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古今亭今いちさん インタビュー

昭和63年8月26日生まれ、東京都大田区出身━小学校は全寮制私太っていたんです。大田区内の小学校に通ってたんですが、保健の先生から「あなたこれ以上太ったら死ぬよ」って言われまして、千葉の館山にある大田区立の健康回復の学校に編入したんです。肥満、喘息、虚弱、偏食・・・などを治すための全寮制の学校で、そこに4年の2学期から編入をして卒業して大田区に戻って来ました。その時に一緒に暮らした、同じ釜の飯を食べた仲間っていうのは今でもよく遊んだりなんかしますね。小学生で70kgとかあったのかな。━どっちつかずの体型「お前は太り方が半端だ」と言われることがあります。デブネタをやるのであれば大きくないと面白くないし、でも3桁は才能なので(笑)身長があって骨も太くて体が大きい方は太ろうと思えば頑張って太れるんでしょうが、私はそこまでの才能はない。頑張って痩せようと思ってもこの世界にいると自然と太ります。前座の頃は食べるのが仕事のようでした。「若いから食べなさい」って、世の中一般からしたらそんなに若かないですよね。━牛丼は飲み物?!我々の世界は年齢ではなく、年季の差みたいなもの。40いくつでも若手は若手。だから師匠方も「若いんだから食べなさい」っておっしゃりますけど、年齢を重ねて入ってきた兄さんなんかは大変そうでしたね。自分たちが動いて手配して、余ったものは全部食べるみたいな。誰よりも遅く箸をつけて誰よりも早く食べ終わらないといけない。そうすると喉の方が発達してきて、カツサンドなんか2回噛めば喉通るようになっちゃう(笑)牛丼も飲み物ですから(笑)完全に癖になってますね。━教員免許、取ったはいいけど・・・農業高校出身です。造園の勉強をしていて、学校の先生たちが結構面白かったんですね。そこから自分も農業高校の先生になりたいと思い、大学で教員免許を取って教員採用試験を受けました。先方と意見が合わなくて落ちちゃいましたが。先生も1人で人前で話すし、落語も同じだなって高校の恩師に話したら「お前全然違うよ。我々教員は生徒に教えて進級させて上に持ち上げるけどお前たちは全部落とすだろ」って先生の方がうまかったです(笑)━眞空拳拳法?眞空拳拳法は、簡単に言うと護身術。今ある体をどうにかして使おうと。小学校3年くらいから続けてて今もやってますね。走りこんだりはせずに、いかに理にかなった動きをするか。無駄がないってことはカロリーを消費しないので痩せないです(笑)これでも高校の時はバドミントン部だったんですよ。全然見えないでしょ?体を動かすのは嫌いじゃないですが、根性がないですね。━太っていたから落語に出会えた?自分はそそっかしく、飽きっぽいタイプ。農業高校時代も木を剪定したりするのはすごく好きだったんですが、成長を予想して形を整えた結果が出るのが1年後。その場で結果がすぐ返ってくるっていう方が自分にはすごく合ってるので、落語の方がコール&レスポンスで変えながら出来るというのが面白いですよね。考えると全部落語につながってます。落語との出会いも、館山に行っていた小学5年の学芸会で「寿限無」の劇をみんなでやったのがきっかけ。だから館山に行ってなければ、肥満じゃなければ落語にも出会ってなかったかもしれないですね。━敢えて、下手に今はなるべく落語を下手にやろうと思ってます。上手い人っていっぱいいるじゃないですか。その中で師匠に教わったままやっているとそれより先には行けないというか、越えられないので。マイナスの力があると逆にプラスにも力が出るみたいな。いい方向にずっと行くよりかは、一回逆のことをやってみるといいんじゃないかなと思っていて(笑)だから今回の収録もすごく下手です。下手にやろうとするのも難しいんですよね。自分の中で教わった間とかリズムを崩す訳ですし、崩そうとして本当に詰まっちゃうと駄目ですしね。━自分だけのベクトルで自分だけのベクトルでうちの一門が新作の一門なので、みんな言うのが「新しい笑いの形を創造しなくちゃいけない」。教科書みたいに“これが落語”っていうのは諸先輩方がやっているので、別のベクトルの落語もありじゃないかと。同じ噺でもやる人によってこれだけ違って面白いみたいな、多様性の面白さがある感じがしています。誰も行っていないところに行ければいいですね。そのために今は下手に、下手にやりたいなと。古今亭今いち動画一覧はこちらから

林家たこ平さん インタビュー

1979年7月4日生まれ、大阪出身━入門を決めたのは一瞬23歳の時、今から15年前くらいに上京しました。千葉の友達の家で居候みたいなことをしながらフラフラしていたんですが、たまたま休みの日に鈴本演芸場に寄席を観に行って、そこで師匠の落語を観て一瞬で入門を決めたんです。当時は就職していなくて、アルバイトをしながら、ただフラフラしてましたね。━カルチャーショック師匠を選んだのはフィーリング、第一印象かな。一目惚れですね。裏表のない師匠です。私が入門したころは結構テレビのバラエティなんかにも出ていたので知っていましたが、寄席とテレビでは印象が全く違いました。着物を着て座布団に座って・・・その時に初めて落語を観たのでカルチャーショックを受けました。━前座なのに独演会?!師匠の独演会が地方であったときのこと。師匠はテレビの収録かなんかで後から会場に入るから「お前は先に会場に行って準備しろ」と言われまして新幹線に乗ったんですが、その新幹線が止まってしまったんです。1時間も2時間も動かない。主催者の人と一緒だったので「どうしましょう」ってことで会場に連絡とると「師匠は今から来ても間に合わないから、師匠の独演会だけどたこ平さんとりあえず来てください」と言うんです。たしか1年目か2年目くらい。会場には師匠の独演会の看板が出ていて、でも出演は僕だけ(笑)「なんでもいいからやってくれ」と言われ、当時そんなにレパートリーがなかったので、それこそ前座噺ですよね。会場も結構大きかったですよ。5、600くらい席はあったんじゃないかな。開演時間も過ぎていてお客さんが半分怒っているような中お辞儀をして顔上げると・・・「シーーーーン」としていて拍手も何にもなかったです。『寿限無』とか『味噌豆』なんかを20分ぐらい話して降りちゃいましたね。その後はすぐに幕を下げてもらいました。今でさえウケることは難しいのに、その時はテンパっているし、前座がそんなところで落語をやるなんて間もなにもあったもんじゃなかったですよ。今考えてもゾッとしますね。━前座ロス?師匠は基本的に強く怒鳴るってタイプではないです。あんまり記憶にないですね。前座の時は、朝から師匠の家に行き、寄席が終わったら何があっても戻らなくちゃいけない。内弟子ではなかったですが、近所に住んで毎日行って寄席が終わったら必ず戻って、師匠のところで晩御飯を食べて、風呂なしのアパートに戻る。それを大体3年ぐらいやっていたので、そういう意味では厳しかったですね。でも今になってみるとありがたいような気もします。自分の時間は本当になかったので、二ツ目になった時はうれしかったです。意味もなく家の中を掃除したり。“何もしない”っていうのが悪いような気がして、ゆっくりしてちゃいけないみたいな感覚にはなりましたね。そういう意味では前座ロスでしたね(笑)━東京は自転車が便利散歩が結構好きで、上野公園とかをよく散歩してます。谷中から上野の鈴本へ行く道は、上野の山を越えていくと結構緑が多いのでリフレッシュできるんです。お芝居観たり、映画見たりするのも好きですね。今は乗っていませんが自転車も好きですね。東京って自転車があると便利ですから。電車と自転車があれば車はいらないでしょ。━師匠みたいになりたい目標は師匠。師匠みたいになんでも出来るような芸人になりたいです。仕事を選ばずに何でも機会があれば、きっかけがあればどんなことでもやらせて頂きたいなとは思います。林家たこ平動画一覧はこちらから

