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柳家喬の字さん インタビュー

1978年3月14日生まれ、埼玉県さいたま市出身━黄金世代こう見えても高校時代は空手道部。3年間サンドバックを務めました。生まれた日はホワイトデーで、今年の3月で40歳になります。同学年のライバルは市川海老蔵さんです。あとは、氷川きよしさん、滝川クリステルさん。今年引退する安室奈美恵さんも。そして柳家喬の字。黄金世代です(笑)━いつの間にか入門高校の芸術鑑賞会で落語を観て雷に打たれ、就職してからは寄席通いをする様に。段々とうちの師匠を追うようになって、20歳の頃より“この人の弟子になりたい”と思いました。噺家になりたいというのもありましたけど、その前に“この人の弟子になりたい“と。25歳の時に会社を3月いっぱいで辞めて、4月で色々外堀を埋め、あとは入門するだけという状態にして師匠に接触しだしました。5月1日に寄席で師匠を出待ちをして初めて話を聞いていただきました。それから毎日、出待ちをして・・・。噺家は初日と言って1の付く日に弟子が師匠の家に集まるんですよ。だから師匠が「毎日来るんだったら、(21日に)初日というのがあってみんな(兄弟子)も来るから家に来なさい」と。それから毎日、なし崩し的に師匠宅に通う様になり、5月30日ぐらいに前座名をもらいまして。だから正式に今日から弟子っていうのはないんです。5月1日に師匠に話を聞いていただいて、5月21日から師匠宅へ通うようになり、それからいつの間にか芸名をもらって、いつの間にか前座になり、いつの間にか二ツ目に。だから「今日から弟子に取ります。」というのがなかったんです。━前座名の由来は勝小吉ある日突然「お前は小きち」と。5代目小さん一門の前座は、小さんの“小”を付けるか”さん”を付けるかで、前座名をいただきます。たまたま僕が入門したときにNHKの大河ドラマで『新選組』がやっていました。師匠は勝海舟好きで、勝海舟のお父さんが勝小吉。勝小吉の“吉”は漢字なんですけど、小さんの“小”と、“きち”は字面を“小さん”に合わせて、ひらがなの“きち”に。名前らしい名前でもあるからと“小きち”。━“喬”の字との縁前座期間は見習いが1年あったので、それを含めたら3年9カ月ですね。それから二ツ目に昇進して、喬の字。この名前には2つ意味があるんです。僕は師匠の8番弟子なので、兄弟子が喬太郎を始め、喬之助、喬四郎、喬之進とか一通り喬の付く名はつけられていて、師匠は小きちのままでいいとおっしゃってくださいました。前座名って覚えてもらいやすいように、小はぜ、小ざる、さん角、さん坊・・・みたいな、ちょっと他の物と掛けた名前をつけるんですけど、「小きちは名前らしい名前だし小さん一門っぽいから、真打までこれでいってもいいよ」って。だけど、さん喬の弟子なので「“喬”の字をください」って言ったら「じゃあ、“喬の字”あげる」っていうのが一つ。もう一つは、昔の呼称に“何とかの字”というのがあるんですよ。そのものを表す代名詞のことを“〇の字”って言うんです。例えば、ありがたいことを“御の字”。その他にも惚れてることを“ほの字”とか、名前に三がつく人は“三の字”と。現在名前に“喬”を使っている落語家はうちの師匠と桂南喬師匠の2人だけ。しかも僕が高校の芸術鑑賞会で雷に打たれたのが桂南喬師匠だったんです。だから南喬で落語を知り、さん喬で落語家になったので、喬の字に縁があるから喬の字。このまま真打でもいいかなと思ってます。━師匠とお隣さん僕は師匠のマンションの隣ビルに住んでいて、太ると師匠に顔が似るので「息子さんですか」ってよく間違われるんです。出身が埼玉なので、どうせ東京に住むのに師匠の家から離れて住んだらメリットがないじゃないですか。東京に出てきて6回引っ越してるんですけど、だんだん師匠宅に近づいてきてとうとう隣になりました。師匠は「いつか俺のマンションに引っ越してくるんだろうな」って言ってますけど、師匠のところは家賃が高いんですよね(笑) 師匠は寛大な方です。怒られますけどさっぱりしてて引きずらないです。大師匠の5代目小さんの言葉「芸を磨くより人を磨け。人を磨くより自分を磨け。自ずと人が付いてくる。背中を見て育つ」。これを実践なされてる方なんで、そんなに怒られたことはないです。優しいというか寛大な方です。━プレーヤーよりディレクター自分の高座がない日は、車の運転が出来るので師匠のお伴が多いのと、自分でもいろんな会を立ち上げているので企画構成作業を。どっちかっていうと、プレーヤーよりディレクター気質の人間なんです。この会場は何線と何線が通っているのでこういう客層で、こういうタイプの噺家と組むのがいいとか、ネタはこういうのをやろうとか。そういう企画構成が好きなんです。だから自分の独演会も1年前から会場取って、サブタイトルを決めて、ネタを決めて、ゲストを決めて、流れを決めて・・・そういう番組構成を考えるのが好きですね。ただ、告知してチケット1枚売れた時点で鬱になる。本当にこの会やらなきゃいけないんだって(笑) 昔から文化祭とか好きでした。ただ、高校くらいから浮きますよね。みんな中学までは頑張るけど高校になると熱量が違う。だから浮いてたと思うんですけど、やっぱり企画とかが好きですね。━目標余韻を残せる噺家になりたいですね。ただ観に行って「面白かったね」でそのまま帰るんじゃなくて、「ちょっと一杯やって帰ろうよ」「熱燗でも飲んで帰ろう」「また来たいね」と、お客さんが余韻に浸りたくなるような、そういう噺家になりたいですね。余韻を残せる噺家になれば自然に寄席に顔付けされて、トリも任されるようになると思うので。ただ〇〇師匠ほど売れたくないですね。フライデーされたくないので(笑) 噺家としてそこそこ売れたいですね。柳家喬の字動画一覧はこちらから

立川吉幸さん インタビュー

1973年8月31日生まれ、千葉県出身━落語との出会いきっかけはテレビですね。子どもの頃が漫才ブームで、ツービートとかB&Bとかザ・ぼんちとか。だからお笑い番組が多くて、お笑い好きになって、その一つが落語でした。その時にインパクトが強かったのは枝雀師匠。子どもにもわかるオーバーアクションで、当時小学1年の子どもにもわかったというのが大きかったですね。それが落語との出会いでした。それからは、お笑いよりも落語が好きになりました。それから小学校高学年ぐらいになって、東京の落語をテレビで見るように。当時はレコードの時代だし、田舎だったので入手方法も知らないのでカセットテープで聞いてました。親戚のおじさんに貸りたり貰ったりして。その頃は10本セットぐらいの安いカセットテープがあって、先代痴楽師匠とか先代文治師匠、柳昇師匠とかが入ってたかな。古典落語より新作のほうが取っつきやすかったですね。そればっかりを聞いていたわけではないですけど、落語が面白いとはずっと思っていました。━職業:落語家職業として落語家になりたいと思ったのは20歳くらい。高校卒業するときはちゃんと就職しなかったので、当時はバイトをしながら寄席に通っていました。もちろん落研でも何でもないので落語はやったことなかったですけど、やっぱり前座を見ているとやりたくなるんですよ。このぐらいだったら俺にも・・・って勘違いをするんです。すると若気の至りで、やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい、とか思っちゃって。ただ、やったこともなかったし勇気もない。なので、大学に行ったとして22歳、ちょっと働いたりなんかして入門して24歳くらいが限界じゃないかなと考えまして。今でこそ年配で入っている方もいますけど20年前くらいはそのくらいがリミットかな、と自分で勝手に思ったんです。それで、やることもなくて追いつめられちゃって、”落語家になるしかないんだ”っていう変な感じになっちゃったんですね。母親には「好きなことすればいいじゃない」「やったことないのに大丈夫なの?」とは言われましたけど反対はなかったですね。━快楽亭ブラックへ突撃まずはブラック師匠に入門しようと思っていたので、ブラック師匠の家に突撃ですね。高座が強烈に面白かったです。新作とか改作とか、時々古典もやるんですけど、やっぱり基礎がしっかりしていないと変なこともできないんだなと思いましたね。もちろん何の面識もないですけど、弟子にしてくださいと。そしたらあっさりと突撃成功。房総半島出身なので、ブラ房という芸名でした。それから8年経った時点でブラック師匠が立川流を除名になってしまい、今の師匠・立川談幸の門下に。芸名も吉幸になりました。━立川談幸門下にその時点で8年落語家をやっているので何人かお世話になってる師匠ができるじゃないですか。それで、どの師匠に再度入門しようかなって悩んでたときに、うちの師匠とお酒を飲んでいたんです。その席で酔っぱらって「私は師匠の落語だったらできるような気がします」みたいなことを言ったら、「じゃあうちの弟子になればいいんじゃないの」って言ってくれて。その言葉に僕は号泣して、次の日に「昨日はありがとうございました」って話したら「え?!本当にうちに来るの?!」って(笑)なので本当にありがたいです。命の恩人ですからね。━前座11年うちの師匠が立川流を辞めて落語芸術協会に入ったのが3年前。弟子の私と弟弟子も入って、2人とも立川流では二ツ目だったんですけど、他協会から入るっていうことは組織のシステムも違うので前座をもう一度やってくれということになりまして。私が1年、弟弟子が2年。二ツ目になった人がもう一度前座をやるっていうのは前代未聞で、業界内ではちょっとだけ話題になりました。なので、芸協で1年、立川流で9年9カ月やったのでトータルで11年近く前座をやりましたね。前座に戻るって聞いたときは納得していましたけど、40歳を過ぎていたので疲れました。腰は痛くなる、膝は痛くなる、ストレスは溜まる。ただ楽屋は楽しかったし、1年間ってわかっていたのも大きい。立川流の時は身体は楽だけど先が見えない辛さもあったので。━趣味は競輪競輪の仕事もやっているんですよ。これはちょっとアピールしたいですね。予想してます・・・なかなか当たらないですけど(笑)競輪の魅力は、個人競技でありながらチームを組むところ。1着になるために利害関係があって、そういう人間のドロドロしたところがいいですね。もちろん結果に影響しますから、それを予想するのが楽しい。だから他の公営競技と違って初心者は取っつきにくいんです。競馬だって競艇だってオートだって、パンッと鳴れば一気に行くけど、競輪は鳴っても動かない。そういう人間関係の読み合いが面白いんです。今年もいきなり赤字です。僕は年末に高額を賭けるとかの度胸がないので、ちまちまやってます。━目標を語る競輪の目標は当てること。儲からなくてもいいので、的中させることですね。的中と儲けるっていうのは別。10レース中8レース当てても、買い方のセンスで損する人もいるわけですよ。逆に、10レース中1レースだけでもドンと儲かる人もいる。だけど私は当てにいきたい。なぜかというと、ファンの人の前で予想をするので、ファンの方に的中車券を手にしていただく手引きができればと思ってます。初心者競輪教室とかの講師もやっているんでね。落語家としては、売れたいですね。芸協に入ってせっかく寄席に出られるようになったので、寄席にしょっちゅう出られるようになりたいです。立川吉幸動画一覧はこちらから

