)やっぱり二ツ目も人多いし、競争の中にいるんで、常に押し出しの強い芸をしなきゃいけないってとらわれがちなんですよ。自分では競ってなくてもそうなってくるんで。それで南国に行ったときに、ゆったりした感じっていいなと思って。僕の好きな師匠もゆったりした芸風なんで、その南国で原点回帰みたいなことを感じて。で、やっぱり沖縄の文化って豊かだからそれも学びたくて。だから三線をできるようになってから沖縄のおばあとかに会いに行こうかなと思ってますね。教室には毎週1回行くんですけど、それもまだ始めて3ヶ月くらいです。━他には趣味はありますか?純喫茶巡りですかね。各地の純喫茶に行くっていう。僕は気づいてしまったんですよね。これぜひ参考にしていただきたいんですけど、国内旅行に行くときってどこ行くか迷うじゃないですか。普通ってガイドブックとか買って見ますけど。僕、純喫茶と路面電車が好きなんですよ。別に鉄道オタクとかじゃないんですけど、路面電車だけが好きなんです。で、路面電車って昔は全国にあったんだけれども、車の発達によって無くなっていって、いま全国で13箇所しかないんです。それを見に行ってたら気づいたんですけど、路面電車が今なお残っているっていうことは、昔の文化を大切にしている街ってことなんですよ。昔の街を大切にしているってことは東京とかと景色が全く違うんです。ってことは、昔ながらの純喫茶ももれなくあるんです。で、そういうところは食べるものも地のものを大切にしているって気づいたんです。━なるほど。その13都市はすべて回られたんですか?それをいま回っているところで、これまでに7都市行きました。制覇を目指しているんですけど、この間は函館行って、広島行って、長崎も行きましたね。長崎はいちばん感動して、長崎の新作落語を作りました。漢字で『長崎』。その『長崎』を長崎でやったら、生涯でいちばんウケましたね。僕は長崎の人じゃないのに長崎に恋して全編長崎の落語を作ったんですよ。その土地の固有名詞とかもそのまま使って。だから長崎の人が聞いたら、「長崎の出身じゃない人がこれをやってるっていうことは、我々へのラブレターなんだ!」ってなっているわけですね。そしたら向こうも、人から好きになられたら100%の愛で返してくれるんですよ。だからその高座中が両想いなんです。愛の溢れる、ハッピーな、全編笑いに包まれるという!まぁ、それはきょうやってないんですけど・・・(笑)━ぜひ次は『長崎』をお願いします!純喫茶では何か召し上がるんですか?ホットケーキは必ず食べます。最近のパンケーキじゃなくて、昔の安い感じのホットケーキを頼みますね。あとはやっぱり純喫茶のいいとこっていうのは、学生の団体とかがいないんで、ゆったりした時間が流れているんですよね。おじいちゃんとかおばあちゃんがいて。だからゆったりした空気が好きってところで共通していますね。ここでやっと三線とつながりましたね。━他のお笑いの方を見る機会は多いですか?あんまり見ないですね。今は情報が多いんであんまり見ないようにしていて、それでも入ってくる情報は確かなんだろうなと思って見るようにしています。自分から拾いに行くと情報が多すぎてキリがないので。テレビ自体は好きです。映画が昔から大好きで、落語にも映画的な手法を取り入れたり。きょうの2本は短めなのでそういうのはないんですけど、それこそ『長崎』とかはロードムービーみたいにしてます。━いちばん影響を受けた映画は?それを絞るのは非常に難しいんですけど、フィンランドのカウリスマキっていう監督がずっと好きで。カウリスマキが日本に来たら必ず行くっていうバーによく行きます。あとは最近でいうと、「あ、これは素晴らしい脚本だな」と思ったのは、黒澤明の『椿三十郎』ですね。もちろん映画史に残る脚本だけど、思った以上に世間的に焦点が当たってなくて。落語的だったし、面白いし、品のいい笑いだったし、脚本のつくり方がパズルのようにハマっていく。短さも程よいですし。だから僕も落語は常に短くしようと思っています。落語家の悪い癖って、長くやっちゃうってのがあるんですよね。人間の集中力ってそんなに持たないんで。━視聴者に一言お願いします。僕を聞かずに死ぬと損しますよ、と言いたいですね。僕を知らないってことは人生損してますよ、と。━・・・わかりました(笑)あれ?ちょっと変えようかな?えーっと・・・次は僕だ。って書いてください。2018年のNextBreakerは俺だ。だから乗り遅れないでね~って(笑)瀧川鯉八動画一覧はこちらから

昔昔亭A太郎さん インタビュー

1978年6月8日生まれ━芸名にアルファベットが入っているというのはどうですか?恥ずかしいですね。師匠に付けて頂きました。初めて聞いたときは、“人生終わったな”って思いました(笑)でも、感謝です。━よかったことは?多少は目立ちますよね。人と比べたら。だけど大体どこ行ってもふざけてる、って思われます。覚えやすいので、よろしくお願い致します。━ご出身は京都とのことで。生まれは岐阜なんですけど、嫌で。生まれてすぐ一人で横浜に引っ越しました(笑)それから東京行って。で、小学校5年生から高校卒業まで京都で育ちました。ですから前は京都出身と言ってたんですが、今は岐阜ってことにしてます。京都だと上方落語の方がいらっしゃるんで遠慮してます(笑)━落語家になろうと思ったきっかけは?記憶がないですね。いつの間にかなってました。━趣味とか特技ってありますか?いまタップを習ってます。きょうも朝やってきたんですよ。やっと買ったシューズも持ってますよ。やっぱり芸人たるものたけしさん(ビートたけし)に憧れがあるので。でも本当は、漫才のおぼんこぼん先生のタップを見て感銘を受けてやり始めたんですが、それは内緒にしています。━練習はどのくらいやってるんですか?週1回やっています。始めてまだ半年くらいですね。芸人たるもの、やはりチャップリンを目指しています。12月に発表する会があるんですよ。歌ってタップやるっていう。━落語とは別ですか?全ては落語に繋がるのでしょう。━落語に限らず他の芸人さんに芸を見ることは多いですか?もうそれは、お笑いがもともと好きなので。青春はダウンタウンさんですね。落語家だと憧れになっちゃいますけど志ん朝師匠とかかっこいいですよね。でもそれは気軽に言ったら殺されるというか、お前が言うな、ってなるんで(笑)ただ、やっぱり憧れます。━近場で意識している人は?喬太郎師匠とか、古典と新作の両方やるっていうのはやっぱり理想だと思います。両方やりたいですね。━2015年に受賞されている「渋谷らくご・奇妙な二ツ目賞」というのは?特別賞で、二度とない賞でしょうね。誰も欲しがらないでしょう(笑)━受賞がきっかけで何か変わりましたか?やっぱり変わってるなって思われますよね。名前と併せて変わってるなって。まあこれは運命なんじゃないですかね?僕は普通にしたいんですけど。本当はまっすぐ生きたいです(笑)でもそれは名前が“A”になっちゃった時点で決められちゃったんですね。悲しい現実です・・・僕は志ん朝師匠を目指してるのに(笑)━改名の予定は?真打で“A”はカッコ悪いかなってのはありますけどね。かといって他の名前もなかなか。なんか良いのないですかね。募集しましょうかね。━いまの高座の印象、手ごたえはいかがでしたか?スタッフの方々の反応が笑っていいのかダメなのか、もしくは本当につまらないのか・・・不安でした(笑)でもこれはもう、切り替えて堂々とやろうと思いました。━『皿屋敷』と『罪と罰』を選んだ理由は?最初だから慣れてるのやろうかな、と。一つ目は古典で、二つ目は新作。新作は前座のころに作ったやつです。いろいろ反応見ながら変えてますけど、きょうはいちばんオーソドックスなやつをやりました。原点に返るいい機会だなと。今度はたっぷり怪談話とか人情話とかやりたいですけどね。━寄席場以外で寄席をやるとしたらどこでやってみたいですか?山の中で。俺が上で待っててみんなが登ってくる。それで聞いて帰ってもらうっていう。僕は先に車で行って待ってます。皆さんは必死で“あれが聞けるんだ!”って来てほしいですね。何人来るかな。それかドームとかでやりたいですね。コンサートみたいに。ど真ん中でやりたいです。ドームでコンサート、目標です。歌ったりタップやったり。日本舞踊も習ってるんで踊ったり、例えば落語やったり・・・たまに落語やったり・・・━日本舞踊以外にも何かやられているのですか?もともとスポーツは好きなんですけど。続けてやってるのはないですね。水泳やったりたまに運動したりはありますけど、続けてるのはないです。笑いが趣味です。趣味を仕事にしたら行き詰りますよね。━座右の銘とかありますか?死あるところに生あり。これはやっぱり何事も無駄じゃないってことですね。何か失敗したところでそれは何かにつながるよ、という。っていうのを僕がいま作ったんですけど(笑)オリジナルの座右の銘です。いままさに生まれた、この瞬間に生まれた座右の銘です。って言ってて既にあったら嫌ですね、ありそうですよね。まぁ、すぐ忘れると思います(笑)昔昔亭A太郎動画一覧はこちらから