柳家やなぎさん インタビュー

1990年2月18日生まれ、北海道野付郡別海町━減量、叶わず協会のプロフィール写真は二ツ目になる直前ですね。二ツ目になったらどんどん痩せてやろうと思って意気込んでいた時です。あの頃は、二ツ目になれば痩せるだろうと思っていました。いわゆるデブキャラで売る自信が無かったので、僕は開き直れなかったんです。体も心配になりますし。でも・・・駄目でした(笑)━きっかけは現実逃避僕は全く勉強が出来なかったんです。高校3年生の時に授業に追い付けなくて、現実逃避で落語をきいたのが初めてでした。それから東京に出てきてアルバイトなんかをしていて、その頃に落語が世の中で一番好きだったので、じゃあ折角なら好きなことでご飯食べたいなと思ったんです。それに普通の企業で勤めている自分の想像が全くできなかったんです。普通に働いて、ちゃんと朝起きて、ご飯食べて、仕事行って・・・みたいなのが本当に1ミリも想像できなくて、生意気ですけどそういうこともあって噺家になりました。━夢のような見習い期間普通に働くよりも前座はハードだったかもしれないですね。でも好きなことですから。好きなことやっている時は平気です。最初の半年は盲目。毎朝自宅に行くと自分が惚れた師匠がいるわけですよ。だから最初の半年は「あー!さん喬師匠いるー!」「俺、さん喬師匠のお皿洗ってるー!」「俺、さん喬師匠入った後のトイレ入ってるー!」とかそういうのが続いて、見習いの半年は寄席を知らずに師匠のお宅にしか行ってなかったです。前座は寄席でそれどころではないので、あっという間に1日が終わっていきますから。期間としては長かったですけど1日1日を見れば随分あっという間に終わりましたね。━腐っていたあの頃今だから言えますけど、あの頃は随分腐ってました。前座って大体みんな腐るんですよ。目新しいものは楽屋にはないし、伸びしろもない。今だったらその時の自分に言います。「なんだって新しいし、何にもやることないなら高座を勉強しなさい」って。でも当時は「なんか早く終わんないかなー」って腐ってましたね。━ガンダムと酒普段はずっとゴロゴロしています。何もなければ家でゴロゴロして1日終わります。お酒飲んで終わり。二ツ目になってから、仕事をした日以外は飲まないと決めてますね。常備はしていますが、飲み始めるといつまででも飲んでしまうので。だから仕事した日はご褒美に飲んでいいことにしています。ガンダムを見て家でゴロゴロ。夢のようです。そうやって生きていきたいですね。お酒はなんでも好きですよ。━師匠、ごめんなさい!師匠はお酒を飲まない人なんですが「お前飲んでいいぞ」と言われ、最初はもちろん断わりますよね。でも進められて飲んで、気が付いたら僕が助手席で師匠が車を運転しながら「この辺でいいか?」って(笑)ごめんなさいっていつも思っています。同じことが何回かありますね。次の日は何事もなく「昨日はごちそうさまでした」って。だって師匠が飲めって言うんですもん(笑)僕だって「一人で帰ります」って言うんですよ。でも「いやいや送っていくよ」ってお言葉に甘えています。「テメぇ、この野郎」って思われているかもしれないな。━コツコツとやるのみ不器用なので本当にコツコツと目の前にある課題とか自分に出来ることをやって、噺家は死ぬまで噺家だと思うので、その頃には1ミリでも自分の師匠に近づいていたいですね。根本的に稽古をもっとしなきゃいけないと思います。とにかく噺をいっぱいやらないと駄目だなと思っています。━師匠のおかげ声が大きいのもこの世界に入ってからで、本当に師匠のおかげです。いわゆる腹式呼吸どうのっていう指導はないんですよ。だけど「さん喬」という師匠は、朝お宅に行って新聞を読んでいるところに「おはようございます」と言っても返事をしないんですよ。声を張って「おはようございます!」って言うと「おはよう」って返してくれる。無言で「お前の声は聞こえませんよ」って伝えてくれていたんだと思いますね。稽古の時も「腹から声出せ」って言われていました。一番最初に「こんちわ!隠居さんこんちわ!」って言うと「もう一回、腹から声出せ」って。初めて教わった噺も最初の「こんちわ!」だけで30分くらい。なので、この世界のことはこの世界に入ってから全部出来るようになりました。といっても、まだまだですね。もっと面白くなりたいです。柳家やなぎ動画一覧はこちらから

宝井琴柑さん インタビュー

10月21日生まれ、神奈川県横浜市出身━伝えたいこと講談って難しいといわれるので「難しくないんだよ!」っていうことと、今のお客さんに楽しさを伝えたいなっていうのは日ごろ考えてます。━話芸で勝負子供のころから親の影響で講談は聴いていました。中学生のときにアマチュアで習い始めて講談が身近ではあったんです。でも職業にしようと思ったのは、大学卒業後に出版社の営業職を経験してあちこち回っているうちに、営業トークも話芸だなと感じたとき。話芸だったら講談ってのがあったなと思い出して、じゃあ人の作った製品を売り歩くより自分の身一つでやっていけないかなと足を踏み入れたのが一番のきっかけです。━修行で変化突然講談の世界に身を置くことになり、私の周りの人たちはびっくりしていたと思います。講談師になってから話し方がだいぶ変わったので、以前の私を知ってる人からは「どうしてそんな喋り方なの?」と言われたりもします。元々はすごくトロくさくて舌っ足らずって言われたこともあったくらいだったのが、修行によってハキハキした喋り方に変わっていきました。自覚もありますね。━ここが自分の居場所やっぱり芸って難しいです。客として客席から見てるときは「前座さんか、二ツ目か。ふふん」って感じで気楽に見ていたんですが、いざ自分でやるとなると結構難しいもんだなと。挫折というほどの挫折をまだしていないのかもしれないです。でも、辞めたら後がないってことは思います。普通の社会人としてはあまりうまく生きていけそうになかったので、ここでダメだったら本当に後がない、ここが自分の居場所だってつもりでいます。━営業職のおかげで強くなれた営業職はノルマに追われ、営業トークも全部ひっくるめて仕事が辛い。でも元々そんなに喋ることが得意ではなかった私が、ガンガン人に喋れるようになったのは営業職のおかげだと思っています。物怖じしなくなって人見知りもしなくなりました。電話もかけまくって、初めての人でもガンガン行くっていう感じは営業職で鍛えられたのかなと。ただ、精神的にも体力的にもすごくハードだったので「もうやっていけない・・・」という感じでした。━大変なのはみんな同じ就職をせずに講談師になる選択肢はなかったですね。就職先でうまくいってたらそのままずっと安泰に暮らしていたと思います。講談の世界に入るよりも前に社会人として挫折を味わってますので、逆に講談の道に入っても頑張れるっていうところはありますね。どんな仕事もみんな大変なんだってことが身をもって分かった気がします。よく「芸人の世界って大変なんでしょ?」と言われますが、世の中の方々みんな働いてそれぞれ大変だなというのが実感ですね。━史跡めぐり最近は史跡めぐりにハマってます。昔はそこまで歴史好きというわけではなかったんですが、講談をやっていると各地の話が出てくるので気になります。旅行のついでに歴史に関係する場所を観たり、普通の人が素通りしてしまうような地味な史跡を観たり。手掛けている講談がその土地の話だったりすると、話にリアリティーを持たせるために現地へ行くことがよくあります。プライベートと仕事の線は引きづらいですが、そんなことも楽しいです。━見た目も含めた全てで喜ばせたい見た目も含めた全てがお客さんを喜ばせる為のツールだと思っているので、着物はきちんと着ていたいです。一応、侍が出てくるときは袴、町人のときは庶民みたいな着物・・・というように話に合わせて選びますね。敬老会みたいなところだとハッキリした色のほうが喜ばれたり。会場の大きさによって柄の大小も意識したりします。嫌味のない感じできちんと着ていたいですね。━祝!真打昇進内定来年(2019年)の秋、真打に昇進することが内定しました。次のステージに行かなければならないので、今までやってきたことを一生懸命固めようとしてます。昇進のタイミングが近づいてくると周りからも「そろそろなんじゃないの?」とか「いつなの?」とか言っていただけるので、二ツ目の後半ぐらいにそうやって言ってもらえるようになったのは嬉しかったですね。「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきつつあったので、嬉しいなと思ってるときに内定頂けてよかったです。でも真打ちというポジションに見合うだけのものにならなきゃなりませんので、あと1年ちょっとの二ツ目の期間で思い切り勉強したいなと思っています。宝井琴柑動画一覧はこちらから

三遊亭兼太郎さん インタビュー

1989年1月2日生まれ、東京都東村山市出身━猿顔?以前、兄弟子が「兼太郎」でネット検索をしたことがあったんです。「すごくいいことが書いてあるぞ」と言われ期待して覗いてみると「顔が人間離れしている」と書いてありました(笑)それ以来、傷つくのでエゴサーチはしてません。学校寄席で「猿だ」と言われることも。耳が大きいのでよく言われますね。うちの師匠も稽古の時に「お前はまだ火を扱えないから」と言いだして、何かの比喩かと思ったら、世界史の教科書で人類の進化の過程を見ながら「これは火を持っている人で、お前はまだ扱えないからアウストラなんちゃら。四足歩行の感じだから気を付けて」って(笑)あと「お前のかっこいいと思ってる顔は一番笑えるから気を付けて」とも言われました(笑)━初めての寄席で涙祖父が落語好きでした。小学生ぐらいのとき、当時アニメで盛り上がっていたので秋葉原に行きたいと言ったんです。そしたら何故か上野に連れて行かれ鈴本演芸場へ。その時、寄席に対してすごく感動しました。10歳ぐらいながら感動して泣いていたんです。祖父が亡くなってから談志師匠の現代落語論が出てきて、そこから落語にちょっと興味を持ったりしました。単純に落語すごいなと面白いなと思いましたね。━職業経験豊富この仕事で4つ目です。大学を卒業してまずは駐車場の会社に入りました。だた、駐車ができなかった。僕の運転で外回りに行くと、助手席の上司が命の危険を感じて「イヤー!!」と叫ぶんです。それで辞めて、次は介護士。お爺ちゃんお婆ちゃんと喧嘩して辞めました(笑)そのあとは空調清掃をやって、うちの師匠に入門という感じです。━嫉妬するくらいならうちの師匠をすごく好きで、愛していたので入門しました。あとは、サラリーマンを辞めたときに「俺、生きていけないんじゃないか」と思ったんです。でも介護とかいろんな仕事に就いたときに「仕事っていっぱいあるんだ」と気づきました。それに大好きな師匠に弟子ができてしまったら、自分はその弟子に嫉妬するんじゃないか?だったら自分が弟子になったほうが早いなと。そう思ったんです。この発想、猿とは思えないでしょ?(笑)━頭を丸めすぎて自分はしくじりっぱなしですね。何回しくじったかわからない。そのたびに坊主にして・・・。ある師匠が「あいつは頭丸めすぎだ。坊主にするのは最終手段だから、破門とか言われたらどうするんだ。下の毛を剃るのか」って(笑)かれこれ20回くらい頭丸めてますので。━お客さんと一緒に普段のまんま落語になればいいなと思います。噺を通してお客さんと場を共有しているので、お客さんと一緒にその世界に行きたいなっていうような感じですね。もちろん売れたいですけど、でもそれは自分が主観的に見るものではないので。「あの人売れてるね」って言っても、その人は売れてないと思ってるかもわからないですから。━一人の人に届けばいい小さい会場のほうがやりにくいとは思います。大きい会場だと、半分の人が笑えばウケた感じがするので。例えばすごく好きなお姉さんが来てくれたとして、そのお姉さんがものすごく笑っててくれればいいかなっていうのがずっとありますね。一人の人に届けばいい。━4年の前座修行を経て二ツ目歴は半年くらい。ホヤホヤです。大体前座は3年くらいなんですが、うちの師匠が4年くらいだったこともあって僕も4年でした。二ツ目になって暇ですね。本当に仕事しないと・・・と言っても面白い兄さん方も腐るほどいらっしゃいますので。僕なんか毎日朝早く起きてずっと稽古して・・・っていう夢を見ながら寝てます(笑)三遊亭兼太郎動画一覧はこちらから

