東家一太郎「安兵衛道場破り」

越後平野は米どころ。柴田を後に一人旅。叔父を訪ねて江戸の土地。右を向いても左を見ても、国の柴田と大違い。いずこを見ても別世界。さすが天下のお膝元。ここは浅草、観音様。お参りを済ませました安兵衛。再び賑やかな仲見世通り。雷門の手前まで来た時、いきなり一人の若い男が安兵衛の胸先を目がけるとどーんとぶつかった。馬鹿野郎、気をつけろぃ。怒鳴り散らしたその男は脱党の如くに人波へ。あまりの大声で怒鳴られたんでしばらくきょとんとしていたが、やがて我に返った安兵衛が懐を探ってみて驚いた。小銭が財布に一両あまり、他に五十両は入っていたのだが、これが見事にそっくりない。おお、そうか。あれが有名な巾着切という奴か。かねて江戸は生き馬の目を抜く所とは聞いてはいたが、すばやい奴だ。いやしかし、敵ながらあっぱれなものだな。見事見事。ってんで、巾着切を褒めながら馬喰町の宿まで戻ってきた。おかえりなさいまし。馬鹿に早うございましたな。何か変わったものでもご覧になりました?今日は幸いてんがの大名人に出会ったぞ。名人。どんな名人?あれからな、浅草へ行ってな、観音様に参詣をして、雷門の所まで来たら一人の男が身どもにぶつかったんだ。しばらく行って気がついてみたら、懐中物がそっくりないのだ。どうだ親父。見事な名人芸ではないか。旦那、そりゃ巾着切じゃございませんか。スリに物を取られて感心してりゃ世話ないよ。しかし見事だ。見事だも何も、感心してる場合じゃないでしょ。いくら取られたんです。まあ五十両と、少しばかり。少しばかりって大金ですよ旦那。いやー、しかし見事だな。旦那。それで、肝心の叔父さんってのは見つかったんですか?いやいや、見つからない。して、旦那。江戸にご親戚でも。親戚はない。お知り合いは?お知り合いもない。お友達は。お友達もない。失礼ですが旦那。あんた一文無しになって、これから一体どうなさる思し召しで。まあ今のところ、どうしようという当てはない。ないない尽くしだねこりゃ。よろしゅうございます。お世話致しましょ。考えてみると、旦那。あなたは豪傑だ。知らない所へ来て五十両なんて大金を盗られて、驚かないで平気でニコニコ笑ってるなんざ、こら普通の人間には出来ませんよ。あたしゃ何だか旦那の大きさに惚れちまったね。ようござんす。幾日、何か月でも泊まってってください。つづきは動画で。東家一太郎動画一覧はこちらから

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国本はる乃「楽満寺」

下総に過ぎたるものがいくつある。まず船橋に大神宮が、干潟に舞う千葉しがり、宗吾霊じん印旛うま、さては成田かさんりづか、飯岡、笹川、水滸伝。九十九里には大利根が。波の花散る銚子港。犬吠埼の灯台が名所数々あるなかには、香取郡はこみかどむら、ここなかざとにそびえたる。由緒ゆかしきその寺はずいえん観音。楽満寺。そろそろ浦賀にペリーの乗る黒船がやって来ようとする江戸の末。下総の国香取郡はなるいむらに、ためえもんという今年三十になる漁師がございました。女房がおひさといって二十五。夫婦になって五年になりますけれども、まだこの夫婦に子供がない。世の中は黒船騒ぎで大変ですけれども、遠く離れましたこの土地では至ってのんきなもので。おい、おい、おひさ。何だっておめーはいつまで経っても子供を産まねーんだよ。しょうがないだろ。出来ないものは仕方がないじゃないか。お前さん、いつもそればっかりだね。そればっかりったっておめー。お名主様とこの猫見てみろ。時化に孕んでるじゃねーか。猫と人間と一緒になるかい。第一、お前さんの種が悪いんだろ?何言ってやがんだい。てめーの畑が悪いんじゃねーか。種だよ。畑だよ。種。畑。って、まるでお百姓の喧嘩のよう。所へ止めに入ったのがこみかどむらから越してきた手習い士官のそうのじょう。まあまあ…お二人な、お二人な。喧嘩などしたらいかんよ。話は残らず伺ったが、ためえもんさん。子供なんというものはな、授かりものと言うくらいじゃな。そんな焦ったって駄目だよ。そうのじょうさん、お前さんはね、いい子供がいるからそうやってのんきにしていられるわ。いや、それがね。あたしも長年なかったのが、ふとしたことから出来たんだ。ためえもんさん、おひさ様、よい話を聞かせてあげましょう。手習い士官の仲裁で、夫婦げんかがどこへやら。たちまちニコニコ恵比須顔。りょうも休んでふたがりは、仲良く家を出ましたら、その行く先はどこじゃやら。以来、夫婦は睦まじく家業へ精出す。そのうちに軒端の梅は早散って、空にゃひばりがたかねかと、桃が咲いたよ。がくとが狂四郎酒のひな祭り。女房のおひさもほんのりと日焼けた頬を赤く染め、夫に向かいて話す夜が。ちょいと、ちょいとお前様。聞いておくれなね。見るものを見ないんだよ。何を?見るものを見ない?だからおめー言ったじゃねーか。紙芝居が来た時はちゃんと見とかなきゃ、あとで後悔するって。紙芝居の話じゃないよ。そうじゃなくてさ。わからないのかい?ほら、すっぱいもんが食べたいんだよ。何を?何だおめー。変なこと言ってんな。ほんだったら、台所入って梅干しでも何でも好きに食らいねーな。そうじゃないよ。そうじゃなくてさ、ほら。出来たんだよ。ほー、おできが?分からない人だね、そうじゃないよ。子供が宿ったんだよ。え?おひさ、そりゃ本当か?つづきは、動画で。国本はる乃動画一覧はこちらから