柳家小かじさん インタビュー

1988年8月18日生まれ。横浜市出身。━簡単にプロフィールを教えていただけますか?生まれも育ちも横浜で、今は浅草に住んでいます。師匠は柳家三三で、2013年2月に前座楽屋入り。それから4年半が経ちました。ずっと前座だったんですが、でもこうやって二ツ目に上がって。2016年11月に二ツ目に昇進して、いまちょうど2年目に突入ということでやっています。━趣味、特技は?趣味は海外ドラマを見ることですね。作品だと『ウエストワールド』『ゲームオブスローンズ』とか。SFでもコメディーでも何でも見ますね。━海外ドラマはご自身の芸に生かされている?話の展開、引っ張り方が面白いですから。「あぁ、こういうの生かせるんじゃないかな」とか「あの場面に似てるな」とか思ったりするときもありますね。━きょうの演目に『三方一両損』を選ばれた理由は?きょうの演目は本来二つに分けるものでもないんですよ。というのも、正直後半は訊きごたえもない。最初の啖呵の部分でワーワーやって、後半につながっていく。そこでブツっと切るものでもないが、配信というということで時間的に12~13分のほうが聞きやすいだろうし、興味があったら続きも聞いてくれるだろうな、と。逆に、後半を聞いてから前半を聞く楽しみ方もしてほしいですね。本来の落語ではできない楽しみ方もしていただければと思います。━気になる芸人さんはいますか?僕自身が法政大学の落語研究会に入ってまして。世代は違うんですけど、(瀧川)鯉八兄さんと同じ代で脳みそ夫さんというピン芸人がいるんです。学生時代にも関わりがあったんですが、いまちゃんと活躍してテレビ出たりしていてすごく刺激になっています。全体的にお笑い芸人になっている人が多いんですよね。後輩にはタイタンのまんじゅう大帝国って人がいて、もともとTBSラジオの『JUNK』とか出ていたのでうらやましく思っていました。あ、ラジオも趣味です━ラジオのお気に入りは?お気に入りはやっぱり『JUNK』ですね。自分の好きなものに関しては、「いつか自分も」という気持ちで聞いています。━お笑いにもたくさんジャンルがある中で落語を選んだきっかけは?落語が単純に面白いと感じたんですよね。それぞれのジャンルで特性はあるけど、落語の空気感に触れたときに、他のものでは味わえない何とも言えない感覚、空気感がすごい好きで興味を持ちましたね。━モットーの「明るく・楽しく・激しい高座」というのは?全日本プロレスのモットーからです。プロレスも好きなんです。━それでは最後に一言いただけますか?愚直にいきたい。愚かでもいいのでまっすぐに小細工なしでやっていきたいですね。━そのこころは?前座修行のときに三三師匠に言われた、というか誰かから又聞きしたんですけど、「仕事ができなくて出来も悪いけど、素直でまじめだからクビにしないんだ」と。それを聞いて、できるできないではなく物事に対する姿勢みたいなものはずっと見ててもらったんだなという部分を含めて、その姿勢はずっと大事にしなきゃいけないと思いましたね。━素晴らしいですね。余談ですが・・・落語付き同窓会を計画されているとか?そうなんですよ!LINEグループでやっているんですけどね・・・。僕はもともとクラスの中心ではなくて、細々とした感じだったので、いざ思いついてやろうと思ったはいいけど、僕幹事でやり始めても集まりがすごく悪い。そうしたら中心的なやつが「梶川(本名)がやってくれるのにどういうことだ!」と怒ってしまった。さらに、それを見て「すみません。私たちは仕事で忙しいので出席できません、つきましてはグループ抜けます」という人まで出てきてクラスの輪を乱してしまいました。私のせいでグループの人数が減って、久々に集まろうとしたら変な感じになっちゃって。どうなるかわからない、そんな会を企画しています。━この記事が掲載される頃には同窓会も終わっていると思いますが・・・そうですね。できれば来ていただきたいところです(笑)柳家小かじ動画一覧はこちらから

春風亭昇々さん インタビュー

1984年11月26日生まれ。千葉県出身。━会社勤めと同じ感覚で入門高校ぐらいまでは落語は聴いたことがなくて。ラジオで流れてるのを「なんか落語流れてるなー」とかって。最後まで聞けないっていうか、眠くなるようなお話ってイメージはありましたね。大学が関西なんですけど、なんかサークルに入ろうってことで、声掛けられたのが落研だったんですよ。大学4年の時にみんな就職活動する中で自分はどうしよっかなぁって時に、やっぱり落語好きだし噺家になろうかみたいな。就職先の一つとして考えてました。だからみんなが会社勤めするのと同じような感覚で、みんなはどこどこの会社、この人は家を継ぐ、僕は噺家、みたいな感じ。━師匠・春風亭昇太のこと師匠がテレビでやってた『壺算』のビデオが面白いからって貸してもらって、それを観てたらすごいマクラも噺も面白くて、それから師匠の落語をちょくちょく聴くようになって。創作落語も面白いし、自分のやりたい形に近いっていうか。前座の頃は結構師匠も厳しく教えてくれてあんまり喋ってもらえなかったんですけど、二ツ目になったら結構優しくて。二ツ目になって怒られたこと1回もないですし、まあ前座の時もないんですけど。僕、一門で唯一師匠に怒られたことないんですよ。何だろう、普通にしてるだけなんですけど。師匠は山城が好きなんで、よく落語会の前に連れて行かれましたけどね。「俺は城見てから会場入りするけど、お前どうする?」って言われたときに、「僕は城行かないで一人で会場入りします」って。で、高座で「師匠に城誘われたけど、それが嫌だ」みたいなことを喋ってたら「二度とあいつ連れてくもんか!」って。冗談ですけど(笑)それ以来師匠と城に行くことはなくなりました。━将棋ウォーズとひふみんのことすごい好きで将棋ウォーズ。居飛車、振り飛車でいうと僕は居飛車ですね。僕はもう守りに入らず、攻め攻め。ずっと飛車を進めて棒銀です。棒銀とか言えるほどじゃないんですけど。加藤一二三九段を見てからかな?それがきっかけで結構やってますよ。「FRaUのうなぎ部」っていうウナギを紹介する企画があって、部長がひふみんで、僕は部員でうなぎ紹介するっていう。ツイッター上で実は友だちなんですよ。お会いしたことないんですけど、僕のツイッターをリツイートしてくれたりして。あと女流棋士の香川愛生さんは、ある番組で隣に座ってたから話しかけたんですよ。「将棋ウォーズやってますよ!」って。「プレミアム会員で」って。それで友達になって、ツイッター上でメールしたりします。━お年寄りに愛を込めて「待ちわびて」『待ちわびて』は僕が作った噺で、配信なのでぶっ飛んでたほうが面白いかなってことで選びました。マクラでも喋ってますけど、かわいいお年寄りが好きっていうか。どんどん子供に戻っていくと思うんですよね、年が経つと。僕はやっぱり一番子どもってすごいっていうか、そこにいるだけでみんなかわいいって思うし、みんな笑うじゃないですか。師匠たちもそうで、そこにいるだけでほんわかするし、なんか一言言うだけで笑いが起きたりとかする。そういう風になりたいなっていうことで。お年寄りをバカにしてるんじゃなく、すごく愛を持って僕は演じてます。突然「バイオハザードやりたい」とか言い出すってお年寄りあるあるっていうか、子どもあるあるっていうか、結構考えて作ってるんで。落語っぽくはないと思うけど、自分なりに大事にしてるものを詰め込んで作った噺です。━古典落語と落語現代に着物を着て一人で世界観を表すって、すごいクールで素敵じゃないですか。日本的ですよね。将棋もそうだし、日本刀も生け花もiPhoneも、ミニマムなものが美しい。みんながもっと創作をやればもっと聴くようになるんじゃないかなと思いますけどね。落語はぬるま湯に漬かってる。古典落語があって、それをみんなで使って、お客さんもそれ求めてるし、いいじゃんこれでって。ただそれだと、全員が聴くものではない。好きな人だけのものになっちゃう。だから僕は『古典落語』と『落語』って言ってるんです。古典落語と新作って言われるけどそうじゃなくて、こっちが落語でそっちが古典だって。みんながそういう風に思えばいいんですけど、落語を作れる人って本当に少ないんですよね。作れなくて前座修行に耐えられる人だけが入ってくるだけで、よくないと思いますけどね。ってこんなこと俺が言っても(笑)━視聴者に一言落語観に来た人、観に来るっていう人は本当に少ないと思うんで、是非まずテレビとかYouTubeとかなんでもいいんで、観たり聴いたりしてほしいなって思いますけどね。“伝統芸能だから勉強しよう”って人が多いんですけど、そういうこと別に考えなくていいと思う。面白いから聴いて、つまんなかったら聴かなきゃいいだけの話。取っ突きにくいものじゃなくて、“どんなもんなのかな?”みたいな。夜寝るときに聴くと眠れたりするんで、そういう身近なものになればいいと思います。春風亭昇々動画一覧はこちらから