立川志獅丸さん インタビュー

1976年4月19日生まれ、東京都豊島区出身━農業?経済?出身は農業経済学科です。作るほうではなく貿易とか、農業に特化した経済をやる学部でしたね。今でいうとTPPとか。僕のころは狂牛病が出たらどうするのかってことで盛り上がっていた時代でした。ただ、簡単に言うと経済学科なので文系と一緒なんです。だから就職も普通。専門職というよりは一般的な文系の人と同じように就活をして、呉服屋で2年ぐらい販売の仕事をしてました。━話芸を身につけようとして落語を聴き始めたのは中学2年。だからといって落語家を職業にしようだなんて全然思っていませんでした。中高男子校で、大学も農業経済。キャンパスは理系と同じで女性が少なく、おまけに柔道部だったので女の子に無縁でした。そのまま呉服屋に就職したもんだから、周りには女性が増えたものの免疫がなくて全然喋れなかったんです。しかも一番初めの配属が大阪の京橋で、強烈なおばちゃんとかがお客さん。そこで話芸を身につけようとしたら、落語にハマっちゃったっていうことですね。━落語家になるために辞職仕事は落語家になるために辞めました。上司に「落語家になるから辞めます」って言ったら「ふざけるな。何を言ってるんだ」って驚かれましたね。だけど止めることすら難しかったんだと思います。向かないから辞めるとかではなく、急に落語家になりたいと言い出した奴がいるぞっていうので。━真打トライアル振り返ってみるとあっという間ですね。逆に16年経っちゃったんだ・・・って感じもします。16年でこれだけかっていうのもあるし、まだまだだなって思いもあったり。あと4年で20年ですからね。焦るのは毎日焦ってます。余裕がないですね。ただ、今年から真打トライアルを考えているんです。いかに師匠にアピールするか。国立演芸場で3回やることが決まっていますので、そこで師匠を納得させられるかどうか。もう16年ですから、いよいよ来たかって感じですね。キャパが300ある会場なので埋まるか埋まらないか。というよりも埋めてみせなきゃいけないのでそのドキドキがありますね。ただ、それがあるから今はすごく充実してる感覚もあります。━バスケットボールと仕事趣味はバスケットボール観戦です。アルバルク東京のラジオもやらせていただいています。きっかけは3年前。栃木でラジオの帯番組を持たせてもらっていたときに「リンク栃木ブレックス」というチームに渡邉裕規っていう落語好きな選手がいると。それで共演していたアナウンサーが引き合わせてくれたんです。そこから渡邉選手と仲良くなってバスケを観るようになりました。今はちょうど住んでいる地域がアルバルクの本拠地であり、僕がバスケに詳しいというのでお声をかけていただいてやっています。━煎餅他には・・・煎餅かな。YouTubeで茨城県の美味しいところとか紹介することがあって、お醤油屋さんの素焼きの煎餅っていうのに出会ったんです。醤油も何もついてない煎餅を焼いただけのものを夜な夜なトースターで温めて自分好みの味を見つけるという。急に地味ですね(笑)━面白く語れる落語一番は、自分の独演会でお客さんが入るような落語家になりたいですね。メディアとかで顔を売るのもそうですが、元は落語ですからやっぱり面白く語れる落語を目指していきたいですね。お金を稼ぐなら自分の落語で稼ぎたい。真打トライアルで300席いっぱいになれば月に1回でも相当になると思うんですよ。でも、どちらかというと気楽にやりたいかな。だけど自分のペースでやっちゃうと怠けそうな気もするし・・・難しいですね。━全ては高座につながる師匠のように表に出ることを目指しています。でも、テレビに出る人は特殊能力だと思うんですよ。うちの師匠だったら昔は映画の評論とかが出来たり。師匠がよく言うのは「人間的に面白くないと面白くならない」と。だから、いろいろやってみて面白くしていくって言うのはそういう部分にあるかなと思いますね。ほかの活動がすべて高座の上につながっていくっていう感じです。立川志獅丸動画一覧はこちらから

林家あずみさん インタビュー

━お洒落大好きお洒落好きです。洋服すぐ買いに行きます。着物も100着くらい持っているかもしれません。もらったものもありますし、着物の古着屋さんで安いのをうまく見つけたり。自分の身丈と合って高座で着られそうなものに出会ったら買う。1枚大体3万円以内で買えるんですよ。なので、自分で古着を買うときは3万円以上のものは買わないというルールがあるんです。そうは言っても半分ぐらいが頂き物です。くださる方がもう着れないような柄だったり色合いだったりするものを頂けます。助かりますね。━自主規制私服のルールもありますよ。一緒に行動する方がすごいご年配の師匠もいらっしゃるので、細かいボーダーとかストライプとか見てるだけでクラっと来るような柄は選ばないルールがあります。私なんかのせいで倒れられたら申し訳ないですからね。自主規制です(笑)自分でもたまに細かいストライプとか見てチカチカするな?ってことあるじゃないですか。私でも思うんだから、80代の師匠方とかは倒れちゃいますよ(笑)━デリケートな相棒稽古用の稽古三味線が二丁と、高座に上がる用の紅木(こうき)の木でできた三味線が二丁で計四丁持っています。稽古三味線だけ最初に一丁を自分で買って、その他は三味線の師匠の花季彌生師匠がくださいました。本当にありがたいです。革を張り替えたりする間にもう一丁持っていないと3週間くらいかかってしまうんです。1年半に1回のペースで張り替えてますが、本当は破れるまで使って大丈夫なんです。ただ私は破れるのが怖いので、破れる前に張り替えます。張り替えてまだ3カ月ぐらいしか経っていないのに、高座に上がろうとケースを開けたら裂けて割れていたことも。気温の変化とか気圧の変化とかで勝手に破れちゃうので、いつ破れてもいいように白いテープを持ち歩いています。それをキレイに貼ると、音は悪いですけど1回の高座だけは凌げます。━まさかのティッシュ老人ホームでやらせていただいたときに、高座中に1人のおばあちゃんが私の前に歩いて来たんです。それからマイクの横にそっと何かを置いたんですよ。「あ、ご祝儀だ。チップ下さった」と思って見たら鼻かんだティッシュでした(笑)さすがにそれは笑っちゃって「なんでやねん!」って(笑)すごいゆっくり近づいて来るからちょっとドキドキしたのに、まさかの鼻かんだティッシュ。びっくりしました。その後も思い出し笑いが止まらなくて駄目でしたね(笑)━ビジュアルだけで仕事してます!着物を着たときは、眉毛とか化粧が薄いと負けちゃうので凄く濃いめにお化粧します。ライトで飛んじゃうので眉毛も濃い目に描いてますね。現場に入ってから足します。帰りは多少は落としていきますけど濃いですね。シンクロナイズドスイミングみたいな(笑)髪の毛も楽屋に入ってからウィッグを付けるので、地毛は鎖骨まであるかないかぐらいですね。うまいことやってるんですよ。なんせビジュアルだけで仕事してますんで(笑)━不器用ながらも三味線は1曲終わったらチューニングした音が変わってしまいますね。それをお喋りしながらもとの音に戻していかなくてはなりません。でも絶対音感は持ってないんです。特に三味線の音に触れて生きてきたわけじゃないので、本当に猛烈な練習と、8年の中でちょっとずつ培われてきた感じですね。4年くらい経ってから段々と合わせられるようになりました。その間ももちろん高座には上がっていて、音が違うのはわかるけど、どの糸がどう違うのかがわからないんですよ。ちょっとずつ全部の音を直すっていうのが出来なくて「違うけど、何が違うのかもわからない」っていう状態で高座に上ってました。弟子入りから始めたので、三味線も唄も8年。私はすごく不器用なので、お三味線のお師匠さんにお弟子さんがいっぱいいる中、素人のおじさんおばさん達もいっぱいいる中で未だにかなり下の方のレベルなんです。みんなもっと早く覚えるし早く習得するし。私はお三味線の師匠からも「本当に不器用ね。人の倍努力しなくちゃ駄目よ」と言われるくらいですから。だから本当に三味線が好きじゃなかったら無理です。━三味線漫談林家あずみ三味線漫談家自体が日本に5人もいない職業なんです。三味線を使う芸人さんはいっぱいいますけど、「三味線漫談です!」って言ってるのは多分5人も居なくて。なので、あと10年しないうちに、三味線漫談という言葉を聞いたときに、世の中の落語とか演芸に興味がない人のところまで「三味線漫談林家あずみ」っていうのが浸透するのが目標です。林家あずみ動画一覧はこちらから