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古今亭今いちさん インタビュー

昭和63年8月26日生まれ、東京都大田区出身━小学校は全寮制私太っていたんです。大田区内の小学校に通ってたんですが、保健の先生から「あなたこれ以上太ったら死ぬよ」って言われまして、千葉の館山にある大田区立の健康回復の学校に編入したんです。肥満、喘息、虚弱、偏食・・・などを治すための全寮制の学校で、そこに4年の2学期から編入をして卒業して大田区に戻って来ました。その時に一緒に暮らした、同じ釜の飯を食べた仲間っていうのは今でもよく遊んだりなんかしますね。小学生で70kgとかあったのかな。━どっちつかずの体型「お前は太り方が半端だ」と言われることがあります。デブネタをやるのであれば大きくないと面白くないし、でも3桁は才能なので(笑)身長があって骨も太くて体が大きい方は太ろうと思えば頑張って太れるんでしょうが、私はそこまでの才能はない。頑張って痩せようと思ってもこの世界にいると自然と太ります。前座の頃は食べるのが仕事のようでした。「若いから食べなさい」って、世の中一般からしたらそんなに若かないですよね。━牛丼は飲み物?!我々の世界は年齢ではなく、年季の差みたいなもの。40いくつでも若手は若手。だから師匠方も「若いんだから食べなさい」っておっしゃりますけど、年齢を重ねて入ってきた兄さんなんかは大変そうでしたね。自分たちが動いて手配して、余ったものは全部食べるみたいな。誰よりも遅く箸をつけて誰よりも早く食べ終わらないといけない。そうすると喉の方が発達してきて、カツサンドなんか2回噛めば喉通るようになっちゃう(笑)牛丼も飲み物ですから(笑)完全に癖になってますね。━教員免許、取ったはいいけど・・・農業高校出身です。造園の勉強をしていて、学校の先生たちが結構面白かったんですね。そこから自分も農業高校の先生になりたいと思い、大学で教員免許を取って教員採用試験を受けました。先方と意見が合わなくて落ちちゃいましたが。先生も1人で人前で話すし、落語も同じだなって高校の恩師に話したら「お前全然違うよ。我々教員は生徒に教えて進級させて上に持ち上げるけどお前たちは全部落とすだろ」って先生の方がうまかったです(笑)━眞空拳拳法?眞空拳拳法は、簡単に言うと護身術。今ある体をどうにかして使おうと。小学校3年くらいから続けてて今もやってますね。走りこんだりはせずに、いかに理にかなった動きをするか。無駄がないってことはカロリーを消費しないので痩せないです(笑)これでも高校の時はバドミントン部だったんですよ。全然見えないでしょ?体を動かすのは嫌いじゃないですが、根性がないですね。━太っていたから落語に出会えた?自分はそそっかしく、飽きっぽいタイプ。農業高校時代も木を剪定したりするのはすごく好きだったんですが、成長を予想して形を整えた結果が出るのが1年後。その場で結果がすぐ返ってくるっていう方が自分にはすごく合ってるので、落語の方がコール&レスポンスで変えながら出来るというのが面白いですよね。考えると全部落語につながってます。落語との出会いも、館山に行っていた小学5年の学芸会で「寿限無」の劇をみんなでやったのがきっかけ。だから館山に行ってなければ、肥満じゃなければ落語にも出会ってなかったかもしれないですね。━敢えて、下手に今はなるべく落語を下手にやろうと思ってます。上手い人っていっぱいいるじゃないですか。その中で師匠に教わったままやっているとそれより先には行けないというか、越えられないので。マイナスの力があると逆にプラスにも力が出るみたいな。いい方向にずっと行くよりかは、一回逆のことをやってみるといいんじゃないかなと思っていて(笑)だから今回の収録もすごく下手です。下手にやろうとするのも難しいんですよね。自分の中で教わった間とかリズムを崩す訳ですし、崩そうとして本当に詰まっちゃうと駄目ですしね。━自分だけのベクトルで自分だけのベクトルでうちの一門が新作の一門なので、みんな言うのが「新しい笑いの形を創造しなくちゃいけない」。教科書みたいに“これが落語”っていうのは諸先輩方がやっているので、別のベクトルの落語もありじゃないかと。同じ噺でもやる人によってこれだけ違って面白いみたいな、多様性の面白さがある感じがしています。誰も行っていないところに行ければいいですね。そのために今は下手に、下手にやりたいなと。古今亭今いち動画一覧はこちらから