桂宮治さん インタビュー

1976年10月7日、東京都出身。━師弟関係とは桂枝雀師匠っていう昭和の爆笑王がいまして。その方の『上燗屋』というのを動画サイトで見て噺家になりたいと思ったんですよね。それまでは一度も落語を見たことも聞いたこともなくて、それが30歳のとき。それから31歳になる手前で入門願いをしに行くんです。でも寄席にも行ったことがないから入門の仕方も全くわからないわけですよ。だからネットで調べて、とりあえず直接会いに行って何回断られても土下座しなきゃいけないんだなと。とはいえ歳も歳で結婚もしていたし、この世界でご飯食べていけるとも思ってなかった。だからテレビでよく見る師匠じゃなくて本当に愛せる人って誰なんだろうって。「師弟関係とは父親と子ども以上の関係になること」みたいなことがどっかに書いてあったし。本当に師匠の具合が悪くなったときに下の世話までできるような、そこまで惚れられる人っているのかなと思って、そういう目線で寄席を回り始めました。━全身に電気が走る前職はクライアントさんからの依頼で全国を回る営業。一応うちの会社では1番指名数が多かったので半年以上先まで予約が入っていました。だから依頼を受けるのをやめて、休みをつくってひたすら寄席へ。都内の小さいところから大きいところまで。普通の独演会も行ったし、立川流とか圓楽一門会のも。そんなこんなで1ヶ月以上も仕事を休みながら寄席を見て回ってて、そんな人いるわけねぇよな・・・って思ったころでした。国立演芸場の袖からすごい笑顔でヘラヘラしながらうちの師匠が出てきて、その瞬間に電気が走ったんですよ。女性に一目惚れしたことはないけど、師匠を見た瞬間に初めて本当にビビッときましたね。「うっ、この人だ!」って。「この人に頼んで無理だったらこの世界諦めてよう」と思うくらいすぐにわかりました。だからうちの師匠が何の噺をしていたか覚えてないです。ただ、終わって緞帳が下がってすぐ外に出て、国立演芸場の前でうちのかみさんに「師匠決まった!」って電話(笑)まだ何もお願いに行ってないのに(笑)そこからは記憶がありますね。━ようやく弟子入り麻薬の売買と勘違いされて私服警官に職質されたりしながら3日目くらいにやっと会えました。声かけたら「俺に?じゃ、喫茶店行こう」って喫茶店へ。「なんで俺?俺じゃなくてもっと他に行ったほうがいいよ」「いやいっぱい見て師匠です!」「そっかぁ」「会社辞めてきました」「えー?!」「結婚してます」「嘘でしょ?!もう辞めなよ!」みたいな。でも最終的に「女房連れてきな」って言われて、それから浅草の喫茶店でうちのかみさんに「辞めたほうがいい」と延々1時間以上。「ずっと貧乏だよ。金持ってるのなんかほんの一握りだから辞めな辞めな」って話をされながら、一番最後に「それでもいいんだったらとるよ」って。それでうちのかみさんも「宜しくお願いします」って言って「よし、じゃあ今日から俺の弟子」って取ってくれました。けど「ならないほうがいい」ってずっと言ってくれてたんで、うちの師匠めちゃくちゃ優しいですよね。━噺家人生最大の誇り他の一門の前座仲間にいちばん最初に言われたのが「よくあの師匠を選べたね」。すごくいい人だからみんな助けられてるみたいなんですよ。楽屋にいるだけですごく明るくなるし、自分の先輩にはちゃんと文句言って後輩には優しい人。だから「よくあの師匠が素敵な師匠ってわかったね」って先輩方が言ってくれました。“師匠選びは芸のうち”って言いますからね。いちばん最初の出だしだけですけど、師匠を選べたことだけは今でも誇りに思ってます。前座時代からどこに行っても「伸治兄さんの弟子なんだってねぇ、若いころから世話になっててさぁ」っていつも言ってもらえます。あの師匠の弟子になれたっていうのは、僕の噺家人生最大の誇りですね。━背中を押した妻の一言営業職のころは結構稼いでたんです。でも俺が嫌そうに仕事してたからかみさんが「何か好きなことやれば。一生一回きりなんだから」って。ただ後々「お笑い芸人とかだったら辞めなって言ってたと思う」とも。たまたま落語ってなった時に「これはこの人大丈夫かもしれない」とあの人ながら直感があったみたい。結婚したときは東京都のサラリーマンの平均年収なんかよりよっぽど給料もらってましたけど、結婚した途端にほぼ無職っていう地獄ですよ。桂宮治動画一覧はこちらから

柳家喬の字さん インタビュー

1978年3月14日生まれ、埼玉県さいたま市出身━黄金世代こう見えても高校時代は空手道部。3年間サンドバックを務めました。生まれた日はホワイトデーで、今年の3月で40歳になります。同学年のライバルは市川海老蔵さんです。あとは、氷川きよしさん、滝川クリステルさん。今年引退する安室奈美恵さんも。そして柳家喬の字。黄金世代です(笑)━いつの間にか入門高校の芸術鑑賞会で落語を観て雷に打たれ、就職してからは寄席通いをする様に。段々とうちの師匠を追うようになって、20歳の頃より“この人の弟子になりたい”と思いました。噺家になりたいというのもありましたけど、その前に“この人の弟子になりたい“と。25歳の時に会社を3月いっぱいで辞めて、4月で色々外堀を埋め、あとは入門するだけという状態にして師匠に接触しだしました。5月1日に寄席で師匠を出待ちをして初めて話を聞いていただきました。それから毎日、出待ちをして・・・。噺家は初日と言って1の付く日に弟子が師匠の家に集まるんですよ。だから師匠が「毎日来るんだったら、(21日に)初日というのがあってみんな(兄弟子)も来るから家に来なさい」と。それから毎日、なし崩し的に師匠宅に通う様になり、5月30日ぐらいに前座名をもらいまして。だから正式に今日から弟子っていうのはないんです。5月1日に師匠に話を聞いていただいて、5月21日から師匠宅へ通うようになり、それからいつの間にか芸名をもらって、いつの間にか前座になり、いつの間にか二ツ目に。だから「今日から弟子に取ります。」というのがなかったんです。━前座名の由来は勝小吉ある日突然「お前は小きち」と。5代目小さん一門の前座は、小さんの“小”を付けるか”さん”を付けるかで、前座名をいただきます。たまたま僕が入門したときにNHKの大河ドラマで『新選組』がやっていました。師匠は勝海舟好きで、勝海舟のお父さんが勝小吉。勝小吉の“吉”は漢字なんですけど、小さんの“小”と、“きち”は字面を“小さん”に合わせて、ひらがなの“きち”に。名前らしい名前でもあるからと“小きち”。━“喬”の字との縁前座期間は見習いが1年あったので、それを含めたら3年9カ月ですね。それから二ツ目に昇進して、喬の字。この名前には2つ意味があるんです。僕は師匠の8番弟子なので、兄弟子が喬太郎を始め、喬之助、喬四郎、喬之進とか一通り喬の付く名はつけられていて、師匠は小きちのままでいいとおっしゃってくださいました。前座名って覚えてもらいやすいように、小はぜ、小ざる、さん角、さん坊・・・みたいな、ちょっと他の物と掛けた名前をつけるんですけど、「小きちは名前らしい名前だし小さん一門っぽいから、真打までこれでいってもいいよ」って。だけど、さん喬の弟子なので「“喬”の字をください」って言ったら「じゃあ、“喬の字”あげる」っていうのが一つ。もう一つは、昔の呼称に“何とかの字”というのがあるんですよ。そのものを表す代名詞のことを“〇の字”って言うんです。例えば、ありがたいことを“御の字”。その他にも惚れてることを“ほの字”とか、名前に三がつく人は“三の字”と。現在名前に“喬”を使っている落語家はうちの師匠と桂南喬師匠の2人だけ。しかも僕が高校の芸術鑑賞会で雷に打たれたのが桂南喬師匠だったんです。だから南喬で落語を知り、さん喬で落語家になったので、喬の字に縁があるから喬の字。このまま真打でもいいかなと思ってます。━師匠とお隣さん僕は師匠のマンションの隣ビルに住んでいて、太ると師匠に顔が似るので「息子さんですか」ってよく間違われるんです。出身が埼玉なので、どうせ東京に住むのに師匠の家から離れて住んだらメリットがないじゃないですか。東京に出てきて6回引っ越してるんですけど、だんだん師匠宅に近づいてきてとうとう隣になりました。師匠は「いつか俺のマンションに引っ越してくるんだろうな」って言ってますけど、師匠のところは家賃が高いんですよね(笑) 師匠は寛大な方です。怒られますけどさっぱりしてて引きずらないです。大師匠の5代目小さんの言葉「芸を磨くより人を磨け。人を磨くより自分を磨け。自ずと人が付いてくる。背中を見て育つ」。これを実践なされてる方なんで、そんなに怒られたことはないです。優しいというか寛大な方です。━プレーヤーよりディレクター自分の高座がない日は、車の運転が出来るので師匠のお伴が多いのと、自分でもいろんな会を立ち上げているので企画構成作業を。どっちかっていうと、プレーヤーよりディレクター気質の人間なんです。この会場は何線と何線が通っているのでこういう客層で、こういうタイプの噺家と組むのがいいとか、ネタはこういうのをやろうとか。そういう企画構成が好きなんです。だから自分の独演会も1年前から会場取って、サブタイトルを決めて、ネタを決めて、ゲストを決めて、流れを決めて・・・そういう番組構成を考えるのが好きですね。ただ、告知してチケット1枚売れた時点で鬱になる。本当にこの会やらなきゃいけないんだって(笑) 昔から文化祭とか好きでした。ただ、高校くらいから浮きますよね。みんな中学までは頑張るけど高校になると熱量が違う。だから浮いてたと思うんですけど、やっぱり企画とかが好きですね。━目標余韻を残せる噺家になりたいですね。ただ観に行って「面白かったね」でそのまま帰るんじゃなくて、「ちょっと一杯やって帰ろうよ」「熱燗でも飲んで帰ろう」「また来たいね」と、お客さんが余韻に浸りたくなるような、そういう噺家になりたいですね。余韻を残せる噺家になれば自然に寄席に顔付けされて、トリも任されるようになると思うので。ただ〇〇師匠ほど売れたくないですね。フライデーされたくないので(笑) 噺家としてそこそこ売れたいですね。柳家喬の字動画一覧はこちらから