笑福亭羽光さん インタビュー

1972年9月24日生まれ 大阪府高槻市出身━勝負服で参戦今日の高座は全然エロくないやつ。ましなほうです。深夜の放送の時はそういうちょっとエロい噺をやったんですが、今回電話でオファーをいただいたときに「子どもも見るのでそういうことはちょっとやめていただけますか」と言われまして。なので本放送の収録だと思ったら配信だけやと(笑)だから急にエッチな噺と、2席目は芸能ネタみたいなものをやらせてもらいました。放送の時は私服のトークがあったので、一応テレビに映るための服ということで来たんですけどね。━ノンフィクションが好き1席目は出身地の高槻市での話。実話をもとに作っています。高校2年の夏の思い出、ラブストーリー。ですから携帯電話も何もない時代の、家に電話して告白するっていう噺ですね。昔、漫画の原作を書いていて、その時に何度か青春もののような感じで今日の噺みたいなものを書いたんです。そういうのをもとに作った新作落語ですね。シナリオがすごい好きで勉強をしていました。漫画の原作者をやりながらお笑いもやっていたんですけど、生活は漫画のライターとか原作者のほうがほとんど。『実話ナックルズ』みたいな裏社会のどうのこうのとか、現在のテレクラ事情の潜入ルポとかをやっていました。調べて記事にするみたいなものがすごく好きで、ノンフィクションが好き。だから1席目の新作落語『私小説落語 青春編パート1』もそういう作品です。━天然ボケ?10年前、お笑い芸人をやっていた当時は『エンタの神様』っていう番組があって、1~2分のテレビのネタ尺に合わせてやる時代でした。ワァっと勢いでやるみたいな。全然落語とは違いました。4人組の中で担当は天然ボケ。天然ボケを演じているうちに天然ボケになってしまいましたね(笑)━挫折大阪の大学で落研に入っていて落語はやっていましたけど、落語家になろうとは思っていませんでした。高座名は三代目失恋亭毛零太(しつれんていもれた)。一代目も二代目も実際にいて継ぎました。それはどういう人がやるかというと・・・気持ち悪いキャラですよね(笑)大学以来落語からは離れていましたけど、戻ったきっかけは『エンタの神様』。その当時のお笑い芸人にとって、あれに出てスターになるっていう一つの夢で。テレビでバーッと有名になってという芸人としての夢がありました。桜塚やっくんとかと同じ時期ですね。でも、放送作家とかにネタをいじられてボケとツッコミも変えられるみたいな。しかも1分くらいしかテレビに出れない。僕も半年間くらい作家とやり取りして結局出れなかったんです。だからそういうことにすごく虚しさというか絶望感を感じて。でもそれと同時に作家として本を出していたんで、なんかストーリーをつくるってことにすごく興味があったと。しかも落研だった。なので結局は挫折ですよね。『エンタ』に出れなかったというよりお笑い芸人としての挫折。漫画の方もヤングジャンプで週刊連載していたんですけどそれも打ち切られて八方塞がり。それでどうしようかなと思ったときに落語に救いを求めたという。ですから人生の絶望からのリハビリみたいな感じですね、落語は。リハビリは順調ではないですね(笑)あれから10年も経ちますから。━エロつながり『虎の門』という番組があって、そこのお笑いコーナーで師匠が審査員で出てまして。そのコーナーに爆裂Qで出ていたときに師匠と話をして合いそうだなと。あとはエロつながりというか、うちの師匠はオールナイトニッポンでエロいキャラでやっていたので、そこで通じ合いましたね。羽光(うこう)という名前は師匠がつけてくれた名前ですけど、意味は50音の”あ”から順番に考えたんじゃないですかね?「あこう、いこう、うこう・・・うこうでいいな」って。━放送版「ミッドナイト寄席ゴールデン」での思い出僕は英語教師と数学教師の両親がいて、5歳年下の妹がいるっていう家族。僕の世代はテレビとかビデオが一家に1台の時代だったので、お父さんとお母さんが寝た夜中にそーっと起きて、居間に行ってテレビつけて、イヤホンでエッチなビデオを見るっていう世代ですね。で、そこでお父さんに見つかったっていう話。家族の前で「お前さっき何やっててん」って言われて「いや、何もやってないよ」と。そしたら「(その行為を)やってただろ!」って家族の前で罵声を浴びせられるという。そんなネタを流してくださったんです。プロデューサーさんが頑張ってくれて、「これは医学用法だ」と(笑)「これがダメならガンとか糖尿病もダメになる」って戦ってくださったらしくて(笑)━目標目標はR-1グランプリの4回戦に進むことですかね。これまでの最高成績は3回戦。毎年一応挑戦していて、3回戦と4回戦の壁はすごく感じます。ルミネのあの舞台でコントに勝てないっていうのもありますし、3分っていう時間も。落語は絶対に長いほうが強いと思うので。基本的には座りでどこまでできるかっていうことですね。笑福亭羽光動画一覧はこちらから

柳家蝠よしさん インタビュー

1985年9月21日生まれ。福岡県出身━歌舞伎役者に憧れて元々古典とか歌舞伎とかが大好きで歌舞伎役者を目指していました。国立演芸場で歌舞伎役者を養成していて、そこに入ろうと思っていたんです。だけどちょうど募集が締め切られてしまったので、それを機に「福岡にいたってしょうがないな、とりあえず東京に行って、毎月歌舞伎座に行って歌舞伎の勉強をしよう」と決意しました。歌舞伎の演目って落語に由縁があるものがいくつかあるんですけど、ちゃんと聴いたことはなかったんです。土曜の昼間なんかに米朝師匠とか上方の落語家のテレビがやっているのを観て笑ってた記憶はあるけど、ちゃんと聴いたことってないなって。それでCDショップに行った訳です。だけどすごい数があって何から聴いたらいいかわからなくて、その中で唯一歌舞伎で観たことがあった談志師匠の『芝浜の革財布』を聴いて衝撃を受けました。そこからは談志師匠の追っかけをやっていて、そのうち段々落語の方が好きになって、気付いたら落語家になっていました。━芸事は真似から僕の師匠の落語の好きなところは口調。だからいろんな人から「師匠に習ってないネタでも師匠に似てるね」と言われることが前座の頃はよくありました。最初は嬉しかったですけど、師匠にそれを話しても「お前と俺は違う。お前は俺に似てないよ。お前の道を行け」と言われますね。噺がウケるのは師匠が教えてくれた間でやってるから。自分の欲が出てきて笑わせようとしてウケなくなった時にも、師匠がそれを聴いててくれて「なんでウケないか教えてあげようか」といろんなアドバイスをくれました。だからウケるのは師匠のおかげです。私の実力というよりもすべて師匠から教えてもらったことなので。いろんな名人の方々も「芸事は真似から入る」っておっしゃってますし、一番最初に噺を教えて下さったのも師匠ですし、自然と似ちゃうんですかね。意識したこともないんですけど、師匠のお客様が私の高座を見て「上がり方まで似てる」って言うんです。一切意識したことはないのに自然となっちゃうんでしょうね。━理想の噺家への道いくら師匠に憧れたとしても同じ噺家にはもちろんなれない。声のトーンや骨格も違う、感性も違いますから。一度、師匠と別の道に行くかもしれないと悩んで師匠に相談したことがあったんです。そのときに師匠は「噺家というのは、こうなりたいって言って自分の理想の噺家になれる人はいるのかい?それはアマチュアなんじゃないのかい?」「目の前のお客様だとか壁を一つずつ乗り越えて辿り着いた結果が全く違う新作の方でも別の道でも俺は全然構わないよ」と言ってくださりました。だから今は一つ一つの壁を越えていくっていうことしか考えてないです。━古典を極める基本的に私はやっぱり古典が好きなんです。もちろん新作も好きだし、新作を作ってる人ってすごいなと思います。だけど古典は古典で同じ噺をいろんな人がやっていて、その中で面白い面白くないってハッキリ差が出ちゃうので、その中で一人でも笑っていただけるように古典を精進したいなとは思っています。━相撲からディズニーまで相撲は地方場所にも観に行ったりしますね。国技館の空間とか柝の音が好き。歌舞伎でも鳴り物とかが好きです。あとはディズニーのマリーちゃん。ディズニーシーでしか会えないんですよ。マリーちゃんに会うために一時期ディズニーシーに通っていました。昔、真っ白な猫を拾ってきて飼っていたことがあって、こいつがまた可愛い猫で、学校帰りに必ずいるんですよ。まぁ寝ているだけでしょうけどね。で、私を見つけるとトコトコついて帰って行く。そんな猫のことを、マリーちゃんを見て思い出したんです。それでディズニーシーに通ってました。だけど最近ちょっと浮気しまして・・・カワウソにハマってます。池袋の方にうさぎカフェがあって、そこに通ってカワウソと遊んでもらっています。うさぎが好きで通ってたらなぜかコツメカワウソが仲間入りして、カワウソの可愛さに目覚め週一ペースで通うようになりました。あんな癒しはない。でもマリーちゃんもカワウソもキャバクラみたいなもんで、お金を出さないと会えない。だからキャバクラに通う人の気持ちもちょっと分かる。健全なキャバクラですね。━言い訳はしない寄席というのは、昨日はみんなウケてたのに今日は全体的に客席がシーンとしてるなって日が多々あるんです。でもみんなお金を払って、落語を楽しみたい、落語を聴きたいって来てくださった人なんですよ。それを笑わせられなかったっていうのは自分に原因があると思うんですね。うちの師匠がそう。他の噺家も言ってますけど、どんなお客さんでも笑わせる。だから他の師匠なんかも楽屋に来ると師匠方同志で話をしてるのですが、うちの師匠も話はするけど常に高座を気にして、高座をずっと聴いてるんですね。演者さんのやってるネタとお客さんの反応で「今日はこういう客なんだな」って見定めている。だからそうやっていつでもどんなお客さんでも笑わせている師匠みたいな噺家になりたいなとは思います。言い訳をしないで、ダメなときは自分に何か非があるんだと。次頑張ろうと。そういう感じです。柳家蝠よし動画一覧はこちらから

桂宮治さん インタビュー

1976年10月7日、東京都出身。━師弟関係とは桂枝雀師匠っていう昭和の爆笑王がいまして。その方の『上燗屋』というのを動画サイトで見て噺家になりたいと思ったんですよね。それまでは一度も落語を見たことも聞いたこともなくて、それが30歳のとき。それから31歳になる手前で入門願いをしに行くんです。でも寄席にも行ったことがないから入門の仕方も全くわからないわけですよ。だからネットで調べて、とりあえず直接会いに行って何回断られても土下座しなきゃいけないんだなと。とはいえ歳も歳で結婚もしていたし、この世界でご飯食べていけるとも思ってなかった。だからテレビでよく見る師匠じゃなくて本当に愛せる人って誰なんだろうって。「師弟関係とは父親と子ども以上の関係になること」みたいなことがどっかに書いてあったし。本当に師匠の具合が悪くなったときに下の世話までできるような、そこまで惚れられる人っているのかなと思って、そういう目線で寄席を回り始めました。━全身に電気が走る前職はクライアントさんからの依頼で全国を回る営業。一応うちの会社では1番指名数が多かったので半年以上先まで予約が入っていました。だから依頼を受けるのをやめて、休みをつくってひたすら寄席へ。都内の小さいところから大きいところまで。普通の独演会も行ったし、立川流とか圓楽一門会のも。そんなこんなで1ヶ月以上も仕事を休みながら寄席を見て回ってて、そんな人いるわけねぇよな・・・って思ったころでした。国立演芸場の袖からすごい笑顔でヘラヘラしながらうちの師匠が出てきて、その瞬間に電気が走ったんですよ。女性に一目惚れしたことはないけど、師匠を見た瞬間に初めて本当にビビッときましたね。「うっ、この人だ!」って。「この人に頼んで無理だったらこの世界諦めてよう」と思うくらいすぐにわかりました。だからうちの師匠が何の噺をしていたか覚えてないです。ただ、終わって緞帳が下がってすぐ外に出て、国立演芸場の前でうちのかみさんに「師匠決まった!」って電話(笑)まだ何もお願いに行ってないのに(笑)そこからは記憶がありますね。━ようやく弟子入り麻薬の売買と勘違いされて私服警官に職質されたりしながら3日目くらいにやっと会えました。声かけたら「俺に?じゃ、喫茶店行こう」って喫茶店へ。「なんで俺?俺じゃなくてもっと他に行ったほうがいいよ」「いやいっぱい見て師匠です!」「そっかぁ」「会社辞めてきました」「えー?!」「結婚してます」「嘘でしょ?!もう辞めなよ!」みたいな。でも最終的に「女房連れてきな」って言われて、それから浅草の喫茶店でうちのかみさんに「辞めたほうがいい」と延々1時間以上。「ずっと貧乏だよ。金持ってるのなんかほんの一握りだから辞めな辞めな」って話をされながら、一番最後に「それでもいいんだったらとるよ」って。それでうちのかみさんも「宜しくお願いします」って言って「よし、じゃあ今日から俺の弟子」って取ってくれました。けど「ならないほうがいい」ってずっと言ってくれてたんで、うちの師匠めちゃくちゃ優しいですよね。━噺家人生最大の誇り他の一門の前座仲間にいちばん最初に言われたのが「よくあの師匠を選べたね」。すごくいい人だからみんな助けられてるみたいなんですよ。楽屋にいるだけですごく明るくなるし、自分の先輩にはちゃんと文句言って後輩には優しい人。だから「よくあの師匠が素敵な師匠ってわかったね」って先輩方が言ってくれました。“師匠選びは芸のうち”って言いますからね。いちばん最初の出だしだけですけど、師匠を選べたことだけは今でも誇りに思ってます。前座時代からどこに行っても「伸治兄さんの弟子なんだってねぇ、若いころから世話になっててさぁ」っていつも言ってもらえます。あの師匠の弟子になれたっていうのは、僕の噺家人生最大の誇りですね。━背中を押した妻の一言営業職のころは結構稼いでたんです。でも俺が嫌そうに仕事してたからかみさんが「何か好きなことやれば。一生一回きりなんだから」って。ただ後々「お笑い芸人とかだったら辞めなって言ってたと思う」とも。たまたま落語ってなった時に「これはこの人大丈夫かもしれない」とあの人ながら直感があったみたい。結婚したときは東京都のサラリーマンの平均年収なんかよりよっぽど給料もらってましたけど、結婚した途端にほぼ無職っていう地獄ですよ。桂宮治動画一覧はこちらから

