立川がじらさん インタビュー

1986年5月21日。群馬県出身。━『テレヴィジオン』とは最初からテレビを題材にするっていうことではなかったんですよ。なんかいろいろ勉強していく中で精神分析の勉強を趣味でやってまして。ジャック・ラカン派。もともと人文科学とか哲学とかそっちの出身なので、今でもそういう本しか読んでないです。クライアントと精神分析家が話をするカウンセリングみたいなものっていうのは、予期せぬところでスパッと終わるっていうのがあるんです。で、それが落語のオチみたいにスパッと終わる。わかりやすい。なんか、あざといのが嫌なんですよね。オチでうまいこと言ってドヤ顔で頭下げる、みたいなのがなんかちょっと恥ずかしくて。精神分析って患者さん側からしたら突然「えっ?」ていうところで終わるんですって。そこで終わったことによって患者は何故そこで切れたのかをよく考えて、本当の自分の心の中のものが引き出されるっていうのがあるみたいです。その、”ひとつセッションの中断”っていうのを何かに例えられないかなっていうんで、”テレビを消す”っていうのがまず浮かんで。そこから、テレビを消して何かを考えるっていうアイディアにいき、でもやっぱり何かオチがひとつないとなっていうんで最後は苦肉の策みたいなことに(笑)でもそういうのがまず元にあってそこから膨らませていきました。━落語だったら何でもできるやっぱり元々立川談志師匠が好きで、元々爆笑問題さんとかも好きで。たけしさんとかみんなが「談志師匠すごい」って言うじゃないですか。それでやっぱり気になってですね。で、古今亭志ん生の噺を聞いて決定的に。それから大学で落研に入りました。うちの師匠の『全身落語家読本』を読んで衝撃を受けて、立川流寄席に通うようになりました。師匠志らくはもちろんですけど、左談次師匠とかベテランも皆凄くて、どんどんハマっていきました。大学では哲学科っていうのはなかったので、ドイツ文学専攻。大したことは一切やってないです。ドイツ語は喋れないけど、海外公演はちょっと興味あるんですよ。やっぱりどっかでやれたらなというのは。でも日本語ならではで成立している芸かなというのは思いますね。まあ、言葉が全てですんで。落語で表現できることの幅広さにすごくおののいたというか。落語だったら何でもできちゃいますからね。━演劇と落語師匠が劇団を主宰して、それのお手伝いをさせて頂いていたので自然に演劇に入っていけました。いま小劇場に出させてもらっています。地蔵中毒っていう変な劇団で、落語とは勝手が違うので楽しいですね。やっぱり人とのやり取りが楽しい。落語は自分で処理するじゃないですか。なのでそれが新鮮というか難しさでもあり、掛け合いになるっていうことの感じが違いますね。あと、動いてるっていうのも大きい。で、それをまた落語に繋げていく。刺激をものすごくもらうんですよね。やっぱり仲間たちからも刺激を受けるし、劇団を観に行くようになっていろいろな表現をしようとしてる人たちを見ると「自分はなんも知らないんだな」「もっと広がっていけるんだな」って感じます。━挙動不審の自覚あり友達はいないです。落語界に友達がいないんですよ。よく他の人の話聞くと、みんなで休みの日ちょっとどっか行ったり、旅に行ったり、飲みに行ったりとかしてるらしいんですけど、僕は一切誘われないので。何かの打ち上げっていうのはありますけど、わざわざ休みの何もない時に僕は誘われないですね。他の人は誘われてるらしいんですけど、やっぱり芸風ですかね。なんか嫌だなって思われてるのかな。生理的なものなのかな、挙動も怪しいってよく言われるし。でもそれは最近客観的に自覚していて。やっぱり演劇やるようになったので、そういう影響は大きいですね。動いてる自分を見ると「アレ?」って思うんですよね。こいつ怪しいなって。座ってても僕落ち着きのないほうで、「動くな」って師匠から言われるんですよ。本当は体でリズム取っちゃいけないんですよね。ピタッと止まって喋って、手なんかあんまり動かしちゃいけない。━目を合わせない者同士そうですね〜彼女が欲しいですね…。あともちろん落語うまくなりたいなっていうのもちょっとだけ思ってるんですけどね。まずやっぱり師匠があって、師匠とやっぱり立川の師匠方。本当にすごい人たちばかりなので目標にしたいですね。うちの師匠はちょっと挙動が不審な感じ。うちの師匠、人の目を見ないんですよ。僕も人の目見られないんですけどね。なので基本目が合わないんですよ。僕と師匠の目が合ったのって入門してから2回くらいしかないんですよ。1回は一番初めに「お願いします」って言ったときで、もう1回は楽屋の鏡越しに目が合っちゃって、2人でお互いに「アッ」て言っちゃって、気まずい・・・みたいな(笑)お互い合わせに行かない人なので、本当ははもうちょっと、4回くらいは合ってると思うんですけど。二つ目昇進の時とか多分合ってたんじゃないかな(笑)視力は問題なし。僕はちゃんと見えてます。中学の頃に眼鏡作ったんですよ。検査で「眼鏡作りなさい」って言われて。でも大学生の時、先輩に眼鏡を食べられちゃって…。落研の先輩に、たしか朝の赤羽で眼鏡バリバリ食べられちゃって(笑)それ以来眼鏡ないんですけど、支障ないんですよね。やっぱり人と目を合わせられないっていうのは、視力とはまた別の問題ですね。やっぱり、あの・・・挙動がやっぱりちょっとね。━やっと手に入れたテレビ!でも・・・去年(2017年)の大晦日にテレビ買ったんですよ。一人暮らしで長らくテレビ持ってなかったんですけど『紅白歌合戦』見たくて。紅白でエレファントカシマシ見たくてテレビ買ったんです。大晦日の夕方6時半くらいに電気屋に走りました。どうしても見たかったから。追い詰められてアドレナリンが一番ピークになったときに電気屋に走って行って、一番小型の手頃なやつを。なけなしのお金をはたいて買ったんですよ。でもBSとかって見られないんです。