桂伸べえさん インタビュー

1990年1月23日生まれ、島根県松江市出身━ミカンの皮研究静岡県の大学の農学部でミカンの勉強をしていました。ミカンを食べるときは皮が薄いほうがむき易いと思っていて、どうやったらミカンの皮が薄く作れるのかなってことを勉強していたんです。品種によって様々で簡単ではなかったですね。━落語との再会初めて落語を聞いたのは高校の芸術鑑賞会。その時は最初から最後まで寝ていましたね。その後、大学に入ってから一人で出来る遊びを追求してる中で突然再会したというか。落研とかには入っていなかったので、ある日突然でしたね。━スクランブル交差点に感動趣味は散歩ですかね。有名どころの建物を見ます。元々田舎者なので、「こんなのが本当にあるんだなぁ」っていうのをやってますね。中でも渋谷のスクランブル交差点は本当にすごいと思います。本当にすごい。みんな避けてくれるので初めて通った時でもぶつからなかったですもん。地方にいるとスクランブル交差点っていうと「何だあれは」「テレビで見るやつだ」って思いますからね。他には、一時期AKB48にハマってたり。大学の終わりからこの世界に入ったくらいの話なので最近はご無沙汰です。太鼓の稽古のためのCDをipodに入れたけど結局AKBしか聴かなかった。そういう感じ(笑)推しメンとかはいなくて、みんな揃ってAKB48ですね。━お酒の失敗失敗といえば、お酒の飲みすぎで家まで帰れなかったことくらいですね。打ち上げって本当はお酒は飲んじゃいけないらしいんですけど、場所によっては飲んでいいこともあったりして。もともと弱いのに久しぶりに飲んだら見事に酔っぱらって、家まで帰れなくなりましたね。ちょっとご機嫌になっちゃって、記憶はないです。最終的に家に居た場合もあるし、いない場合も。そんなことが何回かありましたね。━師匠とは正反対「その日高座に上がった中で一番ウケてこい」って言われたことでしょうか。ほとんど怒られたことは無くて、特にああしろこうしろとも言われないです。僕の師匠はめちゃくちゃ陽気にしゃべる方ですが、僕はというと感情の上下はほとんどない。あまり外に出さないタイプの人間かもしれないですね。怒ってても怒ってるように見せない・・・そういう人間なんです。怒るのが面倒くさいってのもあるかな。争いごとは避けたい、平和主義です。━直感を信じてなぜ師匠を選んだのか・・・直感としか言いようがないです。あんまり落語のことが詳しいわけじゃないですし。今となっては直感を信じてよかったです。本当に放し飼い状態で、自由で、僕はゴチャゴチャ言われると嫌になっちゃうタイプの人間かもしれないので、その点は師匠がよく我慢してくださっているんだと思います。相当我慢されてると思いますよ、僕には。でもあんまり言わない。我慢させてると思いますね(笑)━ただただ笑ってもらいたい芸名はだいたい師匠から一文字もらって付けますよね。なんとか太郎、なんとか之介、なんとか弥・・・そんなのをいくつか候補に出した内の一つで、他にいないし「これどうですか?」と師匠に聞いたら「じゃあ、まぁそれでいいかな」みたいな感じでした。意味は特にないけど、誰も選ばなそうだし、読みやすいですよね。噺家としては、とにかく笑ってもらえるようになりたいです。ただただ笑ってもらえることを追求する。あとは、いろんな噺を教わりたい。とにかくネタを増やしたい。それぐらいかなぁ・・・あんまりわかんないですね(笑)桂伸べえ動画一覧はこちらから

三遊亭じゅうべえさん インタビュー

━日本のイメージ日本人はずっと他人のことを気にして生きていますよね。リラックスできないんじゃないかな?と思います。言語は好きで、敬語は一つのチャレンジでもあります。仕事でずっと敬語っていうのはいいですが、その後の食事でも敬語使わないといけないのは面倒だなと(笑)敬語の方が長いし言いにくいですね。英語とかスウェーデン語ではあまり使わない言い回しがあったり・・・例えば「美味しくないことはないですが」とか。それは美味しいとは言えないのでは?と思ったりします。日本語は直接言わないし、最後まで聞かないとわからない。最後の最後にどんでん返しで「私はずっとあなたのことが…嫌いでした」みたいな(笑)英語とかスウェーデン語では最初に言うので、これはやっぱり日本語でしか起こらない展開ですね。他にも、「私が日本の寿司が大嫌いだと思ってる人もいるみたいですけれども実はそうではないという説もあります」というふうに、ややこしくてずっと意地悪な文が永遠に続く(笑)とはいえ落語は日本語の上に古臭い表現もたくさんありますし、新しい噺を勉強するたびに新しい日本語も覚えています。━日本語の文法は興味深い高校のときに簡単な日本語のクラスがあって、そこでちょっと学んでみたのが始まりでした。元々言語が好きだったので、大学で何を勉強しようかな?というときに「とりあえず日本語やってみようか」と。それからスウェーデンのストックホルム大学、さらに交換留学先の南山大学と中央大学でも勉強しました。イントネーションとかはまだまだ。日本語を勉強してる人の中には「発音がきれい」「漢字が面白い」って意見の方もよくいらっしゃいますが、私は文法が興味深いと思います。構成を分析するのが面白い。日本語の文法は難しいですけどその分やりがいがありますね。━書くのは苦手書く機会はあまりないのでパッと出ないことが多いです。ある程度は頭の中に入っているので読みは問題ないです。スマートフォンは基本的に英語になっていまして、キーボードを英語、スウェーデン語、日本語とワンタッチで変換できるようにしています。人によって全部使いますので。━小説にもチャレンジ日本の漫画も読みますし、小説とかもチャレンジしています。普段見ない漢字があったりするので、苦手ではないですが時間がかかりますね。わからない言葉は気になりますから、辞書を引きながら読んでます。━噺の覚え方基本的に噺は師匠方に話していただいたものを録音して、家に帰って何回も聴いて、散歩しながら聴いて、それをパソコンで文字に起こす。新しい言葉は調べたり人に聞いたりします。台本が出来たらそれを読んで思い出して、また忘れたら読んでの繰り返しですね。一番最初に覚えた噺は『子ほめ』。2週間ぐらいで覚えました。━カラオケでは演歌を歌舞伎とか能とか、色々行ってみたいとは思いますね。伝統文化は色々面白い。日本舞踊や演歌が好きで、下手なりにカラオケで北島三郎さんの曲とか歌っています。それも本格的にやってみたいなと思いますね。演歌は日本語に合っていてすごくいいなぁと思いますね。演歌は日本語の為に作られていますから。普段感情を出さない日本人がすごく感情を出している・・・演歌で感じるものは多いですね。━母「ちょっと遠いな」コメディアンとか俳優とかその間みたいなことって説明をしています。両親も好きなことをやればいいと言ってくれていますので。高校の頃に演劇をやっていたので、落語についてもそんなに驚いてはいないと思います。まあこんなに長くいるつもりはなかったですね。「ちょっと遠いな」とお母さんに言われてますが(笑)別にいいんじゃないかと。━証明したいとりあえずは日本でこのままやっていきたいと思います。外国人でも完璧に落語が出来るというのは証明したいですよね。それまでには色々イントネーションとかも気にしながら。できれば海外で、英語やスウェーデン語でも落語をやっていきたいです。三遊亭じゅうべえ動画一覧はこちらから

柳亭市楽さん インタビュー

1981年4月10日生まれ、千葉県出身━俺、見つけちゃった。おじさんがたった一人で、口先一つで噺の世界を作り上げて、それを聞いてお客さんが泣いたり笑ったりしてる、落語ってスゴいなって。何でみんなやらないんだろう?って思いました。落語ブームが起きたのは僕が入門した後。「タイガー&ドラゴン」というドラマでTOKIOの長瀬さんやV6の岡田さんが落語家を演じて、それでお客さんがバーっと来るんです。僕はそのブームの前。学生の頃に友達に「落語見に行かない?」と言っても「落語なんてダサい」って誰も来てくれないっていう時代だったんです。なので、どちらかというと「俺、見つけちゃった。誰も気づいてないよ」と。ちょっとしたお笑いブームが起きたころだったので、「これより絶対落語の方が面白いぞ。」と。━自分で対策を立てられる漫才やコントは一人では無理ですが、落語は一人。友達がいなくても出来る。漫才は両方が優れてても相性が合わなかったら売れない。落語はひとりだからもし売れなかったとしても悪いのは自分。何かやるにしても自分で対策を立てられるんですよね。実際は100%自分の手柄っていうことはないですが、でも当時の自分は思っていましたね。だからなんでみんな落語やらないの?と思いますね。━夢を見ていた学生時代大学を出てすぐなので、ちょっと夢を見ているところがあったんです。桂米朝師匠の本を読んだら「芸人は野垂れ死ぬぐらいの覚悟でやるもんだ」とあって、ちょっとかっこいいなと夢見ちゃってましたね。実際いま野垂れ死ぬとなったら「嫌だよ、嫌だよ、嫌だよ」と言いますが、学生ぐらいの時はちょっとかっこいいなとか思うんですよね。太宰治のような若くして死んだ人とかに憧れることあるじゃないですか。そんな感じでしょう。なので、売れたら売れたでかっこいいし、どう転んでもかっこいいって思ったんでしょうね。所詮学生の浅知恵ですが。━自分のやりよう次第お客さんが聞いてくださって「落語って面白い」ってなるってことは「お前は間違っていなかったな」って言ってあげたいですね。落語家になったことに関してはわからないけれど、落語を見つけてきたことに関しては褒めてあげたいと思います。落語家になったことを褒められるかどうかは、これから先のことなので、死ぬときに「バカ!なんでお前は客席にいないんだ」ってなるかもしれない。これからの僕のやりよう次第ですね。━『寿限無』で金を稼げるとは子供の頃に『寿限無』なんかを読んだことはありましたが、当時は昔話の一つだと思っていましたね。面白昔話みたいな。そういうものを人前で喋ってお金をもらう人がいると思ってなかったんです。想像もつかなかった。クラスに一人くらいは『寿限無』を覚えたという人がいて、それを横目で見ながら「そんなモノ覚えたって金は稼げない」と思ってました。だから今となっては「稼げるの~!?覚えておけばよかった!!」って。━物語の宝箱大学2年の秋に歌舞伎のチケットをもらって観に行ったときでした。元々物語が好きなので他にも面白いものあるんじゃないかなと思っていた頃に、大学の授業で講談のテープを聴いて「面白いな」と感じたんです。それから、落語をテーマにした推理小説を読んで「面白そうだな」と行ってみたら小遊三師匠が出てきて、「笑点の人だ」と思いましたね。「この人たちってチームでうまいこと言って座布団もらって生活してるんじゃないんだ」と知ったんです。「喋って金もらう!スゲー!」って。でもその時は仕事にしようというより物語の宝箱だと思っていましたね。━騙された!しばらく寄席に通って色々聞いているうちに大学3年の秋になって、就職どうしようかと。「週5、土日つぶれてそんなに働けるかな、朝起きられるかな、満員電車大丈夫かな」って色々心配になっていたんです。でも落語を聴いていると、「今日は昼まで寝てて」とか言うんですよ。その時初めて「仕事として考えたらどうなんだろう。15分くらい喋ってそれが一日の仕事・・・おっ、スゲーわー!!」って気づいたんです。生きているってことは食ってる訳だし、下手したら「女房が」「子どもが」って言うわけですよ。「15分で子供養える!夢のような仕事だ!」と思いましたね。落語家になってから「無理じゃん!騙された―!」ってなっていますけれども(笑)━尻に火が付いた一緒に前座修行をしていた人たちの中で今度真打ちになるって人たちがどんどん出てきたので、自分もまずそこを目指したいですね。いつ言われてもいいように何年かそれを考えて支度をしていこうと。レパートリーもそうですし武器も。一つのネタを更にもっとよくっていう両方の作業ですね。そう思うようになったのはこの1、2年。刺激というよりも「まずいぞ!まずいぞ!」って尻に火が付いたんです。何十年の世界だからって「徐々に徐々に自分のポジションを作っていく」とか言ってる場合じゃないぞと。いま駆け出した感じです。━向こう側の景色を見るためによく師匠方に「今ある程度出来てると思うだろ?落語ってこういうもので、こういう風にやっていれば出来てると思うだろ?これからもっと腕さえ上げればいいと思っているだろ?違うよ。そういうものじゃないよ。今、自分の高さで見てる景色は俺の見てる景色と全然違うよ。レベルの問題とかじゃないよ」と言われるんです。逆に言うと、これからその景色をどうやって見に行こうかと。もしかしたら僕は今のままの景色で終わっちゃうかもしれない。けど、向こうに行ったらすごいいい景色があるらしいと。そうなったときに、どうやってそこまで行くかですよね。その高さも僕はよくわからないし、行ってみないとわからないことはきっとたくさんありますよね。その師匠が今の僕を見てそう思ってるということは、これからまだ上に行く余地があるということですから。そう思うと楽しいし怖いですよね。行けないかもしれないわけですからそこに。今は「行きたーい」という感じ。「あっちに行ったらすごい景色があるらしいよー」って。その景色を見る為の試行錯誤の日々ですね。柳亭市楽動画一覧はこちらから