柳亭市童さん インタビュー

1991年6月14日生まれ、北海道出身。━東京の冬北海道より東京にいるほうが寒いです。向こうは部屋の中が暖かいからあまり寒さを感じないんですよね。外の寒さは別次元で考えちゃうんで。━古典芸能何となく古典芸能が好きだったんですね。小学校の頃から和太鼓をやっていたりとか、書道をやってたりとか、日本古来の伝統的なものが何となく好きだったんですね。詳しかった訳ではないんですけど。テレビでもよくやってるじゃないですか、歌舞伎だとか。そういうものを、よくわかんないけど何となく見てるのが好きだったんです。なんか楽しそうだなみたいな。高校を出て特にやることも決まってなくて、唯一好きだったことが落語でしたね。━一目惚れ師匠には好きな理由が詰まっていましたね。色んな師匠がいて好きだったんですけど、言葉にできればいいんですけど、うちの師匠の高座を見ていたときにコレだ!っていうか「これが俺はすきなんだよな」って思ったんですよね。一目惚れに近いかもしれないですね。━名前深い意味はないです。色んな候補が出てた中で市童っていうのが左右対称でいいんじゃないかと。柳家だと柔らかめの名前がいいんですけど、柳亭って付くと結構堅めの名前のほうがかっちりくるって言われてて。で、ちょっと重ためだけど、わらべっていう字もいいし、左右対称だしいいかなみたいな。ほかに候補に挙がっていたのは市治楼とか。市治楼もいいなと思ったんですよね。最終的には何個かある中で自分で決めました。━夜更かしのおとも落語家になっていなかったら・・・高校生の頃に決めちゃっていたので、何をやりたいっていうのはあんまりないですね。小さい頃もそれほど強い夢もなく。ただ単純にお笑いは好きだったからそういうのもいいなと。ラジオが好きでした。ラジオから芸人さんの話を聴いてました。学生の頃はくりぃむしちゅーさんとかアンタッチャブルさんの番組をよく聴いていて、伊集院光さんのは今でも聴きますし。小学校高学年くらいにラジオを持たしてもらって、オールナイトとか聴き始めるんですよ。夜更かしできるアイテムだったから。布団の中で笑いをこらえながら・・・それが楽しかったですね。━趣味の時間ミュージカルを鑑賞したりしますね。劇団四季とか子どものころから好きなんです。帝国劇場に行ったりとか、何でもいいけどいいなと思ったら観に行ってましたね。『レ・ミゼラブル』『ラ・マンチャの男』とかも観に行きましたし。前座の頃なんか、時間がないないって言いながら実はちょっとはあるんですよ。その時に当日券とかで寄席が終わった後に行ってましたね。ダーツは最近ちょっとはまってるっていうだけなんですけど、お洒落な感じじゃなくて一人で黙々と投げます。時間つぶしにとても良くて(笑)寄席だと、二ツ目ですから最初の方に出番があって、トリの師匠まで時間があると1、2時間ぐらいダーツでつないだりとか。稽古しろって話なんですけどね(笑)━目標寄席の雰囲気というか空間がとっても好きで、そこにいる師匠方を見て「こういう人になりたいな」って思いますね。いつも寄席に必要とされてるっていうかいろんな人がいて、それぞれ役目を果たしていく師匠方のように、その一つの駒になれればいいなっていうのはよく思います。結局は、うちの師匠みたいになりたいっていうのが目標なんですけどね。柳亭市童動画一覧はこちらから

三遊亭伊織さん インタビュー

1987年5月1日生まれ、神奈川県。━落語家一筋桜美林大学の落研出身です。大学自体は玉川大学だったんですけど落研が無くて、高校が桜美林だったんでそちらに所属していました。就職活動もせず社会人も経ずに、落語家一筋です。落語を聞いたのが高2か高3くらいだったかな。それで落語面白いなと思って、友達が「落研っていうのがあるよ」って教えてくれて、最初は自分でやるつもりはなかったんですけど、実際にやってるうちに楽しくなって・・・という感じですね。一番最初に聞いたのは古今亭志ん朝師匠の『酢豆腐』。職人のなせる業だな、と。本当に一人の人が喋ってるのかな?って。情景もありありと浮かぶし、これを音声だけでやるって凄いことだな、っていう認識でした。━弟子入り寄席でうちの師匠を観ていて、面白いなって思いましたね。師匠の笑いの取り方とかがすごく好きで、師匠のやり方を面白いなっていう風に感じました。芸名は、師匠が三遊亭歌武蔵で、宮本武蔵の養子の名前が宮本伊織。そこからですね。本名とは関係ないです。前座名は師匠がいくつか候補を出してくださって、その中から師匠の師匠である大師匠・三遊亭圓歌が選んでくれました。━教員免許大学に行くときに「教員免許を取る」って言って、途中で「落語家になる」って言い出したんです。でも両親には「当初の約束だから教員免許取れ」と言われました。先生になるか落語家になるかは最後まで迷いましたね。両親は2人とも教員。自分も大学時代に塾の講師をやってたんです。だからそういう影響もあったと思いますね。━テンションのピークよく元気ないって言われるんですよね。そんなつもりないんですけど・・・野球を観に行ったときはテンション上がりますよ!ヤクルトスワローズが大好きで神宮によく行きます。去年観に行ったときは、七回の表まで10対0で負けていて「もう今日は負けだ」と思ってしょんぼりしてたんです。そしたらそこから逆転して11対10で勝ったんです!!その時は外野席で踊ってましたね(笑)お酒はちょっとしか入ってないですけど、その時は神宮球場がもうお祭り騒ぎになっていたので、自分も知らない人と抱き合ってました(笑)あの時があまりに上がりすぎて、人生の中でも一番上がったかもしれない。友達を誘ったんですけど来られなくなって、結局一人で踊って帰って来ました。━アマ初段入門前から将棋をさしてて、その時はアマ初段だったんです。認定を受けてたんですけど、やっぱり入門しちゃうとそんなことは出来ないので、その間にずいぶん弱くなっちゃっいましたね。なので今年はもう一度アマ初段を目指そうと。家にいて何もないときは将棋の勉強もしたりしてますけどね。それでたまに踊る。ま、30年にたった1回ですけど(笑)━目標落語が好きで何度も寄席に足を運んでくださるお客さんっていると思うんですけど、その日初めて寄席に来るお客さんもいると思うんですよ。私はその人たちに落語を好きになってほしいんですよね。その日初めて来たお客さんが私の落語を見て「落語って面白いんだ」って思ってもらえるような落語をしたいですね。だから「落語を聞くようになったきっかけは伊織さんですよ」っていう風に言われるように、みんなが分かりやすくて面白い落語をやりたいなと思いますね。三遊亭伊織動画一覧はこちらから

三遊亭ふう丈さん インタビュー

1984年8月23日生まれ、熊本県出身━落語にハマる大学時代に落研に所属していました。お笑いが好きでそういう部活を探していたのですが、駒澤大学には落研しかなかったんです。最初は嫌々。かっちり落語をやるような部活だったので「やんなきゃいけない」と言われ嫌々落語をやっていたんです。そしたら「意外と面白いなあ」と思い始めてハマりました。今まではお笑いの中でも漫才とかコントとかに興味があったので、それまでは全く落語を聞いたことがなかったです。一番最初に聴いたのは落研の先輩の噺で、第一印象は難しい。『子褒め』だったかな。理解力が乏しかったんで、「ちゃんと聴いてないと笑えないなあ」っていう印象はありました。(笑)でも実際やってみると楽しいっていうのはありますね。━落語家になる就職活動に失敗したというよりも、気が入ってなかったっていうのはあると思います。ただ、落語家になろうとまでは思ってなかったものの、なんとなくこういうことをやりたいとは考えてて。最後の学園祭でウケたのを見た友だちが「落語家になっちゃえばいいんじゃない?」みたいな感じで背中を押してくれたことも大きかったかもしれないですね。それですぐ調子に乗って「じゃあ(落語家に)なっちゃう?」っていう感じでした。━師匠宅を発見弟子入りっていえば連絡を取らずに出待ちすることが多いと思うんですけど、その発想がなかった(笑)師匠がマクラで「足立区六町出身」と何度も言っていたので、その六町まで行ったんです。僕は師匠がすごい有名人だと思っていて、誰かに聞けばわかるだろうぐらいに考えていたんです。それが大きな間違い。タクシーの運転手さんとかに聞き込みをしても「え、誰ですか?」とか「このへんで落語家といえば先代の圓楽師匠くらいしかわかんないなあ」みたいなのばかり。飲食店とかも転々と聞いたんですけどやっぱりわかんない。そうこうしてるうちにようやくラーメン屋さんで「もしかして大角さん(師匠の本名)のこと?たまに出前してるよ。教えてあげるよ」って。結局夕方くらいまでかかりましたね。━いざ、突撃志願自宅には後日改めて行きました。師匠のお宅だけ確認して「よし、明日の朝行こう」と。次の日に行って師匠がいるかどうかもわからないのに、それでも勢いで行っちゃったんですね(笑)ピンポーンって押したら女将さんが出て、当時飼ってた犬がキャンキャンと出てきたのに続き、網戸越しに憧れの人が!「はいはいはい、うるさいんだバカ野郎!・・・で、なんですか?」って・・・それでまた師匠の声が小さい(笑)ただ、そのときお弟子さんが一人いらっしゃったので「うちはもう弟子は取らないことに決めてて・・・キャンキャンうるさいんだバカ野郎!」みたいな(笑)それだけは鮮明に覚えてます。「新作はやりたいのかい?君が新作をやりたいという気持ちがあるんだったら、ネタとか持ってきてもらえれば見ることはできますよ。やる気があるんだったらネタでも持ってきなさい。ただ弟子を取るかどうかは別です」と言われ、後日ネタを持って今度は出待ち。そしたら覚えててくれてネタも受け取ってくれました。さらに次の日電話がかかってきて「君の書いたネタ、なかなかいいと思うよ」って言ってくれて有頂天でしたね。━縁あって弟子入り師匠が「どんどんネタ持ってこいよ」みたいな感じだったのに対して、僕は間隔を空けて持って行ってたんですね。だから師匠も何となく「こいつはやる気があるのかどうかわかんない」って思ってたんじゃないかな。そんなこんなで半年ぐらい経ったころ、一番下のお弟子さんが辞めちゃって前座さんが必要になり、ちょうどその時にあいさつに行っていたのが僕。ご縁ですね。同じタイミングでもう一人弟子入り志願の人がいて、それがわん丈さん。他にもそういう奴がいたなってかんじで家に呼ばれたのが僕。それから3カ月ぐらいふるいにかけられて、二人とも頑張ってるからってめでたく二人とも入門。ただ同期ながらもやっぱり差を付けないといけないということで、一応半年くらい先に志願をしていた僕が上になりました。━コント風落語表現することが好きですね。お笑いが好き。職業じゃないけど友だちと漫才とかもやってて、何となくこういうことが好きなんだというのはありました。ものを書くのも好きです。コントを遊びで書いてたり、師匠に持って行ったネタもその延長だったような気がします。作るのも話すのもまだ得意とは言えないですけど、好きなのは話すほう。師匠は圧倒的に作るほうが好きだって言うんですよ。作家気質なとこがあるんでしょうね。「話すのは好きじゃない」って。でもやっぱり話すのもすごいので、師匠は絶対そんなことはないと思います。僕の場合はどちらかといえばやってるときの方が楽しいです。━荒川の土手を歩く地味だし趣味とも言えないですけど(笑)葛飾区堀切に住んでいて、歩いて5分くらいのところに金八先生の荒川の土手があるんです。そこでたまにランニングをします。運動は全然ですけど気分転換だったり、人間観察にもなりますしね。学生さんたちがサッカーとかしてて活気があっていいなあと思って。強いて言えば趣味は土手歩きですね。━目標今は二ツ目で寄席にもなかなか出れてないんです。当然ですけど枠が決まっているので。だから真打ちになったときに自分のやりたい新作落語で寄席の出番をいただけて、なおかつウケる。寄席でウケるのは落語家として間違いないと思います。よくわかんない会でウケるより、寄席でウケるということが落語家にとって大切だと思うんです。古典に負けないぐらい新作でウケるっていうのが新作落語家として認められてるというか、すごいことだと思いますね。だからそういう噺家を目指しています。今はそれが目標。新作は去年(2017年)トータルで13本だったかな。それでも少ないです。その中でいくつ残るかって言ったら1、2本くらい。本当はもっと書きたいんですけど、まだまだですね。三遊亭ふう丈動画一覧はこちらから