林家たこ平さん インタビュー

1979年7月4日生まれ、大阪出身━入門を決めたのは一瞬23歳の時、今から15年前くらいに上京しました。千葉の友達の家で居候みたいなことをしながらフラフラしていたんですが、たまたま休みの日に鈴本演芸場に寄席を観に行って、そこで師匠の落語を観て一瞬で入門を決めたんです。当時は就職していなくて、アルバイトをしながら、ただフラフラしてましたね。━カルチャーショック師匠を選んだのはフィーリング、第一印象かな。一目惚れですね。裏表のない師匠です。私が入門したころは結構テレビのバラエティなんかにも出ていたので知っていましたが、寄席とテレビでは印象が全く違いました。着物を着て座布団に座って・・・その時に初めて落語を観たのでカルチャーショックを受けました。━前座なのに独演会?!師匠の独演会が地方であったときのこと。師匠はテレビの収録かなんかで後から会場に入るから「お前は先に会場に行って準備しろ」と言われまして新幹線に乗ったんですが、その新幹線が止まってしまったんです。1時間も2時間も動かない。主催者の人と一緒だったので「どうしましょう」ってことで会場に連絡とると「師匠は今から来ても間に合わないから、師匠の独演会だけどたこ平さんとりあえず来てください」と言うんです。たしか1年目か2年目くらい。会場には師匠の独演会の看板が出ていて、でも出演は僕だけ(笑)「なんでもいいからやってくれ」と言われ、当時そんなにレパートリーがなかったので、それこそ前座噺ですよね。会場も結構大きかったですよ。5、600くらい席はあったんじゃないかな。開演時間も過ぎていてお客さんが半分怒っているような中お辞儀をして顔上げると・・・「シーーーーン」としていて拍手も何にもなかったです。『寿限無』とか『味噌豆』なんかを20分ぐらい話して降りちゃいましたね。その後はすぐに幕を下げてもらいました。今でさえウケることは難しいのに、その時はテンパっているし、前座がそんなところで落語をやるなんて間もなにもあったもんじゃなかったですよ。今考えてもゾッとしますね。━前座ロス?師匠は基本的に強く怒鳴るってタイプではないです。あんまり記憶にないですね。前座の時は、朝から師匠の家に行き、寄席が終わったら何があっても戻らなくちゃいけない。内弟子ではなかったですが、近所に住んで毎日行って寄席が終わったら必ず戻って、師匠のところで晩御飯を食べて、風呂なしのアパートに戻る。それを大体3年ぐらいやっていたので、そういう意味では厳しかったですね。でも今になってみるとありがたいような気もします。自分の時間は本当になかったので、二ツ目になった時はうれしかったです。意味もなく家の中を掃除したり。“何もしない”っていうのが悪いような気がして、ゆっくりしてちゃいけないみたいな感覚にはなりましたね。そういう意味では前座ロスでしたね(笑)━東京は自転車が便利散歩が結構好きで、上野公園とかをよく散歩してます。谷中から上野の鈴本へ行く道は、上野の山を越えていくと結構緑が多いのでリフレッシュできるんです。お芝居観たり、映画見たりするのも好きですね。今は乗っていませんが自転車も好きですね。東京って自転車があると便利ですから。電車と自転車があれば車はいらないでしょ。━師匠みたいになりたい目標は師匠。師匠みたいになんでも出来るような芸人になりたいです。仕事を選ばずに何でも機会があれば、きっかけがあればどんなことでもやらせて頂きたいなとは思います。林家たこ平動画一覧はこちらから