林家はな平さん インタビュー

1984年5月6日生まれ。福岡県出身。━落語を知らずに落研に入る学習院大学の落研にたまたま入ってしまい、落語知ったのはそこからでした。それまで落語を聴いたことすらなくて、落研に入って落語に出会ったというかんじ。勧誘されて何となく行ったら居心地がよかったんです。落語が面白いというよりも先輩が面白かったので、落語を聴く前に入ってしまいました。細かい話をすると、兄貴が学習院ということもあり、兄貴の友達が落研にいたことも理由。それで行ってみたらみんないい人だったので入っちゃったんです。ただ、落語は二の次。なんの疑問もなく、行ったその日にすぐ入ってました。━「普通の社会は無理っぽいな」学習院の落研は落語しかしないです。コントとか漫才とかはやっちゃいけない。そこは真面目でしたね。落語を聴いて「面白いな」と思ったのがきっかけで、観に行くよりも自分でやるほうが好きでした。職業として意識したのは大学4年生のはじめぐらい。就職活動の時期に、「普通の社会は無理っぽいな」と思ったんです。向いてないし、やりたいこともない。そんな時、「落語をもっと追求したいな」と何となく思ったんです。━イレギュラーな入門その当時の顧問に相談したんです。顧問が落語家だったので、相談してうちの師匠を紹介してもらいました。ですから出待ちとかの経験がなくて、普通の入り方ではないんです。みんなは「断られて何度も行った」とか言うじゃないですか。そういうのがなくて、行ってその日に入門できたので。ただ、スムーズだったからこそ落語家になってからが辛かったですね。正蔵一門はすごく厳しいんです。うちの師匠は落語協会の中でも1、2を争う厳しさなので。━無表情だけど実は辛かった辞めようと思ったことはないですが、「朝起きたくない」とは1年ぐらい毎日思っていました。だんだん慣れてくるものの、1年ぐらいは師匠の家に行きたくなかったです。辞めたいとは思わなかったですし、行ったらちゃんとやります。けどとにかく辛かった。でも僕って無表情なので顔に出ないんです。だから辛いって思われなくて、無茶苦茶辛いのにそれが伝わっていないんですよね。かといって師匠にそれが伝わったからって優しくするわけないですし、修業してるわけですから辞めるも辞めまいもそいつ次第ですし。━辛さ、解放!寄席に行き始めて他の人と会うようになったり、弟弟子が入ってきたりすると辛さはだいぶ緩和されますね。ちょうど一年後に一つ下が入って来て、その辺から変わってきました。1年間一人だったのでその時は辛かったです。やらなきゃいけないことが全部回ってくるので。でもそれが一人入ってくることによって分担できたのは大きかったです。━二ツ目になる不安みんながよく言うように、肉体と精神って連動してるんですよね。だから、体が辛いと心も辛くなってくるんです。結局は一緒。どっちかだけが辛いとかってことは無いんです。4年半修業しましたが、最後の1年くらいは二ツ目になる不安がありました。「あとは一人でやりなさい」「落語だけで食ってください」ってなるのに、その時は修業してるネタもなかったし、ネタが増えていなかったんです。うちの師匠も「たくさん覚えたほうがいい」ってタイプではなかったので持ちネタが少なかったし、そういう意味で不安でしたね。「ちゃんとお客さん集められるかな」という不安が1年ぐらいありました。そこから1年間で必死にネタを増やしたりしましたね。人によっては3年くらいで二ツ目になる人もいます。僕らの時は人数が少なかったのでなかなか二ツ目になれなかったですね。━暇すぎて今はコンスタントに高座がありますが、最初の1~2年は本当に高座がなくて暇で暇でしょうがないんです。前座の時はなんかしらやってたのが、二ツ目になっていきなり暇になると遊び方も忘れてるんですよ。何をしたらいいかわからなくて、暇を持て余してましたね。学生時代の友達とバンドを組んでライブをやったり。今は落語だけでできていて、そういう時間も無くなったので良かったと思いますが、当時は暇すぎてそんなこともありました。━覚えているだけじゃ無意味ネタの数に不安を感じていた頃は30くらいだったのが、今は3倍の90ですね。落語というのは覚えたからといって全部できるわけではないんです。でも覚えないと色んなパターンが見つからないので、たくさん噺を覚えておかないとならない。30でふるいにかけるのと90でふるいにかけるのとでは、見えるものが全然違いますよね。90全部をできるわけではなくても、覚えてるってだけで意味が違いますから。目標というわけではないですが、二ツ目のうちに100は覚えたいですね。ただ、数というよりは得意な話を増やしたいです。━目指すはやっぱり師匠独演会で生活出来る噺家になりたいです。一人できちっとやってお客さんを帰せること。そして、寄席に入ればそれだけでお客さんが少し増える。そんな噺家になりたいです。目標とする人はたくさんいます。でもやっぱりうちの師匠ですかね。うちの師匠は地方に行ったら地方の人に合わせたネタも出来るし、東京だったら東京で3席やって落語好きな人にも満足してもらえる。初心者にも通にもどっちにもできるような芸人がいいですね。それが一番目指すところです。林家はな平動画一覧はこちらから

三遊亭楽天さん インタビュー

1975年11月5日生まれ、東京都江東区出身━前職はプロダンサー与太郎みたいだと言われることがよくあります。あまり高座の上と性格は変わらないと思いますね。子どもの頃はどちらかというと引っ込み思案でした。元々落語は好きで幼少の頃から聴いていましたが、高校生でダンスに目覚めてヒップホップとかストリートダンスをやっていたんですよ。テレビCMでミッキーマウスと共演したり、フリーのダンサーとしてTRFさんとかDJOZMAさんの後ろで踊ったこともあります。36歳までプロで活動し、それから落語家になったので入門は遅め。今は膝を故障してしまったのであまり踊ってないです。自分の会で色物の代わりに踊ったときには物凄い汗をかいて、息切れも大変だったので以来やっていないですね(笑)━表現することが好き中学生ぐらいの時は漫画家になりたいと思ってました。小学校から中学校くらいのころは漫画をずっと描いていて、ケント紙とかGペンとか使ってましたね。自分は一つのことにのめり込んでいくタイプ。落語家になって苦労したことは、噺を覚えることですね。やっぱり記憶力は若い頃の方がいいです。━食器を割りがち入門してからは失敗だらけです。たとえば、うちの師匠が毎朝納豆をかき混ぜるお気に入りの器を割ってしまったり。あとは、師匠の高座用の湯飲みを割ってしまったことがあります。いろいろ割りましたね(笑)納豆の器に関しては言い訳をさせてもらいますと、洗剤と納豆のヌルヌルが混ざると物凄い滑りやすくなるんですよ。相性抜群なので誰でも割ると思いますね。でもうちの師匠はそういう時は怒らないです。正直に「申し訳ございません」と伝えると、「物は壊れるものだからしょうがねぇ」と。ただ、女将さんの漬物の蓋を割ってしまったときは「俺は知らねーぞ」と言われました(笑)とはいえ女将さんも許してくださって、心の広い方々でありがたい限りです。━落ち込むのはその日限り高座での失敗も多いですね。よく噛みます。無かったことにしてますが、今日も収録で何度も噛みましたし、言い間違えも多かったです(笑)噛むたびに撮り直しとなるとテンションが変わってしまうので、無かったことにするか誤魔化すか。あとは登場人物のせいにすることも。「お前今噛んだろ!」みたいな。あとは家に帰って一人でポツンと酒を飲んで、ズーンと沈むというかんじですね(笑)だけど引きずらないタイプです。良くも悪くも、すぐ物事忘れます。━奥さんには頭が上がらないうちの奥さんは毎日朝ご飯だけは必ず作ってくれるのでそれはありがたいですね。前座の頃はどうしても師匠から誘っていただく仕事が主な収入源なんですが、二ツ目というのはそういったこともそれほど多いわけではないんです。基本的にはどこかで場所を借りて自分の会をやるということが多いので。ですから終わったらまっすぐ家に帰って、ご飯を作ったり、犬の世話をしたり。お酒は好きなんですが、前座の頃の暴飲暴食でメタボの検診に引っ掛かってしまいまして。以来かみさんに「家では飲むなよ」と言われてます。完全に尻に敷かれてます。頭上らないです。ただ、すごく心配もしてくれるので、ありがたいですね。━趣味と実益を兼ねる雑草のように生きていけたらな、と思ってます。カードゲームとかボードゲームが好きで、自分で「落語とゲームの会」みたいなことをやっています。古典落語を1時間やってからお客さんと一緒にゲームで遊ぶ会。5人ぐらいのグループに分かれてもらって、そこを僕が回っていくという感じです。ゲームメインで来る方もいらっしゃいますね。ついでに落語もきこうかな、みたいな方も。趣味と実益を兼ねると言いますか、人が集まりそうなもので何かないかなと考えていたときに、アナログゲームだったら直接人と遊ぶものなので人が集まりやすいかなと思いついたのがきっかけです。なにか趣味のことをしながら生きていけたらなという夢はあります。三遊亭楽天動画一覧はこちらから