春風亭昇也さん インタビュー

1982年6月18日生まれ、千葉県野田市出身━落語家になってよかったもともと落語は趣味で聴いていました。漫才師をやっていたんですが解散して、将来漫才師を辞めるか、ピン芸人になるか、落語家になるか、それとも違う相方を見つけてコンビを組むか・・・っていう感じだったんです。でも趣味を仕事にするっていうのはちょっとどうしようかと。大変なのを知ってるんで。それで1年悩んでましたね。その1年は、先輩のライブの作家みたいなこととか、あとはバイト。それも落語会のバイトをやってました。夢空間っていうホール落語のイベント。でもその時が25歳。もし漫才やって、最終的に30歳になったときに売れてませんでした。じゃあやっぱり落語家になります。ってなると相当体力がいると。そっからまた4年の前座修行が始まるので、だったら20代後半を捨てて落語家になって、30歳になってから好きなことやろうと。そういう考え方に切り替えました。でもあのときの私の判断は間違ってなかったですね。落語家になってよかった。二ツ目になって5年。あのとき落語家になる決断をした私を褒めてあげたい(笑)1年悩んだ甲斐がありました。━前座修行結果としては落語家にならない理由を探してましたね。多分。ならない理由を見つけるために1年悩んだんでしょうね。だけど、なかったんですよ。落語家になりたい気持ちはあるんだけど、その修業の4年間っていうのが想像できない。休みが4年間ないっていうのが耐えられるか。みんなそこで挫折するんですよ。「本当は落語家になりたかったんだけど」って言う人はだいたい前座修行に怖気づいてって言う人が多い。あとは家庭の事情があるんでしょうけど。だから最初はその体に慣れるまでが大変でしたね。4年間長かったですね。特に最初の2年が長かったかな。前座も上の方になってくるとだいぶ楽なので。やっぱり最初の2年がもう永遠のような2年でしたね。━教育係・桂宮治基本的にうちの師匠とはあんまりエピソードが無いんですよ。ボケる人でもないし、弟子には結構ドライな人なので。どっちかというと僕もツッコミのタイプだから、そんなにドジやるみたいなのもあんまりないですね。そうそう、僕の教育係は桂宮治さんって人で。前座のころにめくりを揃えてて、うっかり僕がそのめくりをまたいだんです。そしたら物凄い怒られて「てめぇこの野郎!めくりっていうのは噺家の顔なんだよ!またぐんじゃねぇ!」って物凄い怒られて。で、そこから3年ぐらい。後輩がめくり揃えてるところを宮治さんがヒョーイって飛んでったんですよね。だから「おい、宮治。ちょっと待て」と(笑)それで「お前、3年前俺に言ったよな?めくりは噺家の顔だって。お前今何またいでんだよ!」って言ったら「ただの紙だよ」って(笑)━師匠とペアルック前座の頃からですけど、僕と師匠は着る服が似てるんです。地方で泊りの落語会があったときにワインレッドみたいな色のパーカーにジーパン履いてたんですよね、うちの師匠が。そしたら全く同じ格好で僕も地方行ってて(笑)しかも眼鏡かけてるから似てるんですよ。靴も同じメーカーの同じ色の、全く同じ靴を履いてたりしますし(笑)人によっては着物が似てたりすると怒る人もいるんですけど、うちの師匠はそれに対しては何も言わない。ちょっと前の独演会で舞台袖が薄暗くて、師匠が前方の僕とすれ違う時に「その羽織、黄色?」って聞くんですよ。だから「そうです」って答えたらそのままバーッて高座に上がっていって「残念なお知らせです。弟子と着物がかぶりました」って(笑)センスが割と近いんですかね。そういえばこの間着物くれるって言ってたのにまだくれないんですよね。本当どうなってるんだろうな~?!同じの2つ作っちゃったから1個あげるって(笑)━フレームは細く一応、高座用の眼鏡はフレームが細いものにしてるんですよね。ただでさえ本来邪魔なものなんでね。眼鏡をかけると目線が遮られるんですよ。お客さんから見ると私がどこ見てるのかわからなくなっちゃうんで。だから出来るだけ細いものにとは思ってます。あと反射するんでね。最近は反射を防ぐレンズにしようかなと。眼鏡は10個くらいありますかね。高座の眼鏡はこれともう一個。眼鏡の形も変えようかなと思ってますね。ちょっと今のだと真面目そうに見えちゃう。もうちょっと柔らかい印象の眼鏡ないかなと思ってます。━プロフィールをにぎやかに目標は笑点メンバーになることですかね!今は若手大喜利のレギュラーで出てますんで。どうにかこの先10年以内にあるであろうメンバーチェンジの時に食いこまないと(笑)今年の目標は「大きいところで会をやる」っていつも思ってるんですけど・・・結局やらないで終わっちゃうんで今年はやりたい。あとは大ネタをちゃんとやること。割と軽いネタばかりやってるんで、大きいネタを増やしていかなきゃなと思ってます。あとは、賞をもらいたい。なんか賞くれないかな~。獲った人が全員売れてるかっていうとそういうわけじゃないですけど、プロフィールが賑やかになる。今年はプロフィールを賑やかにしたいですね。春風亭昇也動画一覧はこちらから

立川三四楼さん インタビュー

1976年2月3日生まれ、愛知県名古屋市出身━面白い人生を送りたい落語家になった理由ですよね。SFが好きで、SF作家になりたかったんですね。小説家ってなるのが難しそうじゃないですか。基本的には新人賞取ってデビューみたいな。デビューするまで何年かかるかもわからない。でも落語家だったら入門すればとりあえず落語家になることはできるっていう。スタートラインに立てる。落語って新作もあるんで、落語でSFやればいいんじゃないかなと。実際に新作でいくつかSFのものを作ったんですけど、一部では好評で、一般にはウケない(笑)もともとお笑いが好きだったんですよね。でも落語はあんまりよくわからなかったんです。落語は伝統芸能だから安定してるみたいな、普通のお笑いよりは安定しているみたいなデマを信じて・・・そんな甘くなかったですね。━師匠を選んだ理由基本をしっかり学びたいというか落語の基礎を。落語がちゃんとしてるので(笑)弟子入りは割とスムーズでした。本とかで読むと何回も断わられてみたいなイメージだったんですけど、割とすんなりだったんで意外と簡単なんだなと。入るだけなら簡単。ただ続けるのが難しい。快楽亭ブラックが立川流除名という形になって立川談四楼門下に移るときは、談志師匠が「引き取ってやれ」みたいな話になったんで割とスムーズにいきましたね。5年で二ツ目になりましたけど、立川流は寄席がないんで前座と二ツ目はそんなには変わらなかったです。━自分で見つけた面白いこと小学生のときに学校の図書室で、岩崎書店の大人の話を子供向けに訳したSFシリーズってのがあって。小学2年か3年くらいのときなんですけど『27世紀の発明王』ていうやつがぶっ飛んでて。子どもからしたら27世紀とかもう未来過ぎて、なんかSFはすごいなというか、宇宙とか未来とか四次元とかタイムマシーンとかなんかもう。ぶっ飛んでて、世の中にこんな面白いのがあるんだっていうか。ただただ面白かった。先生とか大人が子どもに読ませたがる本って説教臭いなって。“よい子に育つ“みたいな。そういう本を先生とかが薦める中、SFってただ単に面白いだけじゃんって思って。自分で見つけた面白いやつっていう感じでした。で、手あたり次第に学校の図書室でタイトルに”SF“と付くやつを読み漁り。シリーズでまとまってなくて、あいうえお順に並んでて、「あ、ここにあった」みたいな、なんか宝探しみたいな感じでした。「こんなに面白いものがあるんだ」って。それで夢中になりましたね。それは中学生、高校生になってからもずっとでした。趣味っていう表現がどうかわからないですが、趣味もSFです。━独特の世界僕がおかしいんじゃなく、世の中がおかしい。僕の方が正しいんで。ただ多数派じゃないってことですよね。普通が正しいわけじゃないですか。“普通”ということは“多数派”ということですよね。多数派が正しいとは限らない。天動説が信じられていた時代は世の中の大半の人が間違ってた訳ですから。だから、普通が正しいとは思いません。━コロコロコミック目標は「おもしろ原点!とことん主義!」。これはコロコロコミックのキャッチコピーです。コロコロコミックが好きで。僕が子どもの頃コロコロコミックの全盛期だったんでコロコロ中心の生活を送っていました。子どもの遊びのブームのスタートは、ファミコンとかミニ四駆とかビックリマンシールとか、全部コロコロ発信だったんでコロコロを読んでないと付いていけなかったんです。当時の小学生9割、ほぼ全員読んでたんじゃないですかね。具体的な目標としては、新作で感動させたいです。今は滑稽話中心ですけど。もっと感動させる話をやりたいですね。立川三四楼動画一覧はこちらから