瀧川鯉津さん インタビュー

1974年5月15日生まれ。新潟県長岡市出身。━縁起良し鯉津(こいつ)の津が津軽、草津、会津、大津の津で、わたくしの出身が新潟県の長岡市…全然関係ない(笑)ダジャレ先行で付けられた名前ですけれども、自分の中では意外と気に入ってます。二ツ目昇進の時には名前を変えるチャンスがあったんですけど、鯉津で覚えてもらったというのと、芸事は水にまつわる文字が縁起がいいというんで「瀧」も「川」も「鯉」も「津」も、全部水にまつわるからこの黄金比率を崩したくなくて…そう言われてるだけで実際にいい事があったかどうかはわからないです。まだ実感はないです。これからに期待します(笑)━手段として演劇をかじる高校卒業して上京して、桐朋学園というお芝居の学校に行きました。蜷川幸雄さんとかが講師で来て下さって、実際に蜷川先生から授業で稽古をつけてもらった事もあります。元々お笑いをやりたかったんですが、親を納得させるための手段として、学校に入ればそういう道でも許してもらえるかなと思って…姑息なグラデーション掛けました。━産地直送システム一番最初に職業を意識したのは中1の時。その時は社会の先生の授業が面白かったので社会の先生になりたいなと思ってたらいつの間にかこんな事に…でも人前で喋るっていうベクトルは間違ってなかったんだなと思いますね。1人VS大勢みたいな。芝居の学校出ましたが、それで食っていくつもりはサラサラなく、お笑いの方がやりたくて放送作家になり、それで10年弱。そのとき携わっていた演芸番組にうちの師匠がゲストで来て、それでまた表に出てみようと思ったんです。作家をやってると、自分が面白いと思ってもディレクターとプロデューサーの検閲が入るじゃないですか。だけどこの商売だとお客様に見せてスベったらやめればいいし、ウケたら続ければいい。問屋を通さない産地直送というシステムが気に入りましてね。遅いけど36歳で一念発起しました。━上下関係36歳で入門したとき、同じ協会の別の師匠の所には18歳の先輩がいました。自分の子どもくらいの先輩。でもみんな年上ということで敬ってくれるし、先に入ったからといって先輩風吹かすような人はウチの協会にはいませんでした。まぁヨソは…(笑)芸術協会というのは大学みたいなもんで、前座の年季はほぼ4年で二ツ目になれるんです。自分の下が入ってきて寄席の楽屋仕事が回る人数さえいれば、そのまま押し出される形ですね。━こだわりの羽織寄合とかで着るために協会員で浴衣を揃えるんです。馬喰横山の結構芸人御用達の呉服屋さんなんですが。そこで最初に着物を作った時に「なんか面白い生地ありませんか」ということで生まれたのがこの迷彩柄の羽織。学校寄席に行く事があるんですが、小、中学校の生徒さんとかには落語って年寄りがやる芸だと思われがちなので、出オチでもいいから飛び道具として一つ作ってもらったというか。まさかのコシノジュンコデザインの生地をすすめられました(笑)着物で作ったら絶対に噺の邪魔になるので、羽織にすればすぐ脱げるって事でそっちにしました。ただ寄席には絶対着て行かないです。他所行き用。飛び道具ですから。別に怒られないとは思いますけど、なんかいじられるのも面倒だなと(笑)生地が元々羽織作る用の生地じゃなく浴衣用なので寄席では絶対に着ないです。━地元でも頑張りたい地元新潟でお馴染みの顔みたいな…そういう感じになりたいです。といっても難しいですよね。今はNegiccoさんとかNGT48とかが頑張ってますし。僕は断然Negicco派ですね(笑)中央でも頑張って地方でも頑張るっていうスタイルは素晴らしいと思うので見習いたいです。長岡でも隔月で高座に上がっています。銘酒・久保田でお馴染み朝日酒造さんという蔵元があるんですけど、そちらが完全な僕の小学校の学区内なので、そこでやらせて頂いてます。ディナーショーの逆ではじめに落語をきいてから食事。もちろんお酒付きですよ。瀧川鯉津動画一覧はこちらから

入船亭遊京さん インタビュー

1988年3月18日生まれ。愛媛県松山市出身。━すごい日本語に出会う高校まで愛媛で、大学で京都。そこから東京で入門ですね。最初はテレビだと思います。落語の映像っておじさんが座布団に座ってるだけじゃないですか。これがすごく新鮮でした。『タイガー&ドラゴン』とか、本とかCDも。今みたいにYouTubeとかも無かったので地元のCD屋で何枚か買いましたね。あとは図書館に志ん朝師匠のCDがあったのでそれを聴いてハマってました。「こんなにすごい、きれいな日本語があるんだ」って。なかなか生で落語を聴く機会はなかったのですが、正蔵師匠の襲名披露興行が西条であって親に頼んで観にいきました。その時のトリの演目が『ねずみ』だったんです。師匠から伝わったネタだそうで、今思うと運命的ですね。━寮暮らしすでに高校生の頃から噺家になりたいという気持ちはありました。それから大学は都会に出たかったので頑張って京都に行って、そこでバイトしてお金貯めて上方の色んな会も観に行ったり。熊野寮は光熱費込みで月4100円なので助かりましたね。風呂なしトイレ共同(便器内で泳ぐネズミの赤ちゃん付)四人部屋のうち二人が中国人の方でした。ただ住んでいるだけで楽しかったですね。その中でも時間があれば友達のところに泊まりながら東京の寄席に遊びに行ったり。それで大阪で師匠の落語観たときに「すごい好きだな」と思ったので、入門するならこの人にしようと決めました。━京大出身入門してしばらくしたときに、師匠が大師匠の「扇橋」のところに連れて行ってくれて、そのときに大師匠が付けてくださった名前です。出身が京都大学だということを師匠は「最初は自分から出さないほうがいい」と言っていたんですが、大師匠は「せっかくだから出したほうがいい」とのことでした。まず「遊京」で色紙を書いてくださったのですが、前座らしく平仮名で、と「ゆう京」になりました。ただ、このときは私自身は頭が真っ白で、当時大師匠のカバンをとりに現場にいた小辰兄さんの話から補っています。師匠扇遊の「ゆう」と大師匠扇橋の「きょう」の音が入っていてとてもいい名前だねと色んな方に言って頂き、そのたびに嬉しい名前です。京大の農学部出身です。機械の勉強とかしてました。農業の中の工学科みたいなところで、波とか流体力学とか、理系なんですよ。勉強していたのはもうはるか昔のことであまり期待には答えられませんけどね。━目標目標は寄席芸人。寄席に生きることですね。どの師匠にも憧れています。━好きなもの好きな食べ物はスイートポテト。甘いものは好きですね。喫茶店行くとケーキとか結構頼みますし。スイートポテト好きだな~。あと、食べ物じゃないですけど半分だまされて行った中国も好きは好きです。入船亭遊京動画一覧はこちらから

立川がじらさん インタビュー

1986年5月21日。群馬県出身。━『テレヴィジオン』とは最初からテレビを題材にするっていうことではなかったんですよ。なんかいろいろ勉強していく中で精神分析の勉強を趣味でやってまして。ジャック・ラカン派。もともと人文科学とか哲学とかそっちの出身なので、今でもそういう本しか読んでないです。クライアントと精神分析家が話をするカウンセリングみたいなものっていうのは、予期せぬところでスパッと終わるっていうのがあるんです。で、それが落語のオチみたいにスパッと終わる。わかりやすい。なんか、あざといのが嫌なんですよね。オチでうまいこと言ってドヤ顔で頭下げる、みたいなのがなんかちょっと恥ずかしくて。精神分析って患者さん側からしたら突然「えっ?」ていうところで終わるんですって。そこで終わったことによって患者は何故そこで切れたのかをよく考えて、本当の自分の心の中のものが引き出されるっていうのがあるみたいです。その、”ひとつセッションの中断”っていうのを何かに例えられないかなっていうんで、”テレビを消す”っていうのがまず浮かんで。そこから、テレビを消して何かを考えるっていうアイディアにいき、でもやっぱり何かオチがひとつないとなっていうんで最後は苦肉の策みたいなことに(笑)でもそういうのがまず元にあってそこから膨らませていきました。━落語だったら何でもできるやっぱり元々立川談志師匠が好きで、元々爆笑問題さんとかも好きで。たけしさんとかみんなが「談志師匠すごい」って言うじゃないですか。それでやっぱり気になってですね。で、古今亭志ん生の噺を聞いて決定的に。それから大学で落研に入りました。うちの師匠の『全身落語家読本』を読んで衝撃を受けて、立川流寄席に通うようになりました。師匠志らくはもちろんですけど、左談次師匠とかベテランも皆凄くて、どんどんハマっていきました。大学では哲学科っていうのはなかったので、ドイツ文学専攻。大したことは一切やってないです。ドイツ語は喋れないけど、海外公演はちょっと興味あるんですよ。やっぱりどっかでやれたらなというのは。でも日本語ならではで成立している芸かなというのは思いますね。まあ、言葉が全てですんで。落語で表現できることの幅広さにすごくおののいたというか。落語だったら何でもできちゃいますからね。━演劇と落語師匠が劇団を主宰して、それのお手伝いをさせて頂いていたので自然に演劇に入っていけました。いま小劇場に出させてもらっています。地蔵中毒っていう変な劇団で、落語とは勝手が違うので楽しいですね。やっぱり人とのやり取りが楽しい。落語は自分で処理するじゃないですか。なのでそれが新鮮というか難しさでもあり、掛け合いになるっていうことの感じが違いますね。あと、動いてるっていうのも大きい。で、それをまた落語に繋げていく。刺激をものすごくもらうんですよね。やっぱり仲間たちからも刺激を受けるし、劇団を観に行くようになっていろいろな表現をしようとしてる人たちを見ると「自分はなんも知らないんだな」「もっと広がっていけるんだな」って感じます。━挙動不審の自覚あり友達はいないです。落語界に友達がいないんですよ。よく他の人の話聞くと、みんなで休みの日ちょっとどっか行ったり、旅に行ったり、飲みに行ったりとかしてるらしいんですけど、僕は一切誘われないので。何かの打ち上げっていうのはありますけど、わざわざ休みの何もない時に僕は誘われないですね。他の人は誘われてるらしいんですけど、やっぱり芸風ですかね。なんか嫌だなって思われてるのかな。生理的なものなのかな、挙動も怪しいってよく言われるし。でもそれは最近客観的に自覚していて。やっぱり演劇やるようになったので、そういう影響は大きいですね。動いてる自分を見ると「アレ?」って思うんですよね。こいつ怪しいなって。座ってても僕落ち着きのないほうで、「動くな」って師匠から言われるんですよ。本当は体でリズム取っちゃいけないんですよね。ピタッと止まって喋って、手なんかあんまり動かしちゃいけない。━目を合わせない者同士そうですね〜彼女が欲しいですね…。あともちろん落語うまくなりたいなっていうのもちょっとだけ思ってるんですけどね。まずやっぱり師匠があって、師匠とやっぱり立川の師匠方。本当にすごい人たちばかりなので目標にしたいですね。うちの師匠はちょっと挙動が不審な感じ。うちの師匠、人の目を見ないんですよ。僕も人の目見られないんですけどね。なので基本目が合わないんですよ。僕と師匠の目が合ったのって入門してから2回くらいしかないんですよ。1回は一番初めに「お願いします」って言ったときで、もう1回は楽屋の鏡越しに目が合っちゃって、2人でお互いに「アッ」て言っちゃって、気まずい・・・みたいな(笑)お互い合わせに行かない人なので、本当ははもうちょっと、4回くらいは合ってると思うんですけど。二つ目昇進の時とか多分合ってたんじゃないかな(笑)視力は問題なし。僕はちゃんと見えてます。中学の頃に眼鏡作ったんですよ。検査で「眼鏡作りなさい」って言われて。でも大学生の時、先輩に眼鏡を食べられちゃって…。落研の先輩に、たしか朝の赤羽で眼鏡バリバリ食べられちゃって(笑)それ以来眼鏡ないんですけど、支障ないんですよね。やっぱり人と目を合わせられないっていうのは、視力とはまた別の問題ですね。やっぱり、あの・・・挙動がやっぱりちょっとね。━やっと手に入れたテレビ!でも・・・去年(2017年)の大晦日にテレビ買ったんですよ。一人暮らしで長らくテレビ持ってなかったんですけど『紅白歌合戦』見たくて。紅白でエレファントカシマシ見たくてテレビ買ったんです。大晦日の夕方6時半くらいに電気屋に走りました。どうしても見たかったから。追い詰められてアドレナリンが一番ピークになったときに電気屋に走って行って、一番小型の手頃なやつを。なけなしのお金をはたいて買ったんですよ。でもBSとかって見られないんです。立川がじら動画一覧はこちらから