入船亭遊京さん インタビュー

1988年3月18日生まれ。愛媛県松山市出身。━すごい日本語に出会う高校まで愛媛で、大学で京都。そこから東京で入門ですね。最初はテレビだと思います。落語の映像っておじさんが座布団に座ってるだけじゃないですか。これがすごく新鮮でした。『タイガー&ドラゴン』とか、本とかCDも。今みたいにYouTubeとかも無かったので地元のCD屋で何枚か買いましたね。あとは図書館に志ん朝師匠のCDがあったのでそれを聴いてハマってました。「こんなにすごい、きれいな日本語があるんだ」って。なかなか生で落語を聴く機会はなかったのですが、正蔵師匠の襲名披露興行が西条であって親に頼んで観にいきました。その時のトリの演目が『ねずみ』だったんです。師匠から伝わったネタだそうで、今思うと運命的ですね。━寮暮らしすでに高校生の頃から噺家になりたいという気持ちはありました。それから大学は都会に出たかったので頑張って京都に行って、そこでバイトしてお金貯めて上方の色んな会も観に行ったり。熊野寮は光熱費込みで月4100円なので助かりましたね。風呂なしトイレ共同(便器内で泳ぐネズミの赤ちゃん付)四人部屋のうち二人が中国人の方でした。ただ住んでいるだけで楽しかったですね。その中でも時間があれば友達のところに泊まりながら東京の寄席に遊びに行ったり。それで大阪で師匠の落語観たときに「すごい好きだな」と思ったので、入門するならこの人にしようと決めました。━京大出身入門してしばらくしたときに、師匠が大師匠の「扇橋」のところに連れて行ってくれて、そのときに大師匠が付けてくださった名前です。出身が京都大学だということを師匠は「最初は自分から出さないほうがいい」と言っていたんですが、大師匠は「せっかくだから出したほうがいい」とのことでした。まず「遊京」で色紙を書いてくださったのですが、前座らしく平仮名で、と「ゆう京」になりました。ただ、このときは私自身は頭が真っ白で、当時大師匠のカバンをとりに現場にいた小辰兄さんの話から補っています。師匠扇遊の「ゆう」と大師匠扇橋の「きょう」の音が入っていてとてもいい名前だねと色んな方に言って頂き、そのたびに嬉しい名前です。京大の農学部出身です。機械の勉強とかしてました。農業の中の工学科みたいなところで、波とか流体力学とか、理系なんですよ。勉強していたのはもうはるか昔のことであまり期待には答えられませんけどね。━目標目標は寄席芸人。寄席に生きることですね。どの師匠にも憧れています。━好きなもの好きな食べ物はスイートポテト。甘いものは好きですね。喫茶店行くとケーキとか結構頼みますし。スイートポテト好きだな~。あと、食べ物じゃないですけど半分だまされて行った中国も好きは好きです。