田辺銀冶さん インタビュー

1983年1月24日生まれ、東京都杉並区出身━身だしなみ赤い袴って巫女さんとか神社のイメージがあるのでいいかなと思って、古事記や神話をやるときはつけるようにしています。今日の着物は単純に青が好きだから。私服も青で気合いを入れてきました。かんざしはあんまり種類を持っていなくて、これも頂き物。髪型はセットをしてもらいます。━海外へ遊学母親が講談師なので講談は子どものころから。うちの一鶴師匠が子ども好きということもあって、子どもの頃にアマチュアとして一鶴の弟子で活動していました。だけど、そうこうしているうちに段々と講談から気持ちが離れていき、一度講談の世界を離れて海外へ遊学に。ワーキングホリデイビザで3、4年行ってましたね。全く英語が出来なかったので語学学校にも通って、アルバイトをしたり、旅行したり。講談師ってことも隠してました。だって講談師って言っても通じないでしょ。英語では一応ストーリーテラーなんですけど、外国旅行の時に「私はストーリーテラーです」って書いたら税関ですごい長く止められて(笑)「どんな内容の話をするんだい?」とかって訊かれて、お商売の占い師みたいな人と勘違いされたんです(笑)5、6年でも戻るっていうのも全く決めていなかったですね。━転機最初はニュージーランドに行って、ちょっとオーストラリアに遊びに行ったりとか。そのニュージーランド時代は最高に楽しくて、「私はもう日本には帰らない!ニュージーランドのほうが合うからこっちで暮らそう」と思っていたんですよ。それからニュージーランドでいろんな国の友人ができて、その中でも韓国に興味を持って、ちょっと韓国も行ってみようかなと。で、ワーキングホリデイビザで韓国に行ったら、ニュージーランドであんなに楽しかったのに全っ然楽しくなくて。そこで初めて目が覚めたんですよね。こんなにいつまでも海外ふらふらしててもしょうがないなって。それでまた講談の世界に戻ってきました。結果としては韓国に行ってよかったですね。何にもしないでただの引きこもりみたいになってましたけど(笑)韓国に行っていなかったらたぶん今は講談師をやっていなかったでしょうね。どっかフラフラしていたんじゃないかな。━韓国語で講談海外での経験が芸に生かされているかどうかは全然わかりません。でも一度、韓国語講談のオファーはありましたね。場所は日本なんですけど、韓国と静岡市が姉妹都市を結んでいて、その周年記念の式典で昔の韓国と日本のつながりの歴史を講談にしてしかも韓国語でやってほしいって。すごく難しかったですね。台本は自分で書いて、それをいろんな韓国の知り合いの人にお願いして何人かに訳してもらって、テープに吹き込んでもらって、カタカナで書いて、本番はそれを見てやりました。なんせ引きこもり生活でしたので韓国語は喋れなかったです。挨拶程度はもちろんできますけどね。言ってることはなんとなくわかるんですけど、やっぱり全然喋れないし細かい発音とかも全然わからない。込み入った話はできないです(笑)お客さんは韓国の方と日本の方の半々くらいだったんですけど、結果は好評でした。━講談への気持ち高校1~3年まで講談協会で前座修行をしていたんですが、私はもう辞めたくなってしまって母に相談をしたんですね。「辞めてどうするの」と聞かれて、「働くか、大学に行くかしようかな」と答えたけど特にはっきりとした意思があったわけではなくて。そしたら「特に目的が決まっていないなら、せっかくだからどっか行ってきたら」と言われて、じゃあ行ってみようかな、って。母からの勧めで外国に行きました。日本に戻ってきてからは、海外に行ったときに日本のことを何も知らなくて恥ずかしい思いをたくさんしたので、海外が好きだからこれからもたくさん海外には行くだろうけど、それまでにもう一度ちゃんと日本の文化を一つでも身に着けておきたいなと思ったんです。それで一番身近な文化が講談だったので、もう一回ちょっと講談をやってみようかな、と。その時はまだ割と軽い考えで師匠の一鶴のところへ行ったらさすがにすぐには許してくれなくて。1年半くらい鞄持ちをしながら、自分の経験をもとに初めて作った新作講談を師匠に聞いていただいたとき「よし、お前のやる気を初めて見た」って言ってもらえて、それがきっかけで2006年11月に復帰をしました。━師匠の死去後、母・鶴瑛の門下へ2011年に二ツ目になってからもう6年が経ちますね。あっという間でした。二ツ目になったら好きなことができるからすぐに売れるつもりだったんですよ。今でも模索しています。どうすれば~日々頑張っています。でも実際は難しいんだなっていうのがよくわかりましたね。今でも模索しています。どの棚からぼたもちが落ちて来るかな~って。━世界で一番派手な講談師になりたいツイッターかなんかにそう書きましたね(笑)あんまり深い意味はないんですけど、基本的に華やかなものが好きなんです。そう書いた当時はいろいろやっていました。エレクトリカルパレードみたいな講談を作ってみたり、自分でしょぼい電飾を着物につけて踊ったりとか(笑)そうやっていろいろやっていたころにそのアカウントを作ったんでしょうね(笑)華やかなものは相変わらず好きですよ。━目標師匠がオリンピックで世の中へ出たので、2020年東京大会は師匠が与えてくれた大きなチャンスだと思っています。今回『爆裂お玉』の中でもさわりをやっていますが、一鶴作のオリンピックの国名は94か国なので、早く2020年バージョンに更新したいです!国も増えていますし、国名もだいぶ変わってますから!それが目下の目標でございます!田辺銀冶動画一覧はこちらから

三遊亭とむさん インタビュー

1984年11月26日生まれ。千葉県出身。━落語家になろうと思った理由掘り下げて言うと、お笑い芸人やってて当時事務所に今の二代目林家三平師匠がいて、三平師匠の落語会を訪ねて行ったんです。そしたら小朝師匠がいらっしゃって、「落語をやりたかったら言いなさいね」なんて声をかけてくださって。そこからちょこちょこ落語を意識していました。やっぱりお笑いやってたんで落語を観に行ったりすることがあって、やっぱり落語すごいなっていうことが分かって・・・っていうところから、小朝師匠に落語教えてもらったりとか。そりゃあもう素人として教えてもらって。そしたら小朝師匠に「これからどうしたい?落語どうする?」って言われて「続けていきたいです」と。「じゃあ落語家になっちゃえば?」「えっ?」みたいな。「スカウトですか?」みたいな。「いや、私の弟子は無理」って言われて「どういうことですか?どういうことですか?」「いやー君みたいのは無理だけど」「うーんちょっと考えます」なんてちょっと不思議なきっかけだったんですけど、うちの師匠の好楽を紹介してくださって、っていうとこが最初になります。━師匠とのエピソード師匠は本当に落語界きっての、一番優しくて、あとからわかったんですが一番いい加減な師匠なんで(笑)入門志願も紹介ってこともあってか、喫茶店で待ち合わせっていう大分ラフな入門志願でした。それこそ名前聞かれて、生年月日聞かれて、次の質問が「お酒飲める?」みたいな。で「何飲むの?」なんて言われて「生ですかね~」みたいな。「焼酎は?」「飲みます」「ワインは?」「飲みます」「ウイスキーは?」「飲みます」「日本酒は?」「飲みます」「じゃあ入門!」「えー!?もうそれでいいんですか?」みたいな。最初は本当に入れていただけたのがすごく嬉しかったし、そういう形でトントントンと進んで、やっぱりうちの師匠はとにかく優しいのでさっきの話じゃないですけど「とにかく落語界はちょっといい意味でこりかたまったなところがあるから、そういうのを壊せるような人になりなさい」みたいなことを言ってくださって。とはいえこっちは転身させてもらったんで、ちゃんとやんなきゃと、そういうのはすごくありました。そういう意味では優しくて、あんまり怒られたこともない。まあその分師匠の女将さんがめちゃめちゃ怖い(笑)師匠の女将さんの方が師匠みたいな。━趣味はマラソン週2回ぐらい皇居走ってます。1、2周ですけど、一応自分の中で決まってて1キロ4分なんですよ。で、20分超えるともう1周走んなきゃいけないっていう地獄のアレを課してるんで結構つらいんです。フルマラソン前とかは25キロとか5周ぐらいは走ったりとか。体系維持もありますし、もともとオールスター感謝祭の赤坂五丁目マラソンに出たくて、あそこで1位を獲りたくて。で、出れなくてただ無駄にちょっとマラソン早いやつみたいになってて今。でも一応今もそこに出たら一般男子のハンデ無しだったら優勝できるペースでは落とさないように走ってます。━今回の演目についてまずジャスティンビーバーの方は、なんかやっぱり落語のフォーマットで勘ちがいの落語なんかないかな~ってとこから始まって、なんとか短くR-1とかでもできるような落語ないかな~と思って作ったのがあれです。そっから段々とやりつつ、段々変わっていったみたいなもの。結構若い人、それこそ学校寄席なんかでもやったりしてて、一発目って結構「落語ってどんなもんなんだろう」って観るから、構えてるところでそういうのをやると「意外と面白いんだ!」みたいに思ってもらえるので、入り口には結構使いやすいなと思ってて。まぁ、パッと観たときに「こんな落語もあるんだ」って思ってもらえるような形にはなってます。で、もう一つの「ヨイショ太郎」の方は、自分が結構ヨイショばっかりしてるんで、なんかそういう自分の地の部分というかそういうのも出せたらいいなぁなんていう。太鼓持ちの話。やっぱり落語のフォーマットって凄いなと思うんですよ。先人たちが作ってきた設定力とか、あと起承転結力とか。今のそれこそM-1とか漫才のレベルもすごく上がってて、正直アスリートの大会みたいな。それぐらい本当にみんな、すごい削って削って労力で作られてるんですけど。でもやっぱり紐解くと、落語のフォーマットがベースになってたりもするのもあるし。だからそれがやっぱり、日本人の心にあるというか、日本人が笑いやすいフォーマットになってると思うので。やっぱりそういうベースを作りたいな、っていう風に思ってて。だから今日の「ヨイショ」なんかも太鼓持ちの落語で師匠方がよくマクラで使う「一八いい天気だな」「いい天気ですね」「雲が出てきたよ」「雲が出てきましたね」みたいなアレを観てて、これをなんか現代版できないかなっていうのが最初のきっかけ。そういうところを観てもらえばいいなと。あとは、太鼓持ちっぽい今のサラリーマンが出てきててボルダリングやるところとか、ちょっと昔の古典落語っぽい要素も入れてるのでそういうところを観てもらいたいなあとは思います。三遊亭とむ動画一覧はこちらから

春風亭昇々さん インタビュー

1984年11月26日生まれ。千葉県出身。━会社勤めと同じ感覚で入門高校ぐらいまでは落語は聴いたことがなくて。ラジオで流れてるのを「なんか落語流れてるなー」とかって。最後まで聞けないっていうか、眠くなるようなお話ってイメージはありましたね。大学が関西なんですけど、なんかサークルに入ろうってことで、声掛けられたのが落研だったんですよ。大学4年の時にみんな就職活動する中で自分はどうしよっかなぁって時に、やっぱり落語好きだし噺家になろうかみたいな。就職先の一つとして考えてました。だからみんなが会社勤めするのと同じような感覚で、みんなはどこどこの会社、この人は家を継ぐ、僕は噺家、みたいな感じ。━師匠・春風亭昇太のこと師匠がテレビでやってた『壺算』のビデオが面白いからって貸してもらって、それを観てたらすごいマクラも噺も面白くて、それから師匠の落語をちょくちょく聴くようになって。創作落語も面白いし、自分のやりたい形に近いっていうか。前座の頃は結構師匠も厳しく教えてくれてあんまり喋ってもらえなかったんですけど、二ツ目になったら結構優しくて。二ツ目になって怒られたこと1回もないですし、まあ前座の時もないんですけど。僕、一門で唯一師匠に怒られたことないんですよ。何だろう、普通にしてるだけなんですけど。師匠は山城が好きなんで、よく落語会の前に連れて行かれましたけどね。「俺は城見てから会場入りするけど、お前どうする?」って言われたときに、「僕は城行かないで一人で会場入りします」って。で、高座で「師匠に城誘われたけど、それが嫌だ」みたいなことを喋ってたら「二度とあいつ連れてくもんか!」って。冗談ですけど(笑)それ以来師匠と城に行くことはなくなりました。━将棋ウォーズとひふみんのことすごい好きで将棋ウォーズ。居飛車、振り飛車でいうと僕は居飛車ですね。僕はもう守りに入らず、攻め攻め。ずっと飛車を進めて棒銀です。棒銀とか言えるほどじゃないんですけど。加藤一二三九段を見てからかな?それがきっかけで結構やってますよ。「FRaUのうなぎ部」っていうウナギを紹介する企画があって、部長がひふみんで、僕は部員でうなぎ紹介するっていう。ツイッター上で実は友だちなんですよ。お会いしたことないんですけど、僕のツイッターをリツイートしてくれたりして。あと女流棋士の香川愛生さんは、ある番組で隣に座ってたから話しかけたんですよ。「将棋ウォーズやってますよ!」って。「プレミアム会員で」って。それで友達になって、ツイッター上でメールしたりします。━お年寄りに愛を込めて「待ちわびて」『待ちわびて』は僕が作った噺で、配信なのでぶっ飛んでたほうが面白いかなってことで選びました。マクラでも喋ってますけど、かわいいお年寄りが好きっていうか。どんどん子供に戻っていくと思うんですよね、年が経つと。僕はやっぱり一番子どもってすごいっていうか、そこにいるだけでみんなかわいいって思うし、みんな笑うじゃないですか。師匠たちもそうで、そこにいるだけでほんわかするし、なんか一言言うだけで笑いが起きたりとかする。そういう風になりたいなっていうことで。お年寄りをバカにしてるんじゃなく、すごく愛を持って僕は演じてます。突然「バイオハザードやりたい」とか言い出すってお年寄りあるあるっていうか、子どもあるあるっていうか、結構考えて作ってるんで。落語っぽくはないと思うけど、自分なりに大事にしてるものを詰め込んで作った噺です。━古典落語と落語現代に着物を着て一人で世界観を表すって、すごいクールで素敵じゃないですか。日本的ですよね。将棋もそうだし、日本刀も生け花もiPhoneも、ミニマムなものが美しい。みんながもっと創作をやればもっと聴くようになるんじゃないかなと思いますけどね。落語はぬるま湯に漬かってる。古典落語があって、それをみんなで使って、お客さんもそれ求めてるし、いいじゃんこれでって。ただそれだと、全員が聴くものではない。好きな人だけのものになっちゃう。だから僕は『古典落語』と『落語』って言ってるんです。古典落語と新作って言われるけどそうじゃなくて、こっちが落語でそっちが古典だって。みんながそういう風に思えばいいんですけど、落語を作れる人って本当に少ないんですよね。作れなくて前座修行に耐えられる人だけが入ってくるだけで、よくないと思いますけどね。ってこんなこと俺が言っても(笑)━視聴者に一言落語観に来た人、観に来るっていう人は本当に少ないと思うんで、是非まずテレビとかYouTubeとかなんでもいいんで、観たり聴いたりしてほしいなって思いますけどね。“伝統芸能だから勉強しよう”って人が多いんですけど、そういうこと別に考えなくていいと思う。面白いから聴いて、つまんなかったら聴かなきゃいいだけの話。取っ突きにくいものじゃなくて、“どんなもんなのかな?”みたいな。夜寝るときに聴くと眠れたりするんで、そういう身近なものになればいいと思います。春風亭昇々動画一覧はこちらから