林家あずみさん インタビュー

━お洒落大好きお洒落好きです。洋服すぐ買いに行きます。着物も100着くらい持っているかもしれません。もらったものもありますし、着物の古着屋さんで安いのをうまく見つけたり。自分の身丈と合って高座で着られそうなものに出会ったら買う。1枚大体3万円以内で買えるんですよ。なので、自分で古着を買うときは3万円以上のものは買わないというルールがあるんです。そうは言っても半分ぐらいが頂き物です。くださる方がもう着れないような柄だったり色合いだったりするものを頂けます。助かりますね。━自主規制私服のルールもありますよ。一緒に行動する方がすごいご年配の師匠もいらっしゃるので、細かいボーダーとかストライプとか見てるだけでクラっと来るような柄は選ばないルールがあります。私なんかのせいで倒れられたら申し訳ないですからね。自主規制です(笑)自分でもたまに細かいストライプとか見てチカチカするな?ってことあるじゃないですか。私でも思うんだから、80代の師匠方とかは倒れちゃいますよ(笑)━デリケートな相棒稽古用の稽古三味線が二丁と、高座に上がる用の紅木(こうき)の木でできた三味線が二丁で計四丁持っています。稽古三味線だけ最初に一丁を自分で買って、その他は三味線の師匠の花季彌生師匠がくださいました。本当にありがたいです。革を張り替えたりする間にもう一丁持っていないと3週間くらいかかってしまうんです。1年半に1回のペースで張り替えてますが、本当は破れるまで使って大丈夫なんです。ただ私は破れるのが怖いので、破れる前に張り替えます。張り替えてまだ3カ月ぐらいしか経っていないのに、高座に上がろうとケースを開けたら裂けて割れていたことも。気温の変化とか気圧の変化とかで勝手に破れちゃうので、いつ破れてもいいように白いテープを持ち歩いています。それをキレイに貼ると、音は悪いですけど1回の高座だけは凌げます。━まさかのティッシュ老人ホームでやらせていただいたときに、高座中に1人のおばあちゃんが私の前に歩いて来たんです。それからマイクの横にそっと何かを置いたんですよ。「あ、ご祝儀だ。チップ下さった」と思って見たら鼻かんだティッシュでした(笑)さすがにそれは笑っちゃって「なんでやねん!」って(笑)すごいゆっくり近づいて来るからちょっとドキドキしたのに、まさかの鼻かんだティッシュ。びっくりしました。その後も思い出し笑いが止まらなくて駄目でしたね(笑)━ビジュアルだけで仕事してます!着物を着たときは、眉毛とか化粧が薄いと負けちゃうので凄く濃いめにお化粧します。ライトで飛んじゃうので眉毛も濃い目に描いてますね。現場に入ってから足します。帰りは多少は落としていきますけど濃いですね。シンクロナイズドスイミングみたいな(笑)髪の毛も楽屋に入ってからウィッグを付けるので、地毛は鎖骨まであるかないかぐらいですね。うまいことやってるんですよ。なんせビジュアルだけで仕事してますんで(笑)━不器用ながらも三味線は1曲終わったらチューニングした音が変わってしまいますね。それをお喋りしながらもとの音に戻していかなくてはなりません。でも絶対音感は持ってないんです。特に三味線の音に触れて生きてきたわけじゃないので、本当に猛烈な練習と、8年の中でちょっとずつ培われてきた感じですね。4年くらい経ってから段々と合わせられるようになりました。その間ももちろん高座には上がっていて、音が違うのはわかるけど、どの糸がどう違うのかがわからないんですよ。ちょっとずつ全部の音を直すっていうのが出来なくて「違うけど、何が違うのかもわからない」っていう状態で高座に上ってました。弟子入りから始めたので、三味線も唄も8年。私はすごく不器用なので、お三味線のお師匠さんにお弟子さんがいっぱいいる中、素人のおじさんおばさん達もいっぱいいる中で未だにかなり下の方のレベルなんです。みんなもっと早く覚えるし早く習得するし。私はお三味線の師匠からも「本当に不器用ね。人の倍努力しなくちゃ駄目よ」と言われるくらいですから。だから本当に三味線が好きじゃなかったら無理です。━三味線漫談林家あずみ三味線漫談家自体が日本に5人もいない職業なんです。三味線を使う芸人さんはいっぱいいますけど、「三味線漫談です!」って言ってるのは多分5人も居なくて。なので、あと10年しないうちに、三味線漫談という言葉を聞いたときに、世の中の落語とか演芸に興味がない人のところまで「三味線漫談林家あずみ」っていうのが浸透するのが目標です。林家あずみ動画一覧はこちらから

立川志獅丸さん インタビュー

1976年4月19日生まれ、東京都豊島区出身━農業?経済?出身は農業経済学科です。作るほうではなく貿易とか、農業に特化した経済をやる学部でしたね。今でいうとTPPとか。僕のころは狂牛病が出たらどうするのかってことで盛り上がっていた時代でした。ただ、簡単に言うと経済学科なので文系と一緒なんです。だから就職も普通。専門職というよりは一般的な文系の人と同じように就活をして、呉服屋で2年ぐらい販売の仕事をしてました。━話芸を身につけようとして落語を聴き始めたのは中学2年。だからといって落語家を職業にしようだなんて全然思っていませんでした。中高男子校で、大学も農業経済。キャンパスは理系と同じで女性が少なく、おまけに柔道部だったので女の子に無縁でした。そのまま呉服屋に就職したもんだから、周りには女性が増えたものの免疫がなくて全然喋れなかったんです。しかも一番初めの配属が大阪の京橋で、強烈なおばちゃんとかがお客さん。そこで話芸を身につけようとしたら、落語にハマっちゃったっていうことですね。━落語家になるために辞職仕事は落語家になるために辞めました。上司に「落語家になるから辞めます」って言ったら「ふざけるな。何を言ってるんだ」って驚かれましたね。だけど止めることすら難しかったんだと思います。向かないから辞めるとかではなく、急に落語家になりたいと言い出した奴がいるぞっていうので。━真打トライアル振り返ってみるとあっという間ですね。逆に16年経っちゃったんだ・・・って感じもします。16年でこれだけかっていうのもあるし、まだまだだなって思いもあったり。あと4年で20年ですからね。焦るのは毎日焦ってます。余裕がないですね。ただ、今年から真打トライアルを考えているんです。いかに師匠にアピールするか。国立演芸場で3回やることが決まっていますので、そこで師匠を納得させられるかどうか。もう16年ですから、いよいよ来たかって感じですね。キャパが300ある会場なので埋まるか埋まらないか。というよりも埋めてみせなきゃいけないのでそのドキドキがありますね。ただ、それがあるから今はすごく充実してる感覚もあります。━バスケットボールと仕事趣味はバスケットボール観戦です。アルバルク東京のラジオもやらせていただいています。きっかけは3年前。栃木でラジオの帯番組を持たせてもらっていたときに「リンク栃木ブレックス」というチームに渡邉裕規っていう落語好きな選手がいると。それで共演していたアナウンサーが引き合わせてくれたんです。そこから渡邉選手と仲良くなってバスケを観るようになりました。今はちょうど住んでいる地域がアルバルクの本拠地であり、僕がバスケに詳しいというのでお声をかけていただいてやっています。━煎餅他には・・・煎餅かな。YouTubeで茨城県の美味しいところとか紹介することがあって、お醤油屋さんの素焼きの煎餅っていうのに出会ったんです。醤油も何もついてない煎餅を焼いただけのものを夜な夜なトースターで温めて自分好みの味を見つけるという。急に地味ですね(笑)━面白く語れる落語一番は、自分の独演会でお客さんが入るような落語家になりたいですね。メディアとかで顔を売るのもそうですが、元は落語ですからやっぱり面白く語れる落語を目指していきたいですね。お金を稼ぐなら自分の落語で稼ぎたい。真打トライアルで300席いっぱいになれば月に1回でも相当になると思うんですよ。でも、どちらかというと気楽にやりたいかな。だけど自分のペースでやっちゃうと怠けそうな気もするし・・・難しいですね。━全ては高座につながる師匠のように表に出ることを目指しています。でも、テレビに出る人は特殊能力だと思うんですよ。うちの師匠だったら昔は映画の評論とかが出来たり。師匠がよく言うのは「人間的に面白くないと面白くならない」と。だから、いろいろやってみて面白くしていくって言うのはそういう部分にあるかなと思いますね。ほかの活動がすべて高座の上につながっていくっていう感じです。立川志獅丸動画一覧はこちらから