瀧川鯉津さん インタビュー

1974年5月15日生まれ。新潟県長岡市出身。━縁起良し鯉津(こいつ)の津が津軽、草津、会津、大津の津で、わたくしの出身が新潟県の長岡市…全然関係ない(笑)ダジャレ先行で付けられた名前ですけれども、自分の中では意外と気に入ってます。二ツ目昇進の時には名前を変えるチャンスがあったんですけど、鯉津で覚えてもらったというのと、芸事は水にまつわる文字が縁起がいいというんで「瀧」も「川」も「鯉」も「津」も、全部水にまつわるからこの黄金比率を崩したくなくて…そう言われてるだけで実際にいい事があったかどうかはわからないです。まだ実感はないです。これからに期待します(笑)━手段として演劇をかじる高校卒業して上京して、桐朋学園というお芝居の学校に行きました。蜷川幸雄さんとかが講師で来て下さって、実際に蜷川先生から授業で稽古をつけてもらった事もあります。元々お笑いをやりたかったんですが、親を納得させるための手段として、学校に入ればそういう道でも許してもらえるかなと思って…姑息なグラデーション掛けました。━産地直送システム一番最初に職業を意識したのは中1の時。その時は社会の先生の授業が面白かったので社会の先生になりたいなと思ってたらいつの間にかこんな事に…でも人前で喋るっていうベクトルは間違ってなかったんだなと思いますね。1人VS大勢みたいな。芝居の学校出ましたが、それで食っていくつもりはサラサラなく、お笑いの方がやりたくて放送作家になり、それで10年弱。そのとき携わっていた演芸番組にうちの師匠がゲストで来て、それでまた表に出てみようと思ったんです。作家をやってると、自分が面白いと思ってもディレクターとプロデューサーの検閲が入るじゃないですか。だけどこの商売だとお客様に見せてスベったらやめればいいし、ウケたら続ければいい。問屋を通さない産地直送というシステムが気に入りましてね。遅いけど36歳で一念発起しました。━上下関係36歳で入門したとき、同じ協会の別の師匠の所には18歳の先輩がいました。自分の子どもくらいの先輩。でもみんな年上ということで敬ってくれるし、先に入ったからといって先輩風吹かすような人はウチの協会にはいませんでした。まぁヨソは…(笑)芸術協会というのは大学みたいなもんで、前座の年季はほぼ4年で二ツ目になれるんです。自分の下が入ってきて寄席の楽屋仕事が回る人数さえいれば、そのまま押し出される形ですね。━こだわりの羽織寄合とかで着るために協会員で浴衣を揃えるんです。馬喰横山の結構芸人御用達の呉服屋さんなんですが。そこで最初に着物を作った時に「なんか面白い生地ありませんか」ということで生まれたのがこの迷彩柄の羽織。学校寄席に行く事があるんですが、小、中学校の生徒さんとかには落語って年寄りがやる芸だと思われがちなので、出オチでもいいから飛び道具として一つ作ってもらったというか。まさかのコシノジュンコデザインの生地をすすめられました(笑)着物で作ったら絶対に噺の邪魔になるので、羽織にすればすぐ脱げるって事でそっちにしました。ただ寄席には絶対着て行かないです。他所行き用。飛び道具ですから。別に怒られないとは思いますけど、なんかいじられるのも面倒だなと(笑)生地が元々羽織作る用の生地じゃなく浴衣用なので寄席では絶対に着ないです。━地元でも頑張りたい地元新潟でお馴染みの顔みたいな…そういう感じになりたいです。といっても難しいですよね。今はNegiccoさんとかNGT48とかが頑張ってますし。僕は断然Negicco派ですね(笑)中央でも頑張って地方でも頑張るっていうスタイルは素晴らしいと思うので見習いたいです。長岡でも隔月で高座に上がっています。銘酒・久保田でお馴染み朝日酒造さんという蔵元があるんですけど、そちらが完全な僕の小学校の学区内なので、そこでやらせて頂いてます。ディナーショーの逆ではじめに落語をきいてから食事。もちろんお酒付きですよ。