柳家ほたるさん インタビュー

1976年10月5日。東京都出身。━師匠・柳家権太楼を選んだ理由一番いつ見ても面白かったから。寄席とか観に行くと、正直、今日はいまいちだなって思う人いるわけじゃないですか。その中でうちの師匠はいつも面白かった。ムラが無いっていうか、必ず笑ってました。だからこんな面白い人の弟子になったらなんて素晴らしい人生が送れるのかな、そばにいたいなと。━師匠とのエピソード入門して初めて師匠と地方に行くときに、兄弟子に「師匠とご飯一緒に食べるとき、なんでも好きなもん頼んでいいぞって言われるかもしれないけど、そのときのメニューで一番安いのを頼め」って言われたんですね。「とにかく前座でも見習いだから安いの頼め」って。で空港行って蕎麦食べようってことなって、「なんでも好きなもん食べていいぞって」言われたんで、メニューを見たらとろろ蕎麦が一番安かったんです。普通の蕎麦がなかったんです。だから「とろろ蕎麦」って言ったら、師匠がいきなり「コノヤロー!」って言って。「前座にもなってない野郎がとろろなんて、なに生意気言ってんだバカヤロー!」ってすっげー怒られて。あーこれから2泊3日きついなって思ったんです。で、北海道行ったらラーメン食おうって。そこでも「なんでも好きなもん頼んでいいぞ」って言われたんで「ラーメン」って言ったら「バカヤロー!こういう時は本当に好きなもん頼め!」って怒られて。どっちなんだよって。ただ今考えると、師匠はいいですけど、例えばお客さんにご飯連れてってもらったときに「なんでも好きなもん食っていいぞ」って言われたら本当に好きなものを頼んでいいのか。「高いものを頼め」って言われたときに一番高いのを頼んでバカ野郎って思われるか。それとも遠慮するのか。向こうがどう言っているのかを読めってことだと思うんですよ。多分そのことを教えたかったんだと思いますけど。━一押しの趣味絵描くのと、ギターとかカメラは昔から好きで。最近は絵を描くのすごい好きです。いろんな絵描くんですけど、これもそう。グッズになってたので元々その色紙を求められることが多くて、字下手だから、じゃあ色紙に絵描こうと思って。猫好きだから、猫の絵描き出したら、業者さんから「グッズ出しませんか?」って。だから最近すっごい絵描いてます。━今回の演目について配信の方は『垂乳根』というお噺。一人で妄想で暴走するとこがあるんです。あれが最近やってて楽しいなって、やりました。もう1つ『疝気の虫』ってのは、ちょっと下ネタなんですけど。放送で下ネタやったら面白いかなと(笑)そんな理由で。だってさっきプロデューサーに好きなことやっていいよって言われてそれを選びました。だから、下ネタで嫌だなと思ったらすいません。━視聴者へメッセージとりあえず生で聴いてほしいです。私じゃなくてもいいんですけど。寄席でも落語会でもなんでもいいから、配信とかテレビも大事ですけど生で聴いてもらいたい。地方でも落語会やってるし、東京は寄席があるし、取りあえず怖がらないで寄席に来てください。柳家ほたる動画一覧はこちらから

雷門音助さん インタビュー

1984年2月10日生まれ。東京都出身。━おつかれさまでした。今日の高座はいかがでしたか?いい雰囲気で、普段と違って面白かったです。引き締まる思いがしました。━静岡県藤枝市のご出身ということで。高校卒業の18まで静岡にいました。大学は京都だったので4年間京都にいて、ちょっと地元で働いて、それから23で東京に出てきて、24で楽屋入りですね。入門したのは23の終わりでした。━落語に興味を持たれたきっかけは?普通に漫才とかコントとか全般が好きで、でも田舎なので別に生で見に行くわけでもなくて、普通にテレビで録画して見るとかそのレベルでしたね。新喜劇とか。で、高校くらいになってNHKの落語とか見て。「日本の話芸」とか「笑いが一番」とかですね。10分くらい落語の時間があったんですよ。興味を持ったのはその時ですけど、もちろんやろうとは思ってませんでした。━やろうと思ったのはいつ、なぜ?強制的にですね(笑)勧誘されたんですよ。落研に勧誘されてしまって。落語研究会って言ってるけど「落語やりませんか」って言ったら入ってこないんで「お笑い興味ありますか?」ってビラ配られたんですよ。で、「あ~!好きです!」って言って。でもそれはやるのが好きじゃなくて見るのが好きだったんですけど。でもなんだかんだ、ご飯食べさせてもらって・・・あのパターンです。抜け出せなくなったパターン(笑)みんないい人たちで面白かったんで、同級生とか学部の人とは話が合わなかったけど、部活の先輩たちや後輩とは話が合うからそっちばっかり夢中になってましたね。結果的に楽しかったです。━落研の時の高座名は?全然面白くないですけど、江戸川志ん茶っていう。恥ずかしいですけど、古今亭の「志ん」を使っている人もいたりいなかったり。変に古いルールで、前の人の字から1文字取らなきゃいけない、みたいなのがあったんですけど、僕は新しい名前でした。響きが良かったので。たぶん静岡だからお茶なんだと思います。それしかないですよね。あと芸名は水物がいいっていうんで。加藤茶さんとか。仲本工事さんは違う漢字だったのを、いかりやさんが「なんか水使う字に出来ないかな」って工事にしたって聞きましたよ。━で、入門のきっかけは?社会の中で生きていこうという気持ちがありました。当時は。ある意味、落研を辞めてから落語を聴かないようにしていたんですよね。もういいやと思って。そしたら半年くらい経ってからなんか聴いちゃって。やっぱり仕事疲れて帰ってくると自分の好きなものを見たい欲があって。それでコントのDVDとか見てて、そういえば最近落語聴いてないなと思ったら止まんなくなって(笑)で、やりたくなっちゃったんですよね。やるなら入門しないとだめだと思ったんで。━で、師匠を選んだ理由は?浅草の寄席に行ったときに出てて・・・ちょうどその時、入門したいな~みたいな。好きで通ってたんですけど、ちょうど狭間くらいの時で。師匠が寄席の人なんですよね。寄席っぽい感じ。寄席のにおいがするんですよね。他にも踊りもあったりいろいろ芸があるんですよ。師匠の若い時って、一門で三人羽織っていう、人形噺って僕らは言うんですけど、右手と左手が後ろで隠れて違う人がやるんですけど。うちの大師匠と、現在のうちの師匠が右手やってて、おじさん師匠の雷蔵師匠が左手をやっていたんですよ。で、そういう映像が、NHKの”懐かしの映像”みたいな番組があったのは高校生か大学生かわかんないですけど、そういうのをずっと録っていたんで記憶にはありましたね。だからそっちが先ですね。師匠の右手しか見てなかったですけど。出会いは「右手綺麗な人だな~」です(笑)それは痛烈に覚えていますね。━入門まではスムーズでしたか?他の人に聞く限り、僕はスムーズなほうだと思いますね。新宿の夜のトリで、次の日が昼間の独演会だったんですよ。で、ここしかないと思って。まだ静岡にいて土日しか東京に行けなかったんですけど、職場にはもう10月の末に辞めるって言ってあって。でも間を空けるのは怖かったんで、ホームページ見てたらちょうど10月の中席に師匠がトリ取ってて。もう会社辞めるし、辞めるって言ったし、引き継ぎ期間に入ってたんですね。前職は信用金庫だったんですけど。ずっとおばあちゃんの話聞いて、年金うちで受け取ったら落語会ありますよ~って落語会の案内してました。年金受給者向けの落語会ですね。━それから24歳で前座楽屋入りですねそうですね。1月下席の新宿から楽屋入りして、ただ、芸協は楽屋に入った後の見習い期間ていうのがあるので正式な前座ってカウントされたのは2月下席の浅草ですね。━その後4年を経て二ツ目にちょうど4年ですね。ほぼ楽しいんですけど、戻りたくはないです。まぁ、協会の違いはあると思うんですけど、僕は寄席の楽屋で師匠たちの表と裏を見るのが面白くて好きなんで。前座でも師匠たちと喋れるようになって、あの楽屋の空気が好きでしたね。だから、そういう意味では行きたくないってことはなかったです。甘かったんでしょうね(笑)━しくじった経験とかなかったですか?あるんでしょうけど・・・最初、師匠の仕事に時間が・・・。営業とかって12時にお客さんと約束してたら12時に行けばいいじゃないですか。でも、12時に来いって言われたら11時半にはいなきゃいけない。今考えれば普通なんですけど、それをちょっと言われたっていうくらいですね。いや、他にも絶対あるんですけど、感じない(笑)寝たら忘れるんで、引きずらないんです(笑)━お名前はずっと音助さんで?前座の時からずっとですね。変わる予定もないんじゃないですかね?まぁ、昇進のタイミングで、あればっていうかんじですね。━芸名の由来は?一応二代目だと思うんです。数えられるのは二代。初代は四代目の三遊亭圓遊師匠が六代目助六の弟子だったんですよ。で、雷門音助ていう前座名だったみたいですね。まぁ代数いっても前座の名前なのでね。━師匠がつけてくださった?一回本当は助三郎になりそうだったんですけど。実際に六代目のお弟子さんでいらっしゃたみたいなんですよね。だから、いる中でつけようってなって、助三郎って言われたんですけど、助三郎か・・・おじいさんっていうか完成形だな・・・って思って、「いや~そうっすね~」ってやんわり濁して(笑)一番最初は考えて来いって言われたんですけど思いつかないんで、そしたら「じゃあ助三郎でどうだ」って。まあ見習い期間中で時間もあったんで、兄弟子が家来たときに3人で「名前つけなきゃ」ってなって、兄弟子がいろいろ雷門の一門にいた名前をバーッて出してくれて、その中で音助。自分で選んだというより、「音助いいじゃないか」って感じになって。僕はでも圓遊師匠がつけてたの知っていたんですけど。圓遊師匠大好きです。働いて初めて落語聴いたのが圓遊師匠だったってのもあります。たまたま縁があったんですかね。あったと思いたいですね。━好きな食べ物が蕎麦と・・・すあま?すあまってご存知ですか?和菓子の。すあまはですね、それこそ知らない人も多くて、ういろうとの違いがわからないとか。ういろうも大好きなんですよ。なんか、果てしなく同じ味っていうのが好きで。潔い感じが(笑)大きいのから小ぶりのまでいろいろあるんですけど。甘いもの好きなんで本当はもなかも好きですね。蕎麦はうまい蕎麦屋が好きなわけじゃなくて、蕎麦が食えればいいっていう。立ち食いでもちろんいいです。なんだったらコンビニの温めるやつでいい。カップ麺でもいいし。乙じゃなくて、ただ蕎麦を欲すっていう。あのつゆが好きで、だから蕎麦が好きって書いたんですよね。でもプロフィールを二ツ目になって書いたら、みんな差し入れすあま。すあまのほうが引っかかったんでしょうね。あんまりないから。━すあまが好物って人に初めて会いました(笑)レジ横に置いてあったりすると、欲しているときは買っちゃいますね。でもこうやって貰うようになったんであんまり自分で買わなくなりましたね。製造方法が違うんですよ。粉が違うみたいですね、ういろうとは。━勉強します(笑)それでは最後にこれからの目標を聞かせていただけますかわからないな・・・なんですかね・・・落語を上手くなれたらいいですよね。億ション買いたいとかないし。みんななんて言うんですかね?テレビ出たいとかですかね?自分には無理です。ん~。ちゃんと落語を聞いてもらえるようになりたいです。正太郎兄さんとさん光兄さんの言ってた目標のちょうどあいだくらいでいきたいですね。(笑)うまく編集をお願いします(笑)雷門音助動画一覧はこちらから