林家なな子さん インタビュー

1981年12月21日生まれ。東京都足立区出身。━落語=飛行機のお供祖父が浪曲や落語、講談を聴くような人だったので落語という存在は自然ではあったものの、私自身は二十代後半まで生で落語を聴いたことはありませんでした。落語家になる前は会社員だったので、出張の時に飛行機で聴いていました。音楽は日常生活の中でテレビや有線などから自然と入ってきますが、当時の私の日常生活の中で落語はなかなか遭遇できるものではありませんでした。“飛行機に乗ったら聴けるもの”という感覚が大きかったです。飛行機に乗ると落語が聴けるなっていうウキウキ感の様なものがありました。しかし、わざわざYouTubeで検索してまで聴いたことはありませんでした。テレビでやっていたら何となく眺める程度でした。━建物の中がお花畑みたい!例えば歌舞伎って敷居が高いイメージがありましたし実際入場料も高いじゃないですか。しかし落語は庶民的なイメージがあったので、会社員の時に新宿末広亭に行ってみたんです。「なんだこのタイムスリップした場所は」というのが第一印象でした。建物自体も風情がすごくあって感激しました。何の知識もなく寄席に行ったので、三味線や太鼓が生演奏だということもその場で知り、圧倒されていました。うちの師匠を初めてその寄席で見たのですが、プログラムで名前を見つけた時は、小さいころ見ていた料理番組にうちの師匠が出てたのを覚えていたので「あ~、元こぶ平だ」くらいのイメージでしたが、高座に出てきた時の華やかさというか、明るさというか、オーラというか、まだ何も喋ってないし、ただ座布団に向かって歩いているだけなのに、「なんだろう?この古めかしい建物の中がお花畑みたい」って、本当にそういう印象で引き込まれたんです。━粋な師匠私が弟子の志願に行った1回目が7月7日でした。7は縁起のいい数字。7・7でぞろ目というのもさらに縁起がいいということで「なな子」という名前を頂戴しました。実は私が入門してその日すでに名前が決まっていました。入門日に芸名を頂けるということはとても稀なことですし、私が弟子の志願に行った日を師匠が覚えていてくれたこともとても嬉しかったです。━名前を大きくしていく師匠や三平師匠はお爺様やお父様の大きな名前があるので襲名されていますが、うちの一門自体はほとんど名前は変えないんです。うちの師匠もこぶ平で前座になってこぶ平のまま真打ちになってるので。師匠の願いとしては、自分の名前をどんどん大きくしてほしいということもあるんです。もう私は歳も歳なので適応能力がなくて、名前変えても自分でわかんなくなっちゃいますから(笑)ずっとなな子のままでいます。━自分の名前、言ってしまった。私のすぐ下に1ヶ月違いのつる子という妹弟子がいるんです。今まで女がいなかったところに突然なな子、つる子と増えたもんだから、兄弟子や師匠、女将さんたちは「なな子」「つる子」ってよく間違えるんですよね。「つる子」って呼んでるからと思ったら「なんで返事しないんだ」と言われたり。。。(笑)そのうち、「つる子」って呼んでるけど自分のことだなって察してくるようになりました。しかしですね、つい3年位前ですよ。2人で作業をしててつる子を呼ぼうと思ったんですよ。そしたら「ねえねえ、ななちゃん」って言っちゃって(笑)本当に超恥ずかしかったです5年近く経つのに「間違えた。自分の名前言ってしまった」と。みんな大爆笑してましたね。━女性噺家として女子だから特別っていう意識は入門してからも全く思わなかったんですよ。もちろん楽屋が一緒で男性の前で着替えることも気にしないですし。普段から言葉遣いが荒っぽく足立区出身のままに生きてるので(笑)誰よりも男前でありたいと思っていました。しかし、この噺好きだなと思ってお稽古に行ったけれども、自分がいくら男っぽいと思っていてもやはりお客さんは女として観ている訳だし、この噺を女がやったらちょっと厳しいというか、笑いづらいなとか・・・そういったことを徐々に感じるようになりましたね。━椅子はまだ空いている落語はやはり男性が語るものなのだと思います。何百年もかけて男性が作り、磨きあげてきたものですから。女子にしかできない表現、女子がやるとすごくハマるみたいなものがまだ開拓されてないので、ある意味すごくチャンスだと思います。芸人それぞれのポジションってあると思うんです。女子ってまだその椅子が埋まり切ってないと思うので、すごくそれは可能性というか、誰にでもチャンスがあるんだなって思います。━何歳になっても歳を取るとやっぱり声も出なくなってくるだろうし、演じ方も変わってくると思うんでうよね。でも私はいくら年を取っても「あのおばあちゃん元気で口悪くて勢いのあるおばあちゃんだよね」って言われたいです。━階段がしんどい一之輔兄さんは私より年上なんですけど、「おしゃべりクソババア」というあだ名をつけられました。光栄ですね。私は今年で37歳。前座の時は大変でした・・・。同期の先輩は10歳年下で、高座に上がることよりも楽屋働きがメインなので体力が追い付かないんですよ。だから今までの経験値でどうにかカバーしていくしかない。例えば楽屋で出演料を手渡しするときに、楽屋入りされて落ち着かれたらすぐお渡しに行かなければならないのですが、階段上って出演料を持っていくのがしんどくてしんどくて大変でした(笑)林家なな子動画一覧はこちらから

立川がじらさん インタビュー

1986年5月21日。群馬県出身。━『テレヴィジオン』とは最初からテレビを題材にするっていうことではなかったんですよ。なんかいろいろ勉強していく中で精神分析の勉強を趣味でやってまして。ジャック・ラカン派。もともと人文科学とか哲学とかそっちの出身なので、今でもそういう本しか読んでないです。クライアントと精神分析家が話をするカウンセリングみたいなものっていうのは、予期せぬところでスパッと終わるっていうのがあるんです。で、それが落語のオチみたいにスパッと終わる。わかりやすい。なんか、あざといのが嫌なんですよね。オチでうまいこと言ってドヤ顔で頭下げる、みたいなのがなんかちょっと恥ずかしくて。精神分析って患者さん側からしたら突然「えっ?」ていうところで終わるんですって。そこで終わったことによって患者は何故そこで切れたのかをよく考えて、本当の自分の心の中のものが引き出されるっていうのがあるみたいです。その、”ひとつセッションの中断”っていうのを何かに例えられないかなっていうんで、”テレビを消す”っていうのがまず浮かんで。そこから、テレビを消して何かを考えるっていうアイディアにいき、でもやっぱり何かオチがひとつないとなっていうんで最後は苦肉の策みたいなことに(笑)でもそういうのがまず元にあってそこから膨らませていきました。━落語だったら何でもできるやっぱり元々立川談志師匠が好きで、元々爆笑問題さんとかも好きで。たけしさんとかみんなが「談志師匠すごい」って言うじゃないですか。それでやっぱり気になってですね。で、古今亭志ん生の噺を聞いて決定的に。それから大学で落研に入りました。うちの師匠の『全身落語家読本』を読んで衝撃を受けて、立川流寄席に通うようになりました。師匠志らくはもちろんですけど、左談次師匠とかベテランも皆凄くて、どんどんハマっていきました。大学では哲学科っていうのはなかったので、ドイツ文学専攻。大したことは一切やってないです。ドイツ語は喋れないけど、海外公演はちょっと興味あるんですよ。やっぱりどっかでやれたらなというのは。でも日本語ならではで成立している芸かなというのは思いますね。まあ、言葉が全てですんで。落語で表現できることの幅広さにすごくおののいたというか。落語だったら何でもできちゃいますからね。━演劇と落語師匠が劇団を主宰して、それのお手伝いをさせて頂いていたので自然に演劇に入っていけました。いま小劇場に出させてもらっています。地蔵中毒っていう変な劇団で、落語とは勝手が違うので楽しいですね。やっぱり人とのやり取りが楽しい。落語は自分で処理するじゃないですか。なのでそれが新鮮というか難しさでもあり、掛け合いになるっていうことの感じが違いますね。あと、動いてるっていうのも大きい。で、それをまた落語に繋げていく。刺激をものすごくもらうんですよね。やっぱり仲間たちからも刺激を受けるし、劇団を観に行くようになっていろいろな表現をしようとしてる人たちを見ると「自分はなんも知らないんだな」「もっと広がっていけるんだな」って感じます。━挙動不審の自覚あり友達はいないです。落語界に友達がいないんですよ。よく他の人の話聞くと、みんなで休みの日ちょっとどっか行ったり、旅に行ったり、飲みに行ったりとかしてるらしいんですけど、僕は一切誘われないので。何かの打ち上げっていうのはありますけど、わざわざ休みの何もない時に僕は誘われないですね。他の人は誘われてるらしいんですけど、やっぱり芸風ですかね。なんか嫌だなって思われてるのかな。生理的なものなのかな、挙動も怪しいってよく言われるし。でもそれは最近客観的に自覚していて。やっぱり演劇やるようになったので、そういう影響は大きいですね。動いてる自分を見ると「アレ?」って思うんですよね。こいつ怪しいなって。座ってても僕落ち着きのないほうで、「動くな」って師匠から言われるんですよ。本当は体でリズム取っちゃいけないんですよね。ピタッと止まって喋って、手なんかあんまり動かしちゃいけない。━目を合わせない者同士そうですね〜彼女が欲しいですね…。あともちろん落語うまくなりたいなっていうのもちょっとだけ思ってるんですけどね。まずやっぱり師匠があって、師匠とやっぱり立川の師匠方。本当にすごい人たちばかりなので目標にしたいですね。うちの師匠はちょっと挙動が不審な感じ。うちの師匠、人の目を見ないんですよ。僕も人の目見られないんですけどね。なので基本目が合わないんですよ。僕と師匠の目が合ったのって入門してから2回くらいしかないんですよ。1回は一番初めに「お願いします」って言ったときで、もう1回は楽屋の鏡越しに目が合っちゃって、2人でお互いに「アッ」て言っちゃって、気まずい・・・みたいな(笑)お互い合わせに行かない人なので、本当ははもうちょっと、4回くらいは合ってると思うんですけど。二つ目昇進の時とか多分合ってたんじゃないかな(笑)視力は問題なし。僕はちゃんと見えてます。中学の頃に眼鏡作ったんですよ。検査で「眼鏡作りなさい」って言われて。でも大学生の時、先輩に眼鏡を食べられちゃって…。落研の先輩に、たしか朝の赤羽で眼鏡バリバリ食べられちゃって(笑)それ以来眼鏡ないんですけど、支障ないんですよね。やっぱり人と目を合わせられないっていうのは、視力とはまた別の問題ですね。やっぱり、あの・・・挙動がやっぱりちょっとね。━やっと手に入れたテレビ!でも・・・去年(2017年)の大晦日にテレビ買ったんですよ。一人暮らしで長らくテレビ持ってなかったんですけど『紅白歌合戦』見たくて。紅白でエレファントカシマシ見たくてテレビ買ったんです。大晦日の夕方6時半くらいに電気屋に走りました。どうしても見たかったから。追い詰められてアドレナリンが一番ピークになったときに電気屋に走って行って、一番小型の手頃なやつを。なけなしのお金をはたいて買ったんですよ。でもBSとかって見られないんです。立川がじら動画一覧はこちらから