柳家やなぎさん インタビュー

1990年2月18日生まれ、北海道野付郡別海町━減量、叶わず協会のプロフィール写真は二ツ目になる直前ですね。二ツ目になったらどんどん痩せてやろうと思って意気込んでいた時です。あの頃は、二ツ目になれば痩せるだろうと思っていました。いわゆるデブキャラで売る自信が無かったので、僕は開き直れなかったんです。体も心配になりますし。でも・・・駄目でした(笑)━きっかけは現実逃避僕は全く勉強が出来なかったんです。高校3年生の時に授業に追い付けなくて、現実逃避で落語をきいたのが初めてでした。それから東京に出てきてアルバイトなんかをしていて、その頃に落語が世の中で一番好きだったので、じゃあ折角なら好きなことでご飯食べたいなと思ったんです。それに普通の企業で勤めている自分の想像が全くできなかったんです。普通に働いて、ちゃんと朝起きて、ご飯食べて、仕事行って・・・みたいなのが本当に1ミリも想像できなくて、生意気ですけどそういうこともあって噺家になりました。━夢のような見習い期間普通に働くよりも前座はハードだったかもしれないですね。でも好きなことですから。好きなことやっている時は平気です。最初の半年は盲目。毎朝自宅に行くと自分が惚れた師匠がいるわけですよ。だから最初の半年は「あー!さん喬師匠いるー!」「俺、さん喬師匠のお皿洗ってるー!」「俺、さん喬師匠入った後のトイレ入ってるー!」とかそういうのが続いて、見習いの半年は寄席を知らずに師匠のお宅にしか行ってなかったです。前座は寄席でそれどころではないので、あっという間に1日が終わっていきますから。期間としては長かったですけど1日1日を見れば随分あっという間に終わりましたね。━腐っていたあの頃今だから言えますけど、あの頃は随分腐ってました。前座って大体みんな腐るんですよ。目新しいものは楽屋にはないし、伸びしろもない。今だったらその時の自分に言います。「なんだって新しいし、何にもやることないなら高座を勉強しなさい」って。でも当時は「なんか早く終わんないかなー」って腐ってましたね。━ガンダムと酒普段はずっとゴロゴロしています。何もなければ家でゴロゴロして1日終わります。お酒飲んで終わり。二ツ目になってから、仕事をした日以外は飲まないと決めてますね。常備はしていますが、飲み始めるといつまででも飲んでしまうので。だから仕事した日はご褒美に飲んでいいことにしています。ガンダムを見て家でゴロゴロ。夢のようです。そうやって生きていきたいですね。お酒はなんでも好きですよ。━師匠、ごめんなさい!師匠はお酒を飲まない人なんですが「お前飲んでいいぞ」と言われ、最初はもちろん断わりますよね。でも進められて飲んで、気が付いたら僕が助手席で師匠が車を運転しながら「この辺でいいか?」って(笑)ごめんなさいっていつも思っています。同じことが何回かありますね。次の日は何事もなく「昨日はごちそうさまでした」って。だって師匠が飲めって言うんですもん(笑)僕だって「一人で帰ります」って言うんですよ。でも「いやいや送っていくよ」ってお言葉に甘えています。「テメぇ、この野郎」って思われているかもしれないな。━コツコツとやるのみ不器用なので本当にコツコツと目の前にある課題とか自分に出来ることをやって、噺家は死ぬまで噺家だと思うので、その頃には1ミリでも自分の師匠に近づいていたいですね。根本的に稽古をもっとしなきゃいけないと思います。とにかく噺をいっぱいやらないと駄目だなと思っています。━師匠のおかげ声が大きいのもこの世界に入ってからで、本当に師匠のおかげです。いわゆる腹式呼吸どうのっていう指導はないんですよ。だけど「さん喬」という師匠は、朝お宅に行って新聞を読んでいるところに「おはようございます」と言っても返事をしないんですよ。声を張って「おはようございます!」って言うと「おはよう」って返してくれる。無言で「お前の声は聞こえませんよ」って伝えてくれていたんだと思いますね。稽古の時も「腹から声出せ」って言われていました。一番最初に「こんちわ!隠居さんこんちわ!」って言うと「もう一回、腹から声出せ」って。初めて教わった噺も最初の「こんちわ!」だけで30分くらい。なので、この世界のことはこの世界に入ってから全部出来るようになりました。といっても、まだまだですね。もっと面白くなりたいです。柳家やなぎ動画一覧はこちらから

三遊亭伊織さん インタビュー

1987年5月1日生まれ、神奈川県。━落語家一筋桜美林大学の落研出身です。大学自体は玉川大学だったんですけど落研が無くて、高校が桜美林だったんでそちらに所属していました。就職活動もせず社会人も経ずに、落語家一筋です。落語を聞いたのが高2か高3くらいだったかな。それで落語面白いなと思って、友達が「落研っていうのがあるよ」って教えてくれて、最初は自分でやるつもりはなかったんですけど、実際にやってるうちに楽しくなって・・・という感じですね。一番最初に聞いたのは古今亭志ん朝師匠の『酢豆腐』。職人のなせる業だな、と。本当に一人の人が喋ってるのかな?って。情景もありありと浮かぶし、これを音声だけでやるって凄いことだな、っていう認識でした。━弟子入り寄席でうちの師匠を観ていて、面白いなって思いましたね。師匠の笑いの取り方とかがすごく好きで、師匠のやり方を面白いなっていう風に感じました。芸名は、師匠が三遊亭歌武蔵で、宮本武蔵の養子の名前が宮本伊織。そこからですね。本名とは関係ないです。前座名は師匠がいくつか候補を出してくださって、その中から師匠の師匠である大師匠・三遊亭圓歌が選んでくれました。━教員免許大学に行くときに「教員免許を取る」って言って、途中で「落語家になる」って言い出したんです。でも両親には「当初の約束だから教員免許取れ」と言われました。先生になるか落語家になるかは最後まで迷いましたね。両親は2人とも教員。自分も大学時代に塾の講師をやってたんです。だからそういう影響もあったと思いますね。━テンションのピークよく元気ないって言われるんですよね。そんなつもりないんですけど・・・野球を観に行ったときはテンション上がりますよ!ヤクルトスワローズが大好きで神宮によく行きます。去年観に行ったときは、七回の表まで10対0で負けていて「もう今日は負けだ」と思ってしょんぼりしてたんです。そしたらそこから逆転して11対10で勝ったんです!!その時は外野席で踊ってましたね(笑)お酒はちょっとしか入ってないですけど、その時は神宮球場がもうお祭り騒ぎになっていたので、自分も知らない人と抱き合ってました(笑)あの時があまりに上がりすぎて、人生の中でも一番上がったかもしれない。友達を誘ったんですけど来られなくなって、結局一人で踊って帰って来ました。━アマ初段入門前から将棋をさしてて、その時はアマ初段だったんです。認定を受けてたんですけど、やっぱり入門しちゃうとそんなことは出来ないので、その間にずいぶん弱くなっちゃっいましたね。なので今年はもう一度アマ初段を目指そうと。家にいて何もないときは将棋の勉強もしたりしてますけどね。それでたまに踊る。ま、30年にたった1回ですけど(笑)━目標落語が好きで何度も寄席に足を運んでくださるお客さんっていると思うんですけど、その日初めて寄席に来るお客さんもいると思うんですよ。私はその人たちに落語を好きになってほしいんですよね。その日初めて来たお客さんが私の落語を見て「落語って面白いんだ」って思ってもらえるような落語をしたいですね。だから「落語を聞くようになったきっかけは伊織さんですよ」っていう風に言われるように、みんなが分かりやすくて面白い落語をやりたいなと思いますね。三遊亭伊織動画一覧はこちらから