柳亭市弥さん インタビュー

1984年2月10日生まれ。東京都出身。━入門されたのは?23歳ですね。もう10年やってるんですね・・・。昔からお笑いが好きでした。お笑い番組って、僕らが子供のころは今よりもっとあって。そういうのを見て育っているので、そういう道に進めたらなと、ぼんやり考えてました。それで、1人で何かできないかなと思った時にうちの師匠の高座観て、「あ、この人すごいわ…」って思って入ろうと思いました。━直接師匠のところへ?そうです。私の場合は1回就職していたんですよ。地元は東京なんですけど、会社から「君は1年目から大阪で働いてもらうから」って言われて大阪行ったんですよね。でも、知り合いもいないし、知人もいない、友達もいない…。そしたらたまたま大阪で師匠の公演があって、もうここしかないなと弟子入り志願しに行きました。「まだ仕事してるんですよ」って言ったら、「大阪で言われても困るし、まあまあ」みたいな。で、本格的に仕事辞めて、改めて新宿の末広亭で出待ちしてたら「大阪で会ったおめえか」って。覚えてたというか「ああ、そういやぁ、そんな奴いたな」って感じ。で、飯食いに行って、話聞いてもらえて、そこからですね。初めに会ったときから「お前、いつから来られるんだ」って話をされて、たまたまタイミングも良かったんですよね。なので、「親ちょっと連れてこい」ってとんとん拍子になりました。━入ってからもとんとん拍子?入ってからは苦労ですよね。まあ、一歩一歩ってことです。そんなとんとん拍子に落語が上手くなったとか、とんとん拍子に前座生活を送ったとかないですね。苦労の連続ですから。前座修行も入った師匠それぞれ。うちの師匠のリズムが僕の中ではすごい合ってたんで、たまたま。だから苦労はしたけど辞めたいなって思ったことは1回もない。むしろ社会人の仕事のほうがめっちゃ辛かったんで、なんて楽なところなんだろうって感じがしました(笑)うちの師匠のとこは前座って住み込みじゃないんですよ。だいたい毎朝通って、掃除、洗濯、ご飯作って・・・。で、師匠起きてきたからご飯の準備、支度して師匠が寄席とか出掛ける前は、身の回りのことやってっていう。で、うちの師匠は、「ちゃんと言われたことやったり自分でこれやっておしまいってなったら寝ててもいい」って言うんですよ。「電話とか人が来たら応対しなきゃいけないけども、それ以外ちゃんとしっかりできるんだったら寝ててもいいぞ」って。こんな世界あります?みんなが一生懸命働いて、そのさなか寝てられるんです。だから、すごいいいなって。楽じゃないですけど。━前座時代のお名前は「弥」の字が今とは違う「也」なんですね?うちの師匠は昭和歌謡が好きなんですよ。岡晴夫とか。藤山一郎とか。戦前戦後の歌が好きなんです。それで、昭和歌謡を代表する三橋美智也の“也”を前座の時につけてもらいました。本当は前座の時から弥生の“弥”をつけたかったんですって。でも「前座で弥生の“弥”は偉そうだから」ってのを聞いていたので、「じゃあ二ツ目になったら弥生の“弥”にしましょう」って師匠に言ったら、「じゃあそうしよう」と。出世魚じゃないですけど、前座から二ツ目に上がるときに名前変えるのは出世するためにいいんだよって言うんですけど、僕の場合、読み方は一緒で漢字だけ変えちゃったって感じですね。本当にいい名前をつけてくれたなと思います。━それから早5年。今思うとあっという間ですけど・・・本当に二度と前座には戻りたくないなって思います。二ツ目で5年やりましたけど、面白いっすね。何がつらいって、休みがないんですよ。それこそ、毎朝師匠のうちに行く。それと前座さんは必ず寄席っていうところで働かなきゃいけない。都内に寄席4軒あるんですけど、そこで昼と夜ってシフトが違うんです。で、10日ごとにシフトが編成されてて、「この10日間はアンタあっちの寄席で昼席入りなさいよ」「次の10日間はこっちですよ」って必ず前座が寄席に行かなきゃいけない。だから365日寄席があるんで休みがない。寝られないし、とにかく眠い。寝てるんですけどね(笑)うちの支度が終わったら寄席とかに行かなきゃいけないし、寄席だとずーっと9時くらいまでやって、打ち上げついてって、帰ってくるのが深夜1時とか。で、また朝8時くらいに師匠のうちに行かなきゃいけない。そういうので寝られない、眠いっていうのがありますね。━今回の『金明竹』の早口言葉に点数をつけるとしたら?100点満点で2点(笑)前座話なんですよね。寿限無の長い名前とかも言い立てって呼ばれるんですけど。ああいうのって年取ってからだと覚えにくいんですって。なので、そういうのは前座のうちに覚えといてっていう。早口言葉なんでレッスンにもなるじゃないですか。そういうので前座のころからやってますけど、上手くならないですね。同じ噺でも同じにできない。日によって違うし、お客さんによっても違う。━趣味は散歩・麺類紀行とありますが麵に限らず食べ歩きですね。タイ料理が好きなんですよ。ガオマンガイとか、あとはカレーとかかな。スパイシーなものが好きです。あとは、むしゃくしゃしたときはステーキをバカ食いしたりとか、ありません?甘いもの食べたくなるとか。そういうのが僕は食なんです。お酒飲むのも好きですね。ついこの間も正太郎兄さんに連れていってもらったんですけど、おいしいお酒をしこたま浴びるように飲みました。━すごく綺麗な色味のお着物ですねこういう明るいやつだと色っぽいなっていう。今日の二席目の紙入れみたいな、おかみさんとアハハ、オホホみたいな感じの噺だと合うのかなと。やっぱり着物は噺によって変えたほうがいいかもしれないですね。10着くらいは持ってます。自分で仕立てる場合と、「是非これで仕立ててみて」みたいなお客さんもいらっしゃったりとかして。今着ているのはお客さんからいただきました。やっぱり表に配信されるから、その方に向けても着ています。あざとくゴマすって・・・またじゃあ買ってあげるわ、みたいな(笑)━最後にメッセージを若手なのでまだまだ勉強不足なところがありますし、今日の『金明竹』とかはちょっと申し訳ないなという感じなんですよね。もうちょっと言い立てをもっとね、ハキハキ喋れたらなと思うんですけど、やっぱり寝不足でしたね。けどやっぱり、ああいう噺好きなんですよね。『金明竹』ってなんか馬鹿馬鹿しいじゃないですか。上方の人も与太郎さんの女将さんも全員罪がない。ああいう罪がない噺って好きなんです。滑稽話みたいなの好きですね。なので、今日はちょっとワーッと明るく演じられたらよかったなと思ったんですけど・・・2点かな(笑)でもまあ、明るく勉強させていただいたのでよかったです。━これからの目標は?やっぱり得意なネタを増やしていきたいですね。今、80くらい覚えているんですけど、真打になるまでには100以上覚えなきゃいけないんで。覚えなきゃいけないわけじゃないんですけど。それでふるいにかけてどれくらい残っているかですよね、自分の得意ネタというか好きなネタが。そういうネタをどんどん増やしていって、難しいネタにも挑戦していきたいと思います。明るく元気よく演じられたらいいなと思ってます。柳亭市弥動画一覧はこちらから