入船亭遊京さん インタビュー

1988年3月18日生まれ。愛媛県松山市出身。━すごい日本語に出会う高校まで愛媛で、大学で京都。そこから東京で入門ですね。最初はテレビだと思います。落語の映像っておじさんが座布団に座ってるだけじゃないですか。これがすごく新鮮でした。『タイガー&ドラゴン』とか、本とかCDも。今みたいにYouTubeとかも無かったので地元のCD屋で何枚か買いましたね。あとは図書館に志ん朝師匠のCDがあったのでそれを聴いてハマってました。「こんなにすごい、きれいな日本語があるんだ」って。なかなか生で落語を聴く機会はなかったのですが、正蔵師匠の襲名披露興行が西条であって親に頼んで観にいきました。その時のトリの演目が『ねずみ』だったんです。師匠から伝わったネタだそうで、今思うと運命的ですね。━寮暮らしすでに高校生の頃から噺家になりたいという気持ちはありました。それから大学は都会に出たかったので頑張って京都に行って、そこでバイトしてお金貯めて上方の色んな会も観に行ったり。熊野寮は光熱費込みで月4100円なので助かりましたね。風呂なしトイレ共同(便器内で泳ぐネズミの赤ちゃん付)四人部屋のうち二人が中国人の方でした。ただ住んでいるだけで楽しかったですね。その中でも時間があれば友達のところに泊まりながら東京の寄席に遊びに行ったり。それで大阪で師匠の落語観たときに「すごい好きだな」と思ったので、入門するならこの人にしようと決めました。━京大出身入門してしばらくしたときに、師匠が大師匠の「扇橋」のところに連れて行ってくれて、そのときに大師匠が付けてくださった名前です。出身が京都大学だということを師匠は「最初は自分から出さないほうがいい」と言っていたんですが、大師匠は「せっかくだから出したほうがいい」とのことでした。まず「遊京」で色紙を書いてくださったのですが、前座らしく平仮名で、と「ゆう京」になりました。ただ、このときは私自身は頭が真っ白で、当時大師匠のカバンをとりに現場にいた小辰兄さんの話から補っています。師匠扇遊の「ゆう」と大師匠扇橋の「きょう」の音が入っていてとてもいい名前だねと色んな方に言って頂き、そのたびに嬉しい名前です。京大の農学部出身です。機械の勉強とかしてました。農業の中の工学科みたいなところで、波とか流体力学とか、理系なんですよ。勉強していたのはもうはるか昔のことであまり期待には答えられませんけどね。━目標目標は寄席芸人。寄席に生きることですね。どの師匠にも憧れています。━好きなもの好きな食べ物はスイートポテト。甘いものは好きですね。喫茶店行くとケーキとか結構頼みますし。スイートポテト好きだな~。あと、食べ物じゃないですけど半分だまされて行った中国も好きは好きです。入船亭遊京動画一覧はこちらから

瀧川鯉津さん インタビュー

1974年5月15日生まれ。新潟県長岡市出身。━縁起良し鯉津(こいつ)の津が津軽、草津、会津、大津の津で、わたくしの出身が新潟県の長岡市…全然関係ない(笑)ダジャレ先行で付けられた名前ですけれども、自分の中では意外と気に入ってます。二ツ目昇進の時には名前を変えるチャンスがあったんですけど、鯉津で覚えてもらったというのと、芸事は水にまつわる文字が縁起がいいというんで「瀧」も「川」も「鯉」も「津」も、全部水にまつわるからこの黄金比率を崩したくなくて…そう言われてるだけで実際にいい事があったかどうかはわからないです。まだ実感はないです。これからに期待します(笑)━手段として演劇をかじる高校卒業して上京して、桐朋学園というお芝居の学校に行きました。蜷川幸雄さんとかが講師で来て下さって、実際に蜷川先生から授業で稽古をつけてもらった事もあります。元々お笑いをやりたかったんですが、親を納得させるための手段として、学校に入ればそういう道でも許してもらえるかなと思って…姑息なグラデーション掛けました。━産地直送システム一番最初に職業を意識したのは中1の時。その時は社会の先生の授業が面白かったので社会の先生になりたいなと思ってたらいつの間にかこんな事に…でも人前で喋るっていうベクトルは間違ってなかったんだなと思いますね。1人VS大勢みたいな。芝居の学校出ましたが、それで食っていくつもりはサラサラなく、お笑いの方がやりたくて放送作家になり、それで10年弱。そのとき携わっていた演芸番組にうちの師匠がゲストで来て、それでまた表に出てみようと思ったんです。作家をやってると、自分が面白いと思ってもディレクターとプロデューサーの検閲が入るじゃないですか。だけどこの商売だとお客様に見せてスベったらやめればいいし、ウケたら続ければいい。問屋を通さない産地直送というシステムが気に入りましてね。遅いけど36歳で一念発起しました。━上下関係36歳で入門したとき、同じ協会の別の師匠の所には18歳の先輩がいました。自分の子どもくらいの先輩。でもみんな年上ということで敬ってくれるし、先に入ったからといって先輩風吹かすような人はウチの協会にはいませんでした。まぁヨソは…(笑)芸術協会というのは大学みたいなもんで、前座の年季はほぼ4年で二ツ目になれるんです。自分の下が入ってきて寄席の楽屋仕事が回る人数さえいれば、そのまま押し出される形ですね。━こだわりの羽織寄合とかで着るために協会員で浴衣を揃えるんです。馬喰横山の結構芸人御用達の呉服屋さんなんですが。そこで最初に着物を作った時に「なんか面白い生地ありませんか」ということで生まれたのがこの迷彩柄の羽織。学校寄席に行く事があるんですが、小、中学校の生徒さんとかには落語って年寄りがやる芸だと思われがちなので、出オチでもいいから飛び道具として一つ作ってもらったというか。まさかのコシノジュンコデザインの生地をすすめられました(笑)着物で作ったら絶対に噺の邪魔になるので、羽織にすればすぐ脱げるって事でそっちにしました。ただ寄席には絶対着て行かないです。他所行き用。飛び道具ですから。別に怒られないとは思いますけど、なんかいじられるのも面倒だなと(笑)生地が元々羽織作る用の生地じゃなく浴衣用なので寄席では絶対に着ないです。━地元でも頑張りたい地元新潟でお馴染みの顔みたいな…そういう感じになりたいです。といっても難しいですよね。今はNegiccoさんとかNGT48とかが頑張ってますし。僕は断然Negicco派ですね(笑)中央でも頑張って地方でも頑張るっていうスタイルは素晴らしいと思うので見習いたいです。長岡でも隔月で高座に上がっています。銘酒・久保田でお馴染み朝日酒造さんという蔵元があるんですけど、そちらが完全な僕の小学校の学区内なので、そこでやらせて頂いてます。ディナーショーの逆ではじめに落語をきいてから食事。もちろんお酒付きですよ。瀧川鯉津動画一覧はこちらから