柳家やなぎさん インタビュー

1990年2月18日生まれ、北海道野付郡別海町━減量、叶わず協会のプロフィール写真は二ツ目になる直前ですね。二ツ目になったらどんどん痩せてやろうと思って意気込んでいた時です。あの頃は、二ツ目になれば痩せるだろうと思っていました。いわゆるデブキャラで売る自信が無かったので、僕は開き直れなかったんです。体も心配になりますし。でも・・・駄目でした(笑)━きっかけは現実逃避僕は全く勉強が出来なかったんです。高校3年生の時に授業に追い付けなくて、現実逃避で落語をきいたのが初めてでした。それから東京に出てきてアルバイトなんかをしていて、その頃に落語が世の中で一番好きだったので、じゃあ折角なら好きなことでご飯食べたいなと思ったんです。それに普通の企業で勤めている自分の想像が全くできなかったんです。普通に働いて、ちゃんと朝起きて、ご飯食べて、仕事行って・・・みたいなのが本当に1ミリも想像できなくて、生意気ですけどそういうこともあって噺家になりました。━夢のような見習い期間普通に働くよりも前座はハードだったかもしれないですね。でも好きなことですから。好きなことやっている時は平気です。最初の半年は盲目。毎朝自宅に行くと自分が惚れた師匠がいるわけですよ。だから最初の半年は「あー!さん喬師匠いるー!」「俺、さん喬師匠のお皿洗ってるー!」「俺、さん喬師匠入った後のトイレ入ってるー!」とかそういうのが続いて、見習いの半年は寄席を知らずに師匠のお宅にしか行ってなかったです。前座は寄席でそれどころではないので、あっという間に1日が終わっていきますから。期間としては長かったですけど1日1日を見れば随分あっという間に終わりましたね。━腐っていたあの頃今だから言えますけど、あの頃は随分腐ってました。前座って大体みんな腐るんですよ。目新しいものは楽屋にはないし、伸びしろもない。今だったらその時の自分に言います。「なんだって新しいし、何にもやることないなら高座を勉強しなさい」って。でも当時は「なんか早く終わんないかなー」って腐ってましたね。━ガンダムと酒普段はずっとゴロゴロしています。何もなければ家でゴロゴロして1日終わります。お酒飲んで終わり。二ツ目になってから、仕事をした日以外は飲まないと決めてますね。常備はしていますが、飲み始めるといつまででも飲んでしまうので。だから仕事した日はご褒美に飲んでいいことにしています。ガンダムを見て家でゴロゴロ。夢のようです。そうやって生きていきたいですね。お酒はなんでも好きですよ。━師匠、ごめんなさい!師匠はお酒を飲まない人なんですが「お前飲んでいいぞ」と言われ、最初はもちろん断わりますよね。でも進められて飲んで、気が付いたら僕が助手席で師匠が車を運転しながら「この辺でいいか?」って(笑)ごめんなさいっていつも思っています。同じことが何回かありますね。次の日は何事もなく「昨日はごちそうさまでした」って。だって師匠が飲めって言うんですもん(笑)僕だって「一人で帰ります」って言うんですよ。でも「いやいや送っていくよ」ってお言葉に甘えています。「テメぇ、この野郎」って思われているかもしれないな。━コツコツとやるのみ不器用なので本当にコツコツと目の前にある課題とか自分に出来ることをやって、噺家は死ぬまで噺家だと思うので、その頃には1ミリでも自分の師匠に近づいていたいですね。根本的に稽古をもっとしなきゃいけないと思います。とにかく噺をいっぱいやらないと駄目だなと思っています。━師匠のおかげ声が大きいのもこの世界に入ってからで、本当に師匠のおかげです。いわゆる腹式呼吸どうのっていう指導はないんですよ。だけど「さん喬」という師匠は、朝お宅に行って新聞を読んでいるところに「おはようございます」と言っても返事をしないんですよ。声を張って「おはようございます!」って言うと「おはよう」って返してくれる。無言で「お前の声は聞こえませんよ」って伝えてくれていたんだと思いますね。稽古の時も「腹から声出せ」って言われていました。一番最初に「こんちわ!隠居さんこんちわ!」って言うと「もう一回、腹から声出せ」って。初めて教わった噺も最初の「こんちわ!」だけで30分くらい。なので、この世界のことはこの世界に入ってから全部出来るようになりました。といっても、まだまだですね。もっと面白くなりたいです。柳家やなぎ動画一覧はこちらから