柳家さん光さん インタビュー

1976年7月27日生まれ。━汗だくですね(笑)もうこの自分のメンタルの弱さはもう(笑)途中やりながら駄目だなあと思いながら。そう考えちゃダメなんですけどね。集中してないんですよね。話に途中から。多少ウケてたら安心して出来るんですけど(笑)━出身は福岡生まれは福岡ですね。父の仕事の関係で転々としてたんですけど、小学5年くらいからずっと福岡に住んでたので、そのまま出身地は福岡ってことにしてます。その前に長崎にちょっといて沖縄、大阪、福岡って帰ってきました。━入門された2009年というと何歳?1月なので32ですね。入門は遅めです。決して早くはないです。今はもう年齢制限が出来ちゃったんで入れないですけど。本当はもう1人、自分の下に30オーバーがいたんですけど、辞めちゃったんで。最後の30オーバーの入門者になりましたね。音助さんたちの芸協とかはまたちょっと違ってくるんですけど。うちの協会に関しては30までと決まりが出来ちゃったんで。━30代ということで難しさを感じたことは?楽屋働きはつらかったですね。寄席で師匠ん家行ってもずっと立ちっぱなしで、下っ端だったから。だからもう師匠ん家を早く出れたらこっそりマッサージに行って。足がパンパンで足の裏も痛くて痛くて、マッサージ屋さんには「どうやったらこんなに硬くなるんですか?」って言われたほどです。━そんな師匠の下に入門されたきっかけは?寄席で観て、こんな面白い人いないなと思ったんです。門を叩いてから入門までは多分3カ月くらい。うちの兄弟子の我太楼兄さんと素人時代からちょっと縁があって。2回目行った後に我太楼兄さんから「うちの師匠が暮れにやってる会があるから手伝いに来い」って言われて。入門したらどれだけ大変かっていうのを見てみなさいと。それで諦めろと言われて行ったんです。女将さんとかみんな反対したらしいんですよ、来させたら期待持たせるんじゃないかと。うちの師匠は弟子取らない宣言してたんでその時。一つ上のほたる兄さんで打ち止めって決まってたんで。それを公言しててこういうことをするから女将さんが怒ったと思うんですけど。━それを知りながらもアタック?知らなかった。なんにも知らなくて。入ってみないと実際の苦労なんかわかんないし。その時の前座が正太郎兄さんだったんです。正太郎兄さんが師匠の会を手伝ってて、大変だなぁとは思ってたけど。本当の大変さなんか見ててわかんないんで。そしてそのあとうちの師匠に「それでもやる気があるんだったら、正月は忙しいから年が明けたらおいで」って言われて。行ったらOKでした。そのあとに「親を連れてこい」って言われたんです。うちの親、変わり者なんでそこで駄目って言われるんじゃないかなっていうのがずっとあって(笑)お受験じゃないですけど(笑)そこで引っ掛かるんじゃないのかなと思ってました。1月の終わりころ親を連れていったんですけど、それまで安心はしてなかったですね。結局駄目って言われるんじゃないかなと思いながら。━前座名が・・・おじさん?柳家おじさんっていう名前でした。師匠が付けましたけど、最初は違ったんです。6番弟子なんで、ごん六って名前だったんです。ひらがなのごんで漢数字の六。めくりも作ってそのつもりだったんですけど、さっき高座でも言ったように本当に師匠に毎日怒られて、口利かなくなって、そしたら「こいつはつまんない人間だから名前を変える」って一門揃ってる時に会議始めたんですよ。「こいつの名前を変えようと思ってる」と。「こいつはごん六じゃ楽屋で師匠方に名前を覚えてもらえない。だから名前にインパクトを付けようと思う」って言って、年も年だから「おじさん」にするって。おじさんっていう言葉自体に人は悪い感じを持たないって言ったんですよ。“おっさん”とか“おやじ”とかだと悪意を感じるけど、“おじさん”という言葉になったら柔らかくもなる。で、「おじさんの“さん”は、先代の小さんの“さん”だ!」って。後付けなんですけどね。ネタでよく言ってるのが、小さいに治めるに漢数字の三でおじさんにしようと思った、と。そしたら小三治と一字違いで、これは怒られるって(笑)ひらがなにしようって。━ご自身も納得?楽屋でも話題になるしみんなにかわいがってもらえるとか、すごい話が盛り上がって。そしたら1人の兄弟子が「当人の意見聞きましょうよ。こいつがどう思ってるかわかんない」って。でもそんな盛り上がってる時に「おじさんは嫌です」って言えないじゃないですか。だから「ありがとうございます」って言って(笑)その場で女将さんが落語協会とかに「ごん六からおじさんに変えました」って連絡(笑)ただ、必ず電話口で「は?」って言われてるんですよね(笑)━親しみやすい感じもしますけどだから本当は名前に助けられましたね。名前にインパクトがあったせいでいろんな方におじさんって名前は覚えてもらえましたし。ネタ帳とかもおじさんって書いてると、違う団体の師匠たちからも「君がおじさんか!」と言われたりします。よかったですね。今でも半分の人がおじさんって言います。雲助師匠とかは、最初会ったとき「おじさんです」って挨拶したら一番がっかりされたんですよ。「なんだお前か。お前全然おじさんじゃねえじゃねえか」って(笑)「期待したのになあ」って言われたんですけど、二ツ目になってマジマジと顔見られて、「お前名前何になったんだっけ?」「さん光です」って言ったら、「お前さん光じゃねえよ、お前おじさんだよ」ってすげぇ言われて。本当にありがたかったですね。二ツ目昇進が決まったら周りが勝手におばさんとかね、おじいさんとか、勝手に話し合い始めるんです。楽屋で。本当にありがたい名前でした。━そして2013年に11月、さん光にもう4年経つんですね。二ツ目から真打になるより、前座から二ツ目になるほうが一番嬉しいって言いますからね。やっと師匠ん家に行かなくていいじゃないですか(笑)名前は、師匠の二ツ目時代の名前なんですよ。うちの弟子も名乗ったんですけど、それを私がまたもらって。ちょっと困っていることもあります。欲しかった名前の一つなんですけど、ただ欲しかっただけ。なってからやたらと周りの人に「師匠から期待されてるんでしょ」みたいな感じで言われます。━趣味がおしゃれということですが、今日の着物のポイントは?これは一番最近作った着物なんです。最近感覚がおかしくなってきて、高座で使う着物は、どんなに派手でもどうにかなるっていう。思い立っちゃって。着物屋さんが「これどう?」って半分しゃれっぽく出してきたのを「いいっすねー」って。だから兄弟子も半分笑いながら、「うーん、わかんない俺には」って言われました。着物屋さんも「笑えるぐらい派手よ」って(笑)自分的にはすごい気にいってるんですけどね。顔が地味なんで。ちょっと着物ぐらい派手でいいかなって。━眼鏡もこだわりのもの?顔が地味なんで(笑)クラシカルな眼鏡をチョイスするようにしてます。前座の子とかマル眼鏡とかしてますし、若者風なのはできないんで。でも高座はやっぱり取りますね。古典やるにあたっては眼鏡はちょっとNGなんで。なんかやっぱり出来るだけ顔とか着物もそうですけど、ニュートラルな状態にしてないとお客様の想像に邪魔になるから眼鏡は外すようにしてます。扇子はこだわってないですけど、水玉模様が好きなんですよ。今日は草間彌生の手ぬぐい。汚れてますけど、かなり使ってるんで。こういうのを使うようにしてます。自分の手ぬぐいも水玉なんです。水玉の手ぬぐいを染物屋さんにお願いして。━他の趣味は音楽聴く。ジャンルで言うとロックとかパンクとかが好きだったんですけど、最近もうちょっと大人っぽいものも聴いてみたいなという思いはありつつ・・・全然動いてないんですが。今年の夏初めてロックフェスにも行きました。上方の噺家の桂優々さんって方に連れてってもらって。━二席やっていただいた感想は?まだまだだな、と自分でやりながら思いました。緊張しちゃうと間違えるし。一か所間違ったし。取りあえず自分のメンタルの弱さを来年はどうにかしたいなと思いますね。改めて反省しました今日。本当にありがたいなと思ってね、こんな機会もらえるのは。━配信という意識はありましたか?やりなれてる噺をやろうとは思って。さっき一蔵兄さんがカメラ目線で枕を喋ったって言ったでしょ?だから俺もやってみようと思ってやってみました。こないだ1回『ミッドナイト寄席』に出させていただいた時、最後のトークで怖くてカメラ目線ができなかったんですよ。なので今日は思い切ってカメラの赤く光ってる点を見てみようと。それだけ成長しました(笑)━目標は?寄席に出ている権太楼に憧れて入門をお願いしたので、寄席に行けば観られると思われる噺家になりたいです。柳家さん光動画一覧はこちらから

春風亭正太郎さん インタビュー

1981年8月23日生まれ。━入門は2006年24歳の時です。大学卒業してから2年間、塾の先生で文系全般教えていて、そのあと結局こっちの世界に来ちゃいました。落語家になりたいって思ってたのかな?落語が好きだったとしか言いようがないですけど。初めて聴いたのは中学3年生の時。小学校の頃から何となく笑点みたいのは見てましたけど。中学3年生のときちゃんと落語を聴くようになりました。文化祭でちょっと落語をやらなきゃいけなくなっちゃって。それきっかけで聴いてみようって。やらなきゃいけないから聴いてみようと思って図書館行ってテープを借りて、聴いてみたら、わーこんな世界があるのかと感動しちゃいまして。それからちょこちょこ聴きに行くようになりました。━文化祭の時は誰かのコピーを?コピーというか自分なりに真似して、できないところは自分なりにアレンジしてみたいな感じ。三遊亭圓生師匠の『死神』って話でした。子どもがやったものですから、観てるのも同級生だったり保護者だったりしますんで、笑ってくれるんですよね。笑ってくれるし、最後まで聴いてくれるんですよ。そこで何となくウケちゃったから、いい気になってしまったっていうのもあるんでしょうね。それから落語を聴きに行くようになりまして。ホールとか寄席だとかそういうところにちょこちょこ自分で聴きに行くっていうような生活になりましたね。━芸術学部に進まれたのもその関係?元々、落語のパフォーミングもそうなんですけど、そういうのが好きなんですよね。僕は映画が好きだったので、主に映画系の学科なんですけど。映画とか、落語もそうですけど、舞台だとかそういうもの色々好きだったのでね。何となくぼんやりとどうせならそういう仕事したいなと思ってたんです。でも落語家になろうとは思ってなかったですね。━好きな映画のジャンルは?なんでも好きですよ。でもどっちかって言うと最近の映画よりは昔の映画の方が好きですかね。邦画も好きですけど基本的には洋画の方が好きですね。チャップリンはなんか好きですね。チャップリンは落語に通じるなといつも思います。散々見て内容も全部覚えてますから今さら見ないですけど、家にはDVDを置いてありますよ。やっぱりこういう商売やっているからなのか、笑いがあって、ただ笑うじゃなくてドラマがあるみたいな。そういうのが落語っぽいなと思って好きですね。「ビリーワイルダー」とかね。━映画が自分の芸に影響することは?あるかもしれないです。何となく喋りながら自分の中で画を描いて、カメラワークもある訳じゃないんですけど、なんかぼんやりと自然と頭の中で場面構成を作ってたかもしれないですね。━前座から名前は正太郎で。意味は特にないと思います。「正朝」の弟子だから正太郎。ただそれだけのことだと思うんですけど。もらったときは、シンプルで親しみやすい名前だから嬉しいなと思いました。今でもその名前ですけど、本当にお客さんもよく覚えて下さいますしね。そういう意味では、若々しい感じもするし、シンプルだし、落語家っぽい名前だからいいかなと思って。この名前には愛着がありますね。━ぴったり3年で二つ目昇進さっき(柳亭)市弥くんも「毎日毎日眠かった」って言ってましたけど、全く同じ。眠いし暇はないし忙しいしお金ないし。人生で戻りたくない期間はどこですかっていったら前座の期間でしょうね。それぐらい修業はつらかったですね。今思えば、それが全部身になってますので、逆に、今でこそのんびり楽しい前座生活を送ってたほうがいいかっていうとそういうことではないと思いますね。厳しい修行が送れたからこそ今に生きていることは多いと思いますね。━印象的な師匠の言葉は?僕がやっていくうえで最も支えになった言葉は、「お前が向いてないと思ったら、俺はいつでも辞めさせます。早いうちに。君に才能がないと思った瞬間に僕は辞めさせます」と。それは、「落語ってのはある種、才覚みたいなところがあるからある程度まで鍛え上げていくけど、向いてない子は向いてないと思うから駄目だと思ったら僕は早いうちに印籠渡します」という風に最初に言われました。それは僕にとってみればすごく優しい言葉だなと思って。早いうちにこの子の人生駄目だと思うなら次の道を歩んだほうがいいっていう優しさですよね。一見すると厳しいように聞こえますけど、それは僕からするとすごく頼りになる言葉というか、心の支えになる言葉。うちの師匠が「お前は向いてないから辞めなさい」ってまだ言ってないってことは、僕はまだ続けられるかもしれないと思って頑張れましたね。━二ツ目になって8年目。生活に変化は?変わりましたね。自由な時間というか自分で仕事取れるようになりましたので、そうなると自分でこうしなきゃ、ああしなきゃと。逆に言うと自分で決めていかなきゃいけないっていう厳しさが出てきますよね。自分の時間がないというよりは自分の時間をどう埋めていくかというか。どうやって仕事で埋めていくかっていう厳しさになっていくので。誰も助けてくれませんしね。自分一人でやっていくしかないですから。この商売ばっかりは。もちろん仲間同士で支えあっていく世界ではあるんですけども、結局最後は一人の世界ですから落語は。━趣味は似顔絵を描くこと、読書、古典ミステリー研究、映画鑑賞など・・・最近時間がないからあんまり行けてないですけどね。映画なんかも観たいんですけどなかなか時間もなくて。事務仕事も溜まってたり、やらなきゃいけないこともちょこちょこあるし。仕事もあるし。逆に言うと、やることなくて映画観に行こうかな?やることないから本でも読んでようかな?ゴロゴロ寝てようかな?っていう時間がないっていうのは、芸人としては幸せなことだと思うんですけどね。でもアウトプットばかりではなくてインプットの時間も必要ですよね。━噺家さんで気になる方は?いっぱいいますよ。ほとんど全員。僕はみんな気になる。今どこでどんな仕事してるんだろう、とか。この子はこれぐらい頑張ってるんだとか、逆に先輩はこんなに仕事してんだとか。思ったより落語界って競争社会なので。もっとのんびりした世界だと思ってたんですけど。入ってきたら思ったより競争社会で。なにせ人気商売なので。あの先輩こんなに頑張ってるんだったら俺もっと頑張んなきゃとか。あの子にも抜かれそうだから俺も頑張んなきゃとか。ちょっと自分を俯瞰してみてるというかね。そういうところがこの商売に入った以上必要な気はしましたね。みんな友だちですけどみんなライバルって本当そうですね。━噺家としての目標いろいろ思うことあるんですよ。だけどとりあえず最終的には、後輩から稽古を頼まれるような落語をやりたいなと思います。僕たちの世界は、先輩が後輩に教えていく世界ですから。後輩が選ぶわけです。この話だったらこの師匠に教わろう、この先輩に教わろうっていうふうになるわけじゃないですか。みんなの見本になれるような、噺家の見本になれるような、そういう噺家になれたらいいなとは思いますよね。もちろんお客さんに楽しんでもらうことが前提ですよ。そんなのは当たり前なんですけれども、その上でさらにそう思いますね。━視聴者へアピール私は醬油ラーメンのような落語なんですよ。癖がなく誰でも食べられて、また食べたいなって思わせるような、そういうシンプルで楽しい落語を目指しております。そういう落語が出来たらいいなと思って頑張っております。その辺を聴いていただければと。春風亭正太郎動画一覧はこちらから

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