桂伸三さん インタビュー

1983年2月10日生まれ、千葉県習志野市出身。━争わずに生きていきたい中学生の時から芸人になりたいと思っていましたが、その時はほとんど落語を聴いたことはなかったです。テレビでビートたけしさんのお弟子さんたちが修業時代のことを話されていました。ストリップ劇場の幕間に演る漫才とかコントの話。女性の裸を観に来ている人達がお客さんだから、なかなか食いつかない。腐りそうになりながらも努力して少しずつウケるようになってくる。風呂なしのアパートで銭湯に行くお金すらないから、屋上の水道にホースを突っ込んで…ってそんな内容だったと思います。印象的だったのが「その時はつらかったけど、今思い出すとあの時が一番楽しかった」という言葉。それを聞いたときにそういう生き方がしたいなぁ…と思いました。競争社会で人を蹴落としたり、人に蹴落とされながら生きるんじゃなくて、喜んでくれるお客さんのこと、芸のことだけを考えて生きていく。きれいごとのようですが、私にとって夢のような話だから、その分貧乏だって覚悟するし、家庭を持つとか当たり前の幸せもなくて構わない。そんなことを考えながら高校3年生まできました。━落研のための大学進学芸人になりたいという思いは、親にも友達にも先生にも言わずに高校3年生になりました。親は「大学には行ったほうがいい」というけど、自分は芸人になるつもりでいるから大学に行く気なんかない。そんな時にテレビで爆笑問題さんの番組だったと思いますが、渡辺正行さんとか三宅裕司さんとか、お笑いや役者の方などに大学の落語研究会出身の方が沢山いらっしゃることを知ったんです。「そうか大学の落語研究会に入れば憧れの世界に近づけるのか」と。これは完全な勘違いなんですけど、高3の私はそう思って大学受験を決意しました。落研がある大学だけを受けて、國學院大学に入学しました。で、落研に入るからには一応落語を聴いておこうと、寄席へ。初めての寄席で誰が出ていて何を聴いたのかはほとんど覚えていませんが、とにかく居心地が良かった。いろんな芸人が入れ替わり立ち替わり、ウケたりウケなかったり。常連風のお客さんが作り出す客席のちょっとした緊張感。世間とは明らかに違うリズムで流れるゆったりとした時間。いっぺんに寄席の、そして落語の虜になりました。そのときの気持ちは入門してからも変わらず、前座の頃、太鼓を叩いたり高座返しをしたり根多帳をつけたり…と、寄席の一員になっていることにこの上ない悦びを感じていました。それはこれからも変わらないと思います。━自分にとっての落語とは落語は哲学や心理学、宗教だったりのごく崇高なものを含みながら、笑いによってそれらをある意味越えたり、吹き飛ばしたり…と本当にすごいものだと思っています。が、同時になんとも言い表しにくい人間の微妙な心理や現象をやさしく描いてくれる。そういうところにとくに魅力を感じます。わかりにくい例えかもしれませんが、目の前に3メートル位の短い横断歩道があって信号は赤。車も全然通らないからついつい渡りたくなるんだけど、向こう側には親子連れがちゃんと待っている。当然止まって待つんだけどなかなか青にならないし、どんどん人が増えてくる。なかには構わず渡っていく人もいるが、せっかくここまで待ったんだし、なにより向こうで小さな子どもが見ている。待ちながら「なんだろう、このすごく無駄に感じる行為と時間…。なんか気まずいなあ。外国の人が見たら日本人って変だって思うんだろうなあ」なんて思っているうちに、「青になってほしい」と同時に「車通らないかなあ。車が通ってくれれば明確な待つ理由が生まれるのになあ」なんて考え出す。これって不思議だと思うんです。車が通ったって本来何も良い事なんてないはずなのに、そのときには通ってくれればちょっと救われた感じがする。そういう不思議で微妙なものを、呼吸や間で描いた噺がとくに好きです。『笠碁』や『長短』、『意地くらべ』など。━時間の使い方映画を観たり、お芝居を観に行ったり、いわゆる遊びの時間もすべて高座につながると思っているので仕事と休みの境はほとんど無いですね。でも息抜きも必要なので、青春18きっぷを買って、宿も目的地も決めずにぶらぶら旅をするなんていいなと思います。近いうちにやりたいです。でも結局旅先でも落語のことは考えていると思いますが…。━いまを大事に生きる同世代でどんどん売れていく仲間がいて、ついつい焦ったり、真似をして柄にもないことをしてみたりしがちですが、結局自分が本当に良いと思ったものじゃないとお客様も喜ばないというのがだんだんわかってきました。当たり前のようですが、一高座一高座を大事にして自分なりに精一杯芸に向かい合うしかないんですね。寄席の世界にいられる悦びを感じつつ、私が寄席に出ることを喜んでくださるお客様が一人でも増えるように精進を続けます。桂伸三動画一覧はこちらから

春風亭昇吾さん インタビュー

1983年12月7日生まれ、福岡県田川郡出身━友達の薦めで落語を知るきっかけは友達ですね。東京に来る前に大阪にも住んでいたんですけど、福岡と大阪の友達が薦めてくれたのがきっかけで落語を観ました。その友達はインターネットカフェのバイト仲間。入門したのが27歳のときで、もう田舎の福岡に帰ろうかなと思ってたとこでした。そこで友達に「観てみたら」と勧められて、その月に大阪に来ていたのがたまたまうちの師匠だったんです。友達は「どうせ田舎に帰るくらいならやったらいいんじゃない」と。僕もノリで「じゃあ観てみる」って。そしたら面白かったですね。20代ってテレビで放送していても見ないじゃないですか、よっぽど好きじゃないと。だからそこが初めてでした。最初が生でよかったと思います。━師匠を選ぶやっぱり大阪で観て面白かったからですかね。だから、大阪に違う人が来ていたら落語の道に進んでいなかったかもしれないです。師匠が笑点に出ていたのも知っていたので。そのあとは、師匠が出ている寄席にも大阪から通いました。すごくわかりやすくて、同じ話を違う師匠がやっていたときにやっぱり師匠が一番面白かった。だから師匠を選びました。━「昇吾」という名前前座から昇吾です。たい平師匠が考えてくれました。うちの一門は自分で考えるんです。だから兄弟子たちも自分で考えてましたね。僕は自分で考えた分は全部却下されたので(笑)弟と同じ「昇市」もありましたけど全部却下(笑)でもたい平師匠が30個か40個考えてくれたんです。見習いの頃、たまたま師匠の荷物持ちをしていた時に仕事の合間に考えてくれて、「じゃあその中から2つくらいお前が気に入ったやつ選べ」って。普通の名前っぽいのがいいなと思って昇吾にしました。うちの師匠・春風亭昇太も普通の名前っぽいでしょ?古いのもあんまり好きじゃないし。で、二ツ目になるときにたい平師匠が「名前変えなくていいよ、変えちゃだめだよ」と。たぶん林家のたい平師匠の一門はみんな名前変えてないと思うんですよね、前座から。だから「名前は大きくするもんだよ」って言われました。それに皆さんすぐ覚えてくれるんですよ、昇吾って。だからもう変える必要ないなと思いますね。━懐中時計事件僕は大体怒られてました。本当は破門になる一歩手前までいってるはずなんですよね。うちの一門は体育会系ですから。まだ楽屋入りしていないとき、懐中時計ってあるでしょ?あれの電池を替えてこいって言われたんです。それを「わかりました」って言って1ヶ月くらい放置していたら師匠がブチ切れちゃって(笑)「バカヤロー!!!お前何にもやってないのになんで電池も替えられないんだよ!!」って(笑)で、「店が分かりませんでした」とか訳わかんないこと言って・・・やっぱり俺がおかしかったんでしょうね(笑)その1カ月、時計は大事に家に保管してました(笑)「明日持ってこい!!」って言われたんで、商店街の時計屋を無理やり起こして電池替えてもらって、師匠の家にすぐ持っていきました。今でも師匠の前ではこの話はできないですね。あれ以降頼まれごとはないです。僕はそこで信用が1回無くなってるんで(笑)でも一応楽屋入りはさせていただきました。━趣味は読書好きな作家は道尾秀介さん。『向日葵の咲かない夏』とか道尾さんの作品は読んでいます。最近は読む冊数も減りましたね。うちの師匠自体がそんなに稽古をつけてくれるタイプではなくて、「○○師匠のところに行ってきなさい」だったので覚えたらあとは時間が空いてたので。落語の本は買ったけど読まなかったです。普通の小説読んだほうが面白い。ただ本を楽しむだけですね。━きょうの二席ボロボロでしたけどまだよくやれたほうかなと思います。朝からだったので全然舌が回らなかったですね。普段からやってたら舌も回るんでしょうけど、僕は怠け者なので。その中でも、とりあえず早口になりがちなので走らないようにはしました。『松山鏡』は聴かせる話なので特に気を付けましたね。田舎言葉で早口になるとぐちゃぐちゃになっちゃうので。田舎言葉は適当。たぶん松山でもあんな喋り方してないと思いますし、師匠方はもっと丁寧です。やっていくに連れてオリジナルになっていくらしいですね。━目標目標はとりあえず師匠を安心させること。やっぱり頑張らないと食っていけないじゃないですか。だから師匠が「あいつ仕事あるな」って思うぐらいに、二ツ目の間になりたいなと。真打になったら違う目標がまたできると思うんで。売れたい!とかはあんまりないんです。お金もあったほうがいいとは思いますけど、後輩と飲みに行けるくらいのお金があればいいです。だからそこそこ稼がなきゃいけないんですけど、そんなたっぷり稼がなくてもいいかなって。━皆さんのおかげあんまり上手くなかったんで高座も2年間ぐらい上がってなかったと思いますね。そのかわり、他の師匠たちがかわいがってくれたんです。有難かったですね。たい平師匠もそうだし、立川生志師匠もそう、遊喜師匠とか文治師匠とかが仕事くれたから食っていけました。本当に皆さんのおかげですね。この世界に入ったのも皆さんのおかげですから。今度3月に地元で落語をやるので、その時は薦めてくれた友達も来てもらいます。嬉しいですね。ましてや売れっ子のたい平師匠と行くので親も安心するでしょうね。やっぱり知っている師匠なので親もよかったって喜んでくれています。春風亭昇吾動画一覧はこちらから

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