宝井琴柑さん インタビュー

10月21日生まれ、神奈川県横浜市出身━伝えたいこと講談って難しいといわれるので「難しくないんだよ!」っていうことと、今のお客さんに楽しさを伝えたいなっていうのは日ごろ考えてます。━話芸で勝負子供のころから親の影響で講談は聴いていました。中学生のときにアマチュアで習い始めて講談が身近ではあったんです。でも職業にしようと思ったのは、大学卒業後に出版社の営業職を経験してあちこち回っているうちに、営業トークも話芸だなと感じたとき。話芸だったら講談ってのがあったなと思い出して、じゃあ人の作った製品を売り歩くより自分の身一つでやっていけないかなと足を踏み入れたのが一番のきっかけです。━修行で変化突然講談の世界に身を置くことになり、私の周りの人たちはびっくりしていたと思います。講談師になってから話し方がだいぶ変わったので、以前の私を知ってる人からは「どうしてそんな喋り方なの?」と言われたりもします。元々はすごくトロくさくて舌っ足らずって言われたこともあったくらいだったのが、修行によってハキハキした喋り方に変わっていきました。自覚もありますね。━ここが自分の居場所やっぱり芸って難しいです。客として客席から見てるときは「前座さんか、二ツ目か。ふふん」って感じで気楽に見ていたんですが、いざ自分でやるとなると結構難しいもんだなと。挫折というほどの挫折をまだしていないのかもしれないです。でも、辞めたら後がないってことは思います。普通の社会人としてはあまりうまく生きていけそうになかったので、ここでダメだったら本当に後がない、ここが自分の居場所だってつもりでいます。━営業職のおかげで強くなれた営業職はノルマに追われ、営業トークも全部ひっくるめて仕事が辛い。でも元々そんなに喋ることが得意ではなかった私が、ガンガン人に喋れるようになったのは営業職のおかげだと思っています。物怖じしなくなって人見知りもしなくなりました。電話もかけまくって、初めての人でもガンガン行くっていう感じは営業職で鍛えられたのかなと。ただ、精神的にも体力的にもすごくハードだったので「もうやっていけない・・・」という感じでした。━大変なのはみんな同じ就職をせずに講談師になる選択肢はなかったですね。就職先でうまくいってたらそのままずっと安泰に暮らしていたと思います。講談の世界に入るよりも前に社会人として挫折を味わってますので、逆に講談の道に入っても頑張れるっていうところはありますね。どんな仕事もみんな大変なんだってことが身をもって分かった気がします。よく「芸人の世界って大変なんでしょ?」と言われますが、世の中の方々みんな働いてそれぞれ大変だなというのが実感ですね。━史跡めぐり最近は史跡めぐりにハマってます。昔はそこまで歴史好きというわけではなかったんですが、講談をやっていると各地の話が出てくるので気になります。旅行のついでに歴史に関係する場所を観たり、普通の人が素通りしてしまうような地味な史跡を観たり。手掛けている講談がその土地の話だったりすると、話にリアリティーを持たせるために現地へ行くことがよくあります。プライベートと仕事の線は引きづらいですが、そんなことも楽しいです。━見た目も含めた全てで喜ばせたい見た目も含めた全てがお客さんを喜ばせる為のツールだと思っているので、着物はきちんと着ていたいです。一応、侍が出てくるときは袴、町人のときは庶民みたいな着物・・・というように話に合わせて選びますね。敬老会みたいなところだとハッキリした色のほうが喜ばれたり。会場の大きさによって柄の大小も意識したりします。嫌味のない感じできちんと着ていたいですね。━祝!真打昇進内定来年(2019年)の秋、真打に昇進することが内定しました。次のステージに行かなければならないので、今までやってきたことを一生懸命固めようとしてます。昇進のタイミングが近づいてくると周りからも「そろそろなんじゃないの?」とか「いつなの?」とか言っていただけるので、二ツ目の後半ぐらいにそうやって言ってもらえるようになったのは嬉しかったですね。「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきつつあったので、嬉しいなと思ってるときに内定頂けてよかったです。でも真打ちというポジションに見合うだけのものにならなきゃなりませんので、あと1年ちょっとの二ツ目の期間で思い切り勉強したいなと思っています。宝井琴柑動画一覧はこちらから