三遊亭めぐろさん インタビュー

1972年5月17日生まれ。師匠は三遊亭圓丈。━目黒区芸人ということで師匠が70歳過ぎて弟子の名前付けるのが面倒くさくなっちゃったんですよね。僕は8番弟子なんですけど、「どこ住んでる」って聞かれて「目黒のほうです」って答えたらこうなりました。前座のころは二子玉川に住んでいたので、二子玉丈(にこたまじょう)か玉々丈(たまたまじょう)のどちらかで、玉々丈になりました。━昇進に関係なく二ツ目の途中で改名されたとか?そうなんです。これも師匠と揉めたんですよ。玉々丈で二ツ目になったんですね。うちの一門は真打で1回名前が変わるだけなので、「そうすると俺あと10年玉々丈か・・・」って思って。これはちょっと良くないんじゃないかな?と師匠のところ行って「名前変えてください」と。そしたら師匠も「まじか」と。「本当に変えるの?」と聞かれたので「変えてくれなかったら辞めます!」って言ったら師匠もギクッとしてて(笑)泣いたふりとかして「辞めたくないよ~!」とかやってたら「じゃあ変えてやるよ」って中途半端なタイミングで変えてくれました(笑)他の弟子も師匠の気まぐれです。いまの白鳥兄さんも新潟出身だから三遊亭新潟だった。天丼食べてたから天どんって兄弟子もいますし、犬がちょろちょろって来たから「何かのお告げだ!」ってわん丈。うちは名前は適当です(笑)━玉々丈よりめぐろのほうがしっくりきてますか?玉々丈は、“汚れの人はちょっと”とか“下ネタでしょ”って思われるんだって気づいたんですよ。若手のころは変わった名前だから覚えてもらいやすいしメリットあるなって思ってたんですけど、いざ中堅に差し掛かってきたときにデメリットのほうが大きくなってきて・・・。大きい落語会とか由緒あるものには1回も呼ばれたことがないです。名前のせいです。※近くにいた三遊亭歌太郎(2017年NHK新人落語大賞受賞)「名前のせいじゃねーだろ!(笑)」先月までだったら言い返してましたけど、今はチャンピオンなんで何も言えないです(笑)━趣味はありますか?ジュースを飲むことかな・・・。喫茶店とか行ってジュースを頼むんですよ。そうすると、今どきこんなのある?みたいなのが出てくるんです。すっごい苦いオレンジジュースとか。ジュースを絞ったおじいさんのエキスが入っているような・・・何かを煎じているようなやつが出てくるんですよ・・・━ジュースに興味を持たれたきっかけは?もともと体質的にお酒が弱くて、居酒屋とかではウーロン茶とか頼んでたんですけど、それじゃつまんないな、ってミックスジュースを頼んでみたんです。居酒屋のミックスジュースってだけで怪しいでしょ?それがジュースとの出会いですね。古い喫茶店とかあったらジュースを探しに入りたくなっちゃう。━ベストオブジュースを教えてくださいお店の名前がわかんないですけど、学芸大学の喫茶店に梨をしぼったフレッシュジュースがあるんですよ。梨がひと切れレモンみたいに刺さってて。斬新でしょ?かじっても甘くもなんともないんですよ。でもジュースは甘い(笑)それがおいしくて。梨のジュースってあんまりないじゃないですか。だから一番インパクトありましたね。自分では作らないです。料理も簡単なものだけ。自分が食べるくらいのものをササっとやるだけです。あとは、野球を見に行ったり。たまたまヤクルト好きの落語家が多くてみんなで神宮球場に行って外野席で飲みながら野球を見たりとか。今年は毎週のように行ってましたね。━芸歴、師匠について教えてください落語家になる1日前まで見たことも聞いたこともなかったんです。TVでたまにやってるじゃないですか。それをたまたま見て面白そうだなと思って図書館行って、『落語入門』みたいなの読んだんですよ。そしたら最初のほうに“落語家になるには”って書いてあったので、この通りやってみようかなと思ってやってみたんです。たまたま仕事を辞めてニートだったので、浅草演芸ホールに行ってスタッフの人に「すいません落語家になりたいんですけど」って言ったら「あそこのおじさんが落語家ですよ」って教えてくれて。そのおじさんに「すいません、落語家になりたいんですけど」と声をかけたら「じゃあ話きこうか」って。それが師匠。なんであのときに歌丸師匠とか小朝師匠が歩いていなかったのか。運がなかったですね~━前職は?トラックとかバンでデパートに食料品とか雑貨とかを配送する仕事をしていました。思い切って違うことをやりたいなと。━喋ることがもともと得意だったんですか?喋るのは本当に苦手。落語家になって初高座まで結構もじもじするタイプでした。だからさっきの『コトブキ』の鈴木も自分を投影してるんですよ。もじもじしてる人とかのキャラが多いですね。自分にないキャラだと無理があるし、途中で超恥ずかしくなってくるんですよ。どっかで自分にある部分を大きくしていかないとやっててしっくりこないし照れくさくなっちゃうんですよね。━他の芸人さんはよく見ますか?結構見ます。漫才とかコントとかも小屋へ行って生で見たり。去年R-1グランプリに誘われて出たんですよ。それで顔見知りになったのもあったりして見に行ってますね。最近は若手の人たちが好きです。かまいたちとか千鳥とか。絶対に真似しちゃうので影響されないように一視聴者として、吸収はあまりしないようにしています。━座右の銘は?enjoyですかね。師匠が圓丈だから漢字?くさいですね!アルファベットでお願いします。ちょっとこれは師匠に気に入られそうだな(笑)━所作がお綺麗でしたが、踊りのご経験などは?やってないですけど、それは湧き出るオーラだと思います。漏れちゃってました?気をつけなきゃな~!━最後に一言お願いしますやっぱり新作落語を作っているので、オンリーワンの芸、世界で僕しかやらない芸を見に来てほしいですね。古典?やりますけど、上手すぎるので辞めました(笑)三遊亭めぐろ動画一覧はこちらから

春風亭一蔵さん インタビュー

1981年7月13日生まれ。東京都出身。━噺家になろうと思ったきっかけは?大学は行ってないので、7年間社会人をやって噺家になりました。きっかけはやっぱり今の師匠への一目惚れですかね。僕は高校卒業してすぐ結婚したんですよ。それで、25で別れるんです。それまで手っ取り早く稼げるトラック運転手をやってたんですけど、いよいよ一人で好きなことやろうと思ったときに、その当時落語が好きだったんで寄席とかホール落語とか観に行ってたら、やっぱりうちの師匠いいなあと思って。それで弟子入りしちゃったっていう。2回断られたんですけど、3回目でラブコールが届きました。━前座名は朝呂久さんあさろくじゃないです。ちょうろくです。気軽にチョロキューって言ってください(笑)うちの師匠は鳴り物がすごい得意。歌舞伎座で笛吹いてたような人なんです。その時の先輩とか師匠とかが、望月長左久、朝呂久っていって。要するに鳴り物の名前からとったって言ってました。鳴り物名でいるんですよ。━一蔵ってちょっと渋いというか僕、一蔵になりたくて。ていうのがまたこれもあれなんですけど。うちの師匠の奥さんが先代の片岡市蔵って歌舞伎役者の娘なんですよ。で、その片岡市蔵の市は市場の市なんですけど、それを漢数字の一に変えて、どうしてもその名前が欲しいな、いいなと思って。━そこもスムーズに?そりゃ女将さんからね、やっぱ口説いて。やっぱ呼びづらいじゃないですか。うちの師匠にとっては義理のお父さんだし、うちの女将さんにとってはお父さんの名前だから。だからその「女将さんいいですか?」って言ったら、まあそれこそね(柳亭)市弥がいるから、市馬師匠のとこで一蔵って取られるよりいいねって(笑)音が被っちゃうんで。イチバ、イッチョウって。それでそんな話になりました。━それが2012年(柳亭)市弥さんと全くの同期です。“三人衆”ってもう1人同期がいて、もう1人は小辰っていう・・・まだミッドナイト寄席には出てないかもしれないですけど。これがまた名人で。3人でユニット組んで、年間で10公演以上はやってる同期会があるんです。もし良かったら遊びに来てください。切磋琢磨して、いい刺激になってます。━趣味は競艇もう僕は命賭けてます。本当に。父がね、博打好きだったんでその名残でよく行って。もう本当に好きでね。まだそっちは稼げてないんで、一応こっちが本業ですけれども。1年間で我々寄席の出番があるんですけれど、寄席の給金を全部そこで使うっていうのを毎年やってまして。━坂上忍さんみたい坂上さんは多分ちゃんとしたギャラも全部なんですけど、僕はギャラはね、一応食ってかなきゃなんないんでね。寄席の割っていうのがまたあるんですよ。都内4軒ある寄席にかおつけてもらったその封筒を一芝居一芝居大事に置いておいて、それを開けて大阪に行くっていうのを毎年やってます。━自分のネタに競艇を取り入れることは?ありますあります。マクラとかでも喋りますし。こないだなんか三題噺やったときに競艇の話にしたり。でも僕は借金あったりしないから、全然付き合っても大丈夫だと思いますよ!この人は借金とかいっぱいあるんじゃないのって思われるかもしれないですけれど、それは大丈夫ですから!━サウナも趣味僕は水風呂は大の好きで。水風呂って恐怖心あるでしょう?怖いですよね。あれはね、サウナ入るでしょ、それで水風呂入りますよね。「それが気持ちいい」って言ってるやつ素人なの。水風呂ちょっとでも入った後、どこでもいいから腰かけてください。その座った瞬間に今日のあなたの疲れがとれますから。どーんと下に疲れが落ちていきます。それを是非味わってください。是非これはね本当に。本当にすごいです。本当ドーンと落ちますから。━ゴルフも趣味まあ100前後ですよ、遊びゴルフですから。でも好きでちょこちょこ行ってますね。運動はこのガタイですからやっぱゴルフぐらいですかね。僕は始めてから2年半くらい。二ツ目になってちょっと経ってから先輩でゴルフ好きな人がいて。「じゃあ一度俺のクラブ貸してやるから」ってのが始まりです。━すごく飛びそうですねこの間、河川敷ですっげー風だったのね。もう10mぐらいの北風。で、河川敷だから行きはアゲンストで帰りフォローなわけよ。そしたらフォローでティ―ショット、パーンっていったら本当にいい当たりしたの。そしたら300ヤード飛んでたよ。風に乗って。これ松山級ですよ。だから残りも50ヤードぐらい。240ヤードのポールがあるんですよ。ここだいたい狙いなさいよって。それより明らかに5、60は前にいた。だから測ってないけどだいたい300。でも、そのあと3つ叩いてパーだった(笑)━二席やった感想は?一席目は短いのだったんですけど、二席目はちょっとたっぷりやらしてもらったんで本当にありがたいですね。お相撲の話が好きで、お相撲も趣味ですよ。よく観に行きます。自分で相撲?取らないですよ!!(笑)がたいインスピレーションやめてくださいよ!(笑)━配信というあたりの意識は?全然してないです。ただ、正面切りました。マクラのときに。普通はお客さんいるから左右に振るんだけど、一応正面向いてやりました。━これからの目標は?やっぱりそりゃあなんとか賞金王決定戦で勝ってね、来年何とか前座にちゃんとお年玉を。年末の大一番。それで勝って前座にちゃんとお年玉を渡すってのは当面の夢っていうかね。稼がないと払えないから。そこなんですよやっぱり。前座以下にみんなあげるんですけど、それを何とか払えるように、頑張ろうって。去年は大損こいて、本当に謝りながら金払ったり、いろんなところから借りたりして払いましたけど。一昨年はバカ儲かって、いつもだったら1000円しかあげないところ2000円あげたり。1人2人じゃなくて40人ぐらい渡すから、それのためにもやっぱ賞金王。それが当面の目標です。━最後に一言もしかしたら来年痩せるから、太ってる一蔵は最後になるかもしれませんので、これ観といてくださいって言っといてください。「あー太ってたなーあいつ昔」っていう最後の映像かもしれないんで。春風亭一蔵動画一覧はこちらから

春風亭正太郎さん インタビュー

1981年8月23日生まれ。━入門は2006年24歳の時です。大学卒業してから2年間、塾の先生で文系全般教えていて、そのあと結局こっちの世界に来ちゃいました。落語家になりたいって思ってたのかな?落語が好きだったとしか言いようがないですけど。初めて聴いたのは中学3年生の時。小学校の頃から何となく笑点みたいのは見てましたけど。中学3年生のときちゃんと落語を聴くようになりました。文化祭でちょっと落語をやらなきゃいけなくなっちゃって。それきっかけで聴いてみようって。やらなきゃいけないから聴いてみようと思って図書館行ってテープを借りて、聴いてみたら、わーこんな世界があるのかと感動しちゃいまして。それからちょこちょこ聴きに行くようになりました。━文化祭の時は誰かのコピーを?コピーというか自分なりに真似して、できないところは自分なりにアレンジしてみたいな感じ。三遊亭圓生師匠の『死神』って話でした。子どもがやったものですから、観てるのも同級生だったり保護者だったりしますんで、笑ってくれるんですよね。笑ってくれるし、最後まで聴いてくれるんですよ。そこで何となくウケちゃったから、いい気になってしまったっていうのもあるんでしょうね。それから落語を聴きに行くようになりまして。ホールとか寄席だとかそういうところにちょこちょこ自分で聴きに行くっていうような生活になりましたね。━芸術学部に進まれたのもその関係?元々、落語のパフォーミングもそうなんですけど、そういうのが好きなんですよね。僕は映画が好きだったので、主に映画系の学科なんですけど。映画とか、落語もそうですけど、舞台だとかそういうもの色々好きだったのでね。何となくぼんやりとどうせならそういう仕事したいなと思ってたんです。でも落語家になろうとは思ってなかったですね。━好きな映画のジャンルは?なんでも好きですよ。でもどっちかって言うと最近の映画よりは昔の映画の方が好きですかね。邦画も好きですけど基本的には洋画の方が好きですね。チャップリンはなんか好きですね。チャップリンは落語に通じるなといつも思います。散々見て内容も全部覚えてますから今さら見ないですけど、家にはDVDを置いてありますよ。やっぱりこういう商売やっているからなのか、笑いがあって、ただ笑うじゃなくてドラマがあるみたいな。そういうのが落語っぽいなと思って好きですね。「ビリーワイルダー」とかね。━映画が自分の芸に影響することは?あるかもしれないです。何となく喋りながら自分の中で画を描いて、カメラワークもある訳じゃないんですけど、なんかぼんやりと自然と頭の中で場面構成を作ってたかもしれないですね。━前座から名前は正太郎で。意味は特にないと思います。「正朝」の弟子だから正太郎。ただそれだけのことだと思うんですけど。もらったときは、シンプルで親しみやすい名前だから嬉しいなと思いました。今でもその名前ですけど、本当にお客さんもよく覚えて下さいますしね。そういう意味では、若々しい感じもするし、シンプルだし、落語家っぽい名前だからいいかなと思って。この名前には愛着がありますね。━ぴったり3年で二つ目昇進さっき(柳亭)市弥くんも「毎日毎日眠かった」って言ってましたけど、全く同じ。眠いし暇はないし忙しいしお金ないし。人生で戻りたくない期間はどこですかっていったら前座の期間でしょうね。それぐらい修業はつらかったですね。今思えば、それが全部身になってますので、逆に、今でこそのんびり楽しい前座生活を送ってたほうがいいかっていうとそういうことではないと思いますね。厳しい修行が送れたからこそ今に生きていることは多いと思いますね。━印象的な師匠の言葉は?僕がやっていくうえで最も支えになった言葉は、「お前が向いてないと思ったら、俺はいつでも辞めさせます。早いうちに。君に才能がないと思った瞬間に僕は辞めさせます」と。それは、「落語ってのはある種、才覚みたいなところがあるからある程度まで鍛え上げていくけど、向いてない子は向いてないと思うから駄目だと思ったら僕は早いうちに印籠渡します」という風に最初に言われました。それは僕にとってみればすごく優しい言葉だなと思って。早いうちにこの子の人生駄目だと思うなら次の道を歩んだほうがいいっていう優しさですよね。一見すると厳しいように聞こえますけど、それは僕からするとすごく頼りになる言葉というか、心の支えになる言葉。うちの師匠が「お前は向いてないから辞めなさい」ってまだ言ってないってことは、僕はまだ続けられるかもしれないと思って頑張れましたね。━二ツ目になって8年目。生活に変化は?変わりましたね。自由な時間というか自分で仕事取れるようになりましたので、そうなると自分でこうしなきゃ、ああしなきゃと。逆に言うと自分で決めていかなきゃいけないっていう厳しさが出てきますよね。自分の時間がないというよりは自分の時間をどう埋めていくかというか。どうやって仕事で埋めていくかっていう厳しさになっていくので。誰も助けてくれませんしね。自分一人でやっていくしかないですから。この商売ばっかりは。もちろん仲間同士で支えあっていく世界ではあるんですけども、結局最後は一人の世界ですから落語は。━趣味は似顔絵を描くこと、読書、古典ミステリー研究、映画鑑賞など・・・最近時間がないからあんまり行けてないですけどね。映画なんかも観たいんですけどなかなか時間もなくて。事務仕事も溜まってたり、やらなきゃいけないこともちょこちょこあるし。仕事もあるし。逆に言うと、やることなくて映画観に行こうかな?やることないから本でも読んでようかな?ゴロゴロ寝てようかな?っていう時間がないっていうのは、芸人としては幸せなことだと思うんですけどね。でもアウトプットばかりではなくてインプットの時間も必要ですよね。━噺家さんで気になる方は?いっぱいいますよ。ほとんど全員。僕はみんな気になる。今どこでどんな仕事してるんだろう、とか。この子はこれぐらい頑張ってるんだとか、逆に先輩はこんなに仕事してんだとか。思ったより落語界って競争社会なので。もっとのんびりした世界だと思ってたんですけど。入ってきたら思ったより競争社会で。なにせ人気商売なので。あの先輩こんなに頑張ってるんだったら俺もっと頑張んなきゃとか。あの子にも抜かれそうだから俺も頑張んなきゃとか。ちょっと自分を俯瞰してみてるというかね。そういうところがこの商売に入った以上必要な気はしましたね。みんな友だちですけどみんなライバルって本当そうですね。━噺家としての目標いろいろ思うことあるんですよ。だけどとりあえず最終的には、後輩から稽古を頼まれるような落語をやりたいなと思います。僕たちの世界は、先輩が後輩に教えていく世界ですから。後輩が選ぶわけです。この話だったらこの師匠に教わろう、この先輩に教わろうっていうふうになるわけじゃないですか。みんなの見本になれるような、噺家の見本になれるような、そういう噺家になれたらいいなとは思いますよね。もちろんお客さんに楽しんでもらうことが前提ですよ。そんなのは当たり前なんですけれども、その上でさらにそう思いますね。━視聴者へアピール私は醬油ラーメンのような落語なんですよ。癖がなく誰でも食べられて、また食べたいなって思わせるような、そういうシンプルで楽しい落語を目指しております。そういう落語が出来たらいいなと思って頑張っております。その辺を聴いていただければと。春風亭正太郎動画一覧はこちらから

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