桂伸三さん インタビュー

1983年2月10日生まれ、千葉県習志野市出身。━争わずに生きていきたい中学生の時から芸人になりたいと思っていましたが、その時はほとんど落語を聴いたことはなかったです。テレビでビートたけしさんのお弟子さんたちが修業時代のことを話されていました。ストリップ劇場の幕間に演る漫才とかコントの話。女性の裸を観に来ている人達がお客さんだから、なかなか食いつかない。腐りそうになりながらも努力して少しずつウケるようになってくる。風呂なしのアパートで銭湯に行くお金すらないから、屋上の水道にホースを突っ込んで…ってそんな内容だったと思います。印象的だったのが「その時はつらかったけど、今思い出すとあの時が一番楽しかった」という言葉。それを聞いたときにそういう生き方がしたいなぁ…と思いました。競争社会で人を蹴落としたり、人に蹴落とされながら生きるんじゃなくて、喜んでくれるお客さんのこと、芸のことだけを考えて生きていく。きれいごとのようですが、私にとって夢のような話だから、その分貧乏だって覚悟するし、家庭を持つとか当たり前の幸せもなくて構わない。そんなことを考えながら高校3年生まできました。━落研のための大学進学芸人になりたいという思いは、親にも友達にも先生にも言わずに高校3年生になりました。親は「大学には行ったほうがいい」というけど、自分は芸人になるつもりでいるから大学に行く気なんかない。そんな時にテレビで爆笑問題さんの番組だったと思いますが、渡辺正行さんとか三宅裕司さんとか、お笑いや役者の方などに大学の落語研究会出身の方が沢山いらっしゃることを知ったんです。「そうか大学の落語研究会に入れば憧れの世界に近づけるのか」と。これは完全な勘違いなんですけど、高3の私はそう思って大学受験を決意しました。落研がある大学だけを受けて、國學院大学に入学しました。で、落研に入るからには一応落語を聴いておこうと、寄席へ。初めての寄席で誰が出ていて何を聴いたのかはほとんど覚えていませんが、とにかく居心地が良かった。いろんな芸人が入れ替わり立ち替わり、ウケたりウケなかったり。常連風のお客さんが作り出す客席のちょっとした緊張感。世間とは明らかに違うリズムで流れるゆったりとした時間。いっぺんに寄席の、そして落語の虜になりました。そのときの気持ちは入門してからも変わらず、前座の頃、太鼓を叩いたり高座返しをしたり根多帳をつけたり…と、寄席の一員になっていることにこの上ない悦びを感じていました。それはこれからも変わらないと思います。━自分にとっての落語とは落語は哲学や心理学、宗教だったりのごく崇高なものを含みながら、笑いによってそれらをある意味越えたり、吹き飛ばしたり…と本当にすごいものだと思っています。が、同時になんとも言い表しにくい人間の微妙な心理や現象をやさしく描いてくれる。そういうところにとくに魅力を感じます。わかりにくい例えかもしれませんが、目の前に3メートル位の短い横断歩道があって信号は赤。車も全然通らないからついつい渡りたくなるんだけど、向こう側には親子連れがちゃんと待っている。当然止まって待つんだけどなかなか青にならないし、どんどん人が増えてくる。なかには構わず渡っていく人もいるが、せっかくここまで待ったんだし、なにより向こうで小さな子どもが見ている。待ちながら「なんだろう、このすごく無駄に感じる行為と時間…。なんか気まずいなあ。外国の人が見たら日本人って変だって思うんだろうなあ」なんて思っているうちに、「青になってほしい」と同時に「車通らないかなあ。車が通ってくれれば明確な待つ理由が生まれるのになあ」なんて考え出す。これって不思議だと思うんです。車が通ったって本来何も良い事なんてないはずなのに、そのときには通ってくれればちょっと救われた感じがする。そういう不思議で微妙なものを、呼吸や間で描いた噺がとくに好きです。『笠碁』や『長短』、『意地くらべ』など。━時間の使い方映画を観たり、お芝居を観に行ったり、いわゆる遊びの時間もすべて高座につながると思っているので仕事と休みの境はほとんど無いですね。でも息抜きも必要なので、青春18きっぷを買って、宿も目的地も決めずにぶらぶら旅をするなんていいなと思います。近いうちにやりたいです。でも結局旅先でも落語のことは考えていると思いますが…。━いまを大事に生きる同世代でどんどん売れていく仲間がいて、ついつい焦ったり、真似をして柄にもないことをしてみたりしがちですが、結局自分が本当に良いと思ったものじゃないとお客様も喜ばないというのがだんだんわかってきました。当たり前のようですが、一高座一高座を大事にして自分なりに精一杯芸に向かい合うしかないんですね。寄席の世界にいられる悦びを感じつつ、私が寄席に出ることを喜んでくださるお客様が一人でも増えるように精進を